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1963年に刊行がスタートした『東洋文庫』シリーズ。日本、中国、インド、イスラム圏などアジアが生んだ珠玉の作品の中から、毎週1作品をピックアップ。 1000文字のレビュー、そしてオリジナルカルテとともに、面白くて奥深い「東洋文庫」の世界へいざないます。

東洋文庫 386

『松本順自伝・長与専斎自伝』(小川鼎三・酒井シヅ校注)

2018/12/06
アイコン画像    西洋医学を日本に定着させた
2人の日本人医師の半生

 医学部入試の浪人・女性差別事件が世間を騒がせましたが、当事者にとっては切実です。日本では原則、大学に行かない限り、医師国家試験を受けられないからです。

 実はこの国家試験の前身にあたる「医術開業試験」を生み出した中心人物・長与専斎(1838~1902)の自伝が、東洋文庫にラインナップされています。それが『松本順自伝・長与専斎自伝』です。

 日本最初の医師国家試験は、奈良時代に遡ります。

 〈律令時代には医師は官吏の一員であり、医師は医生として典薬寮において教育をうけたのち、所定の試験をパスした者のみに任命された官職であった。その最終試験が国家試験とみなされよう〉(ジャパンナレッジ「国史大辞典」、「医師国家試験」の項より)

 室町以降は、医師は名乗りさえすればなれる職業でした。そして明治になり、西洋医学を本格導入。それとあわせて、「医術開業試験」を創設したのでした。

 で、本書は松本順(松本良順)(1832~1907)と長与という2人の医師の自伝です。どちらも、ポンペ(1829~1908)という〈オランダの海軍軍医〉(同「世界大百科事典」)に学んだ、いわば西洋医学の申し子。2人の半生は、日本の西洋医学の歩みと軌を一にします。書かれているのは医学のことばかりじゃありません。どちらも幕末の動乱に巻き込まれていますので、「彼らの目から見たリアルな歴史の証言」としても、本書を楽しむことができます。

 私が興味深かったのは、松本順と明治の元帥・山県有朋との会話です。松本は、〈将軍徳川家茂・慶喜の侍医〉(同「日本人名大辞典」)でもあったので、幕府の側の人間でした。その松本に山県が会いに来ます。兵部省の医学や衛生分野を、松本に任せたい、というのです。


 〈僕は朝敵の名ありて、天恩一死を赦されたる以来、日なお浅く、刑余の身何ぞ顕職を汚すことを得ん〉


 戊辰戦争で松本は捕まっています。そんな自分にやらせるのか、ということですね。それに対し山県。


 〈今日はおのおの国のために尽力するに、何ぞ謙遜を用いん、ひたすら国家を以て最重とすべきなり、何ぞ朝家を怨望することあらん〉


 そんなちっぽけなことより国のほうが大事じゃないか。山県の説得に、松本は初代陸軍軍医総監となります。

 私的感情ではなく、国のために働こう。天下国家を皆で作り上げんとしたのも、また「明治」という時代でした。本書には明治の香りが色濃くあります。



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『松本順自伝・長与専斎自伝』(小川鼎三・酒井シヅ校注)
今週のカルテ
ジャンル伝記
時代・舞台幕末から明治の日本
読後に一言しかし一方で、〈政府の富国強兵の方針の下に、医学・医療の体制と方針がつくられ〉、〈軍事的、産業的な人的資源確保がその第一義〉であり、〈厚生省の創設や社会保障としての健康保険法や工場法も同様の意図の下に進められた〉(ジャパンナレッジ「ニッポニカ」、「医学史」の項)ことも、忘れてはなりません。天下国家を語ることと、国が何にもまして優先されることは、イコールではないのです。
効用長与は、初代内務省衛生局長です。「衛生局」と名付けたのは長与で、以後、この言葉と概念が広まりました。名付けた経緯は本書をお読みください。
印象深い一節

名言
公にも私にも身にかなうほどのことには微力を致し、三十余年の歳月をもっぱらこの道に消磨し尽くしぬ(「松香私志 長与専斎」)
類書江戸時代、長崎で西洋医学教育を行なったシーボルトの伝記『シーボルト先生(全3巻)』(東洋文庫103ほか)
黎明期の日本の蘭学受容がわかる『前野蘭化(全3巻)』(東洋文庫600ほか)
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