うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子


第一回 春はあけぼの

2011.06.14

はじめに──心ときめかして『枕草子』を読むために

 娘時代に『枕草子』をはじめて読んだ日から、私は、この日本最古の随筆集に、なぜか心の波長の合うのを感じ、濃い親しみを覚えた。作者の清少納言は、すぐ私の「見ぬ世の友」となった。
 私は『枕草子』のどんなところに深い魅力を感じたか。いろいろと説明するよりも、まず、有名な第一段の「春はあけぼの」を一緒に味わってみることにしよう。
 春の夜明けのすばらしさ。すこしずつしらんでいく山ぎわの空のほの明かりのなか、紫がかった横雲のたなびく優雅さを、なんと言おう。清女せいじょ(ここでは、清少納言をこう呼ぼう)の色彩には、いつもほのかな光がこもる。いのちの息づきのように。
 夏は夜がいい。満月の頃はもちろん。やみの夜も。ほたるが飛んでいるのもたのしい。 乱れ飛ぶ蛍、ただ一つ、二つ、うっすらと光って飛んでいく蛍、どちらもいい。雨の夜だって捨てがたい。蛍の光は目に心に残り、銀色の雨脚も見えるようである。
 秋は夕暮れ。華やかにさす夕日が西の山の端を染める頃、ねぐらに急ぐからすたちを、三つ、四つ、二つ、三つと描く筆のリズミカルな軽妙さ。ここには烏の声も聞こえる。夕映えの色あせた頃、はるかな空に小さく連ねるかりたちの姿も印象的だ。日没後の風の音、虫の声。清女はどんな小さな音も、心ときめかして聴きとめる。
 冬は早朝こそおもしろい。雪の朝も、霜の朝も、すてき。寒さきびしい朝に、火をいそいでおこして、あの部屋、この部屋にあわただしく持ち運ぶのは、いかにも冬って感じ。寒い冬は、いっそ皮膚がヒリヒリするほど、冷えとおるのがいいわ。炭のにおい、赤くおこった火の顔にかかるほてり、足の冷たさ。触覚も嗅覚きゅうかくも、すべて動員して、冬の早朝の快感は描かれる。喜び上手の、アクティブ精神も、ここには織りこめられている。昼になって、白くくずれていく火。これは私の好みではないわ。「をかし」「あはれなり」「つきづきし」を連ねて肯定的だったこの段は、ふっと力をぬき、ひねった感じに結ばれている。
 「春はあけぼの」──この一段を読んだだけでも、この古典の魅力に気づかれたにちがいない。ここには、古さ、いかめしさがなく、現代感覚にみごとに通う新しさがある。天衣無縫の童心、自在にひろがる連想、決断のいさぎよさ、そんなこともみとれる。
 さらに、もっと近々と、心を清女の文に寄り添わせ、深く読みこんでみよう。
 春は、あけぼの。そのあけぼののような、しあわせの真っ只中にいらした中宮定子のイメージも重なってくるし、「わろし」と結んだ最後には、あこがれの方の運命をいたむ清女のひそやかなため息さえ聞こえてきそうな気もする。
 短い文章も、こまやかな目くばり、相手の心をのぞきこむ心によって、影を深め、立体的にたちあがってくる。
 私は、この思いで『枕草子』を読んできたし、これからも読みつづけたい。

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