うつくしきもの 枕草子

うつくしきもの 枕草子

第二回 うつくしきもの

2011.06.28

かわいらしいもの――何も何も小さきものは

 「うつくし」とは、もともと、親子、夫婦などが、おたがいをいとしく思う、肉親の情愛をあらわすことばだった。
 平安時代になると、それは、小さく可憐なものへの愛に変わり、かわいらしい、愛らしいという意味になった(現代のように、ただ、きれいという意味になったのは、かなり後)。
 子供は、かわいいものの代表であろう。この「うつくしきもの」に登場するのも、半分ほどは、幼い子供の描写である。
 赤ちゃんの顔が描かれた小さな瓜は、人形がわりに抱かれたのであろうか。
 チュッチュッと呼べば、ピョンピョン跳んでくる子雀こすずめは、卵からかえして、家で飼われていたのか。「心ときめきするもの」(二七段)の中に「雀の子飼」ということばもある。
 ははいしてくる途中、小さなごみを見つけ、幼児がかわいい指でつまみあげてみせるさま。京人形のような髪型をした幼児が、のびた額髪が目にかぶさりそうなので、顔をかたむけて、なにかをじっと見つめるそのようす。
 いずれも瞬間の微妙な動きを、まるでスローモーションで(とら)えて写したようにほほ笑ましい。
 作法見習いのために、()殿(てん)にあがった()卿のお坊ちゃんが立派な装束を着せられて、歩きまわるかわいい姿も宮廷ならではの見もの。ついちょっと抱きとってあやしているうちに、いつかすがりついて寝てしまった幼児は、せつないほどかわいい。「らうたし」とは、母性本能をくすぐるかわいさである。ここは着物を通して伝わる子供のあたたかさや、乳くさいにおいなども感じられるところである。
 「いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる」は、「あてなるもの」(四〇段)に登場するシーンだ。プクンとした柔らかい赤ちゃんのくちびると赤い(いちご)と。どちらも濡れて光って、いのちの高貴ささえ感じさせる。
 弓や棒切れなどふりあげて遊んでいる子を、通りすがりに見れば、(ぎっ)(しゃ)をとめて抱き入れたくなる清女は、子供のふとしたしぐさのなかに、たまらないかわいさを見つける。ずうずうしく不作法な子供のにくらしさをズケズケ書き、子供ぎらいとよく言われる清女だが、けっしてそうではない。
 人形遊びのお道具。(はす)の小さな浮き葉、(あおい)の小さな葉。彼女のことばでくくられたのが、「何も何も、小さきものは、みなうつくし」である。なんと身に()む言葉を、清女は私たちに贈ってくれたことか。
 日常の中に小さな喜びやしあわせを見つけて、生きたいと願う私たちにとって、彼女は教祖である。