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日国を使うにはわけがある!
2007年07月

JKボイス-日国を推挙する理由:ジャパンナレッジ 用例で知る共通の文化体験

紀田 順一郎さん
作家・神奈川近代文学館館長

たとえば春から夏への推移を象徴する季語「麦秋」は、「むぎあき」(むぎのあき)と「ばくしゅう」と、二つの読みがあるが、歳時記などには「使い分けによって微妙な印象の差がある」などと記されている。どのように微妙なのか知りたい。オンライン版『日本国語大辞典』の出番である。

いろいろな検索の方法があるが、とりあえず「麦秋」の用例(全体)を引いてみると、41項目が出てくる。実際にどちらの読みか不明のものもあるが、俳句や浮世草子の例はまず「むぎあき」といえる。

*俳諧・蕪村句集〔1784〕夏「病人の駕も過けり麦の秋」

*俳諧・新花摘〔1784〕「麦秋や狐ののかぬ小百姓〈蕪村〉」

*浮世草子・好色一代女〔1686〕三・三「河内、津の国里々をめぐり麦秋(ムギアキ)綿時を恋のさかりとはちぎりぬ」

これらに対して、漢文系の例はまず「ばくしゅう」であろうという見当はつく。

*経国美談〔1883~84〕〈矢野龍渓〉後・一〇「去歳已に斯人の為に田実を掠められしに今又麦秋の時に於て敵兵に之を掠略せらるるときは」

*花柳春話〔1878~79〕〈織田純一郎訳〉三一「梅天(バイテン)の麦秋を愛し」

*本朝麗藻〔1010か〕上・四月未全熱〈藤原公任〉「千畝麦風秋暗報、一旬萍日暑猶慵」

変わったところでは、小津安二郎の映画題名『麦秋』(1951)も挙げられている。若い時代を過ぎようとする女性の結婚問題を心境小説風に扱っているので、語感からいえば柔らかい「むぎあき」が妥当かとも思うが、その二年前に『晩春』という作品があり、好評を得たので、語感を合わせたのかもしれない。それに小津の世代は高下駄で漢詩を放歌高吟しながら歩く、典型的な旧制高校の漢文世代であった。

辞書は用例が生命である。多数の用例を能率的に検索できることは、短時間に何十冊もの読書ができると同じことだ。それなのに、市場に辞書があふれている割には、辞書は活用されていない。最近あるTV局が「綺羅星」を「きらぼし」と読むのは誤りで、「綺羅、星のごとし」というように読むべきだと主張しているが、オンライン版『日本国語大辞典』は「綺羅、星のごとし」を続けてつくった語という解釈を掲げ、車屋本謡曲・鉢木(1545頃)の「のぼり集まるつはもの、きらほしのごとく祇候せり」を用例に挙げている。私のように子どものころ、講談などの語り物に親しんだ世代には自明のことだ。オンライン辞書はこのように共通の文化体験の継承にも役立つことだろう。