第10回 「かぜ」は何故「引く」というのか?―「かぜ」と「引く」のいい関係― |
この冬、久しぶりにかぜを引いて会社を休んでしまった。ただ、幸いなことに新型インフルエンザでも「電光感冒」(第1回参照)でもなかったようで、葛根湯を飲んで一日寝ていたら治ってしまった。
知人にその話をすると、おまえもかぜを引くのか、とからかわれたあと、でも、何でかぜは「引く」なんだろうという質問を投げかけられた。確かに、インフルエンザも感冒も「罹る」とか「なる」とかは言うけれど「引く」とは言わない。逆にかぜは「罹る」「なる」と結びつけようとするといささか据わりが悪い。だが、悔しいことに何故なのかすぐには答えられなかった。
知人と別れたあと、こっそり『日国』を引いてみた。
まず「かぜ(風)」の項目を見ると、語釈末尾の語誌欄に、病気としての「かぜ」は「かぜを引く」の例からわかるように、空気の流れである「風」の影響を受けて起こるものだという内容の記述がある。では、この「引く」とはどういうことなのだろうか? そう思って今度は「引く」の項目を見ると、「自分の体に受け入れる。身に及ぼす。」ということが原義で、「吸い込む。かぜにかかる。」という意味になったということがわかる。どうやら、病気の「かぜ」は、空気の流れの「風」を体に吸い込んだために起こると思われていたらしい。
さらに、「風」の子見出し「かぜを引く」を見ると、「『風ひき給てん』とてさわぎ、ふせたてまつり給つ(「かぜをお引きになってしまう」と大騒ぎして、お寝かし申し上げる)」という『宇津保物語〔970~999頃〕』の例が初出例として載っている。「風」と「引く」はかなり古くから、切っても切れない関係にあったことがわかった。手前味噌ではあるがやはり『日国』は頼りになる。
蛇足ではあるが、「かぜを引く」のような、2つ以上の単語の結びつきがある程度強い関係をコロケーションと言う。「油を売る」「道草を食う」などの慣用句もコロケーションの一種であるが、コロケーションは慣用句ほど結びつきが固定されていなくてもよい。
日本語に限らず、言語を学ぶ際には、コロケーションの学習はとても大事なのだが、残念ながら日本の辞典ではコロケーションへの配慮が今ひとつ遅れている気がしてならない。それは日本人ならわかるはずだという安易な考え方がいまだに根底にあるのかもしれない。
しかし、日本語はもはや日本人だけのものではなくなっているのである。実は、数年前に改訂版を出した国語辞典(『現代国語例解辞典』第4版)では、そのように考えて、例文で結びつきが強い関係にある語を強調するという試みをしたことがあるのだが、まだまだ不十分だったと感じている。
『日国』に限って言えば、コロケーションの実例とその初出となる例を可能な限り採取して、網羅的に掲載することが課題だと思っている。