第13回 罵倒語は「美しい日本語」と言えるか? |
文化庁が平成20年3月に実施した「国語に関する世論調査」(平成20年度調査)で、「『美しい日本語』があると思うか」という調査項目を設けていた。結果は「あると思う」と答えた人が87.7%いた。さらに「あると思う」と答えた人たちに、それはどのようなことばだと考えるかと尋ねているのだが(選択肢の中から3つまで回答)、ベスト3に入ったのは「思いやりのある言葉」「あいさつの言葉」「控え目で謙遜(けんそん)な言葉」であった。
筆者自身もかねてより「美しい日本語」はあると考えているので、じゅうぶん納得のいく調査結果であった。ただひとつだけお断りしておきたいのは、「日本語は美しい」と思っているのではなく、「美しい日本語はある」と思っているのである。その違いはけっこう大きいと思う。
そんな「美しい」と思う「日本語」だけを集めた辞典を作ってみたいと思い、『美しい日本語の辞典』(2006年刊)というかなりベタな名前の辞典を編集したことがある。幸いおもしろい辞典だと思ってくださる方が大勢いらっしゃったようで、毎年着実に版を重ねている。
ただ、この辞典が出たときに収録した「おたんちん」「べらぼうめ」などのような俗語や罵倒語も「美しい日本語なのか」というご批判をいただいた。
この辞典は、筆者が辞典の編集をしながら「美しい」「後世に残したい」と感じたことばを書き留めておいたものからなり、「後世に残したい」と思った語の中に、俗語や罵倒語も含まれていたのである。
たとえば「べらぼう」だが、『日国』を見ると罵倒語の意味だけでなく、江戸時代前期に、そう呼ばれた奇人いて、見世物で評判を取ったという解説が載っている。「容貌きわめて醜く、全身真っ黒で、頭は鋭くとがり、眼は赤くて円く、あごは猿のようで、愚鈍なしぐさを見せて観客の笑いを誘った」というのだ。この「べらぼう」さんが「ばか」「あほ」の意を表す罵倒語の語源になったことは間違いないと思われる。
俗語や罵倒語を美しいと言うのはいささか語弊があるかもしれないが、このような語は語源も含めて後世にしっかりと残しておきたいと思うのである。
2年ほど前に落語家の柳亭左龍師匠と、今でも使えそうな味わい深い江戸ことばを落語の中から掘り起こしたことがある(『使ってみたいイキでイナセな江戸ことば』2008年刊)。その中でも「あんにゃもんにゃ」「かんちょうらい」「うんつく」といった、不思議な罵倒語を取り上げた(いずれも『日国』に項目あり)。
罵倒語すべてを擁護しようと思っているわけではないが、面白い罵倒語は「美しい日本語」の隅のほうでもいいから、そっと加えておいてもらいたいと思うのである。