第16回 「とかげ」がカマキリで、「かまきり」がトカゲ? |
『日国』で「かまきり」という項目を引くと不思議な意味があるのに気づく。それは、
「とかげ(蜥蜴)」の異名。
というものだ。おまけにそこには用例まである。
*物類称呼〔1775〕二「蜥蜴 とかけ〈略〉相模にて、かまきり」
『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』とは、江戸中期に越谷吾山が編纂した方言辞書で、各地の方言約500項目4,000語を天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の7部門に分類し、考証・解説を加えたものである。
ただ、この意味の用例はこれしかないので、江戸時代の特殊な現象だったのではないかと思う向きもあるかもしれない。だが、これに続く方言欄を見ると、
【方言】動物、とかげ(蜥蜴)。《かまきり》栃木県198千葉県山武郡270長生郡286静岡県賀茂郡52
とある。地名の後の数字は、方言項目のもとになった各地の方言資料の個別番号である。この項目でもとになった千葉県、静岡県の方言資料は戦前のものであるが、栃木県の資料は1983年発行の『栃木県方言辞典』なので、けっこう最近までそういわれていたことがわかる。
では「とかげ」の項目はどうなっているのか、これも気になるところだ。そこで、引いてみると、なんと方言欄に、
【方言】虫、かまきり(蟷螂)。《とかげ》青森県上北郡073茨城県稲敷郡062埼玉県入間郡054千葉県北部062273東京都西多摩郡054八王子311神奈川県054314山梨県453
とあるではないか。つまり、「とかげ」をカマキリといったり、「かまきり」をトカゲといったりする地域が最近まで存在していた(今でもお年寄りはそう言っているかもしれない)のである。
カマキリとトカゲの混線は非常に複雑で、昆虫カマキリを「カマギッチョ(鎌を持ったギッチョ=キリギリス)」という地域が『日国』の方言欄を見ると各地にあるのだが、これがハ虫類のトカゲを言う「カガミッチョ」(これも『日国』によれば各地にある)と混線するという現象も見られる。この現象は2語の音が似ているのでわからないでもない。だが、ご丁寧にも共通語となる語形まで混線しているというのはどうしたわけか。昆虫カマキリとハ虫類トカゲはどう見ても似ていないではないか。
ことばを、正確に物事を伝えるためのコミュニケーションの道具だと考えた場合、こうした混線は致命的である。が、そうはいっても、ことばとはこのような摩訶不思議な現象が簡単に起きるものでもあるらしい。改めてことばとはなんと面白いものなのかと思う。