第17回 『日国』で「がんばる」の語源を読み解く |
「みんなでニホンGO!」という、ことばを取り上げたバラエティー番組がNHKで放送されていた。今年4月の第1回放送のときには、『日国』編集委員の松井栄一先生が出演なさり、「ぜんぜん」の後に続くのは肯定形でもかまわないという話を、『日国』の用例を絡めてなさった。
その後も『日国』編集部には、番組スタッフからの問い合わせが時折やって来た。8月に放送された「頑張る」では語源について質問を受け、興味深い説を一つ紹介したのだが、残念ながら取り上げてもらえなかった。第1回放送の「ぜんぜん」の時も、筆者も含め数名の編集部員が『日国』に「ぜんぜん+肯定形」の用例が入り、みなで松井先生と一緒に成果をたたえ合っているという不思議な映像の撮影に長時間協力したのだが、放送ではカットされていたので、テレビではそういうことはよくあることなのであろう。
その時紹介した「頑張る」の語源説というのは、近世文学がご専門だった故浅野晃先生の説である。2700字ほどの短い文章ながら、すぐれた論考なのでこの場を借りて簡単にご紹介したい。
浅野先生は『日国』第一版で、主に近世語の用例についてご尽力くださった方である。先生の「『頑張る』考」は、1972(昭和47)年に第一巻が刊行された『日国』第一版の新聞広告に添えて掲載された。この前年に「がんばらなくちゃ」が流行語になったことをうけてのものと思われる。
その内容は以下のようなものである。
浅野先生はまず、「頑張る」の語源を「我張る・我に張る」とする『広辞苑』などの説に疑問を呈している。そして、「がんばる」は江戸時代中期頃の文献に現れるが、それらは「見張りをする・目をつける」の意の「眼張る」に集中していて、現在の意味の「頑張る」は一つもないとする故穎原退蔵(えばらたいぞう)氏の説を紹介しつつ、江戸後期から明治にかけての用例「眼張る」と「頑張る」の混用と移行の実態がはっきりと見ることができるとしている。
「がんばる」の原義は「見つける・周囲を見張る」の意であるが、明治期に入ると見張りの仕方が威圧的で、相手の行動を制約する用例が出てきて、現在でもいう「入り口に頑張っている」などの意味と重なってくる。とすると「我張る・我に張る」の転とする説は根拠を失うというのである。その上で、「眼張る」から「頑張る」への移行の過程で、「頑」という威圧的な態度で相手の行動を制約し、圧倒するエネルギーを表現する漢字に置き換えられるようになっていく。現代の「頑張る」は、昭和11年の「前畑ガンバレ」のようにスポーツの世界で使われ始め、童謡「お山の杉の子」(昭和19年)で歌われたように広く国民的な語彙として広まり、さらに第二次世界大戦後は相手を圧倒するほどの個人のエネルギーの表現として意識されるようになったのではないかと結論づけている。
浅野先生の論考は『日国』初版に拠ったもので、そこに載せられた用例を丁寧にたどりつつ推論している。ことばの意味を原義から転義へと順を追って解説した『日国』だからこそ、このようなすぐれた考察が可能になったのであろう。
『日国』第二版ではさらに用例が増え、「眼張る」から「頑張る」への意味の変遷が多くの実例を元に詳しくたどれるようになった。このように、一つのことばの変遷をたどるのも『日国』を読む楽しみの一つだと思う。