第27回 江戸の流行語を読む |
「流行語」とは、ある一時期に多くの人々の間で広まって使用されるようになる単語や句のことである。だがこのような語は広まり方も早いが、短期間で消滅することも多く、昨年の流行語がなんだったか思い出せないということも少なくない。ちなみに昨年2010年の流行語には「ゲゲゲの」「いい質問ですねぇ」「イクメン」「女子会」などという語があったのだがご記憶だろうか。
もちろん「流行語」の中には長い間生き延びているものも無いわけではない。それも、生まれたのが江戸時代というたいへん長生きなことばすらある。
今回のテーマは、このような数百年を生き延びてきた江戸の流行語を『日国』から読もうというものである。
検索方法は簡単である。
『日国』を詳細検索にして、
検索語:「流行語」/範囲:本文
次を含まない(NOT):流行語/範囲:用例(全体)
とすればよい。このようにすると近代の流行語もヒットしてしまうが、検索できた165件をつぶさに見ていくと江戸生まれの流行語を知ることができる。
それらの中から、今でも目にしたり耳にしたりすることのある語をいくつかご紹介したい。
たんまり
「礼はたんまりしてもらうよ」などと言うときの「たんまり」、つまりじゅうぶんに量が多いさまを表す語である。『日国』によれば、寛政(1789~1801)から文政・天保(1818~44)にかけての流行語だったという。もともとは、ゆったりとしたさま、満足なさまなどを表す語で、
たとえば、
「ほんにほんに、たんまりと湯へも這入(はい)れません」(『浮世風呂』〔1809~13〕)
などのように使われていた。それが後にどっさりの意味になり、「たんまりため込む」「たんまりもうける」などのようにたっぷりの意味になって、現在でも使われ続けているのである。
ちょろまかす
「お釣りをちょろまかす」のように、人の目をごまかして物を盗む意味だが、『日国』によれば、江戸初期の京都の遊里(島原・伏見)での流行語だったという。元来は、盗む意味はなく、一時のがれのうそを言って、その場をごまかすという意味であったようだ。
現在でも「店の売り上げをちょろまかす」のようにかなり俗語的な言い方だが、しっかりと生きている。
はてな
ことのなりゆきを怪しんだり、思案したりするときなどに発する「はて」に、さらに怪しみいぶかる気持ちを添えた語である。『日国』によれば、安永・天明期(1772~89)の江戸吉原にあった丁子屋(ちょうじや)という遊女屋での流行語だったという。
現在でも「はてな、こっちの道でよかったんだろうか」などと使うし、「疑問符(?)」を「はてなマーク」などと言ったりもする。落語好きな方は『はてなの茶碗』という噺(はなし)を思い浮かべるかもしれない。
他にも、「あばずれ」「小股がきれあがる」などという語も江戸の流行語だったらしい。
もちろん、現在まで生き延びた語ばかりでなく、今の流行語と同じように忘れ去られたものも数知れずあったようだ。
たとえば、「口印(こうじるし=近世後期。「接吻」の意)」「はんこ(=近世後期。「怒る」意)」などがそれだ。だが、それはそれで江戸時代に思いをはせるきっかけになりそうな語である。
それにしても、現在のようにマスメディアが発達していない時代にあっても、ひとつのことばが短期間に広まっていたというのは、とても興味深い現象だと思う。