あることばを手がかりに『日国』という広大なことばの海にこぎ出すと、興味深いことが次々と発見できます。そんなネットサーフィンならぬ『日国』サーフィンの楽しみをご紹介していきます。
 

第3回 ホコトンな野郎

 

「ホコトン」とは何のことだかおわかりであろうか? 漢字で書くと「矛盾」。「矛(ホコ)」と「盾(トン)」で「ホコトン」となるのだ。おや、どこかで聞いたような話だぞと、ピンときた方も大勢いらっしゃるのではなかろうか? 実はこれ、『日国』にれっきとした語として登録されている、誤読から生まれた語なのである。

 その解説を読むと、〈「とん」は「盾」の漢音。明治末年、ある衆議院議員が「矛盾(むじゅん)」と読むべきものを読み誤ったところから流行した語〉とある。なんと明治の世にも漢字を読み間違えて有名になった政治家がいたのだ。しかもその誤読が流行語になってしまったというのが笑える。ご丁寧にも『日国』にはその用例まで載っている。

*いたづら小僧日記〔1909〕〈佐々木邦訳〉「目に見られぬバクテリヤを征伐する癖に、彼(あ)んな大きい鼠の始末が出来ないとは余程矛盾(ホコトン)な野郎だ」

ホコトン野郎のイラスト
イラスト/アオイマチコ

 意味は「まちがっていること。つじつまが合わないさま。」となるらしい。「いたづら小僧日記」は、佐々木邦訳となっているが、訳というのはジョークで実は本人の作である。佐々木邦(1883~1964)は英語教師のかたわら、マーク-トウェーンなどを翻訳紹介し、自らも多くの創作を発表して日本のユーモア小説の分野を開拓した作家である。

 昔の人だって誤読では負けていない。「秋津洲(あきつしま)」の「洲(しま)」を「洲(す)」と誤読した「あきつす」なることばも『日国』に載っている。「秋津洲(あきつしま)」は日本の古称であるが、古称とはいえ自分の国の呼び方を間違えるのはどうかと思われのだが……。


*新拾遺〔1364〕賀・七二九「君が世は豊あし原のあきつすに満ち干る潮の尽きじとぞ思ふ〈源有長〉」

 作者の源有長は鎌倉期の歌人だが、右馬寮(うめりょう)の長官だったということ以外は詳しいことはわかっていない。どちらかといえば歌人と言うよりは武の人だったらしい。

 流行語になったと言えるかどうかはわからないが、平成の時代にもある政治家が新しい読みをたくさん作ってくれた。そんなことはいつの時代も変わらぬことなのかもしれない。

 でもそれらが何十年か後に『日国』に登録されるかというと、たぶんそれはないと思う……。

神永 曉(かみなが さとる)

1956年千葉県生まれ。小学館国語辞典編集部編集長。入社以来、ほぼ辞典編集一筋の編集者人生を送っている。趣味は神社仏閣巡りとあわせた居酒屋探訪と落語鑑賞。担当した主な辞典は『日本国語大辞典 第二版』『現代国語例解辞典』『使い方の分かる類語例解辞典』『標準語引き 日本方言辞典』『美しい日本語の辞典』など。

日国サーフィン~『日本国語大辞典』編集者による日本語案内~
2009/09/15