第31回 「正月」は一年中あるらしい |
10年以上も前のことである。『日国』第二版の編集作業に携わっていて、膨大な分量のゲラを通して読む機会があった。そのとき、なぜか印象に残ったことばに「○○正月」という、下に「正月」の付くことばがあった。ただそのときは、それらのことばが五十音順に出てくる度に、ただただ面白いと思うばかりであったのだが。
その後、『日国』がジャパンナレッジに搭載され、「後方一致」検索が可能になって、ようやくそれらを再び読むことができた。それも、「○○正月」という項目全体を一度に表示しての再会であったので、その面白さをお伝えしない手はないと考えたわけである。今回もまた「後方一致」検索の話だがお許しいただきたい。
検索で引っかかる数はおよそ70項目。収録語数50万項目の『日国』全体から見ればたいした数ではないが、意外な発見がある。
ところで、皆さんは「○○正月」というとどんな語を思い浮かべるであろうか。筆者などは、自分自身がそうであるせいか、「寝正月」くらいしか思い浮かばなかった。この場合の「正月」はもちろん1月の意味である。ところが、1月の意味の「正月」ではない「正月」が存在したのである。例えば、「雨降正月(あめふりしょうがつ)」「湿正月(しめりしょうがつ)」「田植正月(たうえしょうがつ)」などがそれである。
「雨降正月」は、日照り続きの後に降雨があったとき、仕事を休んで祝うこと。雨祝(あまいわ)いともいう。
「湿正月」は、旱魃(かんばつ)後の雨の日に農作業を休むこと。
「田植正月」は、田上がりともいい、田植えが済んだ後の休みのこと。
つまり農作業の合間の休みを「正月」という言い方があったらしいのだ。
念のために『日国』を引いてみると、「よろこばしく楽しいこと。気楽でのんびりしていること。」という、1月のこととは違う意味も載っている。そして、そこでは、小林一茶の俳文『おらが春』(1819年)の一節を引用している。
「其うちばかり母は正月と思ひ〔=その間(遊び疲れて子どもが眠っている間)だけはのんびりと息抜きのできるときと思って〕、飲焚(めしたき)、そこら掃(はき)かたづけて、団扇(うちわ)ひらひら汗をさまして」
母とは一茶の妻のことだが、息抜きだという「正月」でも飯を炊いたり、掃き掃除をしたり、団扇であおいで涼んだりと忙しい。
気楽でのんびりしているという意味から、年中楽しく暮らすさまや気楽なさまをいう「いつも正月」などということばも生まれた。お気楽な気分が伝わってくるようで大好きなことばのひとつである。
また、「正月」は一年中で一番楽しいときであるところから、「目の正月」「目正月」などということばもある。これは美しい物、珍しい物を見て楽しむこと、つまり目の保養の意味。
江戸時代には「オランダ正月」などというものもあった。これは『日国』によれば、オランダ人や蘭学者などが長崎出島のオランダ商館で催した太陽暦の正月を祝った宴が始まりで、後に江戸にも広まったものだという。江戸では寛政6年閏11月11日(1795年1月1日)に、蘭学者の大槻玄沢が「新元会」と称して始めたのが最初とのこと。
最後に『日国』に立項されているダジャレことばをひとつ。
「貧乏人の正月」。これは、貧乏で、正月になって餠もないのを「持ち無し」にかけて、金の持ち合わせがないことをいうしゃれだとか。