あることばを手がかりに『日国』という広大なことばの海にこぎ出すと、興味深いことが次々と発見できます。そんなネットサーフィンならぬ『日国』サーフィンの楽しみをご紹介していきます。
 

第6回 地名は別の意味をもって一人歩きする

 

 ある時、詩人のアーサー・ビナードさんと話をしていて、「南京玉すだれ」のことが話題になった。最初は「切り方を間違えて発音するとたいへんだよね」などと、およそ詩人と辞書編集者の会話とは思えないような、他愛のないことを言って笑っていたのだが、そのうち何で「南京」なんだろうという話になった。すると、アーサーさんが、

 「『南京』というのは南京大虐殺があったという中国の地名ではなく、小さいとか珍しいとかいう意味で使われることばなんだよね。これと似たようなのに『唐辛子』の『唐』もあるよ」と言うのである。アーサーさんはアメリカ人なのに日本人よりも日本語に詳しく、私などもなるほどと思うような日本語の蘊蓄を教わることがとても多い。

御三家イラスト
イラスト/アオイマチコ

 さっそく「日国」で「南京」を検索してみた。すると確かに、「珍しいもの、または小さくかわいらしいものの意を表わす。『南京玉』『南京鼠』など。」とある。

 「唐辛子」はというと、以下のような詳細な説明が載っていた(【語誌】欄)。

 「トウキビ(唐黍)、トウナス(唐茄子)などと同様に、旧来の辛子に対して、新しく渡来した辛子という意味で命名されたものである。他に、コウライゴショウ(高麗胡椒)、ナンバンゴショウ(南蛮胡椒)などの呼び名があり、いずれも近世前期から文献に見えている。 」

 なるほどである。

 ここで、さらに「高麗」や「南蛮」も検索してみたいところだが、紙幅の都合もあるので今回は我慢しておこう。とにかく、南米原産の「唐辛子」は中国から渡来したから「唐」が付くのではなく、この「唐」は新しく渡来したという意味だったのである。

 それにしても「南京」「唐」などのように、国名や地名がまったく別の意味をもつというのは、ひじょうに興味深い意味の変換である。ひょっとするとこれは日本語独自の用法なのかもしれないと思うのである。


 そういえば、以前アーサーさんが日本語の面白さとしてこんなことを言っていた。

 「お店でコーヒーではない飲み物を注文したら、アメリカンにしますか?と聞かれた。アメリカだけだよね、国の名前が"薄い"ってマイナスの意味を持たされているのは」

 そうかもしれない……。

 ただ、残念ながら(?)「日国」には「アメリカン」には「アメリカンコーヒー」の略だけで、"薄い"の意味はまだ載っていない。


アーサー・ビナードさんのWeb日本語の連載「日本語ハラゴナシ」
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神永 曉(かみなが さとる)

1956年千葉県生まれ。小学館国語辞典編集部編集長。入社以来、ほぼ辞典編集一筋の編集者人生を送っている。趣味は神社仏閣巡りとあわせた居酒屋探訪と落語鑑賞。担当した主な辞典は『日本国語大辞典 第二版』『現代国語例解辞典』『使い方の分かる類語例解辞典』『標準語引き 日本方言辞典』『美しい日本語の辞典』など。

日国サーフィン~『日本国語大辞典』編集者による日本語案内~
2009/12/15