社会を構成するものは人であり、この社会を動かすものもまた人である。社会は人によって進歩発展し、また時によって退歩衰頽する。その動きの原動力をなすものは集団的な人であると同時に、その集団の単位をなす個人であることもおのずから明らかである。終戦を契機として日本歴史の研究は、それまでのいろいろな束縛や掣肘から解放され、その後二十数年の間に目覚ましい発展を遂げて、その研究は理論的にも実証的にも、いよいよ精緻を極めて来た。そしてその中でも一時は社会経済史関係の研究がその主流を占め、いきおい研究の重点も社会や経済の進展や動向を洞察把握することに置かれ、その中における肝心の人間個人の活動と役割についての研究は、いささか疎外されたように思われる。しかし、こと思想や技術にかかわりなく、優れた技能や叡智は、その係わりある分野の動きや発展のきっかけをなすものであり、殊に非凡傑出の人の言動が一世を動かし、さらに後世永く多大なる影響を及ぼすことは、洋の東西、時の古今を問わず、ひとしく歴史の証明する所である。近年学界でも後れ馳せながら、人物伝の研究が大分盛りあがって来たようであるが、一般読書界の方は一足さきに、有名無名の人物を主題とした興味ある歴史物で、昨今賑っていて、伝記物を中心とした月刊雑誌さえ、二、三出る程になった。

 およそ人物伝の研究は、彼の生活した家庭環境から、さらに広くはその社会や時代の流れを理解し、進んでは彼に関する研究文献や史料を手を尽して徹底的に洗い出して、これに基いて着手してこそ、初めて可能である。それには何よりも、まず既往におけるその人物に関する先人の研究の有無と既刊の関係史料の存否だけでも知悉せねばならぬが、これとても生易しいことではない。そして手っ取り早くこれが探索の手掛りとなるものは、何と言ってもよく整った伝記目録の類を繙くことであるが、従来人文・自然科学共に、各種の総合文献目録がいろいろ出ているにも係わらず、伝記目録に至っては、その部分的なものが若干刊行されているに過ぎない。これを単行本から、人文・自然科学の各分野の定期・不定期刊行物にわたって、網羅的に蒐集した総合伝記目録は、未だかつて編集出版されたものが無かった。これには、専門研究者はもとよりのこと、いやしくも広く人物伝記に関心を抱き興味を感ずる人々の、ひとしく永年困惑し遺憾とする所であった。

 しかし古くから伝記にのぼせられた人物だけでも、政治・経済・学術・教育・文学・芸術・思想・宗教・軍事・労働・技術、さては操觚・出版界など、その関係範囲は多種多様にして、社会のあらゆる分野にわたり、従ってその数もまた実におびただしく、有名人に至っては、一個人の伝記関係文献だけでも優に大小数百編を越す場合があるかと思えば、他方一小地域社会に貢献して目立たぬ生涯を送った言わば無名の人物の伝記の如きは、直接その恩恵に浴した小範囲の人の筆に成り、往々にして私版非売品の形で小数刊行されて、これを探し出すのもなかなか困難な場合もある。そこでこれ等を大小となく博く捜索して完全な総合伝記目録を作るには、多大な労力と時間を要し、さらにこれを組織的に整理編集し一般の要請に答え、その利用に便ならしめるためには、その専門的な智識による工夫も要求されて、到底一私人の一朝一夕にして能くする所ではない。

 今から八年前、昭和四十一年七月、法政大学大学院日本史学科の学生の第百回月例研究会の席上で、これを記念して史学科にふさわしい何か有意義な事業をしてはとの声が起った。私はかねてから、その必要性と重要性を痛感していた日本伝記総合目録の編集を提案、一同の熱意ある賛成を得て、直ちにはかって仕事の方針を定め、その手順段取りを整えて編集事業を発足させた。そして大学院並びに卒業生、学部学生有志の協力を得て、まず研究室や図書館について、単行本や史学関係雑誌から手をつけ、さらに各種雑誌に及ぼし、関係論文の検索につとめた。それでもなお不明のものは、国会図書館などについてこれを索め、また地方出版の著書論文の曖昧不明瞭の点は、それぞれその地方の図書館などに照会し、時には出張して直接文献に当って確認し、編集事業も漸く軌道に乗りかけた。しかしその頃から学園紛争が熾烈となって、編集事務に当てた研究室も、時に長期にわたって封鎖されること一再ならず、その都度難を避け蒐集資料やカードを抱えて作業場を転々として移したために、仕事もしばしば中断せねばならなかった。このような困難悪条件にも係わらず、常に熱心な有志学生延べ九二名の協力を得て、その仕事は漸次進捗し、ついに採択人物三万余名、採収カード無慮十数万枚に上って、その整理段階に入り、平凡社の特別な好意により、その後の整理の推進と出版について暖かい援助を受け、ここに本事業発足以来前後九ヵ年にして、ようやく出版に漕ぎつけることが出来た。すなわち本書の成るは、一に法政大学史学科学生有志の熱心な協力と、国会図書館はじめ各地の図書館や、識者の理解ある援助、並びに当初編集費の一部を援助された米国ハーバード大学燕京研究所当局、及び平凡社の当局並びに係員各位の特別なる好意と温情によるものであるが、別して史学科の前助手森睦彦君が、発足以来終始その中心に在って事業の推進に、その優れた能力と献身的な努力を傾けたことによるものであって、同君の尽力無くしては本書の完成もあるいは覚束なかったかも知れない。唯何分にも採択すべき文献がおびただしいため、中には誤脱もありはしないかと危惧しているが、これは他日の補正を意図しているから、博雅の示教を預けたら幸である。ここに本書の出版に際し、編集責任者としていささかその経緯を記し、特に各方面の好意を銘記して深謝の意を表する次第である。

昭和四十九年三月二十日
岩生 成一 しるす
(日本学士院会員・元法政大学文学部史学科主任教授)
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