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6月29日更新
文鏡秘府論(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の詩文作法・評論書。6巻。弘法大師空海の撰。820年以前の成立。中国の六朝・隋・唐時代に書かれた音韻書などから抜粋し斟酌してつくったもので,詩文の創作に関する重要な規則を八韻,四声,対句,文体,詩文の病などに分けて論じ
古語拾遺(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に書かれた歴史書。著者は斎部広成。1巻。807年(大同2)2月13日完成。忌部(斎部)氏は大和朝廷時代には中臣氏と並んで祭祀を担当していたが,大化改新後は中臣氏から藤原氏が出て政界で有力になると,中臣氏も奈良時代には祭祀関係の要職を独占するようになった。
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
懐風藻(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
漢詩集。1巻。撰者については、淡海三船説、葛井広成説、石上宅嗣説などがあるが未詳。751年(天平勝宝3)成る(序文による)。近江朝以降、奈良朝中期の天平ごろまでの約八十数年間のわが国の詩人64人の漢詩120首を、ほぼ時代順・作者別に配列して一巻にまとめている。
歌経標式(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。
百万塔陀羅尼(日本大百科全書(ニッポニカ))
称徳(しょうとく)女帝(在位764~770)の発願で、奈良諸大寺に納められた三重小塔百万基の小木塔に収納した陀羅尼(経文)。世界最古の印刷物として有名である。765年(天平神護1)より770年(神護景雲4)まで数年をかけて完成した。露盤の内部に陀羅尼一巻を納めたもの。陀羅尼は唐の
春日若宮祭(国史大辞典)
奈良市春日大社摂社の春日若宮神社の祭。おん祭と通称される。無形文化財指定。例祭は十二月十七日。翌十八日に後宴能が加わる。一の鳥居のある馬場に面した春日野の御旅所仮屋に前夜半に神幸を仰いで執行され、特に祭礼の風流(お渡り)が有名である。創始は保延二年(一一三六)九月十七日。
鹿島御船祭(国史大辞典)
茨城県鹿島神宮で十二年に一度、午の年に盛大に行われる船渡御(ふなとぎょ)の祭。九月一日夕刻大篝に点火し、神輿を拝殿中央に奉安し、霊遷(みたまうつし)ののち祝詞奏上、神宝読上げがあって神輿出御となり行宮に赴く。二日は行宮を出、北浦の大船津河岸から神輿を御船に移し
風日祈祭(国史大辞典)
伊勢神宮の両宮をはじめ別宮・摂社以下の諸社に、風雨の災害なく五穀が豊熟するよう祈る神事。従来四月十四日と七月四日とに執行されてきたのを、明治十三年(一八八〇)より五月十四日と八月四日とに改定された。五月十四日の祭儀には御幣(みてぐら)および御蓑(みみの)・御笠(みかさ)を
御頭祭(国史大辞典)
長野県諏訪大社上社の四月十五日(例祭)の神事。古くは年中七十二度の神事中最も重んじられ、正月の頭郷御占・御符渡・境注連などの神事を経て四月に至るものであった。頭郷といって諏訪郡内十六ヵ村が定められており、輪番で少年一人を出させこれを神使とし、例祭前三十日間潔斎させた。
御田植祭(国史大辞典)
神社の御供田などを植えるとき行う祭儀。古来の大社にはこの神事を伝承する所が少なくない。三重県志摩郡磯部町の伊雑宮の御田植オミタは六月二十四日、これより早く五月末から伊勢内外両宮と猿田彦神社でも御田植祭が営まれる。大阪市の住吉大社で六月十四日、京都市の稲荷大社は同十六日
大殿祭(国史大辞典)
宮廷殿舎の災害を予防し平安を祈願する宮中祭儀。『延喜式』宮内省・四時祭上ならびに祝詞に詳しい。屋船久久遅(やふねくくのち)・屋船豊宇気姫(やふねとようけひめ)・大宮売(おおみやのめ)の三神を祭る。恒例には神今食・新嘗祭・大嘗祭の前後に行われ、臨時には宮殿の新築・移居や
御船祭(国史大辞典)
神霊を御座船に乗せて海または川を渡御する祭。(一)川や海を支配する神が氏子圏を巡幸するかたちの神幸船の祭、(二)海神や湖神に供物を捧げるために飾り立てた船を出す竜神(海神)祭・湖水祭の類、(三)水辺に出て禊(みそぎ)祓を行う儀式から発展した浜降祭などに分けることができる。
石清水祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都府八幡市の石清水八幡宮で毎年9月15日に行われる例大祭。賀茂祭(葵祭),春日祭とともに三大勅祭の一つ。古くは旧暦8月15日に行われ,明治まで石清水放生会と称した。放生会の起源は《政事要略》によると,720年(養老4),隼人征討のとき隼人を殺した報いとして放生会を奉仕するように
鎮魂祭(国史大辞典)
古代宮廷祭祀の一つ。鎮魂の和訓は「みたまふり」または「みたましずめ」。その意義については諸説あるが、一般に天皇の魂を体内に安鎮せしめ、健康を祈る呪法と考えられている。『日本書紀』の天武紀が初見であるが、神祇令にも規定され、律令時代には十一月下の寅(または中の寅)の日
斎火祭(国史大辞典)
忌火庭火祭(いみびにわびのまつり)ともいう。忌火神は庭火神と一対で内膳司に、大炊寮の大八嶋竈神ともとは三位一体の「かまど神」。『続日本紀』天平三年(七三一)正月条の「庭火御竈四時祭祀、永為常例」が初見で、庭火は平常炊飯の用に供し、忌火は神今食・新嘗祭・大嘗祭に、忌火屋女
今宮祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都市北区に鎮座する今宮神社の祭礼。994年(正暦5)国中疫病が流行したため,船岡山に疫神を安置して御霊会を営み,その後紫野に神殿を建立し,毎年旧暦5月9日に幣帛を奉り,これを今宮祭と称した。しかし,現在は今宮神社境内の疫神社の祭礼である,やすらい祭のほうがよく知られている。
稲荷祭(国史大辞典)
京都市伏見稲荷大社の祭礼。古くは四月上卯日(三卯あれば中卯日)を式日とした。この祭礼は、まず三月中午日の御輿迎の儀に始まる(これを渡御祭または御出という)。当日は神璽を神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。
妙高山(日本歴史地名大系)
中頸城郡南部にある二重式火山。一帯は上信越高原国立公園に属する。主峰の円形カルデラをなす中央火口丘は妙高村の南西端にあり、標高二四四五・九メートル。これを前山・赤倉山・三田原山・大倉山など標高二〇〇〇メートル前後の外輪山が囲む。外輪山東側に北地獄谷と南地獄谷の火口瀬
甲武信岳(日本歴史地名大系)
大滝村の西端、山梨・長野・埼玉三県の県境にある標高二四七五メートルの山。山名はかつて当山が甲斐国・武蔵国・信濃国の三国の境にあたったことによる。秩父多摩国立公園に含まれ、奥秩父山地主脈上の中央に位置する。三方に尾根を出し、荒川・千曲川・笛吹川の源流地帯である。北に延びる
男体山(日本歴史地名大系)
日光火山群中の単独峰で、標高二四八四・四メートルの円錐状成層火山。南面に中禅寺湖が広がる。山頂部の旧火口は直径約四〇〇メートル、火口壁北部は欠落しているため馬蹄形をしている。山腹各所に薙とよばれる山崩れの跡がみられ、南東部に大薙、南西部に古薙、北部に御真仏薙、南部に
蓼科山(日本歴史地名大系)
茅野市と北佐久郡との境の山。八ヶ岳火山列の最北端にあるコニトロイデ式火山。北八ヶ岳では天狗岳(二六四五メートル)に次いで高く、標高二五三〇メートルである。諏訪側からは独立峰としてながめられる。頂上部は円形で、中央は周辺よりおよそ一〇メートルくぼんでおり、周囲約六〇〇メートル
浅間山(日本歴史地名大系)
群馬県嬬恋村と長野県北佐久郡軽井沢町・御代田町、小諸市にまたがる第四紀複合成層(三重式コニーデ)型の活火山で、標高二五四二メートル。第一外輪山は西方の黒斑山(二四一四メートル)・牙山(二〇四〇メートル)・剣ヶ峰(二二八八メートル)の半分ほどが残っており、第二外輪山の
金峰山(日本歴史地名大系)
甲府市北端にある標高二五九九メートルを測る秩父山地の主峰。山梨・長野両県の境界に位置し、千曲川水系・富士川水系の分水嶺をなす。高さでは北奥千丈ヶ岳(二六〇一メートル)に次ぐが、瑞牆山・朝日岳など周囲の山々とともに広大な金峰山塊を形成する。山体は黒雲母花崗岩で
白山(日本歴史地名大系)
最高峰である御前峰(二七〇二・二メートル)、および大汝峰(二六八四メートル)・剣ヶ峰(二六七七メートル)の三峰からなる主頂部と、南方の別山(二三九九・四メートル、小白山ともいう)・三ノ峰(二一二八メートル)、西方の白山釈迦岳(二〇五三・二メートル)などを合せた総称。
五龍岳(日本歴史地名大系)
後立山連峰のほぼ中央部、宇奈月町と長野県大町市との境界にそびえ立つ雄峻な岩山。標高二八一四・一メートル。五竜とも記される。割菱状の岩壁が山体の東面を構成しているので割菱頭とよばれたが、武田信玄の家紋四つ割菱に似ていることから御菱とも称したという。
鳳凰山(日本歴史地名大系)
駒ヶ岳の南東に連なる山塊。地蔵ヶ岳・観音岳・薬師岳の三峰を包括する広大な山域をさす。今日では鳳凰三山という呼称が広く用いられている。山域北部の御座石には戦国期に採掘されたとされる金鉱跡が残る。歴史的にみると、文献により当山の認識領域が錯雑しており、過去にいわゆる山名論争
黒部五郎岳(日本歴史地名大系)
立山連峰の南端、大山町と岐阜県神岡町・上宝村の境界にそびえ、花崗閃緑岩で構成される。標高二八三九・六メートル。もとは飛騨名を中ノ俣岳、越中名を鍋岳と称した。元禄一三年(一七〇〇)の奥山御境目見通絵図・立山禅定並後立山黒部谷等絵図(県立図書館蔵)はじめ多くの新川郡絵図の
常念岳(日本歴史地名大系)
穂高町・堀金村の西方にそびえる標高二八五七メートルの山で、安曇村との境に位置する。大滝山・蝶ヶ岳・東天井岳・大天井岳・燕岳・餓鬼岳などの諸峰とともに常念山脈を形成し、北アルプスの前山をなす。段層のために峰がそそり立ち、特に常念岳以北は黒雲母花崗岩のため南の蝶ヶ岳
鹿島槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
後立山連峰のほぼ中央、立山町・宇奈月町・長野県大町市の境界にそびえ、標高二八八九・七メートル。南槍・北槍の両峰が並び立ち、両峰間の吊尾根も美しい双耳峰で、しかも多くの岩場を有する。山名は鹿島(現大町市)の里の槍の意であるが、この呼称は明治以後で、古くは背競べ岳とも
八ヶ岳(日本歴史地名大系)
南佐久郡・諏訪郡・茅野市・山梨県北巨摩郡にまたがり、千曲川水系・富士川水系・天竜川水系の分水嶺をなす。赤岳(二八九九・二メートル)を主峰として北に横岳(二八三〇メートル)・硫黄岳(二七四二・一メートル)、西に阿弥陀岳(二八〇七メートル)、南に権現岳(二七八六メートル)
鷲羽岳(日本歴史地名大系)
大山町と長野県大町市の境にそびえる峻峰。標高二九二四・二メートル。すぐ南西にそびえる三俣蓮華岳の古名が鷲羽岳であったため山名に混乱が生じ、「二つの鷲羽岳」などといわれた。鷲羽岳の称は越中・信濃・飛騨三国境の山を主として、幾つかの峰の総称だったかとも思われるが、のち東側
薬師岳(日本歴史地名大系)
地籍は大山町有峰に属し、立山連峰の南部にそびえる。頂上部は石英斑岩からなり、北アルプス中最大の山容をもつ壮麗な山。標高二九二六メートル。東は黒部峡谷の上廊下を隔てて赤牛岳・水晶岳・雲ノ平に対し、西は常願寺川上流の真川に臨む。東面には四個の大カールが並び、薬師岳の
白馬岳(日本歴史地名大系)
後立山連峰の北部にそびえる。標高二九三二・二メートル。山頂は朝日町と長野県白馬村の境界をなすが、その山体は新潟県西頸城郡にもまたがり、越中・越後・信濃の三国境の山という。信州側の古絵図に両替岳とあるのは両界岳の意で、越中・信濃境、越後・信濃境の両境界を備えるからであろう。
駒ヶ岳(日本歴史地名大系)
木曾山脈(中央アルプス)の主峰で、木曾郡と上伊那郡の境にあり、標高二九五六メートル。木曾駒ヶ岳ともいうが、伊那地方では赤石山脈北端の甲斐駒ヶ岳を東駒ヶ岳とよぶのに対して西駒ヶ岳とよんでいる。本岳近くに前岳・中岳・宝剣岳などがあり、ほぼ等高度の山峰が連なり、雄大な山容を
駒ヶ岳(日本歴史地名大系)
赤石山脈(南アルプス)北部の長野・山梨両県の境にあり、標高二九六六メートル。文化一四年(一八一七)調製の木師御林山絵図(「黒河内史料」上伊那誌)によると白崩岳と駒ヶ岳の名が併記されているが、文化九年成立の「伊那志略」の入谷の部に「白崩嶽 在黒河内、甲信之境也、
水晶岳(日本歴史地名大系)
黒部川源流にそびえる岩山。標高二九八六メートル。地籍は大山町。黒岳とも称する。後立山山脈の主稜から北へ分岐した黒岳山塊の主峰ともいうべき峨々たる岩山で、東側は東沢谷、西側は雲ノ平に臨み、数個の氷食地形をちりばめる。水晶および柘榴石を産するところから山名を生じた。
立山(日本歴史地名大系)
県の南東部に位置し、北アルプス(飛騨山脈)の北部にあたる。雄山(三〇〇三メートル)・大汝山(三〇一五メートル)・富士ノ折立(二九九九メートル)で立山本峰を構成する。また立山本峰・浄土山(二八三一メートル)・別山(二八八五メートル)<を総称して立山三山という。
乗鞍岳(日本歴史地名大系)
飛騨山脈(北アルプス)に沿い、北から立山(三〇一五メートル)・焼岳(二四五五・四メートル)・乗鞍岳(三〇二六・三メートル)・御嶽山(三〇六三・四メートル)と連なる乗鞍火山帯の主峰で、裾野は大野郡高根村・朝日村・丹生川村と吉城郡上宝村、長野県南安曇郡安曇村にまたがる。
仙丈ヶ岳(日本歴史地名大系)
赤石山脈(南アルプス)北部の高山で、市野瀬村の東にあり、東は甲斐国と境をなす。標高三〇三三メートル。北は北沢峠の鞍部を隔てて駒ヶ岳(二九六六メートル)・鋸山等に続き、南は農鳥岳・塩見岳等の高峰に連なる。西に地蔵岳(二三七一メートル)があり、ともに三峰川の水源地をなし
御岳山(日本歴史地名大系)
大岳山から北に延びる御嶽尾根にある高山。御岳山は標高九二九メートル。金峰山・武州御嶽山ともいう。北の大塚山の東手を大沢川が流れ、南西の鍋割山の手前に奥院があり、東に日の出山がそびえる。古くから御嶽山信仰の山として知られ、山頂に吉野金峰山より蔵王権現の分霊を勧請した
槍ヶ岳(日本歴史地名大系)
標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念岳・燕岳などの北アルプスの前山や美ヶ原などに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。
穂高岳(日本歴史地名大系)
奥穂高岳(三一九〇メートル)・西穂高岳・前穂高岳・明神岳・涸沢岳・北穂高岳の諸峰によって構成され、輝石安山岩から成っている。その名の示しているように北アルプス中の最高峰で、その形状は波の穂のごとくそびえ立っており、塩尻市方面から遠望することができ、殊に上高地からの
葵祭(賀茂祭)(日本大百科全書(ニッポニカ))
5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。
今宮祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都市北区に鎮座する今宮神社の祭礼。994年(正暦5)国中疫病が流行したため,船岡山に疫神を安置して御霊会(ごりようえ)を営み,その後紫野に神殿を建立し,毎年旧暦5月9日に幣帛を奉り,これを今宮祭と称した。しかし,現在は今宮神社境内の疫(えき)神社の祭礼である
石清水祭(改訂新版・世界大百科事典)
京都府八幡市の石清水八幡宮で毎年9月15日に行われる例大祭。賀茂祭(葵(あおい)祭),春日祭とともに三大勅祭の一つ。古くは旧暦8月15日に行われ,明治まで石清水放生会(ほうじようえ)と称した。放生会の起源は《政事要略》によると
牛祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区太秦(うずまさ)の広隆寺境内にある大避(おおさけ)神社の奇祭。10月(もとは旧暦9月)12日夜、神灯、囃子方(はやしかた)、松明(たいまつ)を先頭に、特異な面をつけた摩多羅神(またらじん)(インド伝来の神)が牛に乗って四天王(白装束の赤鬼、青鬼)
海神祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
鹿児島県奄美(あまみ)諸島与論島、沖縄県国頭(くにがみ)郡一帯、島尻(しまじり)郡伊平屋(いへや)諸島などで行われる村の行事。地元では海神(うみがみ)(ウンガミ、ウンジャミなど)という。『琉球国(りゅうきゅうこく)由来記』(1713)には「海神折目(うみがみおりめ)」
神田祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に絹(和妙(にぎたえ))と麻(あさ)(荒妙(あらたえ))を、毎年5月・10月の14日に奉る祭典で、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と荒祭宮(あらまつりのみや)に限って行われる。
大忌祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。神祇令の規定では,竜田大社の風神祭と並んで4月,7月の4日に小祀として営まれた。
神御衣祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
伊勢(いせ)神宮で天照大御神(あまてらすおおみかみ)に絹(和妙(にぎたえ))と麻(あさ)(荒妙(あらたえ))を、毎年5月・10月の14日に奉る祭典で、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と荒祭宮(あらまつりのみや)に限って行われる。
御柱祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
長野県の諏訪大社において7年目ごと(申と寅年)の春に行われる式年大祭。地元では単に〈おんばしら〉といい,また〈みはしらさい〉とも呼ぶ。諏訪大社は上社の前宮と本宮,下社の春宮と秋宮のあわせて4宮からなり,それぞれの社殿四隅に山中から氏子が引き出してきた巨大な自然木
風祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
風害防除の祈願。稲への害をとくに恐れるため、収穫を直後に控えて台風の被害が憂慮される八朔(はっさく)や二百十日およびその前後に行われ、共同祈願の形式をとることが多い。方法は、村人が神社や堂で忌籠(いみごも)り精進(しょうじん)したり
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