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9月29日更新
沖島(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
滋賀県の琵琶湖中最大の島。近江八幡市に属す。市の北部長命寺町から約1.5キロメートルの沖合いにあり、面積1.5平方キロメートル。澳の島ともいう。島全体が石英斑岩からなる沖島山(220メートル)で、風化、侵食が進み、湖岸は岩石が露出して険しい。産業の中心は漁業であるが
日本のおもな学会・協会(日本大百科全書(ニッポニカ))
学協会とは、学術の各分野の発展を図ることを目的に、研究者を中心として、全国にまたがって組織され、定期的な会合と定期的な刊行物をもつ団体をいう。2017年(平成29)時点で、日本学術会議の協力学術研究団体となっている学協会は2013を数える。この一覧表では、各分野の規模の違いなど
西郷隆盛(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二七 - 七七 明治維新の指導的政治家。文政十年(一八二七)十二月七日鹿児島城下加治屋町で、父吉兵衛隆盛・母マサの長男として生まれた。諱は隆永。維新後は隆盛と改めた。幼名小吉、のち吉之介・善兵衛・吉兵衛・吉之助と称し、号は止水、のち南洲とした。家格は城下士の下級の
村田新八(国史大辞典)
一八三六-七七 幕末・維新期の薩摩藩士。西南戦争の西郷軍幹部。諱は経麿、のち経満。天保七年(一八三六)十一月三日薩摩国鹿児島城下高見馬場において薩摩藩士高橋良中の三男に出生、同藩士村田経典の養子となる。文久二年(一八六二)西郷隆盛の徳之島流罪に連座して鬼界ヶ島に流され
大山綱良(大山格之助)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二五 - 七七 幕末・維新期の薩摩国鹿児島藩士。初代鹿児島県令。通称は格之助、角右衛門ともいう。文政八年(一八二五)十一月六日、鹿児島藩士樺山善之進の次子として鹿児島に生まれ、のち大山四郎助の養子となった。家禄百三十六石。
大久保利通(大久保一蔵)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三〇 - 七八 明治維新の指導的政治家。諱は利済のち利通と改む。幼名は正袈裟、のちに正助・一蔵と称し、甲東と号す。天保元年(一八三〇)八月十日鹿児島藩士大久保次右衛門利世の長男として、鹿児島城下加治屋町に生まれる。
天璋院(篤姫)(日本大百科全書(ニッポニカ))
徳川13代将軍家定の正室。名は篤子、のち敬子。通称篤姫。幼名は於一。幕府の消滅に立会い、徳川本家廃絶・江戸城武力攻略の回避に力を尽くし、明治期には徳川本家の家格・家名の維持を目ざした。父、島津忠剛は島津家家臣のうち最上級とされる「一門家(四つの分家)」の一つ、今和泉
子嚢菌類(改訂新版 世界大百科事典)
酵母のように単細胞を主体とするものから,コウジカビ,アオカビ,アカパンカビなどのように糸状細胞のいわゆるカビといわれるものや,さらにマメザヤタケ,チャワンタケ,アミガサタケなどのように比較的大型でキノコ状のものまでをふくむ菌類をまとめた大群である。現在のところ1950属
菌界(日本大百科全書(ニッポニカ))
植物界、動物界とともに生物界を構成する3要素のうちの一つである。[寺川博典]生物観の変遷と菌界 生物には植物と動物があるというのが古来の常識であった。しかし、顕微鏡が発明されて微小な生物群が発見されるようになってからは、それらを含む原生生物界または微生物界が第三の生物界
方広寺鐘銘事件(国史大辞典)
豊臣秀頼による方広寺大仏殿再興に際しひき起され、大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。豊臣秀頼は、亡父秀吉追善供養のため、慶長七年(一六〇二)、方広寺大仏殿(東山大仏堂)の再建に着手したが、年末の失火で頓挫、あらためて片桐且元を奉行に七年後に事業を再開、同十五年六月
関ヶ原の戦い(日本大百科全書(ニッポニカ))
1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍によって、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦い。 [岡本良一]三成挙兵 1598年(慶長3)豊臣秀吉が死ぬと、豊臣政権はたちまち内部分裂の兆しをみせ始めた。秀吉は生前から、家康の
林羅山(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸前期の儒者。名は信勝。字は子信。剃髪して道春と称す。羅山は号。天正11年8月に京都に生まれる。1595年(文禄4)に臨済宗の建仁寺に入って、儒学と仏教を学んだが、1597年(慶長2)に家に帰ってのちはもっぱら儒書を読み、朱子の章句、集注(四書の注釈)を研究して宋学に傾倒し
島原の乱(島原・天草一揆)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代初期、松倉勝家領の肥前国島原と同国唐津寺沢堅高領の肥後国天草の領民が連帯し、少年益田(天草)四郎時貞を盟主に蜂起し、島原の原城にたてこもって幕府・諸藩兵と戦い、全員誅殺された大農民一揆。天草一揆ともいう。この一揆に対する
初花肩衝(日本国語大辞典)
解説・用例 茶入。大名物。漢作唐物。素地は茶褐色。形状、釉の色ともに優美で気品が高く、春に先がけて咲く梅の花に似るとして足利義政が名づけたという。織田信長・徳川家康・豊臣秀吉らが所持し、のち再び家康に渡って徳川家に伝来した。三肩衝の一つ。
薩藩旧記雑録(日本歴史地名大系・国史大辞典)
前編四八巻・後編一〇二巻・追録一八二巻・付録三〇巻 別称 旧記雑録(原名) 伊地知季安・伊地知季通編 分類 記録 写本  国会図書館・国立公文書館・九州大学・東京大学史料編纂所・鹿児島県立図書館など 解説  幕末鹿児島藩の史学者・記録奉行であった父季安の志を継ぎ
三河物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
徳川氏創業史の最初の著作。筆者は大久保彦左衛門忠教。三巻。元和八年(一六二二)には草稿本が完成していたとみられるが、現存自筆本(穂久邇文庫蔵、重要文化財)の最終的成立は寛永三年(一六二六)。上巻は源氏の由来から始めて徳川家康の父祖、いわゆる松平八代(親氏―広忠)の
生田万の乱(国史大辞典・日本大百科全書)
天保八年(一八三七)六月一日の明け方、平田篤胤の元塾頭生田万らが桑名藩領柏崎陣屋(新潟県柏崎市)に乱入した事件。柏崎騒動ともいう。柏崎陣屋は桑名藩の越後領四郡六万石の総支配所で、大役所・預役所・刈羽会所の三役所があり、郡代以下五十数名で領政を担当していた。
大塩平八郎の乱(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1828年(文政11)の九州大洪水より、断続的に天災による諸国異作が続き、36年(天保7)は未曽有の大飢饉であった。この打ち続く凶作・飢饉により米価高騰し、大坂市中には飢餓による死者が続出する。
天狗党の乱(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵とそれを契機に起った争乱。天狗の呼称は水戸藩藩主徳川斉昭が天保度の藩政改革を実施した際、改革を喜ばない門閥派が改革派藩士を批難したところから発したもので、改革派には軽格武士が多かったから
禁門の変(蛤御門の変)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
元治元年(一八六四)七月、京都での尊攘派の勢力挽回を策した長州軍と京都を守る会津・薩摩藩を中心とする公武合体派軍との軍事衝突。元治甲子の変または蛤御門の変ともいう。文久三年(一八六三)八月十八日の政変は、それまで京摂間で猛威を
シャクシャインの戦い(日本国語大辞典・日本大百科全書)
寛文九年(一六六九)、蝦夷(えぞ)地(北海道)で松前藩の不公平な交易方針に反対するアイヌの首長シャクシャインが起こした反松前・反和人の戦い。全北海道に広がったが、鉄砲を持つ松前藩が優勢となり、和議の席でシャクシャインは殺された。以後、松前藩のアイヌ搾取が強められた。
三十六人家集(三十六人集)(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
家集。藤原公任の『三十六人撰』所収の歌人三十六人の家集の総集。左右に排してあるので、一番左・右……の順序とすべく、したがって人麿集・貫之集・躬恒集・伊勢集・家持集・赤人集・業平集・遍照集・素性集・友則集・猿丸集・小町集・兼輔集
一条摂政御集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一条摂政藤原伊尹の私家集。編者不詳。総歌数は百九十四首。成立年代は、その詞書から、伊尹死後二十年を経た正暦三年(九九二)八月二十二日以後と推定されるが、冒頭から第四十一首目までは、主人公を「大蔵史生倉橋豊蔭」という卑官に仮託して
拾遺和歌集(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代中期の第三番目の勅撰集。二十巻。撰者は花山院か。近臣の藤原長能や源道済の協力を考える説も古くからある。またほかに、協力者として曾禰好忠の名を挙げる説もある。藤原公任撰の『拾遺抄』の歌を全部収め、構成も踏襲している面があるので、何らかの形で公任も関与している
新撰万葉集(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌合の歌をすべて万葉仮名で抄録し、それに訳詩を加えた私撰詩歌集。菅原道真の撰になるもので、『菅家万葉集』ともよばれた。従来増補本のみであったが、昭和二十四年(一九四九)原撰本が出現した。原撰本は『日本紀略』『新撰朗詠集』『奥儀抄』などにもみるごとく、菅原道真の撰であり
新撰和歌(国史大辞典・日本大百科全書)
平安時代初期の私撰和歌集。『新撰和歌集』ともいう。撰者は紀貫之。巻一春秋・百二十首、巻二夏冬・四十首、巻三賀哀・二十首、別旅・二十首、巻四恋雑・百六十首の計四巻三百六十首から成る。巻頭に「新撰和歌序」「玄蕃守従五位上紀朝臣貫之上」として真名序を付す。
金玉和歌集(国史大辞典)
平安時代中期の私撰集。藤原公任撰。「倭歌得業生柿本末成撰」という戯名を用いているが、『後拾遺和歌集』序に「大納言公任卿(中略)今も古も優れたる中にすぐれたる歌を書き出して黄金の玉の集となむ名づけたる」とあるのに相当する。
古今和歌六帖(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安中期の私撰集。六巻。編者、成立年代とも未詳。貞元元年〜永延元年(九七六〜九八七)頃成立。「万葉集」「古今集」「後撰集」など、古来の歌四五〇〇首ばかりを、歳時、天象、地儀、人事、動植物など二五項五一七題に分類したもの。作歌の手引、古歌考証の資料として利用された。
山家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期の私家集。三巻。西行の詠歌を収める。四季・恋・雑に部類され、歌数は流布本で約一六〇〇首、別に異本山家集、西行法師家集と呼ばれるものがあり、約六〇〇首。「山家心中集」はその抄出本。六家集の一つ。西行の家集には他に「聞書集」「聞書残集」などがある。
清少納言集(国史大辞典)
清少納言の家集。一巻。流布本は和歌二十八首、連歌二句。異本は和歌四十二首。根幹は同一で、それぞれに展開。異本の成立は遅れてなった。集中には他人詠も含み、彼女の和歌は三十五首前後。贈答歌形式の日常歌が多く、機智にたけた表現で、平明な、即興的詠風である。
長秋詠藻(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
歌人藤原俊成の家集。上・中・下三巻。書名の「長秋」は、俊成が皇太后宮大夫であったことから、皇后宮の唐名「長秋宮」にちなんだもの。伝本は四類に分けられる。第一類本は、治承二年(一一七八)三月に成立し、同年夏守覚法親王に進覧された俊成自撰の原形本の形を伝える本。
六家集(日本国語大辞典・日本大百科全書)
平安末期から鎌倉初期にかけての代表的な歌人六人の私家集の総称。藤原俊成の「長秋詠藻」、藤原良経の「秋篠月清集」、慈円の「拾玉集」、西行の「山家集」、藤原定家の「拾遺愚草」、藤原家隆の「壬二集」の六つをいう。抄出本に牡丹花肖柏の「六家抄」がある。「りっかしゅう」とも
百舌鳥古墳群(日本歴史地名大系・国史大辞典・日本大百科全書)
台地と称される中位段丘上に東西四キロ、南北四・五キロにわたって分布する古墳群の総称。日本最大の大仙古墳(仁徳天皇陵に治定)をはじめミサンザイ古墳(履中天皇陵に治定)・田出井山古墳(反正天皇陵に治定)・ニサンザイ古墳などとそれに関連する陪冢および丸保山古墳(国指定史跡)
誉田古墳群(国史大辞典)
大阪府藤井寺・羽曳野両市にまたがる丘陵地帯に分布するわが国有数の古墳群で、古市古墳群とも呼ばれている。応神陵を中心に北方に仲姫陵・允恭陵、南には墓山古墳、白鳥・清寧・仁賢・安閑の諸陵など、中期初頭から後期にかけての大型前方後円墳などが群在している。応神陵陪塚の
古市古墳群(日本歴史地名大系・日本大百科全書)
羽曳野丘陵北辺の台地上、羽曳野市北西部から藤井寺市にわたる、東西三キロ、南北四キロの範囲に分布する大古墳群。前方後円墳一九基以上、前方後方墳一基、方墳一一基以上、円墳二五基以上で構成される。群のほぼ中央に位置する、墳丘全長四一五メートルの誉田御廟山古墳
仁徳天皇(改訂新版・世界大百科事典)
応神天皇につぐ16代の天皇とされる。応神の子,履中,反正,允恭天皇の父。諱はオホサザキ(大雀,大鷦鷯),宮は難波高津宮,陵は和泉百舌鳥耳原中陵。天皇は幼にして聡明,壮におよび仁慈,ために〈仁徳〉と諡されたが,悪逆無道とされた25代武烈天皇でこの応神・仁徳の王系が途絶えるの
履中天皇(国史大辞典)
第十七代とされる天皇。去来穂別天皇、大兄去来穂別天皇(『古事記』では大江之伊邪本和気命)などという。父は仁徳天皇、母は葛城襲津彦の女、皇后磐之媛命。反正・允恭両天皇の同母兄にあたる。『日本書紀』では仁徳天皇三十一年に立太子、同八十七年、父の死後、同母弟住吉仲皇子の乱
神衣祭(改訂新版・世界大百科事典)
伊勢神宮恒例大祭の一つで,皇大神宮および荒祭宮に和妙(絹),荒妙(麻)の御衣を奉る祭り。神祇令によれば,孟夏(4月),季秋(9月)の2回行われ,〈此れ神服部等,斎戒潔清にして,参河の赤引神調の糸を以て,神衣を織り作り,又麻績連等,麻を績みて敷和衣を織りて,神明に供す
鋤鍬祭(国史大辞典)
年頭にわが田に出て農事のさまをし、また屋内でも豊作を祈願する予祝行事は全国的に知られた習俗である。正月二日または四日の仕事初め、十一日のお田打、十五日のお田植などがこれである。地方によってその名称はさまざまであった。徳島県勝浦郡の農家ではこれを鋤鍬祭といった
高山祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
岐阜県高山市の春秋の祭り。高山市を南北に分け、南は山王社(日枝神社)の氏子、北は桜山八幡(八幡神社)の氏子になっている。日枝神社の祭りは4月14、15日で山王祭といい、八幡神社の祭りは10月9、10日(もとは旧暦9月14、15日)で八幡祭といった。高山祭(山王祭と八幡祭)の特色は
田神祭(国史大辞典)
村々の田神祭は、特設の社殿や恒例の日時に営まれたものではない。稲作の進行に従ってその折目ごとに一斉に行われた。農耕儀礼というのはこれらの諸祭儀のことであった。一年を通じてその主なものは、春耕作開始に先立っての神の迎え降ろしから、苗代播種(水口祭)、初田植(サビラキ)
船祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
飾りたてた船の出ることを特色とする祭りの総称。いちばん一般的な形は、神輿の渡御(お渡り)が海や川を渡るもので、神社から神霊を神輿に移し、さらに船に乗せて、町や集落を巡幸して氏子に恩寵を授ける。茨城県鹿島神宮の御船祭りや愛知県津島神社の津島祭りなど、各地に類例が多い
火祭(日本大百科全書・世界大百科事典)
火を焚いて神を祀る祭儀。わが国の年中行事や祭礼には火を焚くものが多い。まず小正月の左義長がある。どんど焼といわれているが、長野県では三九郎焼、北九州ではホケンギョウとよばれている。この行事は全国に広く行われており、子供や青年が主役を務めている。正月と同じく盆にも
相嘗祭(日本大百科全書・世界大百科事典)
上代、11月上(かみ)の卯(う)の日に天皇が諸神に新穀を供した祭り。「あいにえまつり」「あいんべまつり」ともいう。相新嘗の略語とみられ、神に新穀をさしあげ、天皇が神とともに饗宴を行う意と解されるが、あるいは諸神合同の新嘗の祭りと考えるほうが原義にかなうともいえる
刈上祭(国史大辞典)
稲作神事の一種。苗代祭ともいう。苗代田に種籾を播き下したとき、水口に土を盛って季節の花や木の枝を挿し、これに焼米を供えて田神を祀る。この作法は東日本一帯によく伝承された。木の枝は田の中に立てるところもあるが、これはもと飾物や目印などではなく、神の依代であった
水口祭(国史大辞典)
稲作神事の一種。苗代祭ともいう。苗代田に種籾を播き下したとき、水口に土を盛って季節の花や木の枝を挿し、これに焼米を供えて田神を祀る。この作法は東日本一帯によく伝承された。木の枝は田の中に立てるところもあるが、これはもと飾物や目印などではなく、神の依代であった
祈年祭(日本大百科全書・世界大百科事典)
字音で「きねんさい」と称することが多い。この「とし」とは五穀のなかでもっぱら稲をいうが、稲を主として他の穀類に至るまで成熟を祈る祭りである。わが国の社会文化は、本来この稲作中心の農耕社会を基盤として成立しており、春に年穀の豊穣を祈り、秋に豊作を感謝する祭り(新嘗祭)を
和漢朗詠集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代、貴族の間に口ずさまれた漢詩文の佳句、および和歌の詞華選集(アンソロジー)。藤原公任の撰として疑われない。二巻。成立年は不明であるが、藤原道長三女でのちに後一条天皇皇后となった女御威子の入内屏風に、倭絵(やまとえ)・唐絵(からえ)とともに配されていたものと
栄花物語(栄華物語)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代後期の歴史物語。四十巻(異本系三十巻)。『栄華物語』とも書く。『大鏡』とともに『世継』『世継物語』などとも呼ばれたため、時に両書は混同されたこともある。前三十巻の正編と、後十巻の続編の二部に大別され、まず正編が書かれた後
浜松中納言物語(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安後期成立の物語。現存5巻であるが、首部に1、2巻の欠巻がある。藤原定家筆、御物本『更級日記』奥書に「常陸守菅原孝標(すがはらのたかすゑ)の娘の日記也。(中略)夜半の寝覚、御津の浜松、みづから悔ゆる、朝倉などは、この日記の人の作られたるとぞ」と、『御津の浜松』
更級日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
夜の寝覚(夜半の寝覚)(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安後期の物語。『夜半の寝覚』とも、単に『寝覚』ともよばれる。現在の伝本は五巻または三巻であるが、その中間部分と終末部分とに大きい欠巻部分がある。原形態は、現存本の2倍から3倍の量があったと推定されるが、厳密には不明である。作者については、藤原定家が『浜松中納言物語』
陸奥話記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代十一世紀後半の天喜・康平年間(一〇五三―六四)に陸奥国北部で俘囚安倍氏が起した反乱、いわゆる前九年の役の顛末を漢文体で記した書。一巻。『陸奥物語』『奥州合戦記』などともよばれたらしい。著者・成立年代ともに未詳であるが、本文末尾に
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