NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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バルト三国(日本大百科全書・文庫クセジュ)
ヨーロッパ北東部のバルト海沿岸に位置するエストニア、ラトビア、リトアニアの三国をさす。ラトビアとエストニアは、13世紀初頭にドイツの帯剣騎士団に支配された。リトアニアは独立を維持し、1386年に大公ヤギェウォJagiełłoがポーランド・リトアニア
長崎海軍伝習所の日々(東洋文庫)
日本海軍の黎明期を物語る史料。幕末の安政のころ,伝習所教官として来日したオランダ士官の目にうつる若き日の勝海舟,榎本武揚,開明の藩主島津斉彬,鍋島閑叟ら。生き生きと登場する幕末の群像。1964年09月刊
五十年忌歌念仏(近松門左衛門集)(日本古典文学全集)
上之巻〔一〕深草の少将の通い車は、小町の実のない情けにのせられた結果であり、吉田の少将が寝間に残した扇は、班女が親方に追放されるもとになり、行平の形見の烏帽子は、松風・村雨に待つ気を起させた
NATO(北大西洋条約機構)(日本大百科全書・世界大百科事典)
北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO(ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の
大姫(国史大辞典・世界大百科事典)
?-一一九七源頼朝の長女、母は北条政子。治承二年(一一七八、一説には同三年)生まる。頼朝伊豆配流中の誕生。五、六歳のころ木曾義仲の長男志水義高十一歳の許嫁となり、義仲敗死の後義高が斬られたため、大姫は愁嘆のあまり病身となり一生を鬱病で過ごした
源範頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
生没年不詳平安・鎌倉時代前期の武将。父は源義朝。母は遠江国池田宿の遊女。源頼朝の異母弟。通称蒲冠者。史料上の初見は『吾妻鏡』養和元年(一一八一)閏二月二十三日条でこの時頼朝の命により志田義広追討のため下野国に出陣している。これ以前の経歴は不詳だが
公暁(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一二〇〇-一九鶴岡八幡宮寺別当。鎌倉幕府三代将軍源実朝を殺した。正治二年(一二〇〇)に生まれる。父は二代将軍源頼家、母は賀茂重長の娘。幼名善哉。父が将軍を廃せられて殺されたのち、元久二年(一二〇五)鶴岡八幡宮寺別当尊暁の門弟になる。建永元年(一二〇六
北条時房(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一七五-一二四〇鎌倉時代中期の連署。安元元年(一一七五)生まれる。北条時政の三男、義時の弟。文治五年(一一八九)四月、元服して五郎時連と称し、七月には奥州征伐に従軍。蹴鞠をよくし,二代将軍源頼家に近侍した。建仁二年(一二〇二)六月、時房と改名
運慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
?-一二二三鎌倉時代初期の仏師。康慶の子。長子湛慶が建長六年(一二五四)八十二歳であった(蓮華王院本堂中尊千手観音像銘)ことから逆算して、ほぼ一一四〇年代の出生と推定される。治承四年(一一八〇)焼亡の東大・興福両寺の復興造像に康慶とともに一門を率いて
猿蓑(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
江戸前期の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)。去来(きょらい)、凡兆(ぼんちょう)共編。其角(きかく)序、丈草(じょうそう)跋(ばつ)。1691年(元禄4)5月成り、同年7月3日、京の井筒屋庄兵衛(しょうべえ)の手により刊行。乾(けん)、坤(こん)2冊。
野ざらし紀行(甲子吟行)(日本大百科全書・世界大百科事典)
芭蕉(ばしょう)の俳諧(はいかい)紀行。一巻(一冊)。別名「甲子吟行(かっしぎんこう)」。1685年(貞享2)成立。書名は冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉(かな)」による。1684年8月門人千里(ちり)を伴い、芭蕉は深川の草庵(そうあん)を
好色一代男(井原西鶴集)(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
けした所が恋のはじまり桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあって山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名を呼ばれる太尽は、その
よし 【由・因・縁】(日本国語大辞典)
〔名〕(「寄(よ)す」と同根で、物事に関係づけていくことの意)(1)物事の起こった理由。由来。わけ。いわれ。*日本書紀〔720〕推古一一年二月(岩崎本平安中期訓)「故、猪手連の孫を娑婆連と曰ふ。其れ是の縁(ヨシ)なり」*万葉集〔8C後〕
すなわち(日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
【一】〔名〕(1)(多く連体修飾語を受けて)ある動作の終わったその時。途端。*万葉集〔8C後〕八・一五〇五「霍公鳥(ほととぎす)鳴きし登時(すなはち)君が家に行けと追ひしは至りけむかも〈大神女郎〉」*竹取物語〔9C末~10C初〕
葛飾北斎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸後期の浮世絵師。葛飾派の祖。江戸本所割下水(現、東京都墨田区)で生まれた。幼少の頃より好んで絵を描き、版画の技術を学び、勝川春草の門に入って写実的な役者絵、黄表紙などの挿絵を描いた。狩野派を学んだために勝川派から追放され、以後は土佐派・琳派
喜多川歌麿(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸中・後期の浮世絵師。本姓は北川。生国には諸説がある。幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人者となった。初めは北尾重政・鳥居清長ら先輩の作風を学び、修業を重ねた。歌麿の号は
東洲斎写楽(日本架空伝承人名事典・新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
江戸時代の浮世絵師。生没年不詳。一七九四年(寛政六)五月から翌九五年一月までの正味一〇カ月間(途中閏月がはさまる)を活躍時期として、役者絵、相撲絵の版画一四〇余図という多くを発表。当時おおいに人気を得たらしいが、その後は浮世絵界との交渉をまったく
石川啄木(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八八六-一九一二明治時代の歌人、詩人。名は一、中学時代翠江・麦羊・白蘋(はくひん)と号した。明治十九年(一八八六)二月二十日岩手県南岩手郡日戸村(岩手郡玉山村)に生まれた。父一禎(いってい)は曹洞宗常光寺の住職、母かつは南部藩士工藤条作常房の娘で
二葉亭四迷(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六四-一九〇九明治時代の小説家。本名長谷川辰之助。元治元年(一八六四)二月二十八日(文久二年(一八六二)十月八日説、元治元年二月三日説もある)、江戸市ヶ谷の尾張藩上屋敷(東京都新宿区、現在陸上自衛隊市谷駐屯地)に生まれた。父は尾張藩士長谷川吉数
桂太郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八四七-一九一三明治時代の軍人、政治家。弘化四年(一八四七)十一月二十八日、萩藩士馬廻役百二十五石の桂与一右衛門信繁と母喜代子の長男として、長州萩平安古(山口県萩市平安古町)に生まれる。はじめ寿熊と称し、のち太郎と改名。海城と号す。藤田与次右衛門
ガリレイ(Galileo Galilei)(岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
イタリアの物理学者,天文学者.ピサに生まれる.ピサ[1589]およびパドヴァ[92-1616]の各大学数学教授.ピサの聖堂の吊灯を見て振子の等時性を発見した[1583].ピサの斜塔で落体の実験を行い,アリストテレスの自然学の誤りを正し,近代的力学成立
シェークスピア(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
イギリスの劇作家,詩人。中部イングランド,ウォリックシャーの小さな町ストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれた。誕生日は4月23日とされるが,それは記録に残る受洗日の4月26日から逆算して,後世がそのように定めたものである。父親ジョンは,近隣の
ジャンヌ・ダルク(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
15世紀前半、イギリスのランカスター王家が仕掛けてきた戦争(後期百年戦争)の最中、神の命令を受けたと称して現れ、フランスのバロア王家を支援したロレーヌ出身の女。2年後、異端として殺された。今日われわれのみるジャンヌ・ダルクは、国民国家意識の高揚した
東京スカイツリー(日本大百科全書)
2012年(平成24)5月に、東京都墨田(すみだ)区に開業した電波塔。高さは東京タワーの2倍近い634メートル。完成時点で、自立式鉄塔としては高さ世界1位、人工建造物としてはドバイのブルジュ・ハリファ(828メートル、2010年完成)に次ぎ、世界2位
長良川(日本歴史地名大系)
県のほぼ中央部に東西に横たわる位山(くらいやま)分水嶺山脈中に位置する見当(けんとう)山(一三五二・一メートル)を源流とし、濃尾平野を経て、伊勢湾直前で揖斐(いび)川に合流する。地形的には河川争奪によって流域拡大がなされたとも考えられる大日
五・一五事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1932年(昭和7)に起きた海軍青年将校を中心としたクーデター事件で、血盟団事件の第二陣として計画されたもの。1931年の十月事件失敗後、海軍青年将校は井上日召(にっしょう)らと結んでクーデター計画を進めてきた。32年の血盟団事件で団員が検挙されると
武田信義(国史大辞典・世界大百科事典)
一一二八-八六平安・鎌倉時代前期の武士。治承・寿永の乱に活躍。甲斐源氏。新羅三郎義光の子義清が巨摩郡武田を本居とした。信義は義清の孫で、清光の子として大治三年(一一二八)に生まれ、治承四年(一一八〇)の以仁王の令旨に応じ挙兵、源頼朝方に参じ武功を
阿野全成(国史大辞典・世界大百科事典)
一一五三-一二〇三鎌倉時代前期の僧籍の武士。幼名今若、醍醐禅師・阿野冠者という。また勇力あり悪禅師という。父は源義朝、母は常盤。義朝が平治の乱に敗死したのち母は今若・乙若(義円)・牛若(義経)の三児を連れて逃れたが、平清盛に召し出され
源実朝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一九二-一二一九鎌倉幕府第三代将軍。一二〇三―一九在職。幼名千幡。建久三年(一一九二)八月九日鎌倉で誕生。父は源頼朝、母は北条政子。正治元年(一一九九)正月十三日父が急死、兄頼家が第二代将軍となった。建仁三年(一二〇三)の八月二十七日
源行家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一一八六平安・鎌倉時代前期の武将。本名義盛。為義の十男、熊野新宮に住し新宮十郎と呼ばれた。治承四年(一一八〇)四月八条院蔵人となり行家と改名、同年五月に挙兵した以仁王の令旨を奉じ東国に下向、源頼朝をはじめとする諸国源氏の蜂起を促した。
大江広元(世界大百科事典・日本大百科全書)
鎌倉前期の幕府の重臣。式部少輔大江維光の子で,明経博士中原広季の養子となり,鎌倉に下るまでは外記として文筆の職にあった。源頼朝と親しかった,同じ広季の養子親能の関係から頼朝に招かれ,1184年(元暦1)以来,幕府の公文所ついで政所の別当となり
海道記(中世日記紀行集)(日本古典文学全集)
〔一〕白川の辺り、中山の麓で、世を避けて、ひっそりと質素に侘住いをしている者がいる。生れついて才能がなく、能力を得ようとし学芸を習っても身につかない。もともと身の運に恵まれていないのだから、果報のつたなさを恥じ、運命を顧みて
御伽婢子(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
仮名草子、怪異小説集。浅井了意作。十三巻十三冊、六十八話。寛文六年(一六六六)刊。中国の『剪燈新話』『剪燈余話』や『霊鬼志』『博異志』などの伝奇・志怪小説に構想を仰ぎ、舞台を室町時代に移して怪奇と浪漫、数奇な人生を雅趣豊かな文体で描く。『新御伽婢子』
五輪書(世界大百科事典・日本大百科全書)
江戸初期の兵法書。二天一流の流祖宮本武蔵の著。仏教の〈五大〉,地水火風空にかたどって5巻に分かれ,地の巻は兵法の大意,水の巻は兵法の利,火の巻は合戦の理,風の巻は他流の評論,空の巻は兵法の奥義について述べている。1643年(寛永20)から45年
醒睡笑(世界大百科事典・日本大百科全書)
笑話本,噺本。8巻。安楽庵策伝が,京都所司代板倉重宗の依頼によって1615年(元和1)ごろに筆を起こし,23年に完成,28年(寛永5)3月17日に重宗に献呈したもの。写本で伝わるもの(広本)と整版本(略本,狭本)があるが,内閣文庫本(広本)には
秋夜長物語(日本国語大辞典)
解説・用例南北朝時代の男色稚児(ちご)物語。一巻。作者未詳。比叡山の僧桂海と、三井寺の稚児梅若との悲恋と、それをめぐって起きた三井寺と比叡山の争いを描く。桂海は後に東山雲居寺を建立して膽西(せんさい)上人と仰がれる。発音アキノヨノ=ナモノタリ[ア]
新続古今和歌集(国史大辞典・日本国語大辞典)
室町時代に成立した勅撰和歌集。二十一代集の最後。永享五年(一四三三)八月将軍足利義教の発意により撰集の議が表面化し、二十五日後花園天皇の綸旨が撰者飛鳥井雅世に下り、和歌所開闔(かいこう、事務長)には権大僧都堯孝があてられた。九月歌人たちは勅撰集のため
十字軍(世界大百科事典・日本大百科全書・文庫クセジュ)
クレルモン会議(1095)で教皇ウルバヌス2世により宣言された第1回十字軍以来,チュニスで敗退した最終回(1270)まで何回かにわたって西欧キリスト教徒の軍団が行った中近東各地への軍事遠征。広義にはイベリア半島,イタリア,地中海の島々などをイスラムの
始皇帝(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・日本大百科全書)
中国,秦31代の王(在位,前247-前222),中国最初の皇帝(在位,前222-前210)。姓は嬴(えい),名は政。荘襄王の子。一説では実父は陽翟の大賈である呂不韋とする。荘襄王が人質となって趙に寄寓していたおりに呂不韋は自分の姫妾を荘襄王に献上した
孔子(国史大辞典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
前五五二-四七九中国、春秋時代の学者。儒教の祖。諱は丘、字は仲尼。魯の襄公二十一年(前五五二、または同二十二年ともいう)十月庚子(二十一日)、魯国昌平郷陬邑(すうゆう)に生まれた。父は孔(こつ)、字を叔梁といい、勇士として知られ、母は顔氏の女で徴在と
釈迦(世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典・国史大辞典)
仏教の開祖。釈迦はサンスクリット語のシャーキャムニŚākyamuniの音訳,釈迦牟尼(むに)(〈釈迦族の聖者〉)の略。釈尊(しやくそん)は釈迦牟尼世尊(せそん)(尊称)の略。釈迦は歴史的実在の人物であり,その人種的帰属(モンゴル系かアーリヤ系か)や
アイヌ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である。アイヌ語でアイヌとは人間を意味し、自らの居住する領域を陸と海を含めてモシリとよんでいた。アイヌの占有的に生活する領域はアイヌモシリ、すなわち人間の大地、人間の世界を意味する
ロシア人(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
ロシア連邦の中核をなす民族。人口は旧ソ連領内に約1億4515万5000人(1989)で、その99.9%がロシア語を母語とする。本来の居住地はウラル山脈以西のヨーロッパ・ロシアであるが、16世紀以降のシベリア入植によって現在はシベリアの人口の90%以上
ロシア 【露西亜】(世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
正式名称=ロシア連邦RossiiskayaFederatsiya,Rus-sianFederation 面積=1709万8242km2 人口(2010)=1億4294万人 首都=モスクワMoskva(日本との時差=-6時間) 主要言語=ロシア語 通貨=ルーブルRubl' ユーラシア大陸北部の大国。ソ連邦を構成する共和国の一つ
東海道中膝栗毛(日本古典文学全集)
目次古典への招待凡例東海道中膝栗毛(扉)道中膝栗毛発端全(扉)膝栗毛発端序累解道中膝栗毛発端膝栗毛発端叙浮世道中膝栗毛完(扉)道中膝栗毛序道中膝栗毛凡例巻中書目浮世道中膝栗毛初篇東海道中膝栗毛二編乾・坤(扉)
松風(源氏物語)(日本古典文学全集)
〔一〕源氏の大臣は東の院を新築して、花散里と申した御方を移り住まわせなさる。西の対から寝殿の渡殿などにかけて、政所や家司などの詰所をしかるべくお設けになる。東の対は明石の御方のお住いにと予定していらっしゃる
絵合(源氏物語)(日本古典文学全集)
〔一〕前斎宮の御入内のことは、中宮が熱心にご催促申されるが、こまごま行き届いたお世話までしてさしあげるような、これといった御後見もないことをご心配になるけれども、源氏の大臣は、朱雀院のお耳に達することをご遠慮なさって
スターリン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本名ジュガシビリДжугашвили/Dzhugashvili。ソ連の政治家。12月21日ジョージア(グルジア)のゴリという町の靴屋の子に生まれる。チフリス(現、ジョージア・トビリシ市)の神学校在学中にマルクス主義の洗礼を受け、職業革命家の道に入った
エープリル‐フール(日本国語大辞典)
〔名〕({英}Aprilfool)《エイプリルフール》四月馬鹿。四月一日は嘘をついてもよいという、いたずら御免の日。本来はだまされる人のことで、フランスではpoissond’avril(四月の魚)という。キリストがユダヤ人に愚弄されたのを忘れないためとも、キリストの命日ともいい
高浜虚子(日本大百科全書・世界大百科事典)
俳人、小説家。明治7年2月22日(臍(ほぞ)の緒書(おがき)では20日)松山市長町新丁(現湊(みなと)町4丁目)に生まれる。本名清。父池内庄四郎政忠(しょうしろうまさただ)(のちに信夫(のぶお))は藩の剣術監、母は柳(りゅう)。1882年(明治15)
川端康成(日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。明治32年6月14日、大阪に生まれる。医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(しゅくのしょう)(現茨木(いばらき)市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年のとき姉
上総介広常(日本大百科全書・国史大辞典)
平安末期の武将。平忠常(ただつね)の子孫、常澄(つねずみ)の子。上総権介(ごんのすけ)に任じ、介八郎(すけのはちろう)と称す。その所領は上総国(千葉県中部)から下総(しもうさ)国(千葉県北部)に及び、この地方最大の勢力を誇った。保元(ほうげん)
静御前(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
生没年不詳。源義経(よしつね)の妾(しょう)。磯禅師(いそのぜんじ)の女(むすめ)で、もと京都の白拍子(しらびょうし)であった。義経が京都堀川第(ほりかわだい)で兄頼朝(よりとも)の刺客土佐房昌俊(とさぼうしょうしゅん)に襲われたとき、機転によって
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