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5月31日更新
三奇橋(改訂新版・世界大百科事典)
日本の古橋の中でとくに構造的に変わったものとしてあげられてきた岩国(山口県)の錦帯橋,甲斐(山梨県)の猿橋,黒部(富山県)の愛本橋をいう。愛本橋の代りに木曾の桟あるいは祖谷(徳島県)のかずら橋を入れる説もあるが,桟はけわしい崖に沿って板をかけ渡した橋で,構造的には上述の諸橋ほどの特色はない。
猿橋(改訂新版・世界大百科事典)
山梨県大月市の東郊,相模川の支流桂川の渓谷にかかる木橋。〈えんきょう〉ともいう。創建の時期は明らかではないが,きわめて古いと推定され,1226年(嘉禄2)にはすでに文書に記録が見られる。両岸から4層に順次張り出した刎木の上に木の橋桁を渡し,刎木の他端は地中に埋め込まれ,安定を保っている。
錦帯橋(日本歴史地名大系)
横山郭の正面乗越門前より、錦川対岸の錦見乗越へ架けられた五橋の反り橋。横山小路と錦見大明小路を一直線につなぐ、城下大手の通り筋にあたる。五橋のうち三橋が支柱のない刎橋で、構造の妙と美しさで知られる。岩国橋・十露盤橋・凌雲橋・帯雲橋・五竜橋などの名でもよばれるが、錦川の名にちなむ錦帯橋が一般的である。
弘前城(国史大辞典)
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為信が起工し同十六年為信の子信枚の時に一応の完成を見た。為信はもと大浦城におり元亀二年(一五七一)ごろから津軽統一への歩みを開始したが
姫路城(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘の乱のとき、播磨守護赤松則村が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範が築城したと伝えられる。
(日本大百科全書(ニッポニカ))
塁、堀、柵など外敵の侵入を防ぐために設けられた軍事的構築物のことをいい、さらにそれによって防衛された地域もいう。城郭という語も城と同義に用いられる。しかし火器の発達した近代に構築された軍事的防衛施設は城とよばず要塞とよばれる。最初は自然の地形を利用して防衛のためにのみ築城したが
桶狭間古戦場伝説地(日本歴史地名大系)
[現]豊明市栄町 南舘名鉄本線中京競馬場前駅(名古屋市緑区)南方二〇〇メートルの、国道一号を横断した所にある。国指定史跡。この辺りは知多半島に続く丘陵地で谷間が多く、豊明市内には大狭間・小廻間の地名が多い。狭間(廻間)というのは「はさまった間」を意味するといわれ、国史跡指定地は谷あいにある。
ビスマス(日本大百科全書(ニッポニカ))
周期表第15族に属し、窒素族元素の一つ。古く蒼鉛とよばれた。中世のヨーロッパではすでにその存在が知られていたが、スズ、鉛、アンチモンなどとの区別がつかないでいた。しかし、そのころから区別がつき始め、酸化ビスマスその他が顔料などとして用いられていて、17世紀ごろには一般に英語でbismuth
ニホニウム(日本大百科全書(ニッポニカ))
超アクチノイド人工放射性元素の一つ。原子番号113、元素記号Nh。周期表第13族に属する。新元素として認定されるまでの暫定名称はウンウントリウムununtrium(暫定元素記号Uut)。2003年にアメリカとロシアの115番元素合成の共同研究の際に113番元素の生成を観測したとの最初の報告があったが、理化学研究所(理研)
応神天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第15代に数えられる天皇。仲哀天皇の皇子,母は息長足姫(神功皇后)。諱は誉田別という。ただ《古事記》には,大鞆和気ともあり,胎中天皇とも称された。《日本書紀》によると,仲哀天皇は西征のさなかに没し,皇后が三韓に遠征したさいにはすでに胎内にあり,遠征から帰ったのち,筑紫で生まれたという。
在原業平(改訂新版・世界大百科事典)
平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓が下された。業平は五男の在原であったので在五と呼ばれ,権中将となったため在五中将とも呼ばれた。
違憲立法審査制度(改訂新版・世界大百科事典)
立法行為をはじめとする国家の諸機関の行為について,それが憲法に適合するか否かを審査し,違憲の場合にはその行為を無効と宣言する権限を裁判所に与える制度。司法審査制とか法令審査制ともいう。国家の最高法規である憲法が国家機関によって侵害されるのを防ぐために設けられる憲法保障の制度の一つであり
ワイマール憲法(改訂新版・世界大百科事典)
第1次大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政は崩壊し,それに代わっていわゆるワイマール共和国が成立した。1919年1月19日の総選挙によって選ばれた国民議会が,2月6日チューリンゲンの小都市ワイマールに新しい憲法の制定を主要任務として召集され,7月31日にドイツ共和国憲法Reichsverfassungを可決した。
炉心溶融(日本大百科全書(ニッポニカ))
原子炉中の炉心が冷却手段を失い、過熱して破損・溶融すること。燃料棒とこれを支える構造物、制御棒などが集まる原子炉の中心部分を炉心とよび、ここでは大量の熱(運転時には核分裂による熱、運転停止後にはしだいに減少する崩壊熱)が発生している。これらの熱は冷却水を循環させて除去されているが
福島第一原子力発電所事故(日本大百科全書(ニッポニカ))
東北地方太平洋沖地震の影響により、東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町・双葉町)で発生し、炉心溶融に至った重大事故。収束前の暫定評価として、国際原子力事象評価尺度(INES:International Nuclear Event Scale)で、もっとも深刻な事故にあたるレベル7に分類されている。
チェルノブイリ原子力発電所事故(日本大百科全書(ニッポニカ))
1986年4月26日午前1時24分ころ、当時のソビエト連邦(ソ連)ウクライナ共和国の首都キエフ市の北方130キロメートルにあるチェルノブイリ原子力発電所4号機で起こった原子力開発史上最大最悪の事故。事故後につくられた国際原子力事象評価尺度(INES)によれば、最悪の「レベル7」(深刻な事故、メジャー・アクシデント)とされている。
日本原子力研究開発機構(日本大百科全書(ニッポニカ))
2005年(平成17)10月1日、日本原子力研究所と核燃料サイクル開発機構を統合して設立された原子力の総合的研究開発機関。略称原子力機構。英語ではJapan Atomic Energy Agency、略称JAEAと表記する。独立行政法人として設立されたが、2015年4月に国立研究開発法人に改組された。
銀河系(日本大百科全書(ニッポニカ))
太陽が属する銀河。宇宙に多数ある銀河galaxyの一つであるが、われわれの太陽が属する銀河ということで、他と区別して英語ではgalaxyのgを大文字で書き、theやourをその前につける。これに対応して、日本語では銀河ではなく「銀河系」とよぶことにしている。英語のMilky Way Galaxyに対応する「天の川銀河」とよばれることもある。
太陽系(日本大百科全書(ニッポニカ))
太陽系の構成天体 私たちの太陽系は太陽を中心とし、その重力場内で運動する惑星、衛星、小惑星、彗星、隕石、さらには固体微粒子などの階層の異なる天体(粒子)集団からなっている。太陽系全質量の99.87%は太陽が担い、残りの0.13%のほとんどは惑星が占めている。次に質量の多いのが彗星で、全体の約30万分の1と推定されている。
地球(日本大百科全書(ニッポニカ))
地球とは 地球は太陽系に属する惑星の一つである。酸素をもちかつ宇宙線の侵入を食い止める大気に囲まれ、さらに水をもつために生物の繁栄をそこに生んでいる。そのような天体はほかに知られていない。地球は質量にして木星、土星、海王星、天王星に次ぐ大きさをもつ。太陽から約1億5000万キロメートル(1天文単位)の平均距離を保ち
聖霊降臨祭(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教の教会暦で復活祭に次ぐ祭日の一つ。聖霊降臨のできごとは,キリストの復活のできごとから50日目,旧約の五旬祭の日に起こったので,キリスト者にとってこのできごとを記念する日が聖霊降臨祭となった。《使徒行伝》の第2章にも書かれているように,この日使徒の説教によって,多くの人が洗礼を受け
復活祭(改訂新版・世界大百科事典)
典礼暦年と移動祝祭日の中心をなすキリスト教の教会暦における最大の祭日。英語ではイースターといい,これは春の女神(元来は夜明けの女神)を意味するチュートン語に由来するといわれる。復活祭から聖霊降臨祭までの期間を復活節と呼ぶが,とくに復活徹夜祭をもって盛大に祝う。
クリスマス(改訂新版・世界大百科事典)
イエス・キリストの降誕記念日。クリスマスは英語でキリストChristのミサmassの意味。〈Xmas〉と書く場合のXは,ギリシア語のキリスト(クリストス)ΧΡΙΣΤΟΣの第1字を用いた書き方である。フランスではノエルNoël,イタリアではナターレNatale,ドイツではワイナハテンWeihnachtenという。また,12月25日を〈クリスマス・デー〉
万聖節(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教のすべての聖人を記念する祝日。カトリック教会では〈諸聖人の祝日〉と呼ぶ。また一般にハローマスHallowmas(hallowはアングロ・サクソン語で〈聖人〉の意)とも呼ばれる。西方教会では11月1日,東方教会では聖霊降臨祭後の最初の日曜日に祝う。この祝日は4世紀に東方教会で始まり,しだいに西欧に伝わったが
五節供(日本大百科全書(ニッポニカ))
1月7日の七草、3月3日の雛祭、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽の五つの節供をいう。これらの節日はいずれも中国伝来の要素がみられる。1月7日は中国で人日という。これは東方朔の占書に、正月1日に鶏を占い、2日には狗を占い、3日には羊を占い、4日には猪を占い、5日には牛を占い、6日には馬を占い
節供(句)(改訂新版・世界大百科事典)
年中行事を構成する日。年に何回かある重要な折りめのことで,基本的には神祭をする日である。迎えた神に神饌を供して侍座し,あとで神人共食することによってその霊力を身につけようとするもので,氏神祭や正月,盆も重要な節供といえよう。小豆粥を食べる正月15日を粥節供,あとで神人共食することによって
屋代弘賢(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸後期の国学者。江戸・神田明神下の幕臣屋代佳房の子。通称大郎。号は輪池。塙保己一の『群書類従』、柴野栗山の『国鑑』の編集に協力したほか、幕命により『古今要覧稿』を著し、また『寛政重修諸家譜』などの編集にも従事した。該博な学識で知られる。ロシアへの幕府の返書を清書するなど
塙保己一(国史大辞典)
一七四六-一八二一。江戸時代後期の国学者、平曲家。延享三年(一七四六)五月五日武蔵国児玉郡保木野村(埼玉県児玉郡児玉町)の農家荻野宇兵衛の長子として出生。荻野氏は参議小野篁七代の後孫武蔵守孝泰の末裔といい、母きよの生家は同国加美郡藤木戸村(同児玉郡上里町)名主斎藤氏。
塙忠宝(国史大辞典)
一八〇七-六二。江戸時代末期の和学者。通称次郎、名は瑤、温故堂と号す。保己一の四男として文化四年(一八〇七)十二月八日江戸表六番町に生まれる。文政五年(一八二二)九月父のあとを継いで和学講談所御用掛となり、以後、不慮の死を遂げるまでの四十一年間にわたってその経営を統管し
大和物語(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安時代中期の歌物語。作者不明。成立は951年(天暦5)ごろ現存本168段あたりまでほぼ成立、以後『拾遺集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに169段から173段まで、および他にも部分的な加筆があるらしい。内容は173段にわたる歌語りの集成であるが、単なる機械的な打ち聞き記録の域を超えて
紀貫之(改訂新版・世界大百科事典)
平安前期の歌人,文学者,官人。貫之5代の祖,贈右大臣船守は,桓武天皇の革新政策をたすけて平安遷都に力を尽くした偉材であったし,祖父本道の従弟有常は在原業平とともに文徳天皇第1皇子惟喬親王を擁して,北家藤原氏と皇位継承権を争ったほどの輝かしい歴史をもっていた紀氏であったが
歌物語(改訂新版・世界大百科事典)
平安中期の物語の一様式をあらわす文学用語。語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して
覚猷(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安時代の僧で、俗称鳥羽僧正。大納言源隆国の第9子で本名顕智。園城寺の覚円に師事し出家。1081年(永保1)四天王寺別当職に任ぜられたが、94年(嘉保1)園城寺に戻り、1121年(保安2)法印大和尚位に叙せられる。31年(天承1)鳥羽離宮内の証金剛院別当に任ぜられ、ここに常住したために鳥羽僧正と俗称された。
源隆国(改訂新版・世界大百科事典)
平安後期の公卿。源俊賢の次男。1018年(寛仁2)宗国を改名。摂関家の姻戚として順調に昇進,34年(長元7)参議。61年(康平4)権中納言を辞したが67年(治暦3)権大納言となる。74年(承保1)納言辞任,77年病により出家し没す。隆俊ら諸子も立身したが,鳥羽僧正覚猷(かくゆう)は特に有名。
宇治大納言物語(国史大辞典)
宇治大納言隆国が書いたと伝えられる散佚した物語。書名や内容の一部分が、中世の諸書に散見するので、そのころまでは伝存されていたのであろう。内容は説話的なもので、宮廷の和歌の話や、仏教説話などをふくんでいたらしい。現存の『今昔物語集』『打聞集』『古本説話集』『宇治拾遺物語』『小世継』などの
親敵討腹鞁(改訂新版・世界大百科事典)
黄表紙。2冊。朋誠堂喜三二作,恋川春町画,1777年(安永6)刊。〈かちかち山〉の後日譚で,子狸に親の敵とねらわれた兎が義理に迫られて切腹し,狸はまた猟人を導いて討たせた狐の子狐に,猟人とともに討たれる。当時流行の料亭葛西太郎などをとり入れ,梅が枝の手水鉢の芝居(《ひらかな盛衰記》)の趣向なども加えて
山東京伝(改訂新版・世界大百科事典)
江戸時代後期の戯作者,浮世絵師。本名は岩瀬醒。俗称は京屋伝蔵。別号は醒斎,醒世老人,菊亭主人,菊軒など。父は伊勢国の出身で江戸深川に質屋を営み,京伝はその長子で弟に山東京山がいる。のちに銀座に転居。若くして北尾重政に浮世絵を学び,北尾政演の名で,1778年(安永7)黄表紙《開帳利益札遊合》の画工として出発
朋誠堂喜三二(改訂新版・世界大百科事典)
江戸後期の戯作者。本名は平沢常富,通称は平格(角),俳号は月成,狂名は手柄岡持。江戸に生まれ,14歳のとき秋田藩士平沢氏の養子となる。1781年(天明1)から秋田藩の御留守居役を務めるかたわら,戯作にも手を染めており,親友の恋川春町とともに,安永・天明期(1772-89)の黄表紙界を代表する作家となる。
草双紙(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸時代の小説の一ジャンル。江戸特有の挿絵入り仮名書き小説で、寛文末年(17世紀後半)ごろに刊行され始めた幼童向けの絵本である赤本を初めとして、黒本、青本、黄表紙、合巻という順序で展開し、明治10年代(1877~86)まで出版され続けた絵双紙の総称。江戸時代のもっとも通俗的な小説の一つで
辰巳之園(改訂新版・世界大百科事典)
洒落本。夢中散人寝言先生作。1770年(明和7)刊。1冊。同年刊の吉原に取材した《遊子方言》の影響のもとに,深川の岡場所に取材した最初の作品。通人気取りの武士如雷が,同家中の田舎侍新五左衛門を伴って船で深川に向かう。船中さかんに知ったかぶりを並べるが,仲町の小花屋にあがって遊ぶうちに
恋川春町(国史大辞典)
一七四四-八九。江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって
国譲り神話(改訂新版・世界大百科事典)
大国主神が葦原中国を天照大神に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原からは,はじめに天菩比神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売と結婚して
太安麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓は朝臣。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。
天照大神(改訂新版・世界大百科事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神,大日孁貴,天照大日孁尊などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊との誓約生み,天の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。〈皇祖神〉アマテラス《古事記》によればこの神は
本居宣長(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸時代中期の国学者、神道学者。鈴迺屋と号する。享保15年5月7日に生まれる。伊勢国松坂の木綿問屋小津定利(1695―1740)の二男。母はお勝(1705―1768)、幼名は富之助。父の死後、1748年(寛延1)19歳で同国山田の紙商今井田家の養子となったが、21歳で不縁となって実家に出戻り、翌1751年(宝暦1)
難太平記(国史大辞典)
応永九年(一四〇二)二月、今川了俊(貞世)の著作。自筆本は知られない。『国書総目録』は十九部の諸本をあげており、承応改元のころの書写にかかる京都大学谷村文庫本が年記のある諸本中最古のもの。述作の根本精神は今川家の顕彰・保持にあり、そのために自分を含めた今川家の功績の歴史が省みられ
今川了俊(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝時代の武将で、歌人としても著名。俗名は貞世、今川範国の子。冷泉為秀に和歌を学び、二条良基に連歌を学ぶ。官位は左京亮を経て伊予守、正五位下。1367年(正平22・貞治6)室町幕府の引付頭人となり、また侍所頭人として山城守護を兼ねた。
小島法師(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に活躍した法体の人物で,1886年に重野安繹が学界に紹介した《洞院公定日次記》の応安7年(1374)5月3日条の記事により,《太平記》の作者として注目された人物。同記事は〈伝聞〉として,前月の28~29日ごろに彼が死亡したこと,彼が〈太平記作者〉であること,〈卑賤の器(うつわ)といへども名匠の聞え〉
随筆(日本大百科全書(ニッポニカ))
随筆と称せられる著作は室町時代の一条兼良『東斎随筆』が最初であるが、これは先行の諸書から事実談や伝説を引用し分類したもので、一般にいわれる随筆とは異趣である。随筆とは、形式の制約もなく内容も自然・人事・歴史・社会に関する見聞・批評・思索あるいは研究考証など、多岐にわたって筆の赴くままに書き記した
隠者文学(日本大百科全書(ニッポニカ))
隠者が、その精神と生活を記した作品の総称。おもに鎌倉・室町時代に成立したものをさす。中世文学を特徴づけた作品群とされ、文学史における中古からの転換を「女房文学から隠者文学へ」と総括するとらえ方が有力である。隠者は、隠遁者、遁世者、世捨て人、その他さまざまによばれるが、要するに
吉田兼好(国史大辞典)
生没年不詳。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての歌人・随筆家・遁世者。本名、卜部兼好。『尊卑分脈』によれば、卜部家は天児屋根命の子孫で、神祇官として代々朝廷に仕えたが、平安時代中期の兼延の時に、一条院から御名の懐仁の「懐」と通ずる「兼」の字を賜わってからは、それを系字として代々名乗るようになった。
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる。
慈円(国史大辞典)
一一五五-一二二五。鎌倉時代前期の天台宗の僧。初名道快、諡慈鎮、無動寺法印・吉水僧正とよばれた。久寿二年(一一五五)四月十五日生まれる。父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。同母兄に兼実・道円・兼房ら、異母兄に基実・基房・覚忠らがあった。二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
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