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4月28日更新
吉田兼好(国史大辞典)
生没年不詳。鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての歌人・随筆家・遁世者。本名、卜部兼好。『尊卑分脈』によれば、卜部家は天児屋根命の子孫で、神祇官として代々朝廷に仕えたが、平安時代中期の兼延の時に、一条院から御名の懐仁の「懐」と通ずる「兼」の字を賜わってからは、それを系字として代々名乗るようになった。
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を載せる。
慈円(国史大辞典)
一一五五-一二二五。鎌倉時代前期の天台宗の僧。初名道快、諡慈鎮、無動寺法印・吉水僧正とよばれた。久寿二年(一一五五)四月十五日生まれる。父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。同母兄に兼実・道円・兼房ら、異母兄に基実・基房・覚忠らがあった。二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
平曲(日本大百科全書(ニッポニカ))
『平家物語』の詞章を琵琶の伴奏で弾き語りする語物の一種。「平家琵琶」「平語」ともいう。室町時代まで盲人演奏家によって伝承され、江戸時代以降は晴眼者で演奏する者も現れた。 [シルヴァン・ギニアール]歴史と流派。13世紀初めに雅楽・声明・盲僧琵琶の三者を源流として成立。
北村季吟(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸前期の国学者、俳人、歌人。通称久助。別号は芦庵、拾穂軒、湖月亭など。近江国(滋賀県)野洲郡(現、野洲市)の人で、医師北村宗円の長男として寛永元年12月11日に生まれる。若くして上京し、初め俳諧を安原貞室(1610―1673)に師事し、ついで貞室の師松永貞徳に従って、広く古典を学んだ。
清少納言(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年未詳。平安時代中期の歌人、随筆家。966年(康保3)のころ生まれて1025年(万寿2)のころ没したと推測されている。父は歌人清原元輔であるが、母は明らかでない。966年に元輔は59歳であり、年齢に差のある異腹の兄姉、雅楽頭為成、大宰少監致信、花山院殿上法師戒秀、藤原理能妻がいた。
一条天皇(国史大辞典)
九八〇-一〇一一。九八六―一〇一一在位。天元三年(九八〇)六月一日、円融天皇の第一皇子として誕生。母は藤原兼家の女の女御詮子(のちの東三条院)。諱は懐仁。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。
大伴家持(日本大百科全書(ニッポニカ))
『万葉集』末期の代表歌人、官人。旅人の子。少年時の727年(神亀4)ごろ父に伴われ大宰府で生活し、730年(天平2)帰京。737年ごろ内舎人。745年(天平17)従五位下。翌3月宮内少輔。7月越中守として赴任した。751年(天平勝宝3)少納言となって帰京。
万葉仮名(国史大辞典)
日本語を表記するために、漢字の字音や字訓を利用して表音的に用いたもの。用法の上からは仮名の一種であって漢字本来の表意的な使い方とは異なるが、文字の形としては漢字であり、漢字を省画化した片仮名や略草化した平仮名とは異なる。奈良時代以前の漢字専用の時代には
額田王(改訂新版・世界大百科事典)
《万葉集》第1期(舒明朝~壬申の乱)の女流歌人。生没年不詳。《日本書紀》天武天皇条に,鏡王の娘で,はじめ大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁して十市皇女を生んだとあるほかは,伝もつまびらかでない。父の鏡王に関しても不明。出生地についても大和国,近江国の2説あるが,どちらとも決定しがたい。
柿本人麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
《万葉集》の歌人。生没年,経歴とも不詳ながら,その主な作品は689-700年(持統3-文武4)の間に作られており,皇子,皇女の死に際しての挽歌や天皇の行幸に供奉しての作が多いところから,歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。
孝徳天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第36代に数えられる天皇。在位645-654年。名は軽皇子。皇極女帝の同母弟で,父は舒明天皇の弟の茅渟王,母は欽明天皇の孫の吉備姫王。《日本書紀》や《大織冠伝》には,中臣鎌足が皇室中の人材を求めて天皇に接近し,天皇がこれを厚く待遇した話がみえるが,《上宮聖徳太子伝補闕記》によれば
南禅寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山。正式には瑞竜山大平興国南禅禅寺といい、京都五山の首位にたつ禅寺である。1291年(正応4)亀山上皇が離宮を改めて建てた寺で、初め竜安山禅林禅寺と称していたが、南禅寺とするにあたって東福寺開山円爾弁円の法を継いだ無関普門(仏心禅師、大明国師)を招いて開山とした。
比例代表制(日本大百科全書(ニッポニカ))
各党派の得票数に比例した数の議員が選出される可能性を保障する選挙方法。18世紀後半のフランスにおいて、数学者のJ・C・ボルダやコンドルセらによって、それまで用いられていた多数代表制の批判と確率計算法に基づく新選挙法の提案がなされた。
公職選挙法(日本大百科全書(ニッポニカ))
日本国憲法に規定された公職就任者を公明・適正に選び、民主政治の健全な発達を目ざして制定された基本法。憲法は、(1)衆議院議員、(2)参議院議員、(3)地方公共団体の長・議員・法律の定めるその他の吏員を、国民あるいは住民が普通・平等・秘密選挙によって選出することを求め
伏見稲荷大社(日本歴史地名大系)
稲荷山の西麓に鎮座。式内社で「延喜式」神名帳の紀伊郡に「稲荷神三社 並名神、大、月次、新嘗」とみえ、旧官幣大社である。祭神は古くから種々の説があるが、現在は宇迦之御魂大神(中央・下社)、佐田彦大神(北座・中社)、大宮能売大神(南座・上社)であり、「延喜式」にいう三社はこの三神という。
鹿苑寺(金閣寺)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市北区金閣寺町にある寺。金閣寺と称し、銀閣寺(慈照寺)とともに一般に広く知られている。北山と号し、臨済宗相国寺派に属する。本尊は聖観世音菩薩。もとこの地には西園寺家の山荘北山殿があったが、1397年(応永4)足利3代将軍義満がこれを譲り受け
中尊寺(改訂新版・世界大百科事典)
岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の東北大本山。山号は関山。寺伝によれば,850年(嘉祥3)円仁の開創で,859年(貞観1)に清和天皇より中尊寺の号を賜ったと伝えるが,資料を欠く。平安末期に藤原清衡が平泉に移り住み,諸堂宇の建立に着手した。1126年(大治1)の金堂落慶供養願文により
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
三十三間堂(蓮華王院)(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市東山区三十三間堂廻り町にある蓮華王院の本堂。本尊は千手観音。蓮華王院は天台宗に属し、天台三門跡の一つである妙法院が管理する。南北に125メートルある御堂内の柱の間数が33あることに由来してこの名がある。1164年(長寛2)後白河院の勅願を受けて平清盛が建立、平家滅亡後も後白河院は多くの保護を加え
龍安寺(日本歴史地名大系)
[現]右京区龍安寺御陵ノ下町。朱山の南麓、仁和寺北東にある。大雲山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。円融天皇の御願寺で四円寺の一つとされた円融寺の跡地にあたり、現在寺内にある鏡容池はその園池といわれ、庭園は国指定名勝。
元興寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市芝新屋町にある華厳宗の寺。南都七大寺の一つに数えられ、日本最古の寺院の一つ。仏教移入の争いで物部氏を破った蘇我馬子が、596年(推古天皇4)に建立したと伝え、豊浦寺、葛城寺、飛鳥寺、建興寺、法師寺、建通寺ともよばれていた。
大安寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市大安寺町にある高野山真言宗の別格本山。南都七大寺のうち東大寺に次ぐ大寺で、古来、百済大寺(百済寺)、大官大寺、大寺、南大寺とも称せられた。現在は癌封じの寺としても知られる。617年(推古天皇25)に聖徳太子の発願により
春日大社(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市春日野町に鎮座。第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神の4柱を祀っている。鎮座地は御蓋山(三笠山)の麓で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢に囲まれた浄域となっている。
南シナ海問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
南シナ海における、中国と東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))の沿岸諸国による島礁(島・岩・低潮高地・暗礁・砂州・堆のすべてを含む表現)の領有権や資源開発をめぐる利害対立のこと。現場海域が東西貿易のための海上交通路の要衝であることから生ずる域外諸国の安全保障問題も含まれる。
新疆ウイグル問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
中国の新疆ウイグル自治区を中心としたウイグル人の独立運動をめぐる問題。問題の背景 約960万平方キロメートルの巨大な領域をもつ中国の一つの大きな悩みは、主体文化、主体民族とは違う勢力によって国家の統合が脅かされるという「懸念」や「恐れ」である。「大一統」(大きく一つに統(す)べる)
チベット問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
チベット仏教にもとづく、政教一致の文化をもつチベット人が中国からの独立ないし高度な自治を求めていることから生じている紛争、および諸問題。近来、当局に抵抗する僧侶の焼身自殺が頻発し、チベットでの宗教や自由への圧迫が人権問題だとして国際問題化している。宗教指導者ダライ・ラマ14世は
大統領制(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には、大統領を元首とする統治形態をいう。狭義には、厳格な三権分立制をとるアメリカの統治形態をいう。アメリカ、第五共和政後のフランス、ワイマール共和国時代のドイツ、インドネシア、韓国(大韓民国)などの大統領のように、その権限の強い国もあれば、第三・第四共和政下のフランス
唐招提寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏。756年(天平勝宝8)、聖武・孝謙両上皇の勅願により来朝した唐僧過海大師鑑真和上が新田部親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺、唐寺、律寺などと称され、延喜式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。
平城宮(日本大百科全書(ニッポニカ))
710年(和銅3)から784年(延暦3)の首都平城京の中枢部分をいう。元明(げんめい)~桓武(かんむ)天皇の7代にわたる宮である。平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として
薬師寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山。西京寺、瑠璃宮薬師寺ともいう。南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。680年(天武天皇9)天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して一寺の建立を発願したが、天皇が崩御したため持統天皇、文武天皇が698年(文武天皇2)藤原京に完成した。
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
正福寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
東京都東村山市野口町にある臨済宗建長寺派に属する禅寺。山号は金剛山。開山は文永年間(1264~75)没の心月禅師、開基は北条時頼。本堂には本尊の聖観世音菩薩像が安置されている。境内にある地蔵堂(国宝)は、禅宗様建築の代表とされている鎌倉円覚寺の舎利殿(室町時代)とよく似た建築であり
天竜寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある臨済宗天竜寺派の大本山。霊亀山天竜資聖禅寺と号する。本尊は釈迦如来。京都五山の第一。1339年(延元4・暦応2)、後醍醐天皇が吉野行宮で崩御するや、足利尊氏・直義の兄弟が夢窓疎石の勧めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために創建した寺であり
西芳寺(日本歴史地名大系)
[現]西京区松尾神ヶ谷町 西芳寺川の北岸、谷の入口に位置する。洪隠山と号し、俗に苔寺の名で知られる。臨済系単立寺院。本尊阿弥陀如来。平成六年(一九九四)世界の文化遺産(古都京都の文化財)に登録された。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔草創伝承〕応永七年(一四〇〇)住持急渓中韋の著した
清水寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市東山区清水にある法相宗大本山。山号は音羽山。古くは北観音寺とも称した。西国三十三所第16番札所。『清水寺縁起』によると、大和(奈良県)小島寺の延鎮が修行の途次、夢告によって山城国愛宕郡八坂郷東山の麓にきて
知恩院(改訂新版・世界大百科事典)
京都市東山区にある浄土宗の総本山。華頂山大谷寺と号し,知恩教院ともいう。浄土宗の開祖法然が晩年に住んだ〈大谷の禅房〉に始まる。1212年(建暦2)法然が没すると,弟子らは禅房の東崖上に廟堂(墓)を造り,法然の御影(像)を置き,法然の命日にはこの廟堂で法然の遺徳を讃嘆する〈知恩講〉を営んだ。
醍醐寺(日本大百科全書(ニッポニカ))
京都市伏見区醍醐伽藍町にある真言宗醍醐派の総本山。深雪山または笠取山と号する。本尊は薬師如来。笠取山全山が寺域で、山上を上醍醐、麓を下醍醐といい、上下醍醐に八十余棟の堂塔が配置されている。貞観年間(859~877)理源大師聖宝が山上に草庵を建てたのが始まりで、続いて准胝堂、如意輪堂が建立された。
第二次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第二次世界大戦とは、一般には、1939年9月の英独戦争に始まり、1941年6月の独ソ戦争、同年12月の太平洋戦争を経て、1945年5月ドイツの、同年8月日本の降伏で終わる戦争をいう。この戦争に先だつ第一次世界大戦は、ヨーロッパを舞台とし、1914年8月、ヨーロッパ諸国がイギリス・フランス・ロシアの
第一次世界大戦(日本大百科全書(ニッポニカ))
第一次世界大戦(以下、大戦と略記する)は、1914年から1918年まで、計25か国が参加してヨーロッパを主戦場として戦われた戦争である。主要な強国のほとんどすべてを巻き込んでおよそ4年半の長期間に及び、しかも複雑多岐にわたる問題を当初からはらんで行われた戦争の性格を考えて、本項では、以下の構成をとった。
ナチス(日本大百科全書(ニッポニカ))
国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterparteiの通称。略称はNSDAP。ナチNazi(単数および形容詞)またはナチス(複数)は、ドイツの政敵や欧米の反ヒトラー派がこの党に与えた卑称である。日本では公式の略称としては単数、複数を問わずナチスとよんでいた。
日米交渉(国史大辞典)
日米戦争の回避または延引を目的とした、真珠湾攻撃前約一年間にわたる非公式外交工作および開戦外交交渉。その背景にはヨーロッパからアジア・太平洋地域に伸展した第二次世界大戦に対する日米双方の政・戦略的駆引きが窺われる。なお日本側ではこの日米国交調整工作・交渉をN工作または日米交渉と称し
太平洋戦争(日本大百科全書(ニッポニカ))
1941年(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃、日本のアメリカ、イギリスへの宣戦布告で始まり、1945年9月2日、日本の降伏文書調印によって終わった戦争。日本の指導者層は大東亜戦争と呼称した。1931年(昭和6)の満州事変に始まる日中十五年戦争の発展であり、日中戦争を重要な一部として含む。
18歳選挙権(日本大百科全書(ニッポニカ))
満20歳以上が行使できる日本国民の選挙権を満18歳以上とすること。また、その選挙権。2015年(平成27)6月、選挙に参加することのできる有権者の年齢を満20歳から満18歳に引き下げるとともに、選挙犯罪などに関する少年法などに特例を設けて成人同様に処罰することを内容とする、公職選挙法等の一部を改正する法律が成立した
ネット選挙(日本大百科全書(ニッポニカ))
インターネット上の各種サービスを利用する選挙運動、およびそうした運動の許された選挙。インターネットを介して有権者が投票ができるということではない。選挙公示から投票日までの選挙期間中に、候補者がインターネットを選挙運動に活用することは、公職選挙法142条の「規定された文書図画以外の頒布」にあたるとされ禁じられていたが
マニフェスト(日本大百科全書(ニッポニカ))
政権公約。選挙公約集。選挙の際に政党や候補者などが示す政策綱領のこと。従来の選挙公約が具体性を欠く抽象的なものであったことから、従来型の選挙公約と区別して、政策の目標数値・達成期限・財源・工程などが具体的に明示された選挙公約をいう。英語のmanifestoは、もともと君主、政府、政党、団体などの宣言、声明(書)を意味する。
雛祭(日本大百科全書(ニッポニカ))
毎年3月3日に雛人形を飾り、桃花や雛菓子を供えて、白酒で祝う習俗で、「桃の節供」ともいう。婦女子主体の祭りで、男子の五月節供と対置されてもいるが、雛人形主体の節供習俗の歴史は案外に新しい。江戸時代初頭(1630ころ)に宮廷や幕府で三月節供に雛人形にかかわる行事があった記録が現れ、やがて寛文年間(1661~73)以降に
端午(改訂新版・世界大百科事典)
中国にはじまり,朝鮮,日本でも行われる旧暦5月5日の節供。中国 蒲節,端節,浴蘭節などともいう。〈端〉は〈初〉の意味で,元来は月の最初の午の日をいった。十二支の寅を正月とする夏暦では,5月は午の月にあたり,〈午〉が〈五〉に通じることや陽数の重なりを重んじたことなどから,3世紀,魏・晋以後
重陽(改訂新版・世界大百科事典)
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え
七草(改訂新版・世界大百科事典)
七種とも書き,春の七草と秋の七草がある。春の七草〈せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草〉とうたわれたように,これらを春の七草と称し,この,ごぎょうはハハコグサ,はこべらはハコベ,ほとけのざはタビラコ,すずなはカブ,すずしろは大根とされる。後世これらを七草粥にして正月7日に食べた。
雑節(改訂新版・世界大百科事典)
現在,国立学校設置法4条1項により,暦書編製を行うことになっている東京天文台では,毎年2月1日付の官報に翌年の暦象要項を発表している。その雑節の項には四季の土用,節分,春秋の彼岸,八十八夜,入梅,半夏生,二百十日の日付が記載されている。
節分(日本大百科全書(ニッポニカ))
季節の変わり目。立春・立夏・立秋・立冬の前日。とくに立春の前日が重んじられている。現行暦では2月3日または4日。節分は太陽の運行を基準にして設けられているから、旧暦(太陰太陽暦)の時代には期日が一定せず、大みそかより前になることがあり、「年の内に春は来にけり」という場面があった。
彼岸(改訂新版・世界大百科事典)
春分・秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず,日本にしかない。彼岸の語はふつうサンスクリットpāramitā(波羅蜜多)の訳〈到彼岸〉の略とされ
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