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1月31日更新
直江兼続(国史大辞典)
安土桃山・江戸時代前期の大名上杉家の宰相。永禄三年(一五六〇)越後国魚沼郡上田荘坂戸城で生まれる。樋口総右衛門の嫡男。幼名与六、元服して兼続、のち重光と改む。上杉景勝の近習となり、天正九年(一五八一)与板城主直江家を嗣ぎ、山城守を称し、戦国大名上杉氏の家宰の地位にあって
豊臣秀吉(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。小者から身をおこし、織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を確立した。尾張中村(名古屋市中村区)の百姓弥右衛門の子。母は尾張御器所村(名古屋市昭和区)の生まれで、名はなか(後の大政所)。秀吉の生年については2説あり
千利休(国史大辞典)
室町時代末期・安土桃山時代に出た茶の湯の大成者。抛筌斎利休宗易居士。堺の納屋衆の一人千与兵衛の子として大永二年(一五二二)に生まれ与四郎と称し、天文四年(一五三五)十四歳の時にはすでに千家の当主となっていた。彼は当時堺の町衆の間に流行していた茶の湯に興味を抱き
大坂の陣(国史大辞典)
関ヶ原の戦の戦勝により、政治の主導権を獲得し、かつ戦勝者として大名の支配を可能にした徳川氏にとっては、中央政権を樹立し、その支配権を正当化し確立することが今後の課題となった。そのため戦後一門・譜代大名の創出とその要衝配置、ならびに豊臣秀吉恩顧の大名をはじめとする外様大名
本多忠勝(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた武将。江戸時代前期の有力譜代大名。幼名は鍋之助。通称平八郎。中務大輔。天文十七年(一五四八)三河国に生まれる。父は岡崎城主松平広忠の家臣本多平八郎忠高、母は植村新六郎氏義の娘。父忠高が天文十八年安城の城攻めで討死したため
阿茶局(日本大百科全書(ニッポニカ))
徳川家康の側室。名は須和。甲斐武田氏の臣、飯田直政の娘。駿河今川氏の臣、神尾忠重と結婚したが、1577年(天正5)、一子を抱えて寡婦となる。2年後、家康に仕え、阿茶局と称した。しばしば戦場にも従い、1584年の小牧長久手の戦いの際には戦場で流産した。才知に優れ
淀殿(淀・茶々)(国史大辞典)
豊臣秀吉の側室、秀頼の母。父は近江浅井郡小谷城主浅井長政。母は織田信長の妹お市の方。長女として小谷城で生まれた。幼名はお茶々。正確な生年月日は不明であるが、『翁草』によって生年を永禄十年(一五六七)とする説がある。天正元年(一五七三)信長に包囲された小谷城から母に伴われて
高台院(北政所・寧々)(国史大辞典)
豊臣秀吉の夫人。北政所といわれた。天文十八年(一五四九)生まれる。尾張の杉原助左衛門定利の次女で、幼名はねね(禰々)。のち一時吉子と称したこともあるが、『(備中足守)木下家譜』その他の文書には寧子とある。叔母の嫁ぎ先である尾張津島の浅野又右衛門尉長勝に養われ
大谷吉継(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。永禄二年(一五五九)に生まれる。父は豊後の国主大友宗麟の家臣大谷盛治であるといわれている。はじめ紀之介と称し、のち吉継と改めた。豊臣秀吉に近侍して信任を受け、天正十三年(一五八五)七月、従五位下刑部少輔に叙任された。賤ヶ岳の戦に軍功をあらわし
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
石田三成(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、はじめ三也と名乗る。永禄三年(一五六〇)近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)に生まれる。父は隠岐守正継。長浜城主であった羽柴秀吉にその俊敏さを認められ、年少のころから近侍として仕えた。秀吉の中国征伐・山崎の戦にも従い
加藤清正(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。秀吉「子飼い」の肥後熊本の大名。尾張国愛智郡中村(名古屋市)の生まれ。幼名夜叉丸、元服後は虎之助清正と改名。幼少時より豊臣秀吉に仕える。1580年(天正8)播磨国神東郡(兵庫県神崎郡)120石を給せられ、翌年の鳥取城攻め
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田氏(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国以来信濃国(長野県)に根拠を有した武士の一族。発祥地は信濃国小県郡真田(上田市)で、海野氏より出たとされる。天文年間(1532~55)、幸隆が甲斐武田氏に属し、信濃侵攻に参加したことにより勢力を伸ばし、武田氏の末期から上野北部に侵攻し
STAP細胞問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
体の細胞を、弱酸性の液につけるなど外から刺激を加えるだけで、受精卵のときのような、体中のあらゆる細胞に分化できる状態に変えることができたという研究論文が、虚偽であり不正であったことが発覚し、日本の生命科学研究の信頼性を揺るがす大事件になった問題
ニュートリノ(日本大百科全書(ニッポニカ))
素粒子の一つ。電荷をもたず、強い相互作用をしないので中性微子ともいう。スピン1/2でフェルミ‐ディラック統計に従う粒子である。名称の由来は中性のものという意味である。素粒子は、強い相互作用をするハドロンと、それをしないレプトン(軽粒子)、相互作用を媒介する媒介子
診療報酬(日本大百科全書(ニッポニカ))
診療所や病院または薬局が行った医療サービスに対する報酬。公的医療保険のもとでは、病院、診療所、薬局などの保険医療機関が保険診療(診療、検査、投薬など)を行った場合に、その対価として保険者から医療機関に支払われる法定の報酬をいう。この診療報酬は一般に
ニウエ(日本大百科全書(ニッポニカ))
ニュージーランドの北東2400キロメートル、トンガの東480キロメートル、サモアの南東560キロメートルにあるポリネシアの単島国家。グリニジ時より11時間遅い。国土面積260平方キロメートル、ほぼ楕円形の島の周回道路は67キロメートルで、隆起サンゴ礁島としては世界でもっとも大きな島の一つに数えられる
暮しの手帖(改訂新版・世界大百科事典)
花森安治(1911-78)が設立した衣裳研究所,のち暮しの手帖社から刊行されている隔月刊の婦人家庭雑誌。1948年9月《美しい暮しの手帖》という誌名で創刊。54年3月から《暮しの手帖》と改称されたが,〈暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して〉行おうとする編集方針は当初より一貫している
花森安治(日本大百科全書(ニッポニカ))
ジャーナリスト。明治44年10月25日神戸市に生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学新聞』で活躍し、新聞のレイアウトに異才を発揮した。1940年(昭和15)大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対する厳しい反省を基礎に
大橋鎮子(日本人名大辞典)
昭和後期-平成時代の出版経営者。大正9年3月10日生まれ。日本読書新聞勤務をへて,昭和21年女性に役だつ出版をめざし,花森安治らと衣裳研究所(のち暮しの手帖社)を設立して社長となり,シリーズ「スタイルブック」をだす。23年「美しい暮しの手帖」(28年「暮しの手帖」と改称)を創刊し
函館(日本大百科全書(ニッポニカ))
北海道南西部にある市。渡島半島の南東部にあたる亀田半島に位置し、南は津軽海峡に臨み、西には函館湾をいだく。道南の政治、経済、文化の中心地であり、渡島総合振興局が置かれている。初めウスケシ(アイヌ語で湾の端の意)とよばれていたが、1454年(享徳3)ごろ
茶臼山(日本歴史地名大系)
[現]天王寺区茶臼山町 四天王寺南西、天王寺公園のなかにある比高約八メートルほどの小丘。茶磨山(摂陽群談)・茶磑山(摂津名所図会大成)とも書く。東面して三段築成された前方後円墳とみられ、西側から南側にかけてめぐる河底かわぞこ池は周濠の遺構と推定されている。全長約二〇〇メートルで
上杉景勝(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代・江戸初期の大名。上杉謙信の養子。初名は卯松、喜平次、顕景。実父は越後坂戸城(新潟県南魚沼市)の城主長尾政景で、母は謙信の姉。父の死後謙信に養われ、1575年(天正3)春日山城の中城で上杉弾正少弼景勝となる。78年謙信の死後、もう1人の養子上杉三郎景虎
上田市(日本大百科全書(ニッポニカ))
長野県中東部、上田盆地の中心都市。千曲川中流に位置し、1919年(大正8)市制施行。1921年城下村、1954年(昭和29)塩尻村、川辺村、1956年神川村、泉田村、1957年神科村、1958年豊殿村、1970年塩田町、1973年川西村を編入。上田盆地の大部分が市域になった。2006年(平成18)小県郡丸子町
パワーエレクトロニクス(日本大百科全書(ニッポニカ))
高電圧、大電流の電力を扱うエレクトロニクス。これに対して、電子回路やコンピュータでおもに信号を扱うエレクトロニクス分野をマイクロエレクトロニクスと区別することがある。電気エネルギーを利用するためには、電力を制御してエネルギー変換機器を調節することが行われる
代理出産(日本大百科全書(ニッポニカ))
生まれた子を引き取り、自分の子として育てる目的で、第三者の女性に妊娠し出産してもらう行為。そうした慣行はさまざまな社会で古くからあるが、現在は、体外受精などの生殖技術を介して行うものに限っていうのが普通である。代理母、代理懐胎ともいう
ネコ(猫)(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には哺乳綱食肉目ネコ科に属する動物の総称で、狭義には家畜化されたイエネコFelis atusをさす。普通、欧米では前者の、日本では後者の意味で用いられることが多い。ネコ科の動物は肉食性で、食肉目のなかで、獲物をとらえるのにもっとも高度に特殊化している
七夕(日本大百科全書(ニッポニカ))
7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭、星祭などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている
高齢化社会(日本大百科全書(ニッポニカ))
総人口に占める高齢者人口の割合が高まっていく社会をいう。一般的に人口統計では、高齢者を65歳以上と定義することが多いが、60歳以上を高齢者とする場合もある。本項では65歳以上を高齢者として述べる。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)によって社会の高齢化の程度を表す
サッカー(改訂新版・世界大百科事典)
11人ずつの二つのチームが,手以外を使って,互いにボールを相手ゴールに入れ合うスポーツ。正式名称はアソシエーションフットボールassociation football。英語圏外の多くの国では,フットボールの名で一般的に呼ばれている。アソシエーションフットボールとは,1863年イングランドで
霜降(日本国語大辞典)
(1)霜のおりること。《季・冬》(2)霜のふりかかったように、細かく白い斑点のある羽毛。*半井本保元物語〔1220頃か〕上・新院御所各門々固めの事「山鳥鵠の霜ふりはぎ合たるに」*源平盛衰記〔14C前〕四三・源平侍遠矢事「切府に鵠の霜降破り合はせて矯めたる征矢一手取り添へて」
多文化主義(日本大百科全書(ニッポニカ))
異なる民族(エスニック集団を含む)の文化を等しく尊重し、異なる民族の共存を積極的に図っていこうとする思想、運動、政策。ここでいう文化とは高尚な芸術だけをさすのではなく、人々の生活の様式全体をさしている。それは言語、文字、宗教、教育、育児、祭り、食習慣、着物、家屋、行儀、風習
太宰治(日本大百科全書(ニッポニカ))
小説家。本名津島修治。明治42年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現、五所川原市)に生まれる。津島家は新興地主で、貴族院多額納税議員の資格があった。青森中学、弘前高校を経て東京帝国大学仏文科中退。中学時代から同人雑誌を刊行。芥川龍之介の影響から出発したが
織田信長(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として、高知城下本町(高知市本丁筋一丁目)に生まれる
伊勢物語(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安前期の歌物語。別称に『在五が物語』『在五中将の日記』(「在五」は在原氏の五男業平のこと)。内容それぞれの冒頭が「昔、男……」と始まり、その多感な「昔男」の恋愛、友情、流離、別離など多岐にわたる内容が、和歌を中心に語られる小編の物語集。その章段は
日本書紀(国史大辞典)
神代より持統天皇十一年(六九七)八月に至る歴史書。舎人親王ら撰。三十巻、系図一巻(現存せず)。養老四年(七二〇)五月二十一日完成、奏上。書名は、現存の古写本には皆「日本書紀」とあり、この名は『令集解』公式令詔書式所引の古記にもみえるが、完成を記す『続日本紀』の記事には
徳川家康(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
少子化問題(日本大百科全書(ニッポニカ))
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意識の変化に基づくものであるが
夏目漱石(日本大百科全書(ニッポニカ))
小説家。本名金之助。慶応3年1月5日(新暦2月9日)に江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれた。[三好行雄]生い立ち父は同町一帯を支配する名主小兵衛直克、母千枝との5男3女の末子であった。父母晩年の子として疎まれ、生後まもなく里子に出され
ニート(日本大百科全書(ニッポニカ))
仕事につかず、就学もしていないし、就労のための訓練も受けていない人」Not in Employment, Education or Trainingの略称。これは1990年代末にイギリスで生まれた造語である。ニートに近いことばとしてフリーターがあるが、フリーターの場合、就労の意思はあるが、自分の希望する進路と違う等
食育(日本大百科全書(ニッポニカ))
食育とは、いわゆる「食べる」という面からの「食事」や「食材」のことだけでなく、食物をバランスよく食べるためのさまざまな知識を身につけること、食品の選び方を学ぶこと、また食堂、食卓、食器、食具などの食事の環境、そしてそれらを計画すること等といった
秋入学(日本大百科全書(ニッポニカ))
秋に大学に入学する制度。欧米の大学では8割以上が秋入学であり、日本でも一部の大学・学部が導入している。2011年(平成23)、東京大学が大学の入学時期をこれまでの4月から9月に移行する改革案を公表した。その後、2012年3月の報告書で5年後をめどに秋入学に全面移行する
(日本大百科全書(ニッポニカ))
地球のただ一つの自然の衛星。地球にもっとも近い天体である。月の観測には、その性状に関する観測と、運動に関する観測がある。性状に関する観測の歴史は3期に分けて考えられる。第1期は太古から1610年にガリレイが望遠鏡を使って月を観測する前までの期間である
サクラ(桜)(日本大百科全書(ニッポニカ))
バラ科の落葉高木または低木で、おもに北半球の温帯と暖帯に分布する。サクラ属のうち、スモモ、モモ、ウメ、ニワウメ、ウワミズザクラなどの亜属を除いたサクラ亜属のものを一般にサクラと称し、花の美しいものが多く、日本の花の代表として外国にも知られている
白露(日本国語大辞典)
(草木においた露が白く光って見えるところから)露。白く見える露。《季・秋》*万葉集〔8C後〕二〇・四三一二「秋草におく之良都由(シラツユ)のあかずのみあひ見るものを月をし待たむ〈大伴家持〉」*古今和歌集〔905〜914〕春上・二七「浅緑いとよりかけて白露を珠にもぬける春の柳か〈遍昭〉」
小満(日本国語大辞典)
(陰暦の四月中、草木が繁って天地に満ち始める意)二十四気の一つ。立夏の後一五日に来る季節で、陽暦五月二一日頃に当たる。《季・夏》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮
源氏物語(日本大百科全書(ニッポニカ))
平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。正しい呼称は「源氏の物語」で、「光源氏の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もある。後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた
寒露(日本国語大辞典)
(1)晩秋から初冬にかけての露。霜になりそうな冷たい露。*菅家文草〔900頃〕五・重陽後朝
立秋(日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が一三五度のときをいう。新暦八月七日頃に当たり、昔の中国および日本では、この日から秋になるとした。和語では「秋立つ」が用いられる。《季・秋》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮
夏至(日本大百科全書(ニッポニカ))
中国や日本の太陰太陽暦の二十四節気の一つ。太陽が黄道上もっとも北にある夏至点を通過する時刻で、これを含む日が夏至の日である。太陽の視黄経が90度に達するときで、現行暦では6月21日ころにあたる。この日太陽は赤道からもっとも北に離れ
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日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
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