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  11. 懲毖録

懲毖録

ジャパンナレッジで閲覧できる『懲毖録』の東洋文庫のサンプルページ

東洋文庫
懲毖録
ちようひろく
東洋文庫357
柳成竜(リュソンヨン) 朴鐘鳴(パクチョンミョン)訳注
豊臣秀吉軍の侵入をうけた朝鮮は,現代,なお全土に爪痕をのこす惨禍に見舞われた。判断力を失った李朝要人と勝手気侭な明国軍の間にあって,局面打開の任にあたった著者の,苦悩の記録。
1979年07月刊

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懲毖録 全体

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懲毖録 拡大

【目次】
表紙
(扉)
懲毖録序
一 豊臣秀吉の使者来たる
二 日本国使の宗義智
三 わが通信使の日本往来
四 日本の国書を論ずる
五 防備を急ぐ
六 李舜臣の抜擢
七 防備策についての論議
八 申砬将軍の人となり
九 壬辰の倭乱が起こる
一〇 嶺南各城の陥落。河陽軍の悲劇
一一 あわただしい対策。申砬らの急派
一二 金誠一が罪に問われる。金〓の登用
一三 尚州の戦闘。李鎰の敗北
一四 ソウルの守備。都落ちが論議される
一五 申砬が忠州で大敗する
一六 雨中の都落ち。開城への逃避行
一七 賊のソウル侵入。国王が平壌に入る (以上 巻の一)
一八 三道の軍が竜仁で崩れる
一九 申恪の勝利と、その無実の刑死
二〇 臨津江の敗戦
二一 賊兵が咸鏡道に侵入し、二王子が捕えられる
二二 李鎰が追われて平壌へ
二三 明国の使者の来朝。平壌を守備するか棄てるかが論議される
二四 国王が平壌を去る。城の守備状況
二五 賊の平壌侵入
二六 国王が定州、宣川に向かい、民心は乱れる
二七 国王が義州に到着し、明国軍の先鋒至る
二八 明国の救援軍来たる。その軍糧調達の困難
二九 明国軍が平壌城を攻めて敗れる
三〇 李舜臣の活躍
三一 曹好益の忠誠
三二 全羅道での防戦。鄭湛、辺応井らが勇戦する
三三 わが軍が平壌城を攻める
三四 沈惟敬の講和交渉
三五 京畿監司沈垈の死
三六 元豪の働き
三七 権応銖らの永川回復
三八 朴晋の慶州回復 (以上 巻の二)
三九 各地で義兵が決起する
四〇 李鎰が巡辺使となる
四一 間諜の金順良を処断する
四二 平壌城の回復
四三 李蘋が李鎰に代わってふたたび巡辺使となる
四四 明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる
四五 柳成竜の提案は顧みられず
四六 権慄が幸州で大勝する
四七 飢民の救済
四八 沈惟敬の講和策。柳成竜が講和に反対する
四九 ソウルの回復
五〇 晋州が陥る
五一 国王がソウルに帰還し、使者が日本に往来する
五二 李舜臣が逮捕される
五三 明国軍の再度の来援 (以上 巻の三)
五四 元均が敗れ、閑山島の水軍が崩れる
五五 黄石山城の戦い
五六 李舜臣が再起用される
五七 南原城が陥落する
五八 李舜臣がまた活躍する
五九 賊が南方に退く
六〇 島山城の攻撃。明国の将軍たち
六一 最後の決戦。李舜臣が戦死する
六二 李舜臣の人となり
六三 李舜臣の洞察力
録後雑記
六四 壬辰倭乱のきざし
六五 怪異なことども
六六 倭の奸悪巧猾さ
六七 地形利用について
六八 城の守りについて
六九 金士純と晋州城の砲楼のこと
七〇 倭を防禦する策
七一 臨津江の葛の橋
七二 訓錬都監の設置のこと
七三 沈惟敬について (以上 巻の四)
解説
関連地図
裏表紙
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検索ヒット数 17
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検索コンテンツ
1. 懲毖録
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朝鮮,16世紀末の書。著者は柳成竜。壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の過程を,戦争の様相,義兵の活躍,明軍との関係,李舜臣らの人物像などについて,直接の担当者で
2. 懲毖録
東洋文庫
豊臣秀吉軍の侵入をうけた朝鮮は,現代,なお全土に爪痕をのこす惨禍に見舞われた。判断力を失った李朝要人と勝手気侭な明国軍の間にあって,局面打開の任にあたった著者の
3. 懲毖録(著作ID:432202)
新日本古典籍データベース
ちょうひろく 朝鮮/懲毖録 懲毖録序 柳 成竜(りゅう せいりゅう) 著 貝原 益軒(かいばら えきけん) 序 元禄八序
4. 通俗懲毖録(著作ID:1435887)
新日本古典籍データベース
つうぞくちょうひろく 金子 忠福(かねこ ただとみ) 訳 戦記 
5. 後見草(著作ID:50953)
新日本古典籍データベース
のちみぐさ 亀岡石見旧記 古今火災記 明暦懲毖録 亀岡 宗山(かめおか そうざん) 杉田 玄白(すぎた げんぱく) 災異 
6. しょうくん【祖承訓】(Zǔ Chéngxùn
世界人名大辞典
挙げた[93].日本の再度の侵攻に際しては加藤清正を攻撃した[97].勇猛な将軍として人望があった.〖文献〗 懲毖録1.
7. 懲毖録 0ページ
東洋文庫
東洋文庫357 平凡社 懲毖録 柳成竜 朴鐘鳴訳注
8. 懲毖録 1ページ
東洋文庫
懲毖録 柳成竜 朴鐘鳴訳注
9. 懲毖録 309ページ
東洋文庫
故郷慶尚道安東に隠棲し、もっぱら執筆生活を送った。その中から生まれたのが、自省の意味もこめた『懲懲毖録』であった。 死亡したのは、宣祖四十(一六〇七)年五月六日
10. 懲毖録 313ページ
東洋文庫
、著者の子孫、柳承佑氏所蔵にかかる著者自筆本を影印、「朝鮮史料叢刊」の第十一として、『草本懲懲毖録』と名づけて出版した。 『草本』の完成年次を知る手がかりとなる
11. 懲毖録 315ページ
東洋文庫
姜流の日本見聞録である『看羊録』 の拙訳が、「東洋文庫」四四〇として上梓されている。  『懲懲毖録』そのものの翻訳は、すでに一八九四(明治二十七)年、『朝鮮懲髭
12. 懲毖録 316ページ
東洋文庫
寛政八(一七九六)年、「...釜山 鎮 一代官山崎尚長」の撰になるもので(奥書き)、「…予在韓中二朝鮮板ノ懲懲毖録ヲ熟閲シ証書ヲ以 テ」「対州ノ儒員某」の「和解
13. 文禄・慶長の役画像
世界大百科事典
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14. ソンニョン【柳成龍】(Yu Sŏng-ryong
世界人名大辞典
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15. 柳成龍 【ユソニョ/りゅうせいりゅう】 유성룡
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16. 柳成龍
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17. 柳成竜
世界大百科事典
撃退に功績をあげた。98年,戦争終結後,日明講和問題などの責任を問われて免職され,隠棲して《懲毖録(ちようひろく)》を著し,壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の経
「懲毖録」の情報だけではなく、「懲毖録」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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