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  11. 扶桑略記
日本大百科全書・世界大百科事典

日本大百科全書
扶桑略記
ふそうりゃっき

神武(じんむ)天皇から堀河(ほりかわ)天皇までの漢文編年体の歴史書。平安末期の成立で、著者は阿闍梨皇円(あじゃりこうえん)(?―1169)。仏教関係に重点が置かれている。堀河天皇の1094年(嘉保1)で終わっているので、この後に成立したことは確かである。13世紀後半に成立したと考えられている『本朝書籍目録(ほんちょうしょじゃくもくろく)』によれば30巻あったというが、現在は散逸して16巻分のほかに神武から平城(へいぜい)天皇までの抄本を残すのみである。「六国史(りっこくし)」をはじめ寺院関係の古伝などを参考に編纂(へんさん)されたもので出典を明記しているものもある。『純友(すみとも)追討記』を引くなど仏教関係以外の興味ある記事もあるが、概して仏教関係の記事で満ちている。それらは信頼できないところもあるが、出典を明示した引用書で今日失われている貴重な史料もある。しかし史料批判を加えるべきものが多いことは疑えない。著者の皇円は延暦(えんりゃく)寺の功徳院(くどくいん)に居住した天台宗の学僧で、弟子に有名な法然(ほうねん)(源空)がいる。『国史大系』に所収。
[朧谷 寿]



改訂新版・世界大百科事典
扶桑略記
ふそうりゃっき

平安末期の編年体の歴史書。皇円著。巻末が1094年(嘉保1)で終わり,以降の成立である。もと30巻あったと伝えるが,神武天皇から平城天皇までの抄本と,第2~6巻,第20~30巻の16巻が現存している。引用文献は82種に及び,六国史以下の史書や寺院縁起,流記,僧伝などを典拠とし,現在散逸したものも含まれる。記事の大部分は仏教関係で,仏教史として後世まで重視され,《水鏡》《愚管抄》など鎌倉時代の歴史書にしばしば引用され,影響を与えている。現在でも仏教史史料としての価値は高い。著者皇円は比叡山功徳院の学僧で,肥後阿闍梨(あじやり)と称せられ,浄土宗の祖法然の師として知られる。
[西口 順子]

[索引語]
皇円
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1. 扶桑略記
日本大百科全書
神武(じんむ)天皇から堀河(ほりかわ)天皇までの漢文編年体の歴史書。平安末期の成立で、著者は阿闍梨皇円(あじゃりこうえん)(?―1169)。仏教関係に重点が置か ...
2. 扶桑略記
世界大百科事典
平安末期の編年体の歴史書。皇円著。巻末が1094年(嘉保1)で終わり,以降の成立である。もと30巻あったと伝えるが,神武天皇から平城天皇までの抄本と,第2~6巻 ...
3. ふそうりゃっき【扶桑略記】
デジタル大辞泉
歴史書。30巻。皇円著。平安末期の成立。漢文体による神武天皇から堀河天皇に至る間の編年史。仏教関係の記事が主で、16巻分と抄本が現存。  ...
4. ふそうりゃっき[フサウリャクキ]【扶桑略記】
日本国語大辞典
院政期の歴史書。三〇巻。皇円著。嘉保元年(一〇九四)以後の成立。神武天皇から堀河天皇までの通史。仏教史を中心とし、古文献中の記事を抄録し、編年的に集成する。逸文 ...
5. ふそうりゃっき【扶桑略記】
国史大辞典
でのわが国の歴史を、仏教に力点をおきながら略述した私撰の編年体の歴史書。『本朝書籍目録』に「扶桑略記 三十巻 阿闍梨皇円抄」とある。このうち、巻二―六、巻二十― ...
6. あおねがみね【青根ヶ峯】奈良県:吉野郡/吉野町/吉野町
日本歴史地名大系
跡、秋野川中流に「日本霊異記」に出る桃花里の伝承、槇尾川に高算堂、黒滝川辺に「陽勝仙人伝」「扶桑略記」所載の堂原寺、丹生川辺に丹生川上下社など、この山を水源とす ...
7. あか‐もがさ【赤疱瘡】
日本国語大辞典
〔名〕はしかの古称。麻疹(ましん)。あかがさ。いなめがさ。*扶桑略記〔12C初〕万寿二年「自〓夏及 ...
8. 秋山記行・夜職草 5ページ
東洋文庫
の中に平右衛門の名がみえる。本書にいう系図はいま同家に伝わらない。くろこま四黒駒太子の御影『扶桑略記』第三や『水鏡』にある聖徳太子の一物語を画題として描かれた太 ...
9. あこめ‐ぎぬ【衵衣】
日本国語大辞典
同じ。*十巻本和名類聚抄〔934頃〕四「衵 唐韻云衵〈漢語抄云 阿古女岐奴〉女人近身衣也」*扶桑略記〔12C初〕康保三年一〇月七日「小舎人実資著 ...
10. 阿古也聖
日本史年表
 甲申〉 3・23 阿古也聖 、貴賤に勧進して法華経6万9384部を写させ、延暦寺に納める(扶桑略記)。  ...
11. あしもりごう【足守郷】岡山県:備中国/賀陽郡
日本歴史地名大系
首麻呂俵」は当郷からの貢進物の付札であろう。「扶桑略記」寛平八年(八九六)九月二二日条に三善清行の「善家秘記」を引用して、当郷に本拠をもつ富豪賀陽 ...
12. あしゅく‐にょらい【阿〓如来】
日本国語大辞典
「あしゅくぶつ(阿〓仏)」に同じ。*扶桑略記〔12C初〕康平四年一〇月二五日「十月廿五日。供 ...
13. 飛鳥板蓋宮
世界大百科事典
あるのか,疑問視されるに至っている。文献資料によっても,飛鳥板蓋宮の所在地は不分明である。《扶桑略記》は一説云として,飛鳥岡本宮と同地とする説を掲げている。《日 ...
14. あすかかわらのみや【飛鳥川原宮】奈良県:高市郡/明日香村/川原村
日本歴史地名大系
「大和志」は大字飛鳥・岡間にあるとし、「日本書紀通釈」は「日本霊異記」上巻第九に「飛鳥川原板葺宮御宇天皇」、「扶桑略記」皇極天皇元年九月条に「都大和国飛鳥宮、一 ...
15. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
任那四県を百済に割譲513(継体7)百済、五経博士を貢上522(継体16)司馬達等、仏教を伝来〔扶桑略記〕527(継体21)筑紫国造磐井の乱531(継体25)継 ...
16. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
「日本霊異記」上巻三話の道場法師の説話にみえる宝物の鐘堂の鬼頭を出させようとしたが、捜し出せなかったという(扶桑略記)。〔中世・近世〕建久七年(一一九六)雷火の ...
17. あちはやおじんじゃ【阿遅速雄神社】大阪府:大阪市/鶴見区/放出村地図
日本歴史地名大系
たが、朱鳥元年(六八六)熱田神宮へ返納されたという。草薙剣の盗難事件については「日本書紀」「扶桑略記」「熱田宮旧記」などに散見するが、当社の祭神が出雲系の神であ ...
18. 敦明親王
日本史年表
上皇に准じ、小一条院とする(紀略)。 1041年〈長久2 辛巳〉 8・16 小一条院 敦明親王 出家(扶桑略記)。 1051年〈永承6 辛卯〉 1・8 没。  ...
19. 敦良親王・後朱雀天皇・後朱雀上皇
日本史年表
乙酉⑤〉 1・16 後朱雀天皇 譲位、 親仁親王(後冷泉天皇) 受禅、 尊仁親王 を皇太子とする(扶桑略記)。 1045年〈寛徳2 乙酉⑤〉 1・18 没。  ...
20. あなおじ【穴太寺】京都府:亀岡市/穴太村
日本歴史地名大系
当寺が平安時代から知られていたことは、「今昔物語集」「扶桑略記」あるいは「元亨釈書」などにみえる身代り観音の仏教説話でうかがえる。「扶桑略記」が穴穂寺縁起からと ...
21. あわ[あは]【粟・粱】画像
日本国語大辞典
5〕「曲舂は粟で此世をすごすなり」(4)(「あわちらすくに(粟散国)」の略)日本国の異称。「扶桑略記」に、日本国を指して、「東方粟散国」とある。*雑俳・柳多留‐ ...
22. あわしまじんじゃ【淡嶋神社】和歌山県:和歌山市/河北地区/加太村
日本歴史地名大系
誌(和歌山県立図書館蔵)は「懿徳天皇の御宇に此所へ移し奉るよし社人いへり」と異説を述べる。「扶桑略記」は延喜六年(九〇六)二月七日のこととして「授紀伊国粟島神従 ...
23. あわたぐちけいじょうあと【粟田口刑場跡】京都市:東山区/粟田口村
日本歴史地名大系
前九年の役の終わった康平六年(一〇六三)二月、粟田山大谷北丘に安倍貞任ら三人の首級が掲げられたといい(扶桑略記)、天正一〇年(一五八二)六月、山崎合戦に敗れた明 ...
24. あんちん‐ほう【安鎮法】
仏教語大辞典
請じて行う。国家の場合を国鎮、または安鎮国家法、個人の家宅の場合を家鎮、または鎮宅という。 →安鎮 扶桑略記 二九・延久三・七・一九 「於新造内裡令修安鎮法」  ...
25. 安楽寺
日本史年表
建立(最鎮記文)。 1050年〈永承5 庚寅〉 3・‐ 大宰府、筑前国 安楽寺 の焼亡を報告(扶桑略記)。  ...
26. 飯豊青皇女
日本大百科全書
臨朝秉政(みかどまつりごと)」したと記し、その即位を示唆するような表記が記紀に認められる。『扶桑略記(ふそうりゃっき)』や『本朝皇胤紹運録(ほんちょうこういんじ ...
27. いいとよあおのおうじょ【飯豊青皇女】
日本人名大辞典
(顕宗(けんぞう)天皇)が皇位の継承をゆずりあったため,皇女が政(まつりごと)をおこない(「扶桑略記」「紹運録」では女帝とする),同年11月に死去とつたえる。青 ...
28. 飯豊青皇女
世界大百科事典
磨に2王をさがさせたとし,諸伝に混乱がみられる。皇女を《日本書紀》では天皇としていないが,《扶桑略記》では〈飯豊天皇〉とし,中継ぎの女帝としての即位を認めている ...
29. いいとよのあおのおうじょ【飯豊青皇女】
国史大辞典
づくものであろうが、こうした伝承の混乱と後世的政治思想とによって、『扶桑略記』『紹運録』は「飯豊天皇」とし、特に『扶桑略記』は「此天皇不 ...
30. いかん【衣冠】画像
国史大辞典
これは参朝用の束帯の略装であり、束帯を昼装束(ひのしょうぞく)と呼ぶのに対して、宿衣(とのいぎぬ)ともいう。『扶桑略記』に、『村上天皇宸記』を引いて天徳四年(九 ...
31. いがぐん【伊賀郡】
国史大辞典
)命の名にちなみ、「吾娥(あが)郡」と称したのが、のち転じて伊賀になったとの所伝を載せる。『扶桑略記』には、天武天皇九年(六八〇)七月伊勢国四郡を割いて伊賀国を ...
32. いがのくに【伊賀国】画像
国史大辞典
成務天皇のとき、武伊賀都別命を国造に定めたとの所伝がある。伊賀国は古くは伊勢国に属していたとされ、『扶桑略記』によると、天武天皇九年(六八〇)伊勢国の四郡を割い ...
33. い‐こう【已講】
仏教語大辞典
天台宗では天台三会の講師を勤めた者をもいう。法相宗・浄土宗などでは今日も学階の一つとして行われている。 扶桑略記 二九・延久四・一〇・二五 「行幸円宗寺、始修二 ...
34. い‐こん【意根】
仏教語大辞典
根は作用・はたらきをなす力をもつもの、のこと 1 六根の一つ。心によって認識される時の拠り所となる器官。 扶桑略記 二九・延久二・一二・二六 「方起伽藍之一院、 ...
35. い‐しつ[ヰ‥]【遺失】
日本国語大辞典
〔名〕(1)物事を忘れてあとに残すこと。とりおとすこと。忘れること。なくすこと。*扶桑略記〔12C初〕神護景雲三年六月「汝承〓此言 ...
36. いしやまでら【石山寺】滋賀県:大津市/南部地域/寺辺村
日本歴史地名大系
「栗太郡勢多村下一勝地」に建立したのが石山寺で、如意輪観音と執金剛神像を安置したという(東大寺要録)。「扶桑略記」天平二一年一月四日条にもほぼ同じ話を載せるが、 ...
37. いずしよとう【伊豆諸島】東京都:総論地図
日本歴史地名大系
〔古代〕律令時代には伊豆国に属した。伊豆国の成立は天武天皇九年(六八〇)であるとされるが(「扶桑略記」同年七月条)、それ以前から伊豆諸島は「伊豆嶋」として史料上 ...
38. 伊豆国画像
日本大百科全書
れたとあり、『日本書紀』には応神(おうじん)天皇5年伊豆国に軽舟の建造を命じたとある。また『扶桑略記(ふそうりゃっき)』には680年(天武天皇9)駿河(するが) ...
39. 伊豆国
世界大百科事典
れ始めたころには駿河国に属したが,680年(天武9)7月,駿河の2郡を分け伊豆国を置いた(《扶桑略記》)。人口は天平期に1万8000余人,延喜(901-923) ...
40. いずのくに【伊豆国】画像
国史大辞典
れたとされているが、伊豆地方では古式古墳の発見が伝えられていないから、全くの伝承であろう。『扶桑略記』には大化改新後の天武天皇九年(六八〇)駿河国の二郡(賀茂・ ...
41. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
以下に述べる伊豆国成立直前まで伊豆半島が令制下の駿河国と一体の地域だったことを示している。〔伊豆国の成立〕「扶桑略記」天武九年(六八〇)七月条に「別〓駿河二郡 ...
42. いせのくに【伊勢国】画像
国史大辞典
「三重」の地名は、この時日本武尊の足が疲れて三重にまがったというところから出ていると伝える。『扶桑略記』によると、伊賀国四郡は天武天皇九年(六八〇)に伊勢国から ...
43. いそのかみでら【石上寺】
国史大辞典
上寺の良因院に住したことが『扶桑略記』昌泰元年(八九八)十月条や『良峯氏系図』にみえ、『古今和歌集』には素性が「ならのいそのかみ寺」でよんだ歌が出ている。『扶桑 ...
44. いたやかた‐ぶね【板屋形船】
日本国語大辞典
船のうち、板屋形の屋形を設けた船のこと。粗末なものを意味するが、当時はこれが標準的な造り。*扶桑略記〔12C初〕寛治二年二月二四日「有 ...
45. いちこのしょう【市子庄】滋賀県:蒲生郡/蒲生町
日本歴史地名大系
雇い私使を使って、庄家を損亡し神人を禁獄したというもので、為家の遠流、子孫の官職停止を要求し(「扶桑略記」同年八月二二日条)、同月二六日には奈良大衆数千人が春日 ...
46. いちじょういんあと【一条院跡】京都市:上京区/聚楽学区/飛騨殿町地図
日本歴史地名大系
宮大路東、一条大路南の方一町にあて、この場合は小寺町・福大明神町・堀川下之町は含まれない。「扶桑略記」天徳四年(九六〇)五月一〇日条に「中宮移 ...
47. いちじょう‐えんゆう[‥ヱンユウ]【一乗円融】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。一乗真実の教え。それは円融、円満、円頓の教えでもあるから、その一つを取っていったもの。*扶桑略記〔12C初〕康平三年一一月二六日「一乗円融之嶺、開顕 ...
48. いちじょう‐えんゆう【一乗円融】
仏教語大辞典
一乗真実の教え。それは円融・円満・円頓の教えでもあるから、その一つを取っていったもの。 扶桑略記 二九・康平三・一一・二六 「一乗円融之嶺、開顕之花春鮮。五部惣 ...
49. いちじょう‐みょうてん【一乗妙典】
仏教語大辞典
一乗の教えを説いた勝れた真実の経典の意で、『法華経』のこと。 扶桑略記 二三・延喜一五・三・八 「一心一向可転読法華経。其後専致精誠、奉読一乗妙典」  ...
50. 一条院
日本史年表
1043年〈長久4 癸未〉 12・1 一条院 が焼亡、天皇、高陽院に遷り、21日、東三条院に遷る(扶桑略記)。 1055年〈天喜3 乙未〉 6・7 冷泉院 を壊 ...
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