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  11. 養老律令
国史大辞典
養老律令
ようろうりつりょう
律令国家を規制した基本法典。律十巻・令十巻から成る。奈良時代の初め、政界の実力者になった右大臣藤原不比等は、さきにみずから実質上の編纂主任をつとめた『大宝律令』が、用字その他の点で若干の不備があることを考慮し、おそらく孫の首皇子(のちの聖武天皇、母は不比等の女宮子娘)の即位に備えて、その刪定を企図したものとみられる。ここで不比等は、霊亀二年(七一六)に大倭小東人(やまとのおあずまひと、のち大和長岡)を入唐請益生(にっとうしょうやくしょう)に任命、遣唐使につけて唐へ送り込んだ。一方、矢集虫麻呂(やつめのむしまろ)・陽胡真身(やこのむざね)・塩屋吉麻呂・百済人成ら、明法的下級官人たちに命じて、『大宝律令』の問題点を検討させたのである。そして小東人も、養老二年(七一八)十二月十三日に帰京ののち、この改修事業に、その研修し、またたずさえてきた『開元三年令』とその理論とをもって参加したのである。この事業で注目されるのは、『大宝律令』の場合とはちがって、右大臣不比等を除く参加者が、すべて明法的な下級官人であるという事実である。そして彼らへの論功行賞は、不比等が養老四年八月三日に没してから、約一年半を経た養老六年二月に行われた。正六位上矢集虫麻呂と従七位下塩屋吉麻呂とが功田五町、従六位下陽胡真身・従七位上大倭小東人・正八位下百済人成が功田四町を賜わった。なお、『続日本紀』は『養老律令』の成立・奏上などを全く載せていないのであるが、簡単に『続日本紀』編集上の遺落と推測してよいものであろうか。これに関連して成立年代の問題であるが、『続日本紀』天平宝字元年(七五七)十二月条の功田等級決定の記事、『弘仁格式』序、『本朝法家文書目録』などが、いずれも「養老二年」としていることを論拠とする、定説的な養老二年成立説がある。一方で、さきの大倭小東人の帰京年月と養老二年成立との時間的関係、成立から論功行賞までの年月、また『続日本紀』天平宝字元年五月条の『養老律令』施行の勅が、成立を「去養老年中」として、養老二年とは限定していないこと、さらに『大宝令』から『養老令』への具体的な改訂内容をめぐる、いくつかの問題点を検討して、総合的に養老二年未成立を推測する見解がある。そして不比等の死没で頓挫を経ながら、養老五年六月―六年二月まで編修がつづけられ、六年二月に関係者への論功行賞が行われたと推測するのである。次に改修の内容であるが、内容的な基本が変更されたのは、戸令応分条つまり財産相続法が、『大宝令』の嫡子中心主義から、庶子への配慮の方向へ傾斜した方式に改訂されるなど、きわめて少数である。改訂の大部分は、たとえば『大宝令』の官員令・選任令・考仕令が、『養老令』で職員令・選叙令・考課令と改訂されたように、唐令に依拠しながら、字句をより適正なものに改訂することに主力が注がれている。このような字句の改訂は約二百ヵ所にも及んでいる。そして『養老律令』は、成立後約四十年を経た天平宝字元年五月二十日、政界の実権を握っていた藤原仲麻呂が、反対派を圧倒する方策として、孝謙女帝の勅という形で実施に移された。それ以降廃止の法令が出されたことはなく、形式的には明治維新まで基本的な法典であったが、実質的には約一世紀半でその生命を終った。十世紀以降はほとんど形骸化したのである。行政も令外官(りょうげのかん)や格式の制定・施行によって処理されたといえる。藤原不比等の私的な編纂としての性格が濃いとも理解される『養老律令』は、その施行にあたっての本質的な公的性格によって、それなりに長い命脈を保ちつづけた、ということができる。最後に『養老律令』の現状であるが、まず律は、本文・本注は疏を加えたところの律疏の形で知ることができる。律目録・名例律(みょうれいりつ)前半・衛禁律(えごんりつ)後半・職制律・賊盗律・闘訟律の一部が残り、他の大部分も諸文献に引用されたものから復元されている。江戸時代における尾張藩の律令研究家石原正明の『律逸』八巻をはじめ、現代でもその復元の作業がつづけられている。次に令は、『養老令』の公的な注釈書である『令義解(りょうのぎげ)』、および私的な注釈書集成といえる『令集解(りょうのしゅうげ)』の本文および諸説の注釈として伝えられてきた。これらに欠けている倉庫・医疾の二令も、諸文献に引かれている逸文によって、ほぼ再構成されているといってよいであろう。これらの成果を含めて、『律』(『(新訂増補)国史大系』二二)、『令義解』(同)、『令集解』(同二三・二四)、『律令』(『日本思想大系』三)などに収載されている。→大宝律令(たいほうりつりょう),→律令格式(りつりょうきゃくしき)
[参考文献]
滝川政次郎『律令の研究』、野村忠夫『律令政治の諸様相』(『塙選書』六四)、坂本太郎「養老律令の施行について」(『日本古代史の基礎的研究』下所収)、利光三津夫「養老律令の編纂とその政治的背景」(『続律令制とその周辺』所収)、井上光貞「日本律令の成立とその注釈書」(『日本古代思想史の研究』所収)
(野村 忠夫)
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奈良時代(日本大百科全書(ニッポニカ))
奈良(奈良市)に都のあった710年(和銅3)から784年(延暦3)までの74年間をいう。天皇を中心とする政府がここにあったので、地名をとって時代の名称とした。奈良の都の公式の名称は平城京であるが、奈良(那羅、奈羅、乃楽、寧楽、楢などとも書く)とよばれる地にあったので
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遣唐使(日本大百科全書(ニッポニカ))
7世紀から9世紀にかけて日本から唐(618~907)に派遣された公式の使節。630年(舒明天皇2)8月に犬上御田鍬(耜)を派遣したのを最初とし、894年(寛平6)に菅原道真の建議によって停止されるまで、約20回の任命があり、うち16回は実際に渡海している。
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平城京(日本大百科全書(ニッポニカ))
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養老律令(国史大辞典)
律令国家を規制した基本法典。律十巻・令十巻から成る。奈良時代の初め、政界の実力者になった右大臣藤原不比等は、さきにみずから実質上の編纂主任をつとめた『大宝律令』が、用字その他の点で若干の不備があることを考慮し、おそらく孫の首皇子(のちの聖武天皇、母は不比等の女宮子娘)
大化改新(日本大百科全書(ニッポニカ))
645年(大化1)の蘇我氏本宗の打倒に始まる内政改革。同年6月に中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌子(後の藤原鎌足)らを中核にしたクーデターが成功し、権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿父子が打倒された。これを乙巳の変とよぶが、これを発端にして650年(白雉1)ごろまでの
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1. 養老律令
日本大百科全書
日本古代の基本法典。律は名例(みょうれい)、衛禁(えごん)、職制(しきせい)、戸婚、厩庫(きゅうこ)、擅興(せんこう)、賊盗、闘訟、詐偽、雑、捕亡、断獄の12篇 ...
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創造するという目的主義的な場合と,その制定・公布権を自己の皇統に伝えるという個人的な目的による場合とがあり,養老律令は後者の立場から,元明太上天皇と不比等が,文 ...
3. ようろうりつりょう【養老律令】
デジタル大辞泉
養老2年(718)藤原不比等(ふじわらのふひと)らが大宝律令を一部改修して編纂(へんさん)した律・令各10巻の法典。天平宝字元年(757)施行。律の大部分は散逸 ...
4. ようろう‐りつりょう[ヤウラウリツリャウ]【養老律令】
日本国語大辞典
藤原不比等らが「大宝律令」を改修した律と令。養老二年(七一八)に制定とするが、同四年不比等の死などによって、のち作業が打ちきられたとする説もある。律一〇巻、令一 ...
5. ようろうりつりょう【養老律令】
国史大辞典
ての性格が濃いとも理解される『養老律令』は、その施行にあたっての本質的な公的性格によって、それなりに長い命脈を保ちつづけた、ということができる。最後に『養老律令 ...
6. 養老律令(ようろうりつりょう)
古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 84ページ ...
7. 『養老律令』
日本史年表
718年〈養老2 戊午〉 この年 藤原不比等らに律令( 『養老律令』 )各10巻を撰定させる(類聚三代格一序事)。  ...
8. あやべの-まつなが【漢部松長】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の官吏。明法家(みょうぼうか)。養老律令(りつりょう)の注釈書「令義解(りょうのぎげ)」の撰者のひとり。承和(じょうわ)13年(846)弾正 ...
9. 逸文(風土記) 493ページ
日本古典文学全集
甲午条の従五位下叙位記事のみ(続紀)。国守記事も当逸文のみ。上申の公文書。文書様式の規定が『養老律令』(公式令)に載っている(解式条)。元明天皇の和銅六年(七一 ...
10. えいきりつりょう【永〓律令】
国史大辞典
(てんく)条に相当する条文が、大宝令にも存在したことによって、これを推定しうる。また、養老律令がこの律令に基づいていたことは、上述癲 ...
11. 延喜格式
世界大百科事典
養老律令に対する補充法典として編纂された三代格式の一つ。905年(延喜5)編纂開始。格12巻は907年に撰進され,908年に施行されたが,式50巻は編纂に手間ど ...
12. 延喜式
日本大百科全書
養老律令(りつりょう)に対する施行細則を集大成した古代法典。50巻。905年(延喜5)編纂(へんさん)開始、927年(延長5)撰進(せんしん)、967年(康保4 ...
13. 延喜式
世界大百科事典
養老律令に対する施行細則を集大成した古代法典。905年(延喜5)藤原時平ほか11名の委員によって編纂を開始したが,あまり順調に進捗せず,ようやく927年(延長5 ...
14. かいげんりつりょう【開元律令】
国史大辞典
開元三年令であり、この法典は、養老二年(七一八)暮に帰国した遣唐使によって、わが国に伝えられ、養老律令の編纂に際して、参照されたと推定せられる。旧紅葉山文庫本『 ...
15. 火災画像
日本大百科全書
日本書紀』)によると欽明(きんめい)天皇13年(552)の大殿災からである。防火規制としては養老律令(718)の中に倉庫令があり、倉庫(食物庫)の傍には池を造り ...
16. かなき【鉗】
国史大辞典
逸文によれば、「重八両以上、一斤以下、長一尺以上、一尺五寸以下」と定められている。しかるに、養老律令は、鉄製の刑具たる「鉗」の系統に属する「 ...
17. かやく【課役】画像
国史大辞典
手直ししえずに租まで含めてしまった条文(賦役令水旱条)も生じた。天平宝字元年(七五七)施行の『養老律令』では、前者は改訂されたが後者はそのままであった。また両律 ...
18. 官位令
日本大百科全書
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19. がくもん【学問】 : 古代
国史大辞典
と、おそらくこれらより学習したものたちであり、この知識人らによって『浄御原令』『大宝律令』『養老律令』が完成された。天智朝以後とくに大宝以後、唐の学制とほぼ同一 ...
20. 忌服画像
日本大百科全書
た。『日本書紀』天武(てんむ)天皇7年(678)10月の条には、すでに重服の記事がみえる。『養老律令(ようろうりつりょう)』「喪葬令」によると、服の期間について ...
21. きゃくしき【格式】 : 律令格式
国史大辞典
貞観格(じょうがんきゃく),→貞観式(じょうがんしき),→大宝律令(たいほうりつりょう),→養老律令(ようろうりつりょう)  ...
22. きゃくしきのじだい【格式の時代】 : 古代
国史大辞典
〔格式の時代〕 八世紀なかばの『養老律令』の施行を最後として、わが国では律令の制定・施行のことはなく、格式の制定がこれに代わった。いわゆる三代の格式とこれに付 ...
23. きゅうだん【糾弾】
国史大辞典
かかる訴訟手続を糾弾と称する。「糾弾之官」とは、唐闘訟律監臨知有犯法条などより推察するに、『養老律令』においては、弾正台・五衛府などを指示し、職権に基づき、被疑 ...
24. 公家法
世界大百科事典
すなわち,公家法の形成は,法の側面における“国風化”の産物ともいえる。日本の律令は大宝律令,養老律令の編纂によって完成したが,その実際の運用にあたっては固有法の ...
25. 刑事訴訟
世界大百科事典
沿革 日本の刑事訴訟に関する法制は,8世紀における中国法(唐律)の継受に始まる。大宝律令および養老律令は,その時代としては整った刑事手続を定めていた。その後,検 ...
26. けいじょうもん【京城門】
国史大辞典
養老律令』に京城門のことがみえるが、これは唐の制を受けたものである(『唐六典』八)。『令義解』宮衛令には京城門とは羅城門をいうと記している。宮衛令によると、 ...
27. 刑罰
日本大百科全書
倣った中央集権的国家体制が確立し、法律の分野では、大宝律令(たいほうりつりょう)(701)・養老律令(ようろうりつりょう)(718)を中心とする完備した成文法の ...
28. 刑罰
世界大百科事典
。 7世紀後半の天武朝初期に,日本に初めて唐律の五刑の刑罰体系が導入され,8世紀初頭の大宝・養老律令の制定に至って,その確立をみた。律の刑罰は,笞罪(ちざい), ...
29. 刑法
世界大百科事典
やがて,大化の改新により日本の法制は著しく整備され,中国の律令制度とくに唐律を学んで,大宝律令(701),養老律令(757)に代表される成文刑法をもつことになる ...
30. 元正天皇
日本大百科全書
その治世の間の重要な事件として、717年(養老1)遣唐使派遣、718年藤原不比等(ふひと)らによる養老律令編纂(りつりょうへんさん)完了。720年『日本書紀』完 ...
31. 元正天皇
世界大百科事典
亀と改元された。724年(神亀1)2月に首皇子(聖武天皇)に譲位するまでの治世9年の間に,《養老律令》の編纂,隼人の反乱,《日本書紀》の撰進,右大臣藤原不比等や ...
32. げんしょう‐てんのう[ゲンシャウテンワウ]【元正天皇】
日本国語大辞典
日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)。霊亀元年(七一五)即位。養老律令を監修し、三世一身法を発布し、また、按察使(あぜち)を ...
33. げんしょうてんのう【元正天皇】
国史大辞典
同三年十一月美濃国多度山の美泉の効験によって養老と改元した。養老二年(七一八)藤原不比等らによって『養老律令』が撰修され、翌三年六月皇太子首皇子がはじめて朝政を ...
34. げんしょうてんのう【元正天皇】
日本人名大辞典
天武天皇9年生まれ。草壁(くさかべの)皇子の娘。文武天皇の同母姉。母の元明(げんめい)天皇の譲位をうけ即位。「養老律令」を制定し,「日本書紀」を完成させた。按察 ...
35. 後宮画像
世界大百科事典
張ではない。なお東宮にも太子妃を中心に後宮の小規模なものがおかれた。谷川 道雄 日本 大宝・養老律令では後宮を〈ごく〉とよみ,大王(天皇)の后妃(きさき)をいう ...
36. 広告
日本大百科全書
発達していくという点では、昔も今も変わりがない。 日本の広告の起源は、東西両市制度を規定した養老律令(ようろうりつりょう)の『令義解(りょうのぎげ)』(833) ...
37. 功田
世界大百科事典
の乙巳(いつし)の変の勲功による大功・上功のほか,壬申の乱の勲績による上功・中功,大宝律令・養老律令の撰定者に対する下功の功田の賜与等がみられ,功田の面積は10 ...
38. こうでん【功田】
国史大辞典
けである。その他、上功田もあまり例がなく、壬申の乱の功臣が一般に中功田、『大宝律令』および『養老律令』制定の功労者がいずれも下功田を受けているが、これらによって ...
39. 弘仁格式
世界大百科事典
養老律令に対する補充法典として編纂された三代格式の一つ。日本における最初の格式で,桓武朝の803年(延暦22)ころ編纂開始。その後桓武天皇の死によって中絶の後, ...
40. こうにんしき【弘仁式】
国史大辞典
養老律令』に対する補充法典として編纂された三代格式の一つ。四十巻。桓武天皇の命を受けた藤原内麻呂・菅野真道らによって延暦二十年(八〇一)代の前半に編纂を開始 ...
41. こだい【古代】画像
国史大辞典
、翌二年施行。(四)『養老律令』 養老二年(七一八)編纂開始、二、三年後に一応完成、天平宝字元年(七五七)施行。しかし、このうち『近江令』や『浄御原律』の存否や ...
42. こだいたいかのかいしんいご【古代―大化改新以後―】 : 法
国史大辞典
始まり、『浄御原令』(『天武令』)、『大宝律令』および『養老律令』と前後四回行われたが、現存するのは養老二年(七一八)完成の『養老律令』である。律令は、儒教的な ...
43. 古代法
世界大百科事典
その後718年(養老2)ころ,大宝律令を修訂した養老律令が編纂され,757年(天平宝字1)に施行された。大宝律令が施行されたのはこのように短期間であったが,養老 ...
44. 五刑
世界大百科事典
3等),死(絞,斬の2等)という5種類20等の刑罰をいう。滋賀 秀三 日本 日本古代の大宝・養老律令に継受された五刑は,唐律の流の区分を近,中,遠とするほかは, ...
45. 刪定律令
日本大百科全書
きび)と、養老(ようろう)律令の編集にあずかったことのある大和長岡(やまとのながおか)らが、養老律令中の24条について、字句を改正し、前後の矛盾を手直ししたもの ...
46. 刪定律令
世界大百科事典
の刪定律令は24条という限られた条文についてではあるが,養老律令の条文そのものを修訂したものと推定される。もともと大宝律令にも養老律令にも,条文相互に矛盾する規 ...
47. 三代格式
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日本古代の格式の総称。基本法典である養老律令に対する補充法典として,9世紀から10世紀はじめにかけて編纂された弘仁格式,貞観(じようがん)格式,延喜格式をいう。 ...
48. さんていりつりょう【〓定律令】
国史大辞典
養老律令』の条文間の矛盾を除き、不適切な字句を改めるため、刪定を加えた条文二十四条を集めた簡略な法書。神護景雲三年(七六九)吉備真備・大和長岡らによって編纂 ...
49. しおやのこまろ【塩屋古麻呂】
国史大辞典
養老五年(七二一)に従七位下で、明法の学により退朝後に東宮へ拝侍を命ぜられ、また賞賜された。翌六年二月、『養老律令』撰修の功田五町を賜わり、神亀三年(七二六)に ...
50. しおやの-こまろ【塩屋古麻呂】
日本人名大辞典
−? 奈良時代の官吏。養老5年(721)皇太子時代の聖武(しょうむ)天皇の教育係となる。6年養老律令撰修の功により田5haを給付される。明法(みょうぼう)博士, ...
「養老律令」の情報だけではなく、「養老律令」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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