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  11. 村田新八
国史大辞典

村田新八
むらたしんぱち
一八三六 - 七七
幕末・維新期の薩摩藩士。西南戦争の西郷軍幹部。諱は経麿、のち経満。天保七年(一八三六)十一月三日薩摩国鹿児島城下高見馬場において薩摩藩士高橋良中の三男に出生、同藩士村田経典の養子となる。文久二年(一八六二)西郷隆盛の徳之島流罪に連座して鬼界ヶ島に流され、元治元年(一八六四)赦免。西郷に従って国事に奔走し、慶応三年(一八六七)薩摩藩の倒幕論を大村・平戸両藩に遊説、ついで長州藩主毛利敬親父子に謁して行動方針を説明。明治元年(一八六八)戊辰戦争に薩摩藩軍二番隊監軍として奥羽地方を転戦、賞典禄八石。同二年鹿児島常備隊砲兵隊長。同四年西郷の上京、政府入りにあたり、西郷の命をうけて京都の春日潜庵、和歌山の津田出を訪ねて意見聴取。同八月宮内大丞に任ぜられ従五位。岩倉遣外使節団の理事官東久世通禧侍従長の随行を命ぜられ、欧米各国に出張。同七年帰国、西郷の参議辞任を知って辞職、帰郷。篠原国幹らと私学校を設立し砲隊学校を監督。同十年西南戦争にあたり西郷軍の二番大隊長、二月熊本北郊の田原(たばる)、吉次(きちじ)、植木方面の戦線を指揮。四月西郷軍の熊本城攻略失敗で守勢にまわると、西郷とともに人吉(ひとよし)、都城(みやこのじょう)、佐土原(さどわら)、宮崎、延岡、可愛(えの)岳を転戦、九月鹿児島城山に入り、同二十四日政府軍の総攻撃をうけて岩崎谷で戦死。四十二歳。墓所は鹿児島市上竜尾町の南洲墓地。贈従五位。著書『宇留満乃日記』。
[参考文献]
黒竜会編『西南記伝』下二、内閣修史局編『百官履歴』上(『日本史籍協会叢書』)、田尻佐編『贈位諸賢伝』二、『鹿児島県史』三
(毛利 敏彦)
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1. むらた‐しんぱち【村田新八】
デジタル大辞泉
[1836~1877]薩摩藩士。西郷隆盛に従って国事に奔走。西南戦争では薩軍の大隊長として活躍し、城山で戦死した。  ...
2. むらた‐しんぱち【村田新八】
日本国語大辞典
幕末の志士。薩摩藩士。西郷隆盛の腹心として国事に奔走した。明治四年(一八七一)宮内大丞。岩倉遣外使節の随員を務めたが、征韓論で敗れ、鹿児島砲兵学校の監督となった ...
3. むらたしんぱち【村田新八】
国史大辞典
一八三六―七七 幕末・維新期の薩摩藩士。西南戦争の西郷軍幹部。諱は経麿、のち経満。天保七年(一八三六)十一月三日薩摩国鹿児島城下高見馬場において薩摩藩士高橋良 ...
4. むらた-しんぱち【村田新八】
日本人名大辞典
1836−1877 幕末-明治時代の武士,士族。天保(てんぽう)7年11月3日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。西郷隆盛に兄事し,尊攘(そんじょう)運動に活躍。 ...
5. アメリカ彦蔵自伝 2 242ページ
東洋文庫
反徒は三隊〔実際は五隊〕に分けられて、 一隊は村田新八の指揮下にあり、別の一隊は桐野が指揮し、三番目の隊を西郷自身が指揮を取っていたらしい〔上番隊は篠原国幹、二 ...
6. アメリカ彦蔵自伝 2 245ページ
東洋文庫
この人がきっと天皇の位を継ぐことになるであろう。西郷は戦闘中に死んだのではなく、重傷を負っただけであって、村田新八がサムライの礼法の古式にのっとり、その太刀の一 ...
7. いとう-すけかね【伊東祐兼】
日本人名大辞典
明治時代の官吏。宮崎県飯野の区長として教育を推進。明治10年の西南戦争で西郷軍にくわわり,村田新八,岩本平八のもとで活躍したが,敗れて政府軍に捕らえられた。そ ...
8. 桂太郎自伝 62ページ
東洋文庫
振はざるべからずと思ふ折しも、西郷隆盛氏が薩兵八百ばかりを率ゐ、越後松ケ崎に来り、秋田方面の急を聞き、村田新八を春日丸唾鯖に乗せ、秋田の舟川に来らしめて、官軍の ...
9. 加波山事件 民権派激挙の記録 102ページ
東洋文庫
征韓論の政変により下野(七ぺ-ジ注三参照)鹿児島に帰る。西南役直前の情勢において、永山弥一郎や村田新八ら挙兵反対派を押え、西郷をして決起の方向へと導いたのは、武 ...
10. きかいちょう【喜界町】鹿児島県:大島郡
日本歴史地名大系
偲ぶムチャカナ公園、喜界島に降り立ったという天女の遺品などの伝承文化、また芭蕉句碑や遠島となった幕末の志士村田新八の謫居地跡などがある。百之台公園や中西公園から ...
11. きりのとしあき【桐野利秋】
国史大辞典
それに従って辞官し、鹿児島に帰った。かれは、西郷派士族の中心人物となり、同七年六月、同志篠原国幹・村田新八らと私学校を設立し、西郷派士族の教育と団結をはかった。 ...
12. 薩摩反乱記 258ページ
東洋文庫
隊、米倉の政府軍を攻撃し、全滅。政府軍、城山を完全包囲Q城山陥落、西郷隆盛の最期。桐野利秋・村田新八・別府晋介・逸見十郎太・池上四郎・桂四郎ら戦死(西南戦争の終 ...
13. 私学校
日本大百科全書
された。篠原国幹(しのはらくにもと)監督の銃隊学校(旧近衛(このえ)歩兵500~600人)、村田新八(しんぱち)監督の砲隊学校(同砲兵約200人)があり、軍事・ ...
14. 私学校
世界大百科事典
校と砲兵出身者による砲隊学校よりなる。前者は篠原国幹が主宰し生徒数は500~600名,後者は村田新八が監督し生徒数約200名であったという。学課は軍事のほか《春 ...
15. しがっこう【私学校】
国史大辞典
八七四)六月旧厩跡(鹿児島市城山町)に私学校が設立された。設立者は西郷・桐野利秋・篠原国幹・村田新八らであり、西郷は学校に対して形式的にはなんらの名目もなかった ...
16. しがっこうあと【私学校跡】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下
日本歴史地名大系
本校・分校ともに自ら私学校と称してはいない。近衛学校は篠原国幹を中心とし五、六百名、砲兵学校は村田新八を中心に約二〇〇名の集団であった。前掲回顧録によれば、本校 ...
17. しぞくはんらん【士族反乱】画像
国史大辞典
以て今日の政府の救済す可からざるを覚るべし」とその抱負を語り(『桐陰仙譚』)、また西郷隆盛の腹心である村田新八は、「西郷をして首相と為し、其抱負を実行せしむるは ...
18. しぞくはんんらんのほんかくてきてんかい【士族反乱の本格的展開】 : 士族反乱
国史大辞典
以て今日の政府の救済す可からざるを覚るべし」とその抱負を語り(『桐陰仙譚』)、また西郷隆盛の腹心である村田新八は、「西郷をして首相と為し、其抱負を実行せしむるは ...
19. しながわやじろう【品川弥二郎】
国史大辞典
往復して国事に奔走し、倒幕を議した。この間、西郷吉之助(隆盛)・大久保一蔵(利通)・黒田了介(清隆)・村田新八ら薩摩藩の志士たちとも交遊を深めた。明治元年(一八 ...
20. しのはらくにもと【篠原国幹】
国史大辞典
正五位。同十月、明治六年政変で西郷隆盛が下野すると、後を追って鹿児島に帰り、七年、桐野利秋・村田新八らと私学校を設立して監督にあたった。十年、西南戦争に際して西 ...
21. じょうこうみょうじあと【浄光明寺跡】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下/上方限/上竜尾町
日本歴史地名大系
現在寺跡は南洲墓地(浄光明寺墓地)として県指定史跡。明治一〇年の西南戦争で戦死した西郷隆盛をはじめ桐野利秋・村田新八・篠原国幹ら西郷軍二千二三名の墓地となってい ...
22. 西南戦争
日本大百科全書
反政府士族グループの核となった。鹿児島県では、桐野利秋(きりのとしあき)、篠原国幹(しのはらくにもと)、村田新八(むらたしんぱち)らが私学校を組織し、士族の教育 ...
23. せいなんせんそう【西南戦争】
国史大辞典
軍陣地への総攻撃を開始した。午前九時までに西郷軍の各塁はつぎつぎに陥落、西郷隆盛・桐野利秋・村田新八・池上四郎・別府晋介・辺見十郎太ら百六十名が戦死し、ここに半 ...
24. せんきょう【戦況】 : 西南戦争
国史大辞典
軍陣地への総攻撃を開始した。午前九時までに西郷軍の各塁はつぎつぎに陥落、西郷隆盛・桐野利秋・村田新八・池上四郎・別府晋介・辺見十郎太ら百六十名が戦死し、ここに半 ...
25. 大政奉還画像
世界大百科事典
たもので,公議政体路線と討幕派路線とが微妙にからみ合っていた。だから,この薩土盟約は薩摩藩の村田新八をとおしてただちに討幕派の拠点長州藩に報じられたが,長州藩で ...
26. たばるざかのたたかい【田原坂の戦】
国史大辞典
西郷軍の重囲に陥っている熊本鎮台の救出のため、福岡県から南下を開始した。西郷軍は、それを阻止すべく、篠原国幹・村田新八・別府晋介ら指揮下の約一万名を、熊本北郊の ...
27. 塵壷 河井継之助日記 304ページ
東洋文庫
薩には吉井友実があり、長には前原一誠、山田顕義などがあり、最後には西郷隆盛までも、村田新八、西郷従道を従えて来越している。この陣容からも、いかに北越を重視し、ま ...
28. 徳川慶喜公伝 3 213ページ
東洋文庫
当時変名会田春輔)・早川渡(遊撃隊)の三人を選びて随行せしむ。了介・貫治等の伏見に著するや、西郷吉之助・村田新八等来り迎へ、警護して京都に入り、吉之助の僑居に居 ...
29. 徳川慶喜公伝 4 44ページ
東洋文庫
初め薩土二藩の協約成るや、薩藩は暫く其鋒鋩を収め、西郷吉之助の長州行も是が為延期したれば、七月村田新八をして薩土協約の事情を長州に報ぜしむ。然れども大久保一蔵・ ...
30. 徳川慶喜公伝 4 70ページ
東洋文庫
薩藩の出兵に大挙せんと、村田新八を三田尻に遣り、兵船若し著せば暫く同港に抑留せしめ、兵助は世良脩蔵を山口に派して事情を報ぜしむ(大久保利通日記。大久保利通伝所載 ...
31. 徳川慶喜公伝 2 19ページ
東洋文庫
発するに決したり。発するに先ち、令して藩士が浮浪の徒と往来するを禁じ(官武通紀)、大島吉之助・村田新八を先発せしめて、下関に留まらしむ。これ志士を拘束し、長藩の ...
32. 後は昔の記他 林董回顧録 170ページ
東洋文庫
工部省大  島高遠〔任〕、瓜生震、司法省中野健明、岡内重俊、平賀義質、長野某〔文柄〕、宮内省村田新八、  高辻某、香川敬三、此外に、開拓使女学生益田繁(後瓜生夫 ...
33. はんばつ【藩閥】
国史大辞典
信・森有礼(ありのり)らの後進幹部がいた。西郷派には桐野利秋・篠原国幹(くにもと)・桂久武・村田新八らがいたが西南戦争で全滅した。このほかに島津久光を戴く守旧派 ...
34. パークス伝 日本駐在の日々 229ページ
東洋文庫
つくしたと見えます。多くの墓所に、墓を建てようという大がかりな準備がなされつつあります。すでに別府晋介、村田新八などの墓は、りっぱな記念碑とともに建てられました ...
35. 松本順自伝・長与専斎自伝 4ページ
東洋文庫
         133陸奥(宗光)         78村瀬三英          120村田新八          131村橋次郎          142 ...
36. むらた【村田】
デジタル大辞泉
「村田」姓の人物 村田喜代子(むらたきよこ) 村田沙耶香(むらたさやか) 村田珠光(むらたじゅこう) 村田新八(むらたしんぱち) 村田清風(むらたせいふう) 村 ...
37. めいじてんのう【明治天皇】
国史大辞典
化した。学問所では元田永孚・加藤弘之らが侍講として漢学・洋学を講じ、また山岡鉄太郎(鉄舟)・村田新八らが侍従として剣道・乗馬など武術の訓練にあたり、いささかひ弱 ...
38. ヤング・ジャパン 3 横浜と江戸 294ページ
東洋文庫
活発な交戦が進み、装備の悪い反軍は、しかし自信満々で、西郷隆盛、桐野利秋、別府晋介、篠原国幹、山之内、河野、村田新八、その他の冷静で、有能な隊長を擁しているとい ...
39. わんむら【湾村】鹿児島県:大島郡/喜界町
日本歴史地名大系
官記)。中沢家の庭先に文久二年(一八六二)から元治元年(一八六四)まで当地に遠島となっていた村田新八の流謫碑が建っている。明治一六年(一八八三)の黍作地は五三町 ...
40. 1877年〈明治10 丁丑〉
日本史年表
辺見十郎太(29、陸軍軍人)。 別府晋介(31、西郷軍先鋒隊長)。 桐野利秋(40、陸軍少将)。 村田新八(42、鹿児島藩士)。 9・30 大山綱良(53、鹿 ...
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