ジャパンナレッジ
技術教育の先駆者。沼津藩士田辺四友の次男として江戸に生まれ、幼時に同藩士手島右源太の養子となる。アメリカに遊学し(1870~1874)、帰国後、東京開成学校監事、東京教育博物館長、東京図書館主幹を歴任した。その間、フィラデルフィア、パリの万国博覧会に日本代表として出席、その後も内外博覧会に主役を演じた。1890年(明治23)東京職工学校校長に招かれ、以後、同校の後身である東京高等工業学校(現、東京工業大学)の校長を1916年(大正5)まで務め、現場技術者の養成に貢献した。その間、共立女子職業学校の校長を兼ね、30余年女子の職業教育に尽力した。工業教育のみならず、博覧会、博物館などの社会教育事業にとっても先駆者である。