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このついで 堤中納言物語(日本古典文学全集)
〔一〕「起きもせず寝もせで夜をあかしては」と古歌に詠まれた春雨を、中宮が物思わしげに眺めていらっしゃる昼のころ、台盤所にいる女房たちが、「宰相中将様がいらっしゃるのですね。いつものお召し物の薫物のにお
花桜折る少将 堤中納言物語(日本古典文学全集)
〔一〕月の光にだまされて、夜深いころ、もう暁かと起きだしてしまったが、常に似ぬ早帰りをどう思っているだろう、と今別れてきた女の心中が不憫にも思われるけれど、引き返すにも遠い道のり、このまま帰るとしよう
イスラム過激派(日本大百科全書)
イスラム教徒のうち、宗教・政治・経済的目的を達成するため、テロ、殺人、暴力、誘拐などの犯罪的手段に訴える武装グループ。自ら信じるイスラム理想社会の実現のためには大量殺人などの犯罪も辞さず、アメリカ同時多発テロ、パリ同時多発テロ、ベルギー連続テロなどを
アフガニスタン(世界大百科事典)
正式名称=アフガニスタン・イスラム国Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afgānestān, Islamic Republic of Afghanistan 面積=65万2864km 人口(2010)=2449万人 首都=カーブルKābul(日本との時差=-5時間) 主要言語=パシュト語,ペルシア語(ダリー語) 通貨=アフガニAfghani 
廃藩置県(日本大百科全書・世界大百科事典)
1871年(明治4)7月、全国の藩を廃して県を置き、中央集権的統一国家を樹立した政治変革。版籍奉還(はんせきほうかん)後、政府は中央集権化政策を積極的に推進したが、とくに1870年秋から1871年春にかけては、岩倉具視(ともみ)の「建国策」に示される
三条実美(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末・明治前期の公卿(くぎょう)、太政(だじょう)大臣、政治家。幼名福麿。天保(てんぽう)8年2月7日、三条実万(さねつむ)の第4子として生まれる。家格は五摂家(ごせっけ)に次ぐ九清華(きゅうせいが)の一家。1854年(安政1)従(じゅ)五位上に叙せ
江藤新平(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末・維新期の政治家。佐賀の乱の首領。名は胤雄(たねお)、号は南白(なんぱく)。天保(てんぽう)5年2月9日、佐賀藩下級武士の家に生まれる。国学者枝吉神陽(えだよししんよう)に師事、しだいに尊攘(そんじょう)運動に参加し、1862年(文久2)脱藩して
べったら市(日本大百科全書・世界大百科事典)
10月19日(もとは旧暦)東京・日本橋の大伝馬町と小伝馬町を結ぶ街路で開かれる浅漬け大根(べったら漬け)の市。本来は恵比寿講(えびすこう)(20日)のための道具、供え物の塩鯛(だい)、恵比寿大黒(だいこく)の神像などを売る市であったが、のちにべったら
松尾芭蕉(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸前期の俳人。日本近世文学の最盛期をなす元禄(げんろく)期(1688~1704)に活躍した井原西鶴(いはらさいかく)、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)、芭蕉は、それぞれ小説、浄瑠璃(じょうるり)、俳諧(はいかい)の分野を代表する三大文豪として
御会式(日本大百科全書・世界大百科事典)
本来、集会して式を行うという意味であるが、もっぱら日蓮(にちれん)宗で、宗祖日蓮入滅の10月13日を中心に、門下が宗祖を追慕して行う法会(ほうえ)をいう。東京都大田区の池上本門寺(いけがみほんもんじ)の御会式は著名で、とくに12日の逮夜(たいや)には
ハローウィン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本来は聖夜の意味。イギリスでは10月31日の夜、カボチャなどのウリ類をくりぬいて提灯(ちょうちん)をつくり、藁(わら)人形やムギの穂でさまざまの動物をつくり、仮面、仮装して行列し、広場のたき火の周りで歌ったり踊ったりし、最後に人形を燃やす。これは古い
時代祭(日本大百科全書・国史大辞典)
京都市左京区岡崎にある平安神宮の祭礼。桓武(かんむ)天皇が平安京に遷都した日を記念して、10月22日に行われる。平安神宮は桓武天皇を祭神に(のち孝明(こうめい)天皇も合祀(ごうし))、平安奠都(てんと)1100年を記念して1895年(明治28)創建
十三夜(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
陰暦9月13日夜のこと。この日に月見をする慣習があり、8月15日夜の芋(いも)名月に対して豆名月といい、後の月見(あとのつきみ)ともいう。醍醐(だいご)天皇の延喜(えんぎ)19年(919)に、清涼殿で月見の宴を催されたのが九月十三夜の始めといわれて
神有月(日本国語大辞典)
解説・用例【一】〔名〕(陰暦一〇月すなわち神無月(かんなづき)には、日本じゅうの神々が出雲大社に集まるという俗信から)出雲国での、陰暦一〇月の異称。かみあり。神月(かみづき)。神の月。《季・冬》*詞林采葉抄〔1366〕六「抑一天下の神無月を出雲国には
国債(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
国がその経費をまかなうために行う金銭債務をいう。その場合,国債証券を発行するものを狭義の国債,証券の発行を伴わないものを借入金(年度内に償還する条件のものを一時借入金という)という。なお,国債と地方債を総称して公債という。国債の制度国債は償還期限に
長岡京(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
784年(延暦3)から794年まで,山城国乙訓(おとくに)郡(現在の京都府向日(むこう)市,長岡京市,京都市,乙訓郡大山崎町)にあった古代の都城。奈良時代末期の781年(天応1),父光仁天皇からはからずも帝位をゆずられた山部親王(桓武天皇)は,旧都
太政大臣(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
令制における太政官(だいじようかん)の最高の官職で,日本固有の職。和訓では〈おおまつりごとのおおまえつぎみ〉といい,唐名では(大)相国。令では唐の三師(太師,太傅,太保),三公(太尉,司徒,司空)を兼ねる重職と位置づけられ,適任者のない場合には欠員と
恵美押勝の乱(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
奈良時代に恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,早世した長男真従の妻であった粟田諸姉をめあわせた大炊王を淳仁天皇として擁立し,またみずからを恵美押勝と称すること,私的に銭貨を鋳造し出挙(すいこ)を行うこと
律宗(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
中国仏教十三宗の一つ。戒律とくに《四分律》を所依(しよえ)として開宗された。東晋時代に《十誦律》《四分律》《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》などの律部経典が中国に伝訳されると,律に関する研究が盛んとなり,特に《四分律》が北魏の法聡と慧光(468-537
光明皇后(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
奈良前期の聖武天皇の皇后。諱(いみな)は安宿(あすかべ),出家して光明子という。藤原不比等の第三女,母は橘三千代。幼にして聡慧,早くから声誉高かったが,716年(霊亀2)16歳で皇太子首(おびと)皇子の妃となり,翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む
遣渤海使(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
728年(神亀5)から811年(弘仁2)まで約80年余にわたって日本から渤海へ派遣された13回の外交使節。渤海は698年旧高句麗領の大半を拠点とする高句麗人が各地の靺鞨(まつかつ)人を支配下に置く形で自立したが,当初より唐の冊封(さくほう)を受け
三世一身法(世界大百科事典・日本大百科全書)
723年(養老7)に出された墾田についての法令。日本の律令に規定された班田収授法には,墾田の取扱いについての明確な規定がなく,墾田に対する開墾者の権利もはっきりとは認められていなかった。そのため墾田のなかには収公されるものもあり,民間の開墾意欲を減退
遣隋使(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
大和朝廷と中国の王朝との公式な交渉は〈倭の五王〉時代からあった明証が中国の史籍に見いだされる。このころの交渉には多かれ少なかれ,朝鮮半島における外交問題を伴っていたのであるが,562年任那(みまな)(加羅)が新羅のために滅ぼされ,日本は朝鮮半島に
十七条憲法(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
聖徳太子制定と伝える日本最初の成文法。『日本書紀』推古(すいこ)天皇12年(604)4月戊辰(つちのえたつ)条に、初めてその全文が登場する。それによると、「皇太子、親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条を作りたまふ」とある。皇太子とは、聖徳太子をさす
浮世物語(日本古典文学全集)
【現代語訳】一浮世という事「ちょっと古くなりましたが、俗謡の『おかしなものだ、心というのは、自分のものでありながら、少しもままにならぬとは』という歌を、身分ある人も庶民も、男も女も、老人も若者も、みなうたっていま
御伽物語(日本古典文学全集)
【現代語訳】第一荒れ果てた寺を再興した僧の事昔の人で、時を惜しんで、灯を掲げ、夜を昼のように明るくして、続けて過した人がいる。それなのにあなたはなぜ、時を惜しまずお眠りなさるのか。私のような、聞いた片端から忘れる
集外歌仙(日本古典文学全集)
【現代語訳】集外歌仙左嶺の炭竈平常縁立ち昇る煙が立っていなくては、炭竈がそこにあるとも、さあ見てもわからない、峰には白雪が積っていて。煙によってはじめて白雪に蔽われた峰の炭竈が知られるという趣向。古風だが手馴れて
ハギ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
マメ科(APG分類:マメ科)ハギ属の総称。落葉低木または多年草。萩の字があてられているが、中国語の「萩」は元来はキク科のヤマハハコ属植物をさす。茎が木質化して直立し、よく分枝して冬季に枝先のみ枯れるものと、地上部が地際のごく一部を除いてほとんど枯れて
イチジク(日本大百科全書・世界大百科事典)
クワ科(APG分類:クワ科)の落葉小高木。樹高3~4メートル。葉は互生し、有柄で3~7裂する掌状、肉厚く表面はざらつく。枝や葉を切ると白い乳液を出す。葉腋(ようえき)に、花托(かたく)が壺(つぼ)状に肥大し内壁に多数の白色小花を密生したいちじく花序を
ナシ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
バラ科(APG分類:バラ科)ナシ属Pyrusに属する30余種の総称。ユーラシアの主として温帯に分布する。落葉高木ないし低木。花は白色。萼片(がくへん)、花弁ともに5枚を基本とする。雄しべは多数、雌しべは2~5本で基部まで分離する。子房は下位
ブドウ(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
ブドウ科(APG分類:ブドウ科)に属する落葉性つる植物。巻きひげがあり、種によって連続または断続的に葉と対生する。雌雄異株または両性株で、5~6月に房状の花をつける。花弁は5枚ほどで緑色、上部が融合しキャップ状となり、開花が始まると、帽子が脱げるよう
サバ(日本大百科全書・世界大百科事典)
硬骨魚綱スズキ目サバ科サバ亜科のうちサバ族に属する海水魚の総称。世界の熱帯から温帯域内の沿岸部に分布するが、とくに西太平洋からインド洋海域に多産し、この海域ではもっとも重要な漁獲物である。サバ族は2属6種で、サバ属3種とグルクマ属の3種が知られている
明治維新(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕藩制を廃し、中央集権統一国家と資本主義化との出発点を築いた政治的・社会的変革。「明治維新」という歴史学の概念ができる起源は、当時の人が用いた「御一新(ごいっしん)」ということばにある。お上の命令によって世の中が新しくなるという意味である。[遠山茂樹
香港行政長官(日本大百科全書)
中華人民共和国香港特別行政区の首長。1997年7月1日、香港がイギリスから中国に返還された際に、植民地時代の香港総督の役職が廃止されたかわりに設けられたポストである。香港の各業界団体の代表で構成する選挙委員会による間接投票で選出される。任期は5年
大伴金村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
五世紀末から六世紀前半へかけての大和朝廷の有力者。武烈・継体・安閑・宣化朝の大連。大伴談(かたり)の子。磐・咋・狭手彦の父。仁賢天皇の死後、権勢強大な平群氏を滅ぼし、武烈天皇を即位させた。武烈の死後、あとをつぐ皇族がないため、金村は群臣とはかって
武蔵国造の反乱(日本大百科全書)
534年(安閑天皇1)に武蔵地方で起きた地方豪族の反乱。『日本書紀』によると、534年、武蔵国造笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と同族の笠原直小杵(おき)とが、国造の地位をめぐって対立した。笠原直小杵は上毛野(かみつけぬ)(群馬県)地方の豪族上毛野
磐井の乱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
六世紀初めに起った筑紫国造の反乱。『日本書紀』によると、継体天皇二十一年六月、近江毛野臣が六万の軍を率い、任那に赴き、新羅にやぶられた南加羅と己呑(とくことん)を復興しようとした時、かねて反乱を計画して隙をうかがっていた筑紫国造磐井は、毛野臣の軍を
任那(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
朝鮮半島南部の洛東江中・下流域から蟾津江流域に及ぶ古代小国家群の総称。慶尚北道西南部をふくみ、現在の慶尚南道より全羅南道にわたる。『日本書紀』では、「比自・南加羅・・安羅・多羅・卓淳・加羅」の七国(神功紀)、あるいは「加羅・安羅・斯二岐・多羅・卒麻・
昭和時代(世界大百科事典・国史大辞典)
昭和の元号を冠した時代(1926-89)を指すが,明治時代,大正時代のように,ある特定のイメージで語られる時代とはいえない。第2次世界大戦の敗北とその後の改革による変動があまりにも大きく,戦前と戦後とは,まったく違った時代といってもよいほどの大きな
明治時代(国史大辞典・世界大百科事典)
明治元年(一八六八)から同四十五年七月三十日、明治天皇の死により大正と改元されるまでの四十四年間余りの時期をいう。慶応四年(一八六八)が改元で明治元年となったのは九月八日であったが、その年の正月一日以後を明治時代に含めて呼ぶのが普通である。明治天皇の
江戸時代(日本大百科全書・世界大百科事典)
▲範囲と概観厳密には、江戸に幕府が開かれた1603年3月24日(慶長8年2月12日=旧暦)から、1869年4月5日(明治2年2月24日=旧暦)事実上の東京遷都が行われた日までの266年間をさすと考えられるが、一般には1600年の関ヶ原の戦い以降、
戦国時代(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
日本史の時代区分の一つで、室町時代後期と重なり合う。一般的には、応仁元年(一四六七)の応仁の乱から織田信長の入京の永禄十一年(一五六八)、あるいは、信長の将軍足利義昭の追放(室町幕府の滅亡)の天正元年(一五七三)に至る百余年間をいい、室町時代(前期)
徳川家定(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府第13代将軍。12代将軍家慶(いえよし)の第4子。幼名政之助、初め家祥。ペリー来航直後の1853年(嘉永6)7月家督を継ぎ、10月将軍宣下(せんげ)。内外多難であったが、病弱で老中阿部正弘(あべまさひろ)らに政務を一任した。1857年(安政4
徳川家慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一七九三-一八五三江戸幕府第十二代将軍。一八三七―五三在職。寛政五年(一七九三)五月十四日生まれる。十一代将軍家斉の次男。母は側室お楽の方(押田氏、香琳院)。幼名松平敏次郎。同八年十二月家慶と称す。翌九年三月元服して従二位、大納言に任ず。文化六年
徳川家斉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一七七三-一八四一江戸幕府第十一代将軍。一七八六―一八三七在職。安永二年(一七七三)十月五日江戸城一橋屋敷で生まれる。御三卿の一橋治済の長男、母はおとみの方(岩本氏、慈徳院)。徳川豊千代と称したが、天明元年(一七八一)閏五月、十代将軍家治の世子と
徳川家治(日本大百科全書・世界大百科事典)
江戸幕府10代将軍(在位1760~86)。幼名竹千代。9代将軍家重(いえしげ)の長子。母は梅渓(うめたに)氏お幸(こう)。元文(げんぶん)2年5月22日生まれ。1760年(宝暦10)9月に将軍就任。祖父吉宗(よしむね)は家治の幼少時には、不肖の家重に
徳川家継(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一七〇九-一六江戸幕府第七代将軍。一七一二―一六在職。六代将軍家宣の第三子。生母は勝田氏(於喜世、月光院)。宝永六年(一七〇九)七月三日、江戸城内山里の別殿で誕生。幼名世良田鍋松。世良田の称は徳川氏発祥の地、上野国新田郡世良田郷(群馬県新田郡尾島町)
徳川家宣(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一六六二-一七一二江戸幕府第六代将軍。一七〇九―一二在職。甲府宰相徳川綱重の長子。生母は田中氏(於保良、長昌院)。寛文二年(一六六二)四月二十五日、江戸谷中千駄木邸に生まれる。幼名虎松。綱重が正室を迎える前の誕生であったため、憚って家臣の新見正信の子
徳川家綱(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一六四一-八〇江戸幕府第四代将軍。一六五一―八〇在職。三代将軍家光の長子。寛永十八年(一六四一)八月三日生まれる。生母は増山氏おらく(お楽)の方。幼名竹千代。正保元年(一六四四)十一月家綱と名のる。慶安四年(一六五一)四月二十日父家光の死により
ナス(日本大百科全書・世界大百科事典)
ナス科(APG分類:ナス科)の多年草。熱帯では低木状になるが、栽培上は一年草として扱われ、霜にあたれば枯死する。おもにアジアで賞用される果菜で、欧米諸国での栽培は多くない。草丈は早生(わせ)品種で50~60センチメートル、晩生(おくて)品種では
核兵器(日本大百科全書)
核分裂や核融合など、原子核反応によるエネルギーを爆発的に発生させ、大量破壊や殺傷のために用いる兵器。▲核兵器の種類世界最初の核兵器は核分裂兵器で、1945年(昭和20)7月に完成し、8月6日には広島に、9日には長崎に投下され、二つの都市は壊滅した
一休ばなし(日本古典文学全集)
この数年来、栗栖野の片隅に閉じこもって、萩の下枝や篠の葉などを集めてきて、それを葺き並べて、雨漏りのする粗末な庵の漏りを止め、嵐を防ぐ手だてとし、たった一鉢の食物や藜の吸い物をすすって、うつらうつらと
曾我物語(日本古典文学全集)
日本の報恩の合戦、謝徳の闘諍の集並びに序〔一〕そもそも、日域秋津島と申すのは、国常立尊からこの方、天神七代・地神五代、合せて十二代は、神代のこととてさて置く。地神五代の末の御神を、早日且居尊と申しあげ
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