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聖書

ジャパンナレッジで閲覧できる『聖書』の集英社世界文学大事典・世界大百科事典のサンプルページ

デジタル版 集英社世界文学大事典

聖書
[ヘブライ]Tanakh,[ギリシヤ]ta Biblia,
[ラテン]Biblia,[英]the Bible,[フランス]la Bible,
[ドイツ]die Bibel,[ロシア]Библия
イギリス
ユダヤ教およびキリスト教の聖典。人類の歴史において,聖書ほど広く世界に行き渡り,人々の心を深く捉え,その社会・文化あるいは思想の形成に多大な影響を与え,また熱心な研究の対象となってきたものはおそらくないであろう。その意味で,聖書は人類の大いなる遺産,世界の古典といわなければならない。聖書聖書解釈学の助けを借りずに『神曲』や『ファウスト』あるいは『楽園喪失』などの作品を正しく理解することは不可能である。反キリスト教の立場に立つD. H.ロレンスなどの作品においても,聖書は陰に陽にその前提となっている。欧米の文学はもとより,絵画・美術さらには建築の歴史の中にも,聖書あるいはキリスト教は深く根を下ろしている。特に,早くから聖書を民衆の手に与えようとしたプロテスタントの風土——ドイツやイギリスでは,それぞれの近代標準語の成立に聖書翻訳,すなわちルター訳『ドイツ語聖書』(1522−34)や『欽定(きんてい)英訳聖書』(1611)の果たした役割は極めて大きい。しかしその聖書も,最初はパレスチナ地方に住む一民族の宗教文書だったのである。
 聖書はユダヤ教およびキリスト教の聖典であり,信者の信仰と生活に規範を与えるものである。英語のBibleをはじめ,ヨーロッパで広く用いられている聖書を表す語は,ギリシャ語のbibliaにさかのぼる。このbibliaは古代の紙の原料とされたbiblos(エジプトのパピルスの茎の内皮)の指小辞biblion(biblosの細片)の複数形で,本来の意味は〈文字を記したパピルス〉であった。こうして〈書物〉を意味する普通名詞であったbibliaは,やがてta biblia ta hagia(聖なる書物)の略としてta bibliaの形で「聖書」を意味する語となったのである。
 聖書は1人の著者がある時期に書き著した単一の書ではなく,古代イスラエル・ユダの時代から初期キリスト教に至る,1000年を超える長い歴史の間に伝えられた多数の文書に基づき,これを編纂(へんさん)した群書あるいはアンソロジーなのである。さらに,内容的にも歴史,英雄物語,叙事詩,抒情詩,賛歌,格言,譬(たと)え話,預言書,伝記,書簡,神学論,黙示書など多様な文学形式を含み,およそ人間の生活と経験の根本に関わる主題はことごとく取り上げられており,まさにGod's plenty(あり余る豊かさ)といってよい。しかし一方,聖書はこのような多様な主題を扱う多数の文書の集成であるにもかかわらず,これを通読する時,そこに新約・旧約を一貫する一筋の大きな流れ——神の自己啓示,神が被造物の人間に与えた契約とその成就という統一主題が明らかに認められるのである。
聖書の構成〕
 聖書は旧約聖書Old Testamentと新約聖書New Testamentからなる。英語のtestamentは,ここではふつうの意味の〈遺言〉ではなく,〈契約〉の意味である。イスラエル民族とその唯一神ヤハウェとの関係は,シナイ山上でイスラエルの指導者モーセが神から直接与えられた契約に基づくが,最後の晩餐(ばんさん)の時のイエスの言葉「これは契約のわが血なり」(マタイ26:28)とあるように,イエスが十字架の上で流した血によって,神と人との間に〈新しい契約〉が結ばれた。そこで初期のキリスト教会では,イエスの福音を伝える福音書や使徒たちの書簡を新しい契約を啓示するものとして,これを「新約聖書」と呼び,モーセ以来ユダヤ教の聖典とされてきた群書をキリストの福音への道を備えるものとして「旧約聖書」と呼ぶことになった。そして,キリスト教ではこの2つを合わせて聖書の正典canon,すなわち教義の規準,信仰生活の規範を与える権威をもつ聖典としたのである。ちなみに旧約・新約の〈契約〉を表すのに英語でtestamentを用いたのは一種の誤解に起因している。ギリシャ語ではヘブライ語のberith〈約束,契約〉を訳すのにdiathēkēという語を用いたので,「旧約」「新約」はそれぞれpalaia diathēkē,kainē diathēkēと呼んだ。これをラテン語に訳すに当たって,diathēkēに〈契約〉と〈遺言〉の両義があるところから,後者を表すラテン語testamentumを当て,Vetus Testamentum,Novum Testamentumとしてしまい,これが慣用化して英語をはじめヨーロッパの多くの言語でTestamentが用いられることになったのである。
〔旧約聖書の成立と構成〕
 上述のように旧約というのは新約に対して区別した名称であるから,イエスやその弟子たちあるいはパウロのような使徒たちにとって聖書とは「旧約聖書」にほかならず,ユダヤ教では今日でも「旧約聖書」という名称は用いていない。新約聖書の中では「マタイによる福音書」7:12などにみられるように,旧約聖書は〈律法と預言書〉と呼ばれているが,ユダヤ教ではこれを「タナハ」Tanakhと呼んでいる。これは旧約聖書を構成する3部門,すなわち「律法」Torah,「預言書」Nabi͑im,「諸書」K(h)ethubimの頭文字を合わせて作った造語である。律法は旧約聖書の最初の五書,いわゆる〈モーセ五書〉で,「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」からなる。「創世記」は神による天地創造から始まり,アダムとエバの堕罪,カインとアベル,ノアの洪水,バベルの塔などの伝説や,アブラハムに始まる12族長の物語,ヨセフ物語などで構成されている。次の「出エジプト記」から第5の「申命記」(申命とは〈申(かさ)ね命ずる〉の意)までは,イスラエルの指導者モーセのエジプト脱出の事件を軸にして,シナイ山上で神から与えられた契約と律法が記述されている。五書は王国滅亡後バビロンに捕囚となったユダヤ人が編纂(へんさん)し,エズラ,ネヘミヤの時代,前400年ごろユダヤ教の最初の正典(キヤノン)として定められたと考えられる。
 しかし,これらの書の成立には長い複雑な段階があり,そのことはアダムとエバの創造をはじめ,物語の重複・矛盾などから明らかである。「創世記」「出エジプト記」に記された伝承では,神名をヤハウェと呼ぶ〈ヤハウィスト〉Jahwist(略号J),エロヒームと呼ぶ〈エロヒスト〉Elohist(略号E)という異なる資料が用いられ,Jは前10世紀ごろの成立で素朴な民族信仰に貫かれ,Eは前9~前8世紀ごろJに倫理的宗教性を加えるものとして作成された。JとEには法的規定はあまり見られないが,前500年ごろ祭司たちがまとめた〈祭司典〉(略号P)と呼ばれる資料には,明らかに祭儀的事項が重視され組織化が意図されている。さらに,Dと略称される〈申命記史家〉は「申命記」のほか,「ヨシュア記」から「列王記」に至る歴史書の編纂に関わり,単なる歴史記述ではなく,そこには教化・建徳の意図が認められる。
 預言書は〈前の預言者〉と〈後の預言者〉に分かれ,律法と同様バビロン捕囚の時代に編纂され,前3世紀末~前2世紀初めのころ正典化されたと考えられる。〈前の預言者〉には「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記上,下」「列王記上,下」の4歴史書を含む。これらの歴史書を〈前の預言者〉と呼ぶのは,イスラエルでは預言者とは神の言を預(あずか)りこれを民に伝える指導者のことを指し,これらの書の著者がその意味での預言者と考えられたことと共に,預言者の歴史的背景を記したものとして,これらの書が預言書と同じく神的権威をもつと考えられたためであろう。「ヨシュア記」にはモーセの後継者ヨシュアの事跡,「士師記」には旧約最古の作といわれる「デボラの歌」(第5章)をはじめ,各部族の士師に関する記録,「サムエル記」には12部族を導く預言者と考えられたサムエルから油を注がれて王位についたサウルとダビデの物語,「列王記」にはソロモン王以後イスラエル,ユダ両国の滅亡までの王国の記録が収められている。〈後の預言者〉は,三大預言書「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」と十二小預言書と呼ばれる「ホセア書」「ヨエル書」「アモス書」「オバデヤ書」「ヨナ書」「ミカ書」「ナホム書」「ハバクク書」「ゼファニヤ書」「ハガイ書」「ゼカリヤ書」「マラキ書」からなる。歴史書にほかならない〈前の預言者〉に対し,アモスをはじめ高い倫理性をもつ預言者が伝える神の言を記した,真の意味で〈預言書〉と呼ばれるにふさわしいものである。年代的にはバビロン捕囚期(前586−前536)より以前の前760~前750年ごろのアモスに続くホセア,ミカ,イザヤ,ゼファニヤ,ナホム,ハバクク,エレミヤ,捕囚期前後のエゼキエル,「イザヤ書」40~55章に収められた第2イザヤ,捕囚後のハガイ,ゼカリヤ,マラキに分けることができる。このうち「なぐさめよ汝等(なんじら)わが民をなぐさめよ」という力強い言葉に始まる,第2イザヤと呼ばれる不詳の預言詩人は,バビロン捕囚のユダの同胞に対して,ヤハウェの救済による故国帰還の日の近いこと,ヤハウェの救済は義と公正の生活を守る者に約束されることを説いたが,その中に含まれる「僕(しもべ)の歌」,特に「苦難の僕の歌」(52:13−53:12)は,この世における真の救済の業が威厳に満ちた王ではなく,「侮(あなど)られて人にすてられ,悲哀(かなしみ)の人にして病患(なやみ)をしる」僕の贖罪(しよくざい)の苦難によって初めて実現するとしており,いわゆるメシア預言,キリスト教ではイエス・キリストの磔刑(たつけい)の預言と見なされている。
 第1部・第2部の律法・預言書に属さないもの,または捕囚後に書かれたものは「諸書」と呼ばれ,ユダヤ教の正典に加えられたのは紀元後90年ごろとされている。諸書にまとめられたものは,詩文書の「詩編」「箴言(しんげん)」「ヨブ記」,巻物(メギロート)と呼ばれる「雅歌」「ルツ記」「哀歌」「コヘレトの言葉(伝道の書)」「エステル記」および預言書の1つ「ダニエル書」と歴史書「エズラ・ネヘミヤ記」「歴代誌上,下」の11書である。このうち「雅歌」「コヘレトの言葉」「エステル記」は最後までその正典性が議論された。この「雅歌」「コヘレトの言葉」や「詩編」「箴言」「ヨブ記」「ルツ記」は聖書の中でも,文学性の高いものである。
 以上,ユダヤ教の正典としてのヘブライ語旧約聖書の分類・配列は,キリスト教の正典としての旧約聖書の場合と異なるところがある。キリスト教会では,旧約は通例4部に分かれ,律法書(モーセ五書),歴史書(「ヨシュア記」から「列王記」までのほか,「ルツ記」「士師記」「歴代誌」「エズラ記」「ネヘミヤ記」「エステル記」を含む),文学書(「ヨブ記」「詩編」「箴言」「コヘレトの言葉」「雅歌」),預言書(「ダニエル書」を含む)のようになっている。この分類は,前3世紀ギリシャ語に翻訳された旧約聖書,いわゆる『七十人訳聖書に由来する。キリスト教会ではこの『七十人訳』に基づき5世紀初めにラテン語訳聖書『ウルガタ聖書を作り,これがキリスト教会における旧約聖書の分類を決定することになったのである。このような分類・配列におけるユダヤ教とキリスト教の相違は,両者の考え方の相違を反映している。ユダヤ人にとって律法はユダヤ教の根幹をなすばかりでなく,ユダヤ民族の〈古事記〉をなすものであり,「ヨシュア記」から王国滅亡までの歴史は預言書,すなわち預言者によって約束された来るべき歴史と1つにまとめることができる。一方,諸書はバビロン捕囚後のユダヤ教の祭司の視点から歴史を再編纂し,またユダヤ教の祭儀に関わるさまざまな文書を集めている。これに対してキリスト教徒にあっては,モーセ五書と歴史書はいずれもイスラエルの歴史を過去の中に位置づけるものであり,文学書は時間と歴史を超えた普遍的なものとして礼拝に関わり,最後に預言書は来るべきこと——旧約の成就としての新約を指向するものと考えられたのである。
〔新約聖書の構成〕
 新約聖書は前に述べたとおり,イエス・キリストを通じてすべての人々に与えられた救済の契約を核として,まずイエスの言行と救い主(キリスト)イエスがこの世にもたらした神の国の福音を記した四福音書と,通例ルカに帰される「使徒言行録」を置き,次いで伝統的にパウロに帰される14書簡,ヤコブ,ペトロ,ヨハネ,ユダの名を冠するいわゆる〈公同書簡〉7書をまとめ,最後にヨハネに帰される「黙示録」を配している。これらの文書は,いずれも当時地中海世界で広く日常用いられていたコイネー(共通ギリシャ語)で記され,おおよそ紀元後1世紀中ごろから2世紀後半にかけて著されたと推定されるが,正典として公認されたのは,397年のカルタゴ会議である。
 福音書のうち,はじめの3つ「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」(それぞれ「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」と略称)は,互いに共通する部分が多いので〈共観福音書〉という。このうち「マルコ伝」が最も古く,これを基盤にして,「マタイ伝」と「ルカ伝」の両者に共通し「マルコ伝」とは異なる資料(Q資料)と,それぞれに特有なM資料,L資料と呼ばれる資料を用いて,「マタイ伝」と「ルカ伝」が成立したと考えられる。前者ではユダヤ的立場,後者ではヘレニズム的立場から神の子イエスの福音を述べている。共観福音書が紀元70年前後から85年ごろの間に成立したと考えられるのに対して,「ヨハネによる福音書」(「ヨハネ伝」と略称)は,初代教会の基礎が整い始めた紀元100年前後に多くの資料を用い,受肉した神の言(ロゴス)としてのイエスに焦点を置いて神学的意図の下に執筆されたと考えられる。これら4つの福音書の著者については,その書名に見られる古来の伝承は疑わしく,今日では特定し難い。
「使徒言行録」は,「ルカ伝」の著者がエルサレムに始まった福音がローマなどの異邦人世界に及び新しい発展を遂げる事情を,前半はペテロ,後半はパウロを中心に記録している。「ヘブライ人への手紙」とパウロに帰せられた13書簡のうち,〈牧会書簡〉と呼ばれ,教会のあり方など実際的問題を神学的に論じた「テモテへの手紙一,二」「テトスへの手紙」の3書簡はパウロ以外の人物の執筆と考えられ,「エフェソの信徒への手紙」と「テサロニケの信徒への手紙二」もパウロ作が疑問視されることがある。したがって,パウロ作として信憑(しんぴよう)性の高いものは,「ローマの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙一,二」「ガラテヤの信徒への手紙」「フィリピの信徒への手紙」「コロサイの信徒への手紙」「テサロニケの信徒への手紙一」「フィレモンへの手紙」の8書簡である。パウロは小アジアのタルソスに生まれ,〈生粋のユダヤ人〉であると同時に〈生まれながらのローマ市民〉であった。ヘレニズム的教養を身に付けながら熱烈なユダヤ教徒としてパリサイ派に属し,キリスト教徒は律法の権威を軽んじ神殿を冒瀆(ぼうとく)するものとして,キリスト教徒迫害の急先鋒(せんぽう)に立っていたが,エルサレムからダマスコ(ダマスカス)に向かう途上,突如天からの啓示に接して回心の経験をした。その後小アジアからマケドニア,エペソ(エペソス),アテネなどの地中海世界に赴いて異邦人伝道を行い,再三迫害に遭いながらイエスの福音を広く世界に普及させる第一歩を実現した。そのパウロが伝道先で自ら創設した教会と信者に宛てて書いたのが上述のパウロ書簡で,およそ紀元50~60年ごろの執筆と推定される。
 公同書簡は特定の教会あるいは信者ではなく,広く教会・信者のために,紀元80年ごろから150年ごろの間に執筆されたもので,「ヤコブの手紙」「ペトロの手紙一,二」「ヨハネの手紙一,二,三」「ユダの手紙」の7書簡を含む。12使徒の名やイエスの兄弟ユダの名を冠しているが,その信憑性は薄く,おそらく書簡を権威づけるための偽名と考えられる。
 最後の「ヨハネの黙示録」は,ローマの厳しい迫害にさらされていた教会に対して,この世の終末と最後の審判,キリストの再臨の近いことを,比喩(ひゆ)的・幻想的・象徴的な表現で述べ,教会に慰めと警告と希望を与えようとしたものである。著者は伝承の使徒ヨハネとは考え難いが特定されていない。紀元90~100年ごろの執筆と推定される。
聖書の本文と写本〕
 旧約聖書本文は一部断片的なアラム語の部分を除き大部分がヘブライ語で書かれているが,現存する最古の写本は,「イザヤ書」などの一部を除けば9~11世紀初めに作られたマソラ写本である。マソラMassorahはヘブライ語で〈伝承,学者〉を意味し,マソラと呼ばれる学者たちが聖書本文を伝承によって正確に伝えようとしたのにちなむ呼称である。1947年最初に発掘された死海写本は,前2世紀にさかのぼる聖書本文の伝承を明らかにする貴重な資料を含んでいる。失われた原本文を復元するために,前3世紀にヘブライ語から訳された『七十人訳聖書』をはじめ,古ラテン語訳,シリア語のペシタ,アラム語のタルグムその他の古代語訳を援用して本文批評的研究が行われている。新約聖書本文はギリシャ語と考えられるが,パピルス写本・大文字写本・小文字写本として多数の写本が残っている。現存する最古のパピルス写本の断片は紀元125年のライランズ断簡,3世紀前半のチェスター・ビーティ・パピリで,大文字写本ではシナイ写本,ヴァティカン写本が4世紀にさかのぼる。これらの写本をもとに,古ラテン語訳・シリア語訳などの古代語訳や教父の著作にみられる引用文などを参照して本文校訂が行われている。
〔外典・偽典〕
 以上概観した旧約・新約聖書の各書はキリスト教教義の規準・信仰生活の規範を与える正典と見なされているが,これに対して正典の選に漏れはしたが,なお正典に準ずる価値をもち,信仰生活と教化・建徳に有益と考えられるユダヤ教およびキリスト教の文書を〈外典〉あるいは〈経外典〉Apocryphaと呼び,外典に準ずる文書を〈偽書〉Pseudoepigraphaという。これらの文書は聖書正典成立の裏面史をうかがわせるものであり,また歴史書・物語・民間説話・知恵文学・哲学論・黙示文学など多様性に富み,文学的なものも少なくないので,中世以来文学作品などにしばしば引用・言及されている。
 旧約の外典は,紀元90年ごろのヤムニア会議でヘブライ語正典の結集が完結した際に除外され,『七十人訳聖書』や『ウルガタ聖書』に収録されているもので,歴史書に属する「エズラ記一,二」「マカバイ記一,二」,教訓的知恵文学の「知恵の書」「シラ書(集会の書)」,教訓書の「トビト記」「ユディト記」,預言書に属する「バルク書」「エレミヤの手紙」および「ダニエル書」補遺の「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」「スザンナ」「ベルと竜」,「列王記」補遺の「マナセの祈り」が数えられる。このうち「エズラ記二」は『七十人訳』になく,また「マナセの祈り」は『ウルガタ』には欠けている。これらの外典はヘブライ語・アラム語あるいはギリシャ語で,前3世紀から後2世紀初めにかけて成立したと考えられる。
 旧約の偽典は,年代的には外典とほぼ同じ時期に,やはりヘブライ語・アラム語を主とし一部ギリシャ語で書かれており,内容的にも外典と区別し難いので,この2つをまとめて〈典外文書〉と呼ぶこともある。しかし,外典が1書を除きすべてギリシャ語訳で伝えられているのに対して,偽典のほうは一部を除き,ギリシャ語訳ではなくエチオピア語・シリア語などの訳で伝えられ,偽典が特定の地域や集団に受け入れられてきたことを示している。偽典には「ヨベル記」「エノク記」「モーセの被昇天」「マカバイ記三,四」「アリステアスの手紙」などがあるが,その範囲は流動的で随時追加されることがあり,その数については学者の意見も一致しない。1947年以降発掘されている死海写本の中にも偽典に数えられるものがある。
 新約の場合は,正典と認められなかった初期キリスト教会の文書を外典と総称している。その範囲も流動的で,1945~46年に発見されたコプト語の文書群,ナグ・ハマディ文書の中の一部も含まれる。同文書は福音書・使徒言行録・黙示録・書簡などに分けられるが,最も有名なものはイエスの伝承語録にグノーシス的解釈を加えた「トマス福音書」である。新約外典は一般に宗教的価値において正典に劣るけれども,マリア崇拝を主題とする「ヤコブ原福音書」やイエスの黄泉(よみ)下りの話を含む「ニコデモ福音書」などは文学性が豊かであり,中世以降の文学やキリスト教美術に少なからぬ影響を与えている。
〔旧約外典のその後〕
 宗教改革に際して,ルターは旧約外典を正典から区別して付録の形にとどめた。またイギリスでは,1571年議会で承認された〈39カ条〉と呼ばれる宗教要綱の中で,外典について「信仰生活の模範と教化・建徳のために読む」べきものとした。カヴァデイル訳以来『欽定訳』に至る英訳聖書では外典を収録しているが,1625年版の『欽定訳』以降外典は省かれるようになった。1826年には英国聖書協会出版のすべての聖書から外典を除外することが決定され,プロテスタント系の教会ではこの方針が踏襲されることになる。しかし最近は,プロテスタントとカトリックの接近の事情もあり,2つの新しい改訳聖書『改定英語聖書』(1989)と『新改訂標準英訳聖書』(90)では外典を含む版と含まない版の2種類が刊行されている。わが国で1987年に出版された『聖書新共同訳』にも,旧約外典は旧約続編として加えられている。
 一方カトリック教会では,1545~63年のいわゆる対抗宗教改革のために開催されたトリエント公会議において「エズラ記二」と「マナセの祈り」を除く外典に正典としての資格を与えることを決定した。この決定は,その後1869~70年のヴァティカン公会議においても,『ウルガタ』の含むすべての書を正典とすることで確認された。東方正教会も,この問題についてはローマ・カトリック教会に同調する立場をとっている。
聖書解釈史〕
 聖書は霊感によって神から人に伝えられた神の言を記したものと信じられてきたが,聖書の各書も特定の地域で特定の歴史的背景の下に書かれた以上,状況を異にする後の時代に生きる人々がこれをいかに受容すべきか,聖書の言葉の真の意味をいかに導き出すべきか,解釈の基準をどこに求めるべきかという聖書釈義の問題は,初期教会以来繰り返し論じられ,各時代ごとに独自の方法を発達させて今日に至っている。伝統を真ん中に置いて,霊的・神秘的解釈と文献的・歴史的解釈の2つの極を巡って動く聖書釈義の歴史は,キリスト教の歴史,神学の歴史であるとともに,ヨーロッパにおける文学批評の歴史とも密接に関わるものである。
 キリスト教における聖書解釈は,イエス・キリスト自身に始まるが,パウロも78回に及ぶ旧約からの引用の中で,旧約の記事の中に新約,特にイエス・キリストとその救いに対する約束・預言を見いだそうとする予型論的解釈の例をしばしば示しているが,この予型論的解釈は,ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)の間に発達した比喩的解釈法に接近する。比喩的解釈法を組織化して聖書解釈学の歴史を開いたのは,アレクサンドリア学派を代表する3世紀の神学者オリゲネスで,比喩的解釈による霊的意味の発見こそ聖書研究の要(かなめ)であるとした。
 アレクサンドリア学派の比喩的方法に対して,その行き過ぎの危険と濫用の弊害を指摘し,聖書の歴史的・言語学的研究を唱導したのがアンティオキア学派で,ヨアンネス・クリュソストモスとモプスエスティアのテオドロスがこれを代表する。テオドロスはオリゲネスが聖書の字義的意味を無視したこと(実際には無視したわけではなかった)を非難し,旧約のメシア預言でさえもその時代に向けられた言葉として,まず歴史的文脈の中でみなければならず,それをキリストと新約に当てはめるのはその後でなければならないと主張した。
 この両学派の聖書解釈論は西方教会の釈義の伝統の中に受け継がれていく。まず〈聖書解釈における最大の教会博士〉と称されたヒエロニュムスは,初めは比喩的解釈に強く傾いていたが,しだいに字義的・歴史的解釈を強調するようになり,アンティオキア学派の字義的解釈論を後世の教会に伝える橋渡しをすることになった。一方〈西方教会最大の教父〉とされるアウグスティヌスは単なる比喩的解釈に満足せず,比喩的なものと比喩的でないものを区別する包括的な原理・規準を求め,また神学上の著作においてはしだいに字義的解釈を選ぶようになった。アウグスティヌスによれば,事物は比喩によっていっそうたやすく理解されるが,文学作品の美は主としてさまざまな表現の背後に隠れた単純な真理の中に見いだされる。比喩的表現はいかに甘美であってもそれ自体に価値はない。「この殼はその美しい外皮の中で小石に音を立てさせるが,それは豚の餌(えさ)であって,人間の食べ物ではない」という。
 中世を通じて,聖書解釈の意味のレベルに一般的には4つ,ときに7つの意味が考えられた。4つの意味とは,クリュソストモスの弟子であった修道士カッシアヌスによって明確に区別された字義的=歴史的,比喩的,転義的=道徳的,奥義的意味である。「ガラテヤの信徒への手紙」4:22以下に述べられているエルサレムとはカッシアヌスによれば,字義的にはユダヤ人の都を,比喩的にはキリスト教会を,転義的には人間の魂を,奥義的にはすべての人間の母である天上の都を指しているという。
 しかし中世後期になると比喩的解釈はしだいに衰え,字義的解釈が力を得,次の時代への道を備える。ルネサンスはギリシャ・ローマの古典研究とともに,聖書をも一つの人間記録として見直すことを促したが,宗教改革は聖書の字義的意味が唯一の真の意味であることを確認した。ルターは修道士であった時には「すべてのことを比喩的に解釈した」が,1517年ローマ教会と絶縁した後は比喩的解釈を用いなくなったという。「聖書ほど明晰(めいせき)に記された書物はない」からである。聖書は教父の注解や教会の教義によって決定されるのではなく,聖書自体の言葉で理解されると考えたのである。聖書解釈において聖書の自己解釈を主張し,信仰の優位と主観的要素を強調したルターの立場は必然的に神学的たらざるをえず,聖書解釈は神学と密接に結び付くことになる。さらに,この主観的解釈の傾向は,17世紀末からドイツ敬虔(けいけん)主義の〈内なる光〉に導かれた解釈によって主観的偏向の危険をはらみつつも,一方において18世紀以降の聖書の科学的本文批評の発達,19世紀に入っての〈史的イエス〉を巡る信仰と歴史の問題へと発展し,結局聖書解釈における神秘的・信仰的解釈と歴史的・文献的解釈という対立は20世紀に持ち越された。
 現代における聖書解釈学は解釈学的神学を志向しているといわれる。そこでは神学と哲学,福音と文化,信仰と伝統というような対立を巡り,また一般文化の中での新しい解釈学の動向や,文学批評における原型批評構造主義的分析あるいは脱構築理論などとも関連しつつ,容易に定位することはないであろうが,聖書解釈学の方向は,常にその背後にある巨大な聖書解釈史の伝統と無縁になることはないであろう。
(寺澤芳雄)


世界大百科事典

聖書
せいしょ

ユダヤ教,キリスト教の聖典。英語のバイブルBibleなど,西欧語での聖書の呼称はギリシア語のビブリアbibliaに始まる。この語は紙の原料となるパピルスの茎の内皮を指すビブロスbiblosの指小辞ビブリオンbiblion(ビブリアは複数形)に由来し,小冊子や書物の一部という普通名詞であったが,キリスト教会において固有名詞化し,5世紀ごろから聖書全体がビブリアと呼ばれるようになった。聖書はイスラムの聖典コーランのような一人物を通しての天啓の書物とは異なって,古代イスラエル民族と原始キリスト教の長い歴史の流れの中で多くの人々の手になった多様な文書を収めている。聖書は旧約聖書Old Testamentと新約聖書New Testamentから構成されているが,この区別と名称は2世紀になって初期の教会が福音書や書簡などを,イエス・キリストによる〈新しい契約〉を啓示する書物の意味で新約聖書と呼び,ユダヤ教から継承した聖典をこれと区別して〈古い契約〉(《コリント人への第2の手紙》3:14)の意味で旧約聖書と呼ぶようになったことに由来する。イエスをメシア(救世主)とは認めないユダヤ教では,キリスト教会によって旧約聖書と名づけられた文書が唯一の聖典である。

聖書の区分と内容

旧約聖書

旧約聖書はユダヤ教で成立したヘブライ原典では,〈律法(トーラー)〉〈預言者(ネビーイーム)〉〈諸書(ケスービーム)〉に区分され,この順に置かれている。ユダヤ教徒は日常的にはこの聖典を,その3区分の頭文字をとって〈タナハTanakh〉,または読誦を意味する〈ミクラーMiqra’〉と呼んでいる。原典の構成を邦訳聖書での書名で示せば次のようである。

 (1)〈律法〉は《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》の5巻,(2)〈預言者〉はさらに〈前の預言者〉と〈後の預言者〉に区分されて,前者は《ヨシュア記》《士師記》《サムエル記》《列王紀》の4巻,後者は《イザヤ書》《エレミヤ書》《エゼキエル書》〈小預言者〉の4巻で,〈小預言者〉には《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》の12の小預言書が一括して収められている。(3)〈諸書〉には〈真理(エメス)〉の表題の下に,《詩篇》《箴言》《ヨブ記》が,また〈巻物(メギロース)〉の表題の下に,《雅歌》《ルツ記》《哀歌》《伝道の書》《エステル記》が置かれ,さらに表題なしに《ダニエル書》《エズラ・ネヘミヤ記》《歴代志》が置かれる。以上ヘブライ原典は合計24巻より成る。

 ギリシア語訳(《七十人訳聖書》)はヘブライ原典と同じく律法書の優位を認めてこれを冒頭に置いているが,それ以外の部分に原典にはない文書(アポクリファ,後述)を含み,また原典にある書物についても,その配列と区分の仕方が原典とは異なっている。〈諸書〉は分解されて《ルツ記》や《歴代志》などの書物が〈前の預言者〉に加えられた。それによって《ヨシュア記》以下の一群の書物は預言書ではなく,歴史書として編成された。《哀歌》はエレミヤと関係させられ,《ダニエル書》が預言書の仲間入りをし,小預言書は12の書物として独立している。もっとも《七十人訳》の書物の配列は写本によってかなり相違しているが,4世紀の有力な写本(〈バチカン写本〉)では,全体が律法書,歴史書,文学書,預言書の順に4区分されている。

 この区分と書物の編成はラテン語訳聖書(《ウルガタ》)に対応しており,これを経由して近代語訳聖書に受け継がれている。したがって今日の旧約聖書の配列は,(1)〈律法書〉5--《創世記》《出エジプト記》《レビ記》《民数記》《申命記》,(2)〈歴史書〉12--《ヨシュア記》《士師記》《ルツ記》《サムエル記》上・下,《列王紀》上・下,《歴代志》上・下,《エズラ記》《ネヘミヤ記》《エステル記》,(3)〈文学書〉5--《ヨブ記》《詩篇》《箴言》《伝道の書》《雅歌》,(4)〈預言書〉17--《イザヤ書》《エレミヤ書》《哀歌》《エゼキエル書》《ダニエル書》《ホセア書》《ヨエル書》《アモス書》《オバデヤ書》《ヨナ書》《ミカ書》《ナホム書》《ハバクク書》《ゼパニヤ書》《ハガイ書》《ゼカリヤ書》《マラキ書》,合計39巻編成である。

 旧約聖書はイスラエル民族の歴史と歴史把握を根本に据えている。律法書の中心部分に置かれた〈モーセの律法〉の長い記述を別とすれば,《創世記》から《列王紀》下に及ぶ〈律法書〉および〈歴史書〉の内容は,天地創造と人類の展開,アブラハムに始まるイスラエル民族の前史からエジプト下りと脱出,荒野放浪,カナンでの定着,王国の形成と南北の王国への分裂,アッシリアとバビロニアによる両王国の滅亡と捕囚までを扱う大きな歴史叙述である。しかしこの歴史叙述は一般にいう歴史記述ではなく,救済史的な叙述であって,神に反抗する人類とこの民族の歴史の提示である。ことに執筆者たちはこの民族に対する神の選びと契約,この神の導きに対する民族の応答の失敗と再生の道を見つめている。このような歴史叙述を可能にする批判的な人間理解や歴史理解は,国家時代の問題状況や危機の中でヤハウェ主義的知識人たちのうちに形成されて,歴史叙述の諸資料が準備され,執筆された。また捕囚の現実の中で,民族史の反省的回顧が行われて,《申命記》から《列王紀》に至るまでの書物が編集・執筆された。他方,捕囚からの帰還後のユダヤ教団を指導した祭司階級は,生活秩序を儀礼的に確立する律法を整備し,〈律法書〉を完成させた。

 〈預言書〉は,主として国家時代の中ごろから捕囚時代,神殿再建期にかけて個々に活動した預言者たちの発言を個別的に編集したものである。総じてアモスからエレミヤに至るまでの国家時代の預言者たちは,民族の伝統に立って,国家・社会・宗教を批判し主として神の審判を通告した。それに対して第2イザヤ(《イザヤ書》40~55)からゼカリヤに至る捕囚以後の預言者たちは,主として民族に対する終末論的救済を告げた。預言者は総じてイスラエルに独自な神義論を提起し発展させた。ユダヤ教時代には文筆活動が一段と活発化して,預言書への加筆や最終的な編集が行われたばかりでなく,《歴代志》そのほかの〈歴史書〉が執筆された。また信仰者としての個の確立と文芸意識の芽生えに伴って,多様な〈文学書〉が出現した。《詩篇》や《哀歌》などの神賛美や嘆きの歌集,男女の愛を美しく歌う《雅歌》,預言者的神義論を個人の苦難について展開した《ヨブ記》,黙示文学の嚆矢(こうし)となった《ダニエル書》など,それぞれが際だって個性的である。《ダニエル書》は前2世紀中葉のマカベア戦争を前提しており,旧約聖書の中で最も成立の遅い書物である。旧約聖書に収められた書物の多くは民族や個人の危機に際会して書かれている。ユダヤ教団の人々はこれらを会堂(シナゴーグ)で熱心に学び,また一部を礼拝で朗読したり歌うことを通して,困難な状況を生き抜く信仰とともに,民族としてのアイデンティティを確認したのであった。

新約聖書

新約聖書の構成は《七十人訳》にならっており,書物の配列は次のようである。(1)〈福音書〉4--《マタイによる福音書》《マルコによる福音書》《ルカによる福音書》《ヨハネによる福音書》,(2)〈歴史書〉1--《使徒行伝》,(3)〈手紙〉--(a)〈パウロの手紙〉13通--《ローマ人への手紙》《コリント人への第1・第2の手紙》《ガラテヤ人への手紙》《エペソ人への手紙》《ピリピ人への手紙》《コロサイ人への手紙》《テサロニケ人への第1・第2の手紙》《テモテへの第1・第2の手紙》《テトスへの手紙》《ピレモンへの手紙》,(b)《ヘブル人への手紙》,(c)《公同書簡》7通--《ヤコブの手紙》《ペテロの第1・第2の手紙》《ヨハネの第1・第2・第3の手紙》《ユダの手紙》,(4)〈黙示文学〉1--《ヨハネの黙示録》,合計27巻である。なお〈パウロの手紙〉とは,パウロの名が冠せられている手紙の呼称であって,パウロの実際の手紙であることを意味せず,そのうち6通はパウロの弟子たちが書いたと思われる。パウロの手紙であることが疑われないのは,《ローマ人》《コリント人第1・第2》《ガラテヤ人》《ピリピ人》《テサロニケ人第1》《ピレモン》の7通である。そのうち《テサロニケ人第1》の成立が新約文書では最も早く,後50年ころの執筆と推定され,最も遅いのが《ペテロ第2》で,2世紀中葉に書かれたと思われる。旧約聖書が最古の伝承の段階から最終的な成立まで約1000年を要したのに対して,新約文書は約100年の間に地中海東部の沿岸諸地域で執筆された。

 新約聖書の出発点はイエスである。イエスは後30年前後の数年間に,義と愛による神の支配について人々に語り,正統的ユダヤ教の律法主義を批判した。イエスの死後弟子たちは,かなりの間記憶と想起によってイエスの言葉と業(わざ)とを語りつつ伝道した。やがて信頼できる口伝が記述されるようになり,イエスの召命から死と復活にいたるまでの言行を叙述する福音書が60年代から90年代の終りまでの間に書かれた。福音書はイエスの教えや活動の客観的で伝記的な叙述を意図してはいない。むしろイエスの言行の文書化の過程は,イエス解釈の過程であった。〈イエス・キリスト〉という語り方自体が,メシア(キリスト)としてのイエス理解を示している。福音書や《使徒行伝》を成立させた初期の信徒たちにおいては,地上のイエスと復活して天に挙げられたキリストは同一視されている。彼らは権威のあった旧約聖書を活用しつつ,イエスの誕生,伝道,受難,死,復活,弟子たちへの顕現,教会の出現,教会の主なるキリストの来臨と審判などの一連の事柄を意義づけた。

 〈パウロの手紙〉もその焦点をイエスの十字架での死と復活および来臨に合わせている。パウロは律法主義者と対決し,キリストの死を人類の罪のゆるしとみなし,信仰による義を強調した。〈パウロの手紙〉は公開を目的として書かれたものではなかったが,内容の重要さのゆえに教会の間で交換され,写しが作られてしだいにまとめられた。〈パウロの手紙〉の圧倒的な影響の下に,彼の弟子たちの手紙や《ヘブル人への手紙》,そして《公同書簡》がいわば手紙形式のエッセーとして書かれたが,パウロの弟子たちの手紙は信仰の先達を手本とする生活の堅持を通しての教会形成を目ざしており,《ヘブル人への手紙》は大祭司キリスト論を展開する説教を試みるなど,それぞれ強調点がパウロとは違っている。《ヨハネの黙示録》は差し迫った終末のできごとについて,イエスを通しての黙示を伝える形で,信徒を圧迫する悪魔的なローマ帝国が滅びることを象徴的な筆致で述べ,信徒に道を開くキリストの死と勝利の意義を諸教会に説いて励ましを与えている。このように新約聖書の諸文書は,初期のキリスト教会においてさまざまに形成された伝承に基づいて,それぞれのイエス理解と福音の喜びとを人々に伝えようとする信仰の証言であった。

聖書の正典化

〈正典(カノン)〉とは信仰,生活,教義に基準を与える権威が教団によって公認された特別の書物のことであり,その他の書物との区別がなされる。ユダヤ教およびキリスト教はこのような正典概念を形成し,また維持した。ユダヤ教団では最も重要な〈律法〉は前4世紀中に,続いて〈預言者〉が前3世紀中ごろまでに正典化され,〈諸書〉は一部の書物についての議論を残しつつ前2世紀中にはだいたい公認されたと思われる。ヘブライ原典に属する書物がすべて最終的に正典として公認されたのは,後70~90年にヤムニア(ヤブネ)で開かれたラビたちの会議においてであったと思われる。ローマに対するユダヤ人の反乱(第1次ユダヤ戦争,66-73)は鎮圧され,ユダヤ教団の拠点であったエルサレムとその神殿は破壊されたばかりでなく,ユダヤ人の立入りが禁止された。このような状況に置かれたユダヤ教徒の指導者たちは,唯一依拠すべき正典の最終決定を迫られたのであった。ラビたちはこの会議での正典の決定に伴い,当時キリスト者が使用していた《七十人訳》に含まれている他の文書(アポクリファ)を正典から排除した。キリスト教会ではアポクリファは排除されず,むしろ聖人の功徳などの教義の典拠づけに用いられた。ローマ教会は対抗改革時代にアポクリファを〈第2正典〉として認めた(トリエント公会議,1546)。ギリシア正教会は《トビト書》など一部の書物の正典性を認めていたが(エルサレム主教会議,1672),近年アポクリファの全体を認めた(ギリシア教会会議,1950)。ロシア正教会は未決定である。プロテスタント教会はアポクリファの正典性を認めていないが,その教化的役割は認めてきた。

 新約文書では,まず〈パウロの手紙〉や〈福音書〉が2世紀前半には旧約聖書に近い権威をもつようになり,次いで正典化された。〈パウロの手紙〉以外の書簡もしだいに公認されるようになったが,問題とされた文書もいくつか存した。西方教会ではことに《ヘブル人への手紙》が,東方教会では《ヨハネの黙示録》が認められず,西方教会でこの問題に一応の決着がついたのは,4世紀末になってからであった(ヒッポ会議,393。カルタゴ会議,397)。東方教会が新約文書の全体を公認するまでには,その後も数世紀を要した(コンスタンティノープル会議,692)。新約文書の正典化を促進した重要な動機として挙げられるのは,グノーシス主義者やマルキオンがイエスとパウロの独特な解釈を行い,とくにマルキオンが旧約聖書を排斥して簡略福音書を作成し,独自の排他的な正典を制定したことであった。

本文と写本

旧約聖書は一部(《ダニエル書》2:4~7:28,《エズラ記》4:8~6:18,7:12~7:26,《創世記》31:47,《エレミヤ書》10:11)のアラム語で書かれた個所を除いて,ヘブライ語で書かれている。新約聖書はヘレニズム世界の共通語であった民衆のギリシア語(コイネー)で書かれている。旧約聖書の本文はセム語の通例で子音字だけで書かれていたので,ヘブライ語が死語になってからは正しい読み方を示すくふうがなされ,6世紀ごろから10世紀にかけて,マソラ(伝承)学者によって母音を指示する字外音標つきの校訂本文が作成された。字外音標の方式は複雑に発達したが,その後に継承された〈マソラ本文〉はパレスティナのティベリアスを中心とする西方マソラ学派のものであり,中でもベン・アシェル家の作業による本文(〈ベン・アシェル本〉)が優位を占めた。その系統の完全な本文である〈レニングラード写本〉(1008)およびその4分の1が失われた〈アレッポ写本〉(930ころ)が最近の学問的校訂本の底本として使用されている。なお今日では各種の古代語訳とともに,1947年以後の数年間に死海北西岸のクムラン洞穴などから発見された,前2世紀から後2世紀にさかのぼる〈死海写本〉の読みが本文の校訂や批評のために参照されている。近年の完結したすぐれた学問的校訂本は,キッテル=カーレ編集の《ビブリア・ヘブライカ》(第3版1937,第7版1951)およびこれに代わるエリガー=ルドルフ編集の《ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア》(1967-77)である。

 新約聖書のギリシア語写本のうち,パピルス写本は大部分が断片的ではあるが,3~4世紀のものが最も多く,最古の写本断片は125年と推定される。そのうち〈チェスター・ビーティ・パピリ〉と〈ボードマー・パピリ〉は相当の分量があり,ことに前者はパウロなどの手紙10通の写本(200ころ)を含んでいる。近年の学問的校訂本のウェストコット=ホート版(1881),ネストレ版(1898,第24版1960以降はアーラントの校訂)などの底本として用いられているのは〈大文字写本〉と呼ばれ,アレクサンドリア本文型に属する4世紀の〈シナイ写本〉および〈バチカン写本〉が最も重視されている。〈小文字写本〉は9世紀以降のものである。なお聖書本文の最初の刊本は,ヘブライ原典が《ソンチノ完全聖書》(1488),新約原典がエラスムスの校訂本(1516)である。聖書の各書に対する現在のような章節づけは,16世紀にエティエンヌ(エティエンヌ父子)によってパリで印刷されたギリシア語・ラテン語新約聖書(1551)に始まり,フランス語訳聖書(1553)で旧約聖書にも及び,やがてヘブライ原典にも適用された(1571)。しかしヘブライ原典の章節と近代語訳聖書の章節は一部にずれがある。
[並木 浩一]

聖書の外典と偽典

旧約外典・偽典

〈外典(アポクリファ)〉の原語apokrypha(アポクリュファ)は〈隠されたもの〉を意味するギリシア語である。この言葉は,〈秘義的な教えを記しているゆえに特定の集団の外部に対して隠されるべき書物〉という意味でも用いられたが,やがて〈異端的内容のゆえに排除され隠されるべき書物〉という意味をもつに至った。古代教会においてはapokryphaは後者の意味で〈旧約偽典〉および〈新約外典〉を指すことが多く,〈旧約外典〉は〈教会の書物libri ecclesiastici〉などと呼ばれた。ルターが旧約外典を,〈Apokrypha,すなわち聖書と同様に扱うべきではないが,読んで有益な書物〉という標題とともにそのドイツ語訳聖書に収録して以来,これがプロテスタントの標準的な語法となった。これに対してカトリックは,1546年トリエント公会議において,ルターの外典を正典(正確には第2正典)とみなす立場を再確認した。その際,《第1・第4エズラ書》と《マナセの祈り》は,《ウルガタ》の〈補遺〉として巻末に別置され,正典から除かれた。

 旧約外典は,ほぼ《七十人訳聖書》にあってヘブライ語旧約聖書に含まれなかった文書と一致する。それらは,(1)歴史・伝説--《第1・第2マカベア書》《第1エズラ書》《ユディト書》《ダニエル書への付加》《エステル記への付加》,(2)教訓的説話文学--《トビト書》,(3)知恵と教え--《ソロモンの知恵》《ベン・シラの知恵》《バルク書》《エレミヤの手紙》,(4)祈り--《マナセの祈り》,以上である。《七十人訳》に含まれる《第3・第4マカベア書》と《ソロモンの詩篇》は,普通偽典に数えられる。〈パレスティナをも含むヘレニズム世界において,前2世紀ごろから後1世紀ごろにかけて成立したユダヤ教文書で,ユダヤ教の正典(ヘブライ語旧約聖書)からは排除されたが,キリスト教会によって受け入れられ愛好されてきた文書〉というのが,旧約外典のおおまかな定義といえるであろう。

 これに対して旧約偽典は〈正典にも外典にも属さない,ヘレニズム時代のユダヤ教文書〉(いわゆるラビ文献は除く)を指す。偽典は外典と,成立年代,地域,原語,いずれも区別はない。いずれもその大部分の原語はヘブライ語ないしアラム語,一部がギリシア語である。しかし外典がすべてギリシア語(一部ヘブライ語)で伝えられてきたのに対して,偽典はその一部のみがギリシア語で,他はエチオピア語,シリア語,古代教会スラブ語,ラテン語などの訳で伝えられており,偽典が特定の地域や集団においてのみ受け入れられていたことがうかがわれる。〈偽典〉の原語であるpseudepigrapha(プセウデピグラファ)は,古代教会においては,〈偽名の書〉つまり,古代イスラエルの著名人の名を著者名に用いた後代の偽書,それゆえ内容上も偽りの誤った教えを含む書物を意味した。近代以降,正典外の古代ユダヤ教文書を外典と偽典に分けるようになり,上述のごとき語法が一般化した。

 旧約偽典のおもなものとして,(1)歴史・伝説--《第3マカベア書》《エレミヤ余録》《預言者の生涯》,(2)教訓的説話--《アリステアスの手紙》《アダムとイブの生涯》《ヨセフとアセナテ》《ヨベル書》《イザヤの殉教》,(3)知恵と教え--《12族長の遺訓》《アブラハムの遺訓》《ヨブの遺訓》《第4マカベア書》,(4)詩歌--《ソロモンの詩篇》,(5)黙示文学--《シビュラの託宣》《エチオピア語エノク書》《スラブ語エノク書》《第4エズラ書》《モーセの遺訓(昇天)》《シリア語・ギリシア語バルク書》などが挙げられる。旧約外典・偽典は,キリスト教の発生の歴史的な理解と解明のために,不可欠の資料である。

新約外典

新約外典は,最終的に正典に入れられなかった古代教会の文書で,内容上あるいは文学形式上正典諸文書に類似し,みずから正典的であることを要求したものを指す(ただし,いわゆる使徒教父文書は別個に取り扱う)。その年代はだいたい後2世紀から5世紀までである。外典は正典の記事を補足・拡充・発展させる傾向をもち,空想的・通俗的な大衆文学の装いをとる場合が多いが,その際異端的教説,特にグノーシス主義的なものが見いだされる場合も多い。新約外典のおもなものは,(1)福音書--《ペテロ福音書》《ニコデモ福音書》《トマス福音書》《ヤコブ原福音書》《ヘブル人福音書》,(2)使徒行伝--《ペテロ行伝》《パウロ行伝》《アンデレ行伝》《トマス行伝》,(3)書簡--《ラオデキア人への手紙》《パウロとコリント人との往復書簡》《セネカとパウロの往復書簡》,(4)黙示文学--《イザヤの昇天》《ペテロ黙示録》《パウロ黙示録》《シビュラの託宣》,(5)詩歌--《ソロモンの頌歌》《ナハシュ派の詩篇》,(6)教え--《ペテロの宣教》などである。外典には,比較的古いイエスの語録伝承が保存されている可能性もある。また新約外典は新約聖書の中に認められる様式類型を拡大する傾向にある。さらに初期キリスト教史研究にとって新約外典は不可欠の資料である。

 ところで,中世以降も多くの〈外典〉が〈発見〉され,あるいは生み出された(《偽マタイ福音書》《マリアの地獄めぐり》など)。これらはキリスト教徒大衆の心情を反映し,芸術などに与えた影響も大きい。外典という言葉はこのように拡大して用いられる場合もある。これらも含めて一般に経外文書の芸術・文学に対する影響は正典に優るとも劣らない。
[土岐 健治]

聖書の翻訳と解釈

古代語訳

聖書の古代語訳とは,近代各国語訳に対して用いられる場合と,旧約の標準本文としてユダヤ教団で伝承されてきた〈マソラ本文〉以外の非マソラ系古代本を含む場合がある。〈サマリア五経〉(あるいは〈サマリア五書〉)は後者の例であり,ヘブライ語の一方言としてのサマリア語で書かれ,ユダヤ教団からサマリア派教団の分離(前2世紀ころ)後,サマリア派教団の権威的正典として伝達されてきたもので,内容としては〈モーセ五書〉に《ヨシュア記》以後の歴史の要約を付したものである。現存写本で最も古いものは後11世紀以後のものであるが,この本文の型が紀元前に由来することは〈死海写本〉断片で確かめられる。

 その他のセム語系の古代語訳としては,アラム語訳とシリア語訳とがあるが,前者は,バビロン捕囚以後ユダヤ教会堂(シナゴーグ)においてヘブライ語聖書朗読後,1節ないし3節ごとに口頭でアラム語に翻訳される習慣に由来し,それを〈タルグムtargum〉(複数形タルグミーム,〈翻訳〉の意)と呼んだ。紀元前すでに書き記し始められ,逐語訳と敷衍(ふえん)訳とが並存した。〈五書〉〈預言者〉〈諸書〉それぞれのタルグミームがあり,現存する最古のものは後2世紀のパレスティナに起源するものである。〈タルグム・オンケロス〉は,敷衍的要素を排した〈五書〉の改訂訳である。〈預言者〉の公認タルグムは〈タルグム・ヨナタン〉といわれる。シリア語訳は,後1~2世紀にパレスティナから東方に持ち込まれ,長期の改訂を経て,〈ペシッタ〉(〈単純〉の意)といわれる公認旧・新約聖書シリア語訳が後5世紀に完成した。このほか,フィロクセヌス版は新約に《詩篇》を付したもの,シロ・パレスティナ聖書と西方アラム語訳は,パレスティナの西方アラム語の方言による訳。新約聖書としてはヘラクレア版(後7世紀)がある。

 インド・ヨーロッパ語系の古代語訳としては,ギリシア語訳とラテン語訳とがある。最古のギリシア語訳である《七十人訳聖書》のほか,前1世紀および後1世紀にそれぞれ《七十人訳》の改訂版が存在したことが〈死海写本〉によって知られ,後1世紀の改訂版が従来のテオドティオン訳と同定されつつある。後2世紀のユダヤ教徒訳としてはアクイラ訳,シュンマコス訳がある。これらとその他のギリシア語訳などを集大成したのがオリゲネスの《ヘクサプラ(六欄聖書)》である(後3世紀)。これらはその後諸地方本によって流布され,後4~5世紀の〈大文字写本〉に結実した。ラテン語訳は,《ウルガタ》に先立って,後2世紀より,ローマ帝国統治下の北アフリカ,イタリア,ガリア,スペインなどに《古ラテン語訳聖書(ウェトゥス・ラティナ)》が広まった。キプリアヌスの著作に最古の引用が残されており,その他の断片とともに現在校訂中である。このほか,コプト語訳は,旧・新約とも後3世紀にさかのぼる。エチオピア語訳は,後4世紀のキリスト教伝道に由来し,旧約は5~8世紀に徐々に,新約は6世紀に翻訳された。
[左近 淑]

東方の諸訳

アルメニア語訳は正確さと写本の多いことで知られている。5世紀前半に修道士メスロプ・マシトツがメソポタミアで神学を学び,そのかたわらアルメニア語の新しい文字体系を考案した。聖書の翻訳は,410年ころからシリア語訳にもとづいて進められ,メスロプ・マシトツとその弟子がこの事業にたずさわった。新約についてはいったん翻訳が完成したのち,正確を期すためにローマにギリシア語写本を求めて改訳したと伝えられる(433ころ)。なお一説によれば,当時のアルメニア教会の首長カトリコスのサハクSahak(イサアクIsaak)がこの事業を後援しただけでなく,みずから翻訳に手をくだしたともいわれる。アルメニア語訳は新・旧約のほか,多数の外典を含む。新約は8世紀までに改訂が行われたが,その原本がシリア語かギリシア語かをめぐって,今なお論争が続いている。アルメニアの隣国で,やはり早くからキリスト教を受け入れ,独自の文字体系を有したグルジアでも,古くから聖書の翻訳が行われたが,その間の経緯は伝わっていない。だがグルジア語訳聖書の最古の写本は9世紀末にさかのぼる。

 スラブ語訳は,マケドニア,ブルガリア,セルビアなど南スラブ,ロシア,ウクライナなど東スラブの民族の文化形成に大きな役割を果たした。現在なお各国の正教会では,中世の翻訳を多少改訂した教会スラブ語の聖書を典礼で用いている。最初の翻訳は〈スラブ人の使徒〉と呼ばれるテッサロニキ出身のギリシア人キュリロスとメトディオスの手になる。二人は9世紀後半,モラビアのスラブ人への布教の目的で,まずスラブ語を表記する文字(グラゴール文字と呼ばれる。しばしば誤ってキリル文字と混同される)を考案し,次いで典礼書と聖書の一部をスラブ語に翻訳した。定本としたのは,当時のビザンティン教会で使用されたギリシア語の日誦用福音書であったと考えられる。このようにして成立したスラブ人のための翻訳言語を古代教会スラブ語と呼ぶが,これは成立の事情からして南のスラブ人の言語の特徴を有するので,古代ブルガリア語または古代マケドニア語の名称も用いられる。新約全体の翻訳はモラビアで完成し,旧約はのちメトディオスによって完訳されたが,同時代の写本は現存しない。キュリロスとメトディオス兄弟の翻訳はその後弟子たちによって手が加えられた。だが11世紀以降の写本で判断するかぎり,翻訳の質は高かったといえよう。
[森安 達也]

近代各国語訳

中世においても,当時ヨーロッパ各国教会で公認のラテン語訳聖書《ウルガタ》にもとづき,これを逐語訳ないし意訳・翻案することがおもに《詩篇》や福音書などについて行われていたが,近代各国語による聖書完訳が本格化するのは宗教改革を待たねばならなかった。ただし,ドイツにおいては最初のドイツ語完訳聖書《メンテル聖書》が1466年に出版され,イギリスにおいても14世紀末ウィクリフの提唱のもとに一門の人々が完成した全訳《ウィクリフ派英訳聖書》(1385ころ,改訳1395ころ)が見られるが,その完成後直ちに教会当局の厳しい弾圧を受けたこと,またなお印刷期以前であったため,この英訳聖書は広く流布するに至らなかった。

 中世における聖書翻訳がいずれもラテン語訳聖書からの重訳であり,おもに写本の形で限られた範囲内の流布にとどまったのに対して,原典であるヘブライ語旧約聖書,ギリシア語新約聖書からの直接訳を試み,印刷本として広く流布される近代語聖書翻訳は,《ルター訳聖書》(新約1522,完訳1534)を嚆矢とする。これに踵(くびす)を接してイギリスの《ティンダル訳新約聖書》(1624)をはじめ,オランダ,デンマーク,スウェーデン,フィンランドなどで近代語訳聖書翻訳の気運が滔々(とうとう)として起こった。とくにイギリスでは,16世紀の間に約10種に及ぶ英訳聖書が相次いで出版された。おもなものは,プロテスタント系の《カバデル訳聖書》(1535),《大聖書》(1539),《ジュネーブ聖書》(1560),《主教聖書》(1568)であり,また唯一のカトリック系訳として《リームズ・ドゥエー聖書》(新約1582,完訳1610)がある。

 そして,これらの英訳聖書の頂点に立つのが1611年刊行の《欽定訳聖書》である。これはジェームズ1世の命を受けて,当代を代表する五十数名の聖職者・学者が周到な計画のもとに,《ティンダル訳》以来の既刊の英訳聖書の長を採り短を補って訳出したもので,シェークスピアの英語と並んで近代英語の性格を決定したと評される名訳であり,英米人の精神・思想・感情生活に大きな影響を与えた。その簡素で古典的な魅力ある文体は,3世紀半をこえた今日においても英米人の愛誦してやまないところだが,この間の英語の少なからぬ変化と聖書本文批評の進歩は,時代に即応した新訳を要求することになった。とくに19世紀末,《欽定訳》の〈改訳〉が公刊されて後は,新訳・改訂訳が相次いで試みられ,20世紀の間に50種類に及ぶ英訳聖書が英米で刊行されている。その中でとくに注目すべきは,《欽定訳》の伝統を可能なかぎり尊重しつつ,これに必要最少限の現代化を試みたアメリカの《改訂標準訳聖書》(新約1946,完訳1952-57)と,これに対して《欽定訳》の伝統をあえて絶ち現代イギリス英語で訳出した格調ある《新英語聖書》(新約1961,完訳1970),およびアメリカ聖書協会版のアメリカ口語訳《現代英訳聖書》(新約1966,完訳1976)である。《改訂標準訳》はアメリカ・プロテスタントの公認訳として計画されたが,イギリス・カトリック教会はまもなくこれにわずかな変更を加えてその公認訳とした。また《現代英訳》に範をとったものが,ドイツ語版(新約1967,完訳1982),フランス語版(新約1971),オランダ語版(新約1972)として出版されている。

 英米以外に目を転じると,ドイツでは《ルター訳》の現代改訂版のほか,スイス改革派の《チューリヒ聖書》(1954)やカトリック系の《グリューネワルト聖書》(1924-26),《ヘルダー聖書》(1965)などが注目をひく。フランスでは,近代初期に新・旧両派の対立がとくにはげしく,聖書翻訳が当局の強い圧迫を受けたため,イギリスにおける《欽定訳》,ドイツにおける《ルター訳》のような古典的標準訳は育たなかったが,現代フランス語訳としては《スゴン訳聖書》(1880)などのほか,正確で名訳と評される《エルサレム聖書》が出色であり,これを範として英語版とドイツ語版が1966年に刊行されている。フランス語訳では,新・旧両派の協力になる《共同訳》(新約1972)も注目される。

 なお日本では,ドイツ生れの宣教師ギュツラフによるヨハネ伝《約翰福音之伝》(1837)が最初の日本語訳といわれる。本文はかたかなで,神をゴクラク,ロゴスをカシコイモノ,聖霊をカミと訳している。キリシタン禁令解除後の最初の完訳聖書は《合同訳》(新約1880,旧約1888)で,明治期の日本文化・思想の形成に大きな影響を与えた。これを改訂した流麗な《文語訳聖書》(1917)は今なお愛誦する人が少なくない。その後時代の要請に応じ,日本聖書協会による《口語訳聖書》(新約1954,完訳1955)のほか,聖書学者とくに無教会派の人々によるすぐれた個人訳が公刊されており,またカトリック系ではバルバロ=デル・コル訳《口語聖書》(新約1953,完訳1964)などがあり,さらに新・旧両派合同による《新約聖書共同訳》(1978)が新しい聖書翻訳の試みとして注目を受けている。
[寺澤 芳雄]

聖書解釈史

聖書は解釈不要の神託書ではない。語られ伝えられた記録(伝承)を特定の時代の宗団に意味あらしめる行為がつねになされた。聖書解釈はすでに旧約聖書の中でも預言者などによって行われた。ユダヤ教の解釈の中心は生活への教示であったが,黙示論的解釈もあり,アレクサンドリアなどでは比喩的解釈も行われた。新約聖書では予型論的解釈が行われ,イエスの救済を原型(アンティテュポス)とし,旧約にその予型(テュポス)が見られるとして,旧・新約聖書の約束-成就の関係を明瞭にした。後2世紀,マルキオンなどの字義的解釈に対抗し,旧・新約聖書の統体性を維持したのはこの解釈による。

 3~5世紀の解釈論争の中心は,アレクサンドリア学派対アンティオキア学派の対立である。前者の中心オリゲネスは,聖書が非道徳的,反理性的だとの非難を反駁(はんばく)するため,プラトン哲学を援用し,体・魂・霊に対応する字義的・信仰的・秘義的(比喩的)解釈を主張した。これに対して,アンティオキア学派は,アリストテレス哲学に拠り,ユダヤ教学者の影響も受けて,聖書の啓示の歴史的事実性を強調した。アウグスティヌスをはじめ,古代末期から中世の西方教会は,一方において,この比喩的解釈を発展・体系化した。聖書の4重の意味,(1)字義的・歴史的,(2)比喩的,(3)転義的・倫理的,(4)象徴的・隠喩的・天的啓示的意味が聖書の全章節に適用された。これに対し,ドミニコ会などを中心として聖書の字義的意味の重要性の主張も並行した。中世末期に至ると,ユダヤ人学者,人文主義者の影響で聖書の文法的・字義的解釈が盛んとなった。

 16世紀の宗教改革者の解釈は聖書を文法的解釈によってとらえ,その福音の真理を教権および教会伝承の上位に置いた。その後,それは教理として固定化され,プロテスタント正統主義となった。この教理,信条の固定化に対して起こったのが,会衆派教会や敬虔主義を背景とする反信条的な聖書主義である。他方,17世紀の合理主義,18世紀の啓蒙主義の影響の下に聖書の批判的研究が成立し,文法的・歴史的解釈がそれまでの教理神学から独立した。その代表者がガーブラーJohann Philipp Gabler(1753-1826)である。とくに19世紀末以来第1次世界大戦まで,時代思潮の影響の下に進歩史観にもとづく聖書宗教思想の解釈が風靡(ふうび)した。この近代主義に反発したのが,ファンダメンタリズムといわれるアメリカに始まった運動であり,聖書の霊感と無謬(むびゆう)性,キリストの神性と処女降誕,代理的贖罪(しよくざい),体のよみがえり,再臨の五つの根本教理を堅持し,他を自由主義者と呼んで区別した。第1次大戦後の進歩主義への幻滅と人間の問題性の深い認識は,聖書の歴史的解釈の限界を自覚させ,実存主義的・神学的解釈を生み出した。最近では,このほか構造主義的解釈,文芸学的・共時的解釈などが行われ,新しい解釈への展開が見られる。
→キリスト教 →聖書学 →ユダヤ教
[左近 淑]

[索引語]
バイブル Bible ビブリア biblia 福音書 イエス・キリスト 旧約聖書 タナハ Tanakh ミクラー 七十人訳聖書 ウルガタ 律法書 預言書 預言者 歴史書 文学書 新約聖書 パウロの手紙 手紙 ヨハネの黙示録 正典 カノン マルキオン マソラ本文 ベン・アシェル本 レニングラード写本 アレッポ写本 死海写本 ビブリア・ヘブライカ ビブリア・ヘブライカ・シュトゥットガルテンシア チェスター・ビーティ・パピリ ボードマー・パピリ シナイ写本 バチカン写本 ソンチノ完全聖書 旧約外典 外典 apokrypha アポクリュファ 旧約偽典 偽典 pseudepigrapha プセウデピグラファ 新約外典 サマリア五経 タルグム targum タルグム・オンケロス タルグム・ヨナタン ペシッタ ヘクサプラ 六欄聖書 古ラテン語訳聖書 ウェトゥス・ラティナ メスロプ サハク Sahak キュリロス メトディオス メンテル聖書 ウィクリフ派英訳聖書 ルター訳聖書 ティンダル訳新約聖書 カバデル訳聖書聖書 ジュネーブ聖書 主教聖書 リームズ・ドゥエー聖書 欽定訳聖書 改訂標準訳聖書 新英語聖書 現代英訳聖書 チューリヒ聖書 グリューネワルト聖書 ヘルダー聖書 スゴン訳聖書 エルサレム聖書 共同訳聖書 約翰福音之伝 文語訳聖書 口語訳聖書 口語聖書 新約聖書共同訳 予型論 オリゲネス ガーブラー,J.P. Gabler,J.P. ファンダメンタリズム
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検索コンテンツ
1. 聖書
日本大百科全書
ibliaとなり、とくに聖なる書物を表すようになったものである。 聖書には『旧約聖書』Old Testamentと『新約聖書』New Testamentがあるが
2. 聖書
世界大百科事典
カバデル訳聖書 大聖書 ジュネーブ聖書 主教聖書 リームズ・ドゥエー聖書 欽定訳聖書 改訂標準訳聖書 新英語聖書 現代英訳聖書 チューリヒ聖書 グリューネワルト
3. せい‐しょ【聖書】
日本国語大辞典
聖書〓」【二】(Bible の訳語)キリスト教で、神が人間に与えた黙示で、「旧約聖書」と「新約聖書」の総称。旧約は三九巻
4. せいしょ【聖書】
数え方の辞典
▲冊、▲部 歴史的に貴重な聖書は「点」でも数えます。
5. せいしょ【聖書】
国史大辞典
まず九年に翻訳委員社中訳『新約聖書路可伝』を、翌年には『新約聖書馬太伝』を刊行し、同十七年新版『新約聖書』を完成した。九年に着手された『旧約聖書』の翻訳は二十年
6. 『聖書』
世界文学大事典
訳された旧約聖書,いわゆる『七十人訳聖書』に由来する。キリスト教会ではこの『七十人訳』に基づき5世紀初めにラテン語訳聖書の『ウルガタ聖書』を作り,これがキリスト
7. 【聖書】せいしょ
新選漢和辞典Web版
①聖人の著作したもの。 ②《国》キリスト教のバイブル。聖典。
8. 聖書外典
日本大百科全書
外典というのは正典canonに対することばである。聖書の正典は、『旧約聖書』39巻、『新約聖書』27巻であるが、それ以外の聖書関係の文書を広く外典という。したが
9. 聖書学
世界大百科事典
させたことによって成立した。今日では,旧約聖書学,新約聖書学に分化し,方法論的に共通するものはあるが,それぞれで専門的深化がなされている。 旧約聖書学 その範囲
10. 聖書協会
日本大百科全書
仕することを目的として、聖書の翻訳・出版・頒布を行う団体。聖書協会が初めて設立されたのは1804年イギリスにおいてであった。マリー・ジョーンズという貧しい一少女
11. 聖書協会
世界大百科事典
行うようになり,日本では1874年から始められた。英米の聖書協会から独立した日本聖書協会が組織されたのは1937年である。46年には聖書協会世界連盟United
12. せいしょきょうかい【聖書協会】
国史大辞典
スコットランド聖書協会(NBSS)が横浜に支社として北英国聖書会社を設立したのに始まる。翌九年、米国聖書会社(ABS)と英国聖書会社(BFBS)が、それぞれ横浜
13. 聖書考古学
日本大百科全書
キリスト教の聖典『旧約聖書』『新約聖書』の記述と史実との関連を研究する考古学。仏教考古学と並んで、宗教考古学の一部を構成する。時間的には、聖書学が伝承と歴史の最
14. 聖書考古学
世界大百科事典
旧・新約聖書の記述を前提とし,パレスティナを中心に西アジア,地中海地域を対象とする宗教考古学の一分野。層位学的方法と遺物の型式学的方法をもとに,聖書と史実との関
15. せいしょ‐こうこがく[‥カウコガク]【聖書考古学】
日本国語大辞典
〔名〕考古学の研究分野の一つ。聖書に関係する遺跡・遺物を中心に、聖書にあらわされた歴史的事件・文化的背景を究明する学問。近年、各地の遺跡の発掘や金石文などの研究
16. 聖書索引
日本大百科全書
ブルガーター・ラテン語聖書のもの(Fischer編)、そのほか英語聖書のもの(Cruden編、Strong編、新約だけDarton編)、ドイツ語聖書のもの(Ca
17. 聖書神学
日本大百科全書
キリスト教の教義ではなく、聖書の内容を歴史批評的に研究する神学。それまで組織神学あるいは教義学の補助的役割を果たすにすぎなかった聖書神学が、正統主義的教義学から
18. 聖書之研究
世界大百科事典
内村鑑三主筆の月刊雑誌(1900-30)。内村の強烈な個性と思想がその聖書講義,論説,随筆,日記に反映している。他の執筆者の論稿もときどきあるが,その採否は彼の
19. 「聖書之研究」
日本近代文学大事典
明治三三・九~昭和五・四。全三五七号。主筆内村鑑三。内村の死をもって終刊。日本における最初の聖書研究の雑誌。表紙に、中央縦に「聖書之研究」、その右に「毎月一回発
20. 聖書の翻訳
世界文学大事典
聖書の原典は,旧約聖書についてはごく一部のアラム語訳部分を除きヘブライ語により,新約聖書のほうはコイネーとよばれるギリシャ語で記されている。しかし,聖書が何世紀
21. 聖書物語
日本大百科全書
『旧約聖書』39巻、『新約聖書』27巻の全部あるいは主要部分を子供や一般の大人のためにわかりやすい物語にしたもの。子供の本の実質的な誕生は17世紀イギリスのピュ
22. イタラ訳聖書
日本大百科全書
古代ラテン語訳の聖書。『旧約聖書』のヘブライ語原文は、紀元前3世紀ごろからギリシア語に訳され、七十人訳(セプトゥアギンタ)といわれて広く使われていたが、前2世紀
23. 『ウルガタ聖書』
世界文学大事典
goの過去分詞,複数形に由来する。よってしばしば『標準ラテン語訳聖書』といわれる。この用語は『七十人訳聖書』,『古ラテン語版聖書』Vetus Latinaと区別
24. 旧約聖書
世界大百科事典
,2世紀末ころからユダヤ教の聖書を,イエス・キリストを預言した古い契約の書,すなわち旧約聖書と名づけて,両者の区別をはかった。福音書記者やパウロなどはまだ〈旧約
25. きゅうやくせいしょ[キウヤクセイショ]【旧約聖書】
日本国語大辞典
約千年にわたって書かれたイスラエル‐ユダ文献の集成。ユダヤ教の聖典であり、キリスト教では、「新約聖書」とともに正典とされている。ヘブライ語で書かれ、律法・預言・
26. 旧約聖書 [改訂新版]
文庫クセジュ
尽きせぬ興味を駆り立てる旧約聖書について、その世界的な権威が、起源、律法、予言、詩、知恵、外典など細部にわたり最新の研究成果を取り入れ、わかりやすく概説した好適
27. 近代文學と聖書
日本近代文学大事典
日本近代文学と聖書といえば、まず明治期における聖書翻訳のすぐれた訳業が挙げられよう。上田敏をして「明治の大翻訳は疑もなく敬虔の信徒等が刻苦して大成せし旧新約全書
28. 欽定訳聖書
日本大百科全書
Versionともいう。 英訳聖書の歴史は長く、14世紀のウィクリフに始まり、16世紀のティンダルによって原語からの訳がつくられ、それ以後十指に余る訳が生まれた
29. 欽定訳聖書
世界大百科事典
07-11年の間に完成した英訳聖書。その序文によると,国教会公認の《主教聖書The Bishops' Bible》(1568)を底本とし,ティンダル以後の英訳聖
30. きんていやくせいしょ【欽定訳聖書】
日本国語大辞典
ジェームズ一世の勅命により英訳された聖書。簡潔な表現、荘厳なリズム、美しい語句法で知られ、一八八五年、改訳聖書が出されたが、なお古典として評価されている。欽定英
31. 七十人訳聖書
日本大百科全書
今日では紀元前3世紀中葉から紀元2世紀にわたってなされたギリシア語訳の『旧約聖書』を総称していう。「セプトゥアギンタ」Septuaginta(70の意)ともよば
32. 七十人訳聖書
世界大百科事典
旧約聖書のギリシア語訳の一つ。前3世紀中葉に始まり前1世紀までに,アレクサンドリア,パレスティナなどで徐々に翻訳され,改訂された集成を総称する。〈律法〉部分の翻
33. 『七十人訳聖書』
世界文学大事典
旧約聖書のギリシャ語訳中,最大の影響力をもった版。この名は,アレクサンドリアの図書館にモーセの律法の書の翻訳を設置するために,72人のユダヤ人学者が集まり訳業に
34. 新約聖書
世界大百科事典
書》の著者と同一ではない。新約聖書が最終的に今日の形態をとるに至ったのは,397年のカルタゴ会議においてであり,それまでは各地方でそれぞれ独自のまとまりをもつ聖
35. しんやくせいしょ【新約聖書】
日本国語大辞典
・二一「牧師が探し出して呉れた関西学院の古い規則書と、新しい新約聖書を貰って」*煤煙〔1909〕〈森田草平〉一二「矢張新約聖書の中のサロメがバプテスマのヨハネの
36. 新約聖書
文庫クセジュ
新約聖書はキリスト教徒の信仰規範であるが、この新約聖書が教会史および世界史において演じた役割は、ひとりキリスト教徒のみではない。本書では、特に新約聖書27書を文
37. 新約聖書入門
文庫クセジュ
神との新しい契約を伝える、聖なる書物――新約聖書は、初期キリスト教の歩みとともに成立していった。諸文書の個々の内容、執筆時期や背景、正典化の過程などをわかりやす
38. 『新約聖書』
日本史年表
1880年〈明治13 庚辰〉 4・19 『新約聖書』 翻訳完成祝賀会を新栄教会で開催。
39. 『多国語聖書』
世界文学大事典
文献学者・聖書学者を集めて1502年より校訂に取りかかり,種々の手稿版を付き合わせて完成した。全6巻のうち最初の4巻はギリシャ,ラテン,ヘブライ,カルダヤ(カル
40. 『ドイツ語聖書』
世界文学大事典
1522年の新約聖書訳以後メランヒトンほかの助力を得ながら旧約聖書を徐々に翻訳,34年全訳完成。その前後とも改訂を重ねる(最終版1545)。原語からの初のドイツ
41. にほんせいしよふくいんきようだんとまこまいふくいんきようかい【日本聖書福音教団苫小牧福音教会】北海道:胆振支庁/苫小牧市/緑町
日本歴史地名大系
[現]苫小牧市双葉町二丁目 苫小牧市街地中央、JR室蘭本線の北側に位置する。日本聖書福音教団に所属。昭和二六年(一九五一)スウェーデン人の宣教師エリシク・アルメ
42. ブルガーター訳聖書
日本大百科全書
い訳によってつくりあげ、405年に完成した。このラテン語訳聖書は1546年のトリエント公会議においてローマ・カトリック教会の公認聖書となったのである。なお近年こ
43. 琉訳聖書
日本大百科全書
ベッテルハイムによる聖書の琉球語訳本の総称。ベッテルハイムは、ハンガリー生まれのユダヤ人で、イギリスの宣教師、医者。1846年から54年までの8年間琉球に滞在し
44. ルター訳聖書
日本大百科全書
宗教改革者ルターの訳したドイツ語聖書。新約は1522年、新・旧約の完訳は1534年の刊行。ドイツ語聖書は印刷術が発明されてから十数種出版されたが、すべてラテン語
45. ルター訳聖書
世界大百科事典
ティンダルなどから《欽定訳聖書》に至る英訳聖書,また以後の各国語への聖書翻訳にも先鞭をつけたものといえよう。ドイツのプロテスタント教会では一部改訂した《ルター訳
46. ロセッティ「旧約聖書の窓のデザイン」[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
1870年ころ ペン、インク、水彩などメトロポリタン美術館所蔵
47. 医聖書院本朝医書目録(著作ID:4397417)
新日本古典籍データベース
いせいしょいんほんちょういしょもくろく 書目 
48. 琉訳聖書(著作ID:4403157)
新日本古典籍データベース
りゅうやくせいしょ バーナード‐ ジャン‐ ベッテルハイム(ばーなーど じゃん べってるはいむ) 訳 キリスト教 
49. 【旧約聖書】きゅう(きう)やく せいしょ
新選漢和辞典Web版
キリスト教の教典。キリスト降誕以前のことを書いたもの。⇔新約聖書
50. 【新約聖書】しんやく せいしょ
新選漢和辞典Web版
キリスト教の経典。キリストとその弟子(でし)たちの言行を書いたもの。⇔旧約聖書
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