[ラテン]Biblia,[英]the Bible,[フランス]la Bible,
[ドイツ]die Bibel,[ロシア]Библия
聖書はユダヤ教およびキリスト教の聖典であり,信者の信仰と生活に規範を与えるものである。英語のBibleをはじめ,ヨーロッパで広く用いられている聖書を表す語は,ギリシャ語のbibliaにさかのぼる。このbibliaは古代の紙の原料とされたbiblos(エジプトのパピルスの茎の内皮)の指小辞biblion(biblosの細片)の複数形で,本来の意味は〈文字を記したパピルス〉であった。こうして〈書物〉を意味する普通名詞であったbibliaは,やがてta biblia ta hagia(聖なる書物)の略としてta bibliaの形で「聖書」を意味する語となったのである。
聖書は1人の著者がある時期に書き著した単一の書ではなく,古代イスラエル・ユダの時代から初期キリスト教に至る,1000年を超える長い歴史の間に伝えられた多数の文書に基づき,これを編纂(へんさん)した群書あるいはアンソロジーなのである。さらに,内容的にも歴史,英雄物語,叙事詩,抒情詩,賛歌,格言,譬(たと)え話,預言書,伝記,書簡,神学論,黙示書など多様な文学形式を含み,およそ人間の生活と経験の根本に関わる主題はことごとく取り上げられており,まさにGod's plenty(あり余る豊かさ)といってよい。しかし一方,聖書はこのような多様な主題を扱う多数の文書の集成であるにもかかわらず,これを通読する時,そこに新約・旧約を一貫する一筋の大きな流れ——神の自己啓示,神が被造物の人間に与えた契約とその成就という統一主題が明らかに認められるのである。
しかし,これらの書の成立には長い複雑な段階があり,そのことはアダムとエバの創造をはじめ,物語の重複・矛盾などから明らかである。「創世記」「出エジプト記」に記された伝承では,神名をヤハウェと呼ぶ〈ヤハウィスト〉Jahwist(略号J),エロヒームと呼ぶ〈エロヒスト〉Elohist(略号E)という異なる資料が用いられ,Jは前10世紀ごろの成立で素朴な民族信仰に貫かれ,Eは前9~前8世紀ごろJに倫理的宗教性を加えるものとして作成された。JとEには法的規定はあまり見られないが,前500年ごろ祭司たちがまとめた〈祭司典〉(略号P)と呼ばれる資料には,明らかに祭儀的事項が重視され組織化が意図されている。さらに,Dと略称される〈申命記史家〉は「申命記」のほか,「ヨシュア記」から「列王記」に至る歴史書の編纂に関わり,単なる歴史記述ではなく,そこには教化・建徳の意図が認められる。
預言書は〈前の預言者〉と〈後の預言者〉に分かれ,律法と同様バビロン捕囚の時代に編纂され,前3世紀末~前2世紀初めのころ正典化されたと考えられる。〈前の預言者〉には「ヨシュア記」「士師記」「サムエル記上,下」「列王記上,下」の4歴史書を含む。これらの歴史書を〈前の預言者〉と呼ぶのは,イスラエルでは預言者とは神の言を預(あずか)りこれを民に伝える指導者のことを指し,これらの書の著者がその意味での預言者と考えられたことと共に,預言者の歴史的背景を記したものとして,これらの書が預言書と同じく神的権威をもつと考えられたためであろう。「ヨシュア記」にはモーセの後継者ヨシュアの事跡,「士師記」には旧約最古の作といわれる「デボラの歌」(第5章)をはじめ,各部族の士師に関する記録,「サムエル記」には12部族を導く預言者と考えられたサムエルから油を注がれて王位についたサウルとダビデの物語,「列王記」にはソロモン王以後イスラエル,ユダ両国の滅亡までの王国の記録が収められている。〈後の預言者〉は,三大預言書「イザヤ書」「エレミヤ書」「エゼキエル書」と十二小預言書と呼ばれる「ホセア書」「ヨエル書」「アモス書」「オバデヤ書」「ヨナ書」「ミカ書」「ナホム書」「ハバクク書」「ゼファニヤ書」「ハガイ書」「ゼカリヤ書」「マラキ書」からなる。歴史書にほかならない〈前の預言者〉に対し,アモスをはじめ高い倫理性をもつ預言者が伝える神の言を記した,真の意味で〈預言書〉と呼ばれるにふさわしいものである。年代的にはバビロン捕囚期(前586−前536)より以前の前760~前750年ごろのアモスに続くホセア,ミカ,イザヤ,ゼファニヤ,ナホム,ハバクク,エレミヤ,捕囚期前後のエゼキエル,「イザヤ書」40~55章に収められた第2イザヤ,捕囚後のハガイ,ゼカリヤ,マラキに分けることができる。このうち「なぐさめよ汝等(なんじら)わが民をなぐさめよ」という力強い言葉に始まる,第2イザヤと呼ばれる不詳の預言詩人は,バビロン捕囚のユダの同胞に対して,ヤハウェの救済による故国帰還の日の近いこと,ヤハウェの救済は義と公正の生活を守る者に約束されることを説いたが,その中に含まれる「僕(しもべ)の歌」,特に「苦難の僕の歌」(52:13−53:12)は,この世における真の救済の業が威厳に満ちた王ではなく,「侮(あなど)られて人にすてられ,悲哀(かなしみ)の人にして病患(なやみ)をしる」僕の贖罪(しよくざい)の苦難によって初めて実現するとしており,いわゆるメシア預言,キリスト教ではイエス・キリストの磔刑(たつけい)の預言と見なされている。
第1部・第2部の律法・預言書に属さないもの,または捕囚後に書かれたものは「諸書」と呼ばれ,ユダヤ教の正典に加えられたのは紀元後90年ごろとされている。諸書にまとめられたものは,詩文書の「詩編」「箴言(しんげん)」「ヨブ記」,巻物(メギロート)と呼ばれる「雅歌」「ルツ記」「哀歌」「コヘレトの言葉(伝道の書)」「エステル記」および預言書の1つ「ダニエル書」と歴史書「エズラ・ネヘミヤ記」「歴代誌上,下」の11書である。このうち「雅歌」「コヘレトの言葉」「エステル記」は最後までその正典性が議論された。この「雅歌」「コヘレトの言葉」や「詩編」「箴言」「ヨブ記」「ルツ記」は聖書の中でも,文学性の高いものである。
以上,ユダヤ教の正典としてのヘブライ語旧約聖書の分類・配列は,キリスト教の正典としての旧約聖書の場合と異なるところがある。キリスト教会では,旧約は通例4部に分かれ,律法書(モーセ五書),歴史書(「ヨシュア記」から「列王記」までのほか,「ルツ記」「士師記」「歴代誌」「エズラ記」「ネヘミヤ記」「エステル記」を含む),文学書(「ヨブ記」「詩編」「箴言」「コヘレトの言葉」「雅歌」),預言書(「ダニエル書」を含む)のようになっている。この分類は,前3世紀ギリシャ語に翻訳された旧約聖書,いわゆる
福音書のうち,はじめの3つ「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」(それぞれ「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」と略称)は,互いに共通する部分が多いので〈共観福音書〉という。このうち「マルコ伝」が最も古く,これを基盤にして,「マタイ伝」と「ルカ伝」の両者に共通し「マルコ伝」とは異なる資料(Q資料)と,それぞれに特有なM資料,L資料と呼ばれる資料を用いて,「マタイ伝」と「ルカ伝」が成立したと考えられる。前者ではユダヤ的立場,後者ではヘレニズム的立場から神の子イエスの福音を述べている。共観福音書が紀元70年前後から85年ごろの間に成立したと考えられるのに対して,「ヨハネによる福音書」(「ヨハネ伝」と略称)は,初代教会の基礎が整い始めた紀元100年前後に多くの資料を用い,受肉した神の言(ロゴス)としてのイエスに焦点を置いて神学的意図の下に執筆されたと考えられる。これら4つの福音書の著者については,その書名に見られる古来の伝承は疑わしく,今日では特定し難い。
「使徒言行録」は,「ルカ伝」の著者がエルサレムに始まった福音がローマなどの異邦人世界に及び新しい発展を遂げる事情を,前半はペテロ,後半はパウロを中心に記録している。「ヘブライ人への手紙」とパウロに帰せられた13書簡のうち,〈牧会書簡〉と呼ばれ,教会のあり方など実際的問題を神学的に論じた「テモテへの手紙一,二」「テトスへの手紙」の3書簡はパウロ以外の人物の執筆と考えられ,「エフェソの信徒への手紙」と「テサロニケの信徒への手紙二」もパウロ作が疑問視されることがある。したがって,パウロ作として信憑(しんぴよう)性の高いものは,「ローマの信徒への手紙」「コリントの信徒への手紙一,二」「ガラテヤの信徒への手紙」「フィリピの信徒への手紙」「コロサイの信徒への手紙」「テサロニケの信徒への手紙一」「フィレモンへの手紙」の8書簡である。パウロは小アジアのタルソスに生まれ,〈生粋のユダヤ人〉であると同時に〈生まれながらのローマ市民〉であった。ヘレニズム的教養を身に付けながら熱烈なユダヤ教徒としてパリサイ派に属し,キリスト教徒は律法の権威を軽んじ神殿を冒瀆(ぼうとく)するものとして,キリスト教徒迫害の急先鋒(せんぽう)に立っていたが,エルサレムからダマスコ(ダマスカス)に向かう途上,突如天からの啓示に接して回心の経験をした。その後小アジアからマケドニア,エペソ(エペソス),アテネなどの地中海世界に赴いて異邦人伝道を行い,再三迫害に遭いながらイエスの福音を広く世界に普及させる第一歩を実現した。そのパウロが伝道先で自ら創設した教会と信者に宛てて書いたのが上述のパウロ書簡で,およそ紀元50~60年ごろの執筆と推定される。
公同書簡は特定の教会あるいは信者ではなく,広く教会・信者のために,紀元80年ごろから150年ごろの間に執筆されたもので,「ヤコブの手紙」「ペトロの手紙一,二」「ヨハネの手紙一,二,三」「ユダの手紙」の7書簡を含む。12使徒の名やイエスの兄弟ユダの名を冠しているが,その信憑性は薄く,おそらく書簡を権威づけるための偽名と考えられる。
最後の「ヨハネの黙示録」は,ローマの厳しい迫害にさらされていた教会に対して,この世の終末と最後の審判,キリストの再臨の近いことを,比喩(ひゆ)的・幻想的・象徴的な表現で述べ,教会に慰めと警告と希望を与えようとしたものである。著者は伝承の使徒ヨハネとは考え難いが特定されていない。紀元90~100年ごろの執筆と推定される。
旧約の外典は,紀元90年ごろのヤムニア会議でヘブライ語正典の結集が完結した際に除外され,『七十人訳聖書』や『ウルガタ聖書』に収録されているもので,歴史書に属する「エズラ記一,二」「マカバイ記一,二」,教訓的知恵文学の「知恵の書」「シラ書(集会の書)」,教訓書の「トビト記」「ユディト記」,預言書に属する「バルク書」「エレミヤの手紙」および「ダニエル書」補遺の「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」「スザンナ」「ベルと竜」,「列王記」補遺の「マナセの祈り」が数えられる。このうち「エズラ記二」は『七十人訳』になく,また「マナセの祈り」は『ウルガタ』には欠けている。これらの外典はヘブライ語・アラム語あるいはギリシャ語で,前3世紀から後2世紀初めにかけて成立したと考えられる。
旧約の偽典は,年代的には外典とほぼ同じ時期に,やはりヘブライ語・アラム語を主とし一部ギリシャ語で書かれており,内容的にも外典と区別し難いので,この2つをまとめて〈典外文書〉と呼ぶこともある。しかし,外典が1書を除きすべてギリシャ語訳で伝えられているのに対して,偽典のほうは一部を除き,ギリシャ語訳ではなくエチオピア語・シリア語などの訳で伝えられ,偽典が特定の地域や集団に受け入れられてきたことを示している。偽典には「ヨベル記」「エノク記」「モーセの被昇天」「マカバイ記三,四」「アリステアスの手紙」などがあるが,その範囲は流動的で随時追加されることがあり,その数については学者の意見も一致しない。1947年以降発掘されている死海写本の中にも偽典に数えられるものがある。
新約の場合は,正典と認められなかった初期キリスト教会の文書を外典と総称している。その範囲も流動的で,1945~46年に発見されたコプト語の文書群,ナグ・ハマディ文書の中の一部も含まれる。同文書は福音書・使徒言行録・黙示録・書簡などに分けられるが,最も有名なものはイエスの伝承語録にグノーシス的解釈を加えた「トマス福音書」である。新約外典は一般に宗教的価値において正典に劣るけれども,マリア崇拝を主題とする「ヤコブ原福音書」やイエスの黄泉(よみ)下りの話を含む「ニコデモ福音書」などは文学性が豊かであり,中世以降の文学やキリスト教美術に少なからぬ影響を与えている。
一方カトリック教会では,1545~63年のいわゆる
キリスト教における聖書解釈は,イエス・キリスト自身に始まるが,パウロも78回に及ぶ旧約からの引用の中で,旧約の記事の中に新約,特にイエス・キリストとその救いに対する約束・預言を見いだそうとする予型論的解釈の例をしばしば示しているが,この予型論的解釈は,ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)の間に発達した比喩的解釈法に接近する。比喩的解釈法を組織化して聖書解釈学の歴史を開いたのは,アレクサンドリア学派を代表する3世紀の神学者
アレクサンドリア学派の比喩的方法に対して,その行き過ぎの危険と濫用の弊害を指摘し,聖書の歴史的・言語学的研究を唱導したのがアンティオキア学派で,
この両学派の聖書解釈論は西方教会の釈義の伝統の中に受け継がれていく。まず〈聖書解釈における最大の教会博士〉と称された
中世を通じて,聖書解釈の意味のレベルに一般的には4つ,ときに7つの意味が考えられた。4つの意味とは,クリュソストモスの弟子であった修道士カッシアヌスによって明確に区別された字義的=歴史的,比喩的,転義的=道徳的,奥義的意味である。「ガラテヤの信徒への手紙」4:22以下に述べられているエルサレムとはカッシアヌスによれば,字義的にはユダヤ人の都を,比喩的にはキリスト教会を,転義的には人間の魂を,奥義的にはすべての人間の母である天上の都を指しているという。
しかし中世後期になると比喩的解釈はしだいに衰え,字義的解釈が力を得,次の時代への道を備える。ルネサンスはギリシャ・ローマの古典研究とともに,聖書をも一つの人間記録として見直すことを促したが,宗教改革は聖書の字義的意味が唯一の真の意味であることを確認した。ルターは修道士であった時には「すべてのことを比喩的に解釈した」が,1517年ローマ教会と絶縁した後は比喩的解釈を用いなくなったという。「聖書ほど明晰(めいせき)に記された書物はない」からである。聖書は教父の注解や教会の教義によって決定されるのではなく,聖書自体の言葉で理解されると考えたのである。聖書解釈において聖書の自己解釈を主張し,信仰の優位と主観的要素を強調したルターの立場は必然的に神学的たらざるをえず,聖書解釈は神学と密接に結び付くことになる。さらに,この主観的解釈の傾向は,17世紀末からドイツ
現代における聖書解釈学は解釈学的神学を志向しているといわれる。そこでは神学と哲学,福音と文化,信仰と伝統というような対立を巡り,また一般文化の中での新しい解釈学の動向や,文学批評における