1. しんきょう の 自由(じゆう)
日本国語大辞典
治二二年)〔1889〕二八条「日本臣民は安寧秩序を妨げず及臣民たるの義務に背かざる限に於て信教の自由を有す」*藤棚〔1912〕〈森鴎外〉「どうかすると信教(シン
2. 信教の自由
日本大百科全書
宗教上の行為を行う自由。宗教の自由ともいう。信教の自由は、宗教的権威から人間精神を解放することにより、近代の精神的自由の確立に大きな役割を果たした。また、信教の
3. 信教の自由
世界大百科事典
行ったり宗教による不利益を受けない自由をもつという〈信教の自由〉(信仰の自由または宗教的自由)をまったく否定し生命身体を危険に陥れる国はない。それゆえに信教の自
4. 信教の自由[憲法/司法]
情報・知識 imidas
と分かれる。ただ、いずれの場合でも信教の自由は普遍的人権として保障され、両者が衝突するときは、政教分離原則を採用するアメリカ合衆国・フランスでも、信教の自由の方
5. しんきょうの‐じゆう【信教の自由】
法律用語辞典
宗教的思想発表の自由、礼拝集会の自由、宗教結社の自由、宗教の選択・変更の自由、無宗教の自由などを含む。この信教の自由を完全に保障するためには国家と宗教の分離が必
6. 信教の自由【2019】[憲法【2019】]
現代用語の基礎知識
「天皇陛下のための戦争」と言われれば、だれも文句は言えないようにしたのである。そこで憲法はそれを反省し、信教の自由を保障するとともに、国と宗教が結び付かないよう
7. 信教の自由【2020】[改憲論議のゆくえ【2020】]
現代用語の基礎知識
「天皇陛下のための戦争」と言われれば、だれも文句は言えないようにしたのである。そこで憲法はそれを反省し、信教の自由を保障するとともに、国と宗教が結び付かないよう
8. 信教の自由【2021】[憲法【2021】]
現代用語の基礎知識
「天皇陛下のための戦争」と言われれば、だれも文句は言えないようにしたのである。そこで憲法はそれを反省し、信教の自由を保障するとともに、国と宗教が結び付かないよう
9. 信教の自由【2022】[憲法【2022】]
現代用語の基礎知識
受ける宗教)と扱い、軍国主義を推進した。天皇のためと言われれば誰も文句を言えなかった。そこで憲法は信教の自由を保障し、かつそれを確保する目的で国の「宗教的活動」
10. こうちせい【高智晟】(Gāo Zhìshèng)
世界人名大辞典
問題,法輪功など多くの弁護士が尻込みする案件について弁護を引き受ける.胡錦濤国家主席あてに信教の自由の尊重,法輪功への非人道的な取り締まりの中止,法治の徹底を求
11. アイスランド画像
日本大百科全書
いてなされており、国公立は大学まで授業料無償。成人の識字率は99%以上である。塚本明子宗教信教の自由はアルシンギで保証されており、2008年時点で全人口の79.
12. アイルランド画像
世界大百科事典
。 社会 アイルランド共和国の社会で特徴的なのは教会とパブ,アマチュア・スポーツであろう。信教の自由は憲法で保障されているが,住民の約94%(1997)がカトリ
13. アウクスブルクの宗教和議
世界大百科事典
カトリックと同等の権利が承認された。しかし,これは一種の政治的妥協であり,ドイツ国民一般に信教の自由を保障したものではない。カルバン派など,ルター派以外のプロテ
14. アマデオ(1世)
日本大百科全書
都市民衆の蜂起ほうきによって九月革命が成功した結果、男子普通選挙権を含む政治的権利の拡大、信教の自由承認、極端な中央集権制の是正などの諸改革が行われ、民主的な立
15. アメリカ合衆国画像
日本大百科全書
むしろ、戦場であろうとどこであろうと祈りたいという国民がいるなら、政府はそれに応えることが信教の自由を守ることだと考えられている。 世界価値観調査(2005)に
16. アメリカ合衆国画像
世界大百科事典
つがれる。 移民の次にアメリカの宗教を特徴づけているのは,建国以来政教分離の原則が確立し,信教の自由が憲法によって保障されていることである。これは1620年のピ
17. アメリカ独立革命画像
日本大百科全書
民主政治の徹底を革命の目的として掲げ、男子普通選挙、議員定数の人口比例、議員・官吏の毎年選挙、信教の自由などの実現を要求した。ペンシルベニアではもっとも急進的な
18. アメリカ彦蔵自伝 2 206ページ
東洋文庫
あった。そして一行は各国において、さきのキリシタン弾圧に関し、厳重な抗議を受けたのである。信教の自由を認めなければ、日本は所期の条約改正も、到底なし得ない情勢で
19. アルジェリア近現代史 104ページ
文庫クセジュ
イスラームに対して、第三共和制の宗教政策は不信感の漂う寛容さと多くの禁止事項から成り立っていた。信教の自由が宣言されたとはいえ、宗教教育はほとんど許されなかった
20. アルノー(Arnaud, Henri)
世界人名大辞典
企て,サヴォイアおよびフランスの連合軍を破って,〈光栄ある帰還〉に成功した[89].しばらく信教の自由を認められたが,サヴォイアとフランスとの和議[96]により
21. あんせいごかこくじょうやく【安政五箇国条約】
国史大辞典
アメリカ領事がアメリカの法に従って裁判すること(領事裁判権ないし治外法権)、(八)在留アメリカ人は信教の自由をもち、礼拝堂建設の権利があること、などである。これ
22. アントン・ウルリヒ(Anton Ulrich Herzog von Braunschweig-Wolfenbüttel)
世界人名大辞典
て,ライプニッツと親しく文通した.のちカトリックに改宗した[1710頃]が,臣下には完全な信教の自由を認めた.2つの大小説《色白のシリア女アラメナ:Die du
23. アンリ[4世](Henri Ⅳ)
世界大百科事典
獲得するため旧教に改宗(1593),これが成功して翌年パリ入城を果たした。そして,98年には信教の自由を認めたナントの王令を発布,40年近く続いた内戦に終止符を
24. いせしんこう【伊勢信仰】
国史大辞典
さらに同三年正月には大教宣布があり、挙国一致、神仏合同の布教を目ざしたが、当時の新しい思想から信教の自由が高唱され、同八年には大教院も廃せられ、伊勢信仰は宗教宗
25. イタリア画像
日本大百科全書
プロテスタント、ユダヤ教徒、ギリシア正教徒、イスラム教徒、仏教徒がいる。イタリアは、1948年に憲法で信教の自由を保障している。藤澤房俊池谷知明1950~197
26. 委任統治
日本大百科全書
A、B、Cの三方式に分けられたが、いずれの地域においても、施政国は住民に対して、良心および信教の自由を認めることと、奴隷売買や武器、酒類の取引などの悪習を禁止す
27. いぶかかじのすけ【井深梶之助】
国史大辞典
これよりさき明治三十二年の文部省訓令一二号に対し、キリスト教学校代表者の先頭に立って抗議、信教の自由を主張、明治学院は法的特典を返上して宗教教育を堅持した。同四
28. 植村正久
世界大百科事典
,またそうすべきであるとした。内村鑑三の不敬事件(1891)に際しては,勅語拝礼を批判し,信教の自由を唱え,自由民権運動や社会主義運動のいう政治的,社会的自由に
29. ウマイヤ朝画像
日本大百科全書
農民で、村落共同体ごとに一括して租税(ジズヤあるいはハラージュ)を取り立てられ、そのかわり信教の自由は保証されていた。彼らのなかには租税負担を免れようとしてイス
30. ウマイヤ朝画像
世界大百科事典
ジズヤまたはハラージュと呼ばれた租税を村落共同体ごとに一括納入する代りに,自治機構の存続と信教の自由を許されていた。彼らは改宗してマワーリーとなり,租税負担を逃
31. 浦上天主堂画像
日本大百科全書
浦上全村民3394人が西日本を中心とする20藩にお預けとなり、644人が殉教した。1873年(明治6)信教の自由が認められ、1883人が浦上へ戻った。80年、こ
32. ウルグアイ
世界大百科事典
文化・教育水準も高く,識字率は95%に達している。宗教の面ではカトリシズムが圧倒的に優勢だが,憲法上信教の自由と政教分離が確立されており,20世紀初頭には他のラ
33. エスパルテロ
日本大百科全書
るが、1854年の進歩派クーデターの成功で政治の場に引き出され首相となった。選挙権の拡大、信教の自由など改革策を掲げたが、1856年オドンネルのクーデターで倒れ
34. 王政復古
世界大百科事典
また1890年に出された〈教育勅語〉は,道徳の淵源を天皇に置いていたため宗教・道徳と政治の区別が確立せず,信教の自由,言論の自由が制限されることになった。〈王政
35. 閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書(中曽根内閣による要請に基づく)
日本大百科全書
内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝に当たっては、憲法第二〇条第二項(信教の自由)との関係に留意し、制度化によって参拝を義務付ける等、信教の自由を侵すこと
36. かごしまこうしょうじべついん【鹿児島興正寺別院】鹿児島県:鹿児島市/鹿児島城下/西田方限/高麗町
日本歴史地名大系
[現]鹿児島市高麗町 真宗興正派で、本尊は阿弥陀如来。明治九年(一八七六)九月信教の自由令が発布されると、真宗興正派も直ちに開教僧鈴木亮慧(現奈良県橿原市明教寺
37. カトリックの歴史 27ページ
文庫クセジュ
ンスタンティーヌスとリキニウスが採りあげたミラノの勅令である。ミラノの勅令はキリスト信者に信教の自由を与えた。国家に没収された信者の全財産は、そのすでに転売され
38. カトリックの歴史 100ページ
文庫クセジュ
拷問、被告に対する人権侵害などを利用する誘惑に陥ってしまった。異端裁判を理解するには、まだ信教の自由が知られていなかった時代の、歴史的諸条件のもとに身を置いてみ
39. カトリックの歴史 142ページ
文庫クセジュ
として初等教育に取り入れられることになった。一七九四年二月の革命政府第二の命令はいっさいの信教の自由を確立した。対外的な諸祭式および鐘の使用は依然として禁止され
40. カトリックの歴史 155ページ
文庫クセジュ
カトリック解放 ―― これとは逆に一部のプロテスタントの国では信教の自由がカトリックに自由を与えかつ民法上ならびに政治上の諸権利を完全に回復させることになった
41. からふと・ちしまこうかんじょうやく【樺太・千島交換条約】
国史大辞典
遇、日本人所有の既存の権利、信教の自由の保障を約した。批准書交換は同年八月二十二日東京で行われ、その際新たに条約付録が調印され、ロシアは在来居住者の生業と信教の
42. カルト
日本大百科全書
FBIと銃撃戦を繰り広げ、70人が集団自殺を遂げる、といった事件が続発した。欧米では、一方で信教の自由を守りつつ、一部のカルトの反社会的行動にどう対処するかが、
43. カロル1世(Carol I)
世界人名大辞典
情は後進的でしかも列国の利害が錯綜しており,民主的憲法もユダヤ人に対する民衆の反感が強く〈信教の自由〉の故に反対された.またプロイセンを範とする陸軍拡張を行った
44. 寛容
日本大百科全書
形式を絶対視して他を排除することなく、異なった立場をも容認すること。寛容される側からすれば信教の自由に相当する。寛容は単に個人の徳目(心の広さ)ではなく、むしろ
45. 寛容
世界大百科事典
れた。明治憲法は条文の上では信教の自由を認めたが,それは天皇制の思想的中核としての国家神道を前提としたものであり,新興宗教の弾圧事件にも示されるように,信教の自
46. かん‐よう[クヮン‥]【寛容】
日本国語大辞典
寛容 クヮンヤウ ユルヤカニイレル」*海潮音〔1905〕〈上田敏訳〉ブラウニング評「されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの」*坊っちゃん〔1906〕
47. 寛容(トレランス)
世界文学大事典
関する書簡』によって展開されていたが,18世紀半ばになるとフランスでも信教の自由を正当化する論拠として,あるいは信教の自由を認めない旧勢力に対する攻撃のトポスの
48. カール五世 72ページ
文庫クセジュ
ハンガリーの国土奪還にさほど関心を示さなかった。一方、プロテスタント諸侯はその機に乗じて、信教の自由を認めるよう要求した。フェルナンドは彼らに対し慎重にならざる
49. がくもん の 自由(じゆう)
日本国語大辞典
からであるが、日本でも第二次世界大戦後、日本国憲法二三条に思想および良心の自由(一九条)、信教の自由(二〇条)、表現の自由(二一条)とともに確立された。*日本国
50. 学問の自由
日本大百科全書
問の自由は、これを保障する」(23条)と規定された。これは思想および良心の自由(19条)、信教の自由(20条)、表現の自由(21条)とともに規定された。学問の自