1. 『三宝絵詞』
日本史年表
984年〈永観2 甲申〉 11・‐ 源為憲、尊子内親王に 『三宝絵詞』 を進上(大鏡三)。
2. 三宝絵詞
日本大百科全書
平安中期の説話集。3巻。源為憲ためのり編。984年(永観2)冷泉れいぜい天皇皇女、尊子内親王に献上された。もともと絵を伴っていたが、詞章のみが伝わっている。物語
3. 三宝絵詞
世界大百科事典
平安中期の仏教説話集。本来は《三宝絵》という絵巻で,絵が逸亡して詞書だけが残り,かりに説話集なみに扱われている。源為憲が冷泉天皇の皇女尊子内親王の教育用に作った
4. さんぼうえことば[サンボウヱことば]【三宝絵詞】
日本国語大辞典
平安中期の仏教説話集。三巻。源為憲著。永観二年(九八四)成立。冷泉院第二皇女尊子内親王が永観元年一七歳で出家、仏法信仰の故に為憲にあつらえたので撰進したといわれ
5. さんぼうえことば【三宝絵詞】
国史大辞典
きである。 [参考文献]山田孝雄『三宝絵略注』、江口孝夫校注『三宝絵詞』(現代思潮社『古典文庫』六四・六五)、安田尚道「『三宝絵詞』研究文献目録」(『青山語文』
6. さんぼうゑことば【三宝絵詞】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の仏教説話集。三巻。源為憲作。九八四年(永観二)成立。『今昔物語集』や吉本説話集の先駆をなすもの。本来は絵をともなったらしいが散逸して本文だけ現
7. 三宝絵詞(著作ID:1178127)
新日本古典籍データベース
さんぼうえことば 三宝絵 源 為憲(みなもと ためのり) 仏教 説話 永観二
8. いからかす【怒―】[方言]
日本方言大辞典
〔動詞〕いかめしくする。たけだけしくする。 栃木県198栃木県方言辞典(森下喜一)1983三宝絵詞上「目を瞋いからかして普く四方を見廻らす」
9. いしやまでら【石山寺】滋賀県:大津市/南部地域/寺辺村
日本歴史地名大系
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉〔創建〕天平一九年(七四七)聖武天皇の命で建立されたと伝え(三宝絵詞)、天皇が奈良東大寺の盧舎那仏の金箔がないことを憂えていた
10. いわくらやま【岩倉山】徳島県:美馬郡/脇町
日本歴史地名大系
空海著の「三教指帰」のなかで虚空蔵求聞持法を入手した空海が修行した地としてみえる「阿国大滝嶽」(「三宝絵詞」では「大たきの峯」とある)を当地の大滝山にあてる説も
11. 宇治拾遺物語 230ページ
日本古典文学全集
進んで飢えた虎の母子の餌食になったという捨身飼虎の故事(金光明経・捨身品)を踏まえた作歌。この故事は、『三宝絵詞』上巻にもとられるなど、よく知られていた仏伝だが
12. 栄花物語 195ページ
日本古典文学全集
生きている間は。奈良県桜井市初瀬にある寺。長谷寺の観音は「利益あまねく霊験もろこしにさへきこえたり」(三宝絵詞)といわれ、人々の信仰を集めた。大阪市住吉区住吉町
13. 栄花物語 345ページ
日本古典文学全集
煩悩ゆえに無明の世界に迷える衆生も、の意。「クラキヨリクラキニ入テ、心ノマドヒサカリニフカク」(三宝絵詞・巻下・序)。『法華経』化城喩品等にもみえる。いつ行われ
14. 栄花物語 127ページ
日本古典文学全集
「鎌足」は、藤原氏の始祖。以下、鎌足の病が『維摩経』問疾品の読誦によって癒えた話。同話は、『三宝絵詞』『興福寺縁起』『大鏡』藤氏物語
15. 栄花物語 128ページ
日本古典文学全集
寝殿の東面に御しつらひし 〔一八〕 にもみえる。中国の異称。底本傍書・富岡本は「新羅」。『三宝絵詞』は「新羅ノ尼」とするが、『興福寺縁起』は「百済の禅尼」、『
16. 栄花物語 268ページ
日本古典文学全集
馨子内親王の乳母や女房であろう。かりそめにも、の意。役行者と一言主神の伝説(『日本霊異記』『三宝絵詞』等にみえる)をふまえ、岩橋の工事が中断されてしまったように
17. えまき【絵巻】画像
国史大辞典
……絵巻物」、さらに「……絵巻」とよばれるようになったのである。一方、「絵詞」という表現は「三宝絵詞』の例でわかるように、本来絵巻の詞書を意味するもので、「絵巻
18. 役行者画像
世界大百科事典
あわせた行者として描き出しており,後世の役行者の説話や伝説のもとになった。 平安時代中期以降,役小角の説話は《三宝絵詞》《本朝神仙伝》《今昔物語集》などに収めら
19. えんのぎょうじゃ【役行者】
日本架空伝承人名事典
あわせた行者として描き出しており、後世の役行者の説話や伝説のもとになった。 平安時代中期以降、役小角の説話は『三宝絵詞』『本朝神仙伝』『今昔物語集』などに収めら
20. 延暦寺
世界大百科事典
には最澄生誕地と伝える生源寺,座主の住坊である滋賀院門跡をはじめ多くの住院がある。 法会 《三宝絵詞》(984年源為憲撰)には,叡山で行われる毎年の法会として,
21. 往生要集 2 日本浄土教の夜明け 373ページ
東洋文庫
文章生となり、蔵人をへて、 のち国司を歴任した。その漢文学における才は抜群とされた。著述には『三宝絵詞』、『ロ 遊』があり、ほかにも『空也上人諫』などがある。た
22. おうみおおつのみやあと【近江大津宮跡】滋賀県:大津市/中部地域/錦織村
日本歴史地名大系
大津宮と保良宮を混同し、大津と粟津を同一視している点からも明らかである。例えば一〇世紀末の「三宝絵詞」や一二世紀初めの「扶桑略記」の崇福寺創建縁起で「天智天皇、
23. おうみのおおつのみや【近江大津宮】
国史大辞典
『今昔物語集』に天智天皇の「粟津ノ宮」(巻十一)、「粟津ノ都」(巻十二)と記すような例もある。『三宝絵詞』『扶桑略記』などには天智天皇が夢想により大津宮西北の山
24. 大鏡 59ページ
日本古典文学全集
「たまへるなれ」の「る」の撥音便の無表記。以下は『大般涅槃経』十三、『大智度論』四、さらに『往生要集』『三宝絵詞』などにも見える。涅槃経には「譬ヘバ魚ノ母多ク胎
25. 大鏡 176ページ
日本古典文学全集
元五年十一月)。その翌年(九八三)、出家したらしい。寛和元年(九八五)五月一日薨。二十歳。『三宝絵詞』のこと。永観二年(九八四)十一月、源為憲の作。落飾した尊子
26. 大鏡 337ページ
日本古典文学全集
聖徳太子は、仏教を日本にとりいれて広めた人と讃えられていた。『三経義疏』を編んだ。以下の話は『三宝絵詞』下に「昔大織冠内大臣鎌足のおとど、山城の宇治の郡、山階の
27. 大鏡 349ページ
日本古典文学全集
南都七大寺の一つ。推古天皇時代に聖徳太子が創建し、はじめ熊凝寺という。推古天皇から聖武天皇まで九代伝え造り(三宝絵詞)、何度か移造、改称されて平城京で大安寺とな
28. 御伽草子
世界大百科事典
起》など仏神の本縁や前生を説くもの,のちに〈本地〉の題名で継承されていく--とか異類物--《三宝絵詞》序に,草木禽獣を擬人化した作品の存したことがうかがわれる-
29. 仮名画像
世界大百科事典
大寺本《金光明最勝王経》古点の中に見える),やがて《今昔物語》《打聞集(うちぎきしゆう)》《三宝絵詞(さんぼうえことば)》などの説話も片仮名交りで書かれるように
30. かなぶん【仮名文】
国史大辞典
。この期には片仮名も、漢字漢文から離れて平仮名に並び扱われるようになり、『法華百座聞書抄』『三宝絵詞』のように、本来平仮名文であったものが片仮名に置き換えられる
31. かんがくえ【勧学会】
国史大辞典
源為憲ら。保胤が中心と思われる。仏徒は不明。場所は月林寺・親林寺・禅林寺など(『扶桑略記』『三宝絵詞』『本朝文粋』)。天延二(九七四)、三年ごろ勧学会専用の仏堂
32. かんがくえ【勧学会】 : 勧学会/(一)
国史大辞典
源為憲ら。保胤が中心と思われる。仏徒は不明。場所は月林寺・親林寺・禅林寺など(『扶桑略記』『三宝絵詞』『本朝文粋』)。天延二(九七四)、三年ごろ勧学会専用の仏堂
33. きじろごう【木代郷】三重県:伊賀国/山田郡
日本歴史地名大系
伊賀国山田郡
代の里の人なりき」とあり、「
三宝絵詞」には「
代郷」と記す。天喜四
34. 狂言集 504ページ
日本古典文学全集
『涅槃経』巻十四聖行品に見える若き日の釈迦の、いわゆる「雪山成道」の物語。古来有名な説話で、『三宝絵詞』以下種々のものに載っているが、中世においては御伽草子『雪
35. くまのなちたいしゃ【熊野那智大社】和歌山県:東牟婁郡/那智勝浦町/市野々村
日本歴史地名大系
中にも「熊野早玉神社」「熊野坐神社」の二社がみえるのみである。なお永観二年(九八四)成立の「三宝絵詞」の「紀伊国牟婁郡に神います、熊野両所、証誠一所となつけたて
36. くまのほんぐうたいしゃ【熊野本宮大社】和歌山県:東牟婁郡/本宮町/本宮村
日本歴史地名大系
今二枚月乎者両所権現土奈牟申」と名乗ったとあるように、熊野本宮は証誠大菩薩とよばれていた。すでに「三宝絵詞」に「紀伊国牟婁郡に神います、熊野両所、証誠一所となつ
37. くまのもうで【熊野詣】
国史大辞典
したが、宇多法皇のころ以来、貴族の参詣もみられるようになった。しかし永観二年(九八四)の『三宝絵詞』に「春ゆき秋来ていたる人まれ也」とあるごとく、当時は、来訪者
38. けごんえ【華厳会】
国史大辞典
加えて永禄十年(一五六七)の大仏殿炎上により、以後中絶をみるに至った。法華寺の華厳会については、すでに『三宝絵詞』や当寺の縁起にもみえるように、光明皇后の発願と
39. 幸若舞 1 百合若大臣(ゆりわかだいじん)他 267ページ
東洋文庫
守屋は馬子に敗北した。この説 話は、『日本書紀』巻二一、『今昔物語』巻一一、 『古今著聞集』巻二、『三宝絵詞』巻中、『私聚百 因縁集』巻七、その他に載せられて有
40. 国文学全史 2 平安朝篇 226ページ
東洋文庫
とり結ぶ作品として、文学史的に重要である。山田孝雄『三宝絵略註』(宝文館昭和二六年刊)、吉田幸一・宮田裕行『三宝絵詞』(東寺観智院本、「古典文庫」昭和四〇年刊)
41. 今昔物語集
日本大百科全書
』『弘賛法華伝ぐざんほっけでん』および船橋家本系『孝子伝』、日本の『日本霊異記りょういき』『三宝絵詞さんぼうえことば』『日本往生極楽記』『本朝法華験記ほっけげん
42. さいいん【西院】
国史大辞典
仁明天皇に譲位した所で、淳和院ともよばれた。淳和天皇の皇后正子内親王もここに居住し、同院を尼寺とした。『三宝絵詞』には西院阿難悔過の記事がある。のち西院は付近の
43. 最澄[文献目録]
日本人物文献目録
亮忠『山家と徳一との二乗成仏論』塩入亮忠『山家の学風』石井教道『山家の宗風を論ず』二宮守久『三宝絵詞に現はれたる伝教大師』橋川正『宗祖大師伝考』高島慈海『宗祖大
44. 狭衣物語 177ページ
日本古典文学全集
思しまはすに、御胸ふたがりて、心騒ぎ世の常ならず。 〔八七〕 め、架橋が完成しなかったという説話(三宝絵詞)が有名。平安和歌の世界では、醜貌よりも昼の明るさを
45. 散佚物語
日本大百科全書
もの約140編が知られており、物語史の研究のうえで重要な対象となっている。そのおもな資料に『三宝絵詞さんぼうえことば』序文、『枕草子まくらのそうし』「物語は」の
46. さんぼう‐え[‥ヱ]【三宝絵】
日本国語大辞典
【一】〔名〕仏・法・僧の三宝の功徳について描かれた絵画。【二】「さんぼうえことば(三宝絵詞)」の略称。*大鏡〔12C前〕三・伊尹「この宮に御覧ぜさせむとて、三宝
47. 三宝絵 平安時代仏教説話集 1ページ
東洋文庫
○古典保存会複製『三宝絵詞』(古典保存会・昭和14~16)○日本古典文学影印叢刊17『三宝絵詞 明恵上人伝』(貴重本刊行会〔財団法人日本古典文学会内〕・ 昭和
48. 三宝絵 平安時代仏教説話集 222ページ
東洋文庫
僧・目録1ごとに〔〕ことに僧・趣1三宝絵〔㊥三宝絵〕三宝絵詞2聖の僧失せぬ大なる象去りて子の随ひて去るが如 し彼の観音は西に去り〔⑳聖僧失大象去子随如去 彼観音
49. 三宝絵 平安時代仏教説話集 260ページ
東洋文庫
たちで読む、という享受しかなしえない。東寺観智院旧蔵本は「三宝絵詞」と題されている。『三宝絵』という作品の「詞書」、という意である。「絵」と「詞」とがそろっては
50. 三宝絵 平安時代仏教説話集 280ページ
東洋文庫
院旧蔵『三宝絵詞』には、複製や信頼できる翻刻が存する。複製は、凡 例に三種をあげた。左記の二種の翻刻は、底本の本文の情況を再現することがめざされている。 ①古