1. 『清水寺縁起』
日本史年表
1517年〈永正14 丁丑⑩〉 この年 土佐光信絵の 『清水寺縁起』 が作成される(宣胤卿記)。
2. きよみずでらえんぎ[きよみづでらエンギ]【清水寺縁起】
日本国語大辞典
絵巻物。三巻。紙本着色。室町時代の作。京都清水寺草創の由来と、これにちなむいろいろな霊験譚を描いたもの。絵は土佐光信、詞書(ことばがき)は中御門宣胤、甘露寺元長
3. きよみずでらえんぎ【清水寺縁起】
国史大辞典
が清水寺にあり、その末尾を欠くものが『続群書類従』釈家部に収められている。 [参考文献]『清水寺縁起』(『日本絵巻物集成』一)、『清水霊験記』、『清水寺建立記』
4. 清水寺縁起(きよみずでらえんぎ)
日本大百科全書
後者には1624年(寛永1)良恕りょうじょ法親王の書写奥書がある。『続群書類従』に収める。第三は、清水寺縁起絵巻から詞書ことばがきだけを抄録したもので、『清水寺
5. 清水寺縁起(著作ID:158032)
新日本古典籍データベース
きよみずでらえんぎ 藤原 明衡(ふじわら あきひら) 寺院 平安中期
6. 清水寺縁起(著作ID:158054)
新日本古典籍データベース
きよみずでらえんぎ 寺院
7. 清水寺仮名縁起(著作ID:2371893)
新日本古典籍データベース
きよみずでらかなえんぎ 清水寺縁起 寺院
8. せいすいじえんぎ【清水寺縁起】
日本国語大辞典
きよみずでらえんぎ(
清水寺縁起)
9. せいすいじえんぎ【清水寺縁起】
国史大辞典
⇒きよみずでらえんぎ
10. 清水寺縁起(せいすいじえんぎ)
日本大百科全書
→清水寺縁起
11. 音羽山清水寺縁起(著作ID:4370027)
新日本古典籍データベース
おとわさんきよみずでらえんぎ
12. 山城国愛宕郡/音羽山清水寺縁起并堂塔社祠細記(著作ID:4328352)
新日本古典籍データベース
やましろのくにおたぎぐん/おとわさんきよみずでらえんぎならびにどうとうしゃしさいき 寺院
13. 絵巻画像
日本大百科全書
大納言絵詞』の筆者常盤光長ときわみつなが、『春日権現霊験記』の高階隆兼たかしなたかかね、『清水寺縁起』の土佐光信みつのぶらは宮廷絵所の絵師であり、『大仏縁起』を
14. えんぎ‐えまき[‥ヱまき]【縁起絵巻】
日本国語大辞典
〔名〕社寺の由来、霊験などを描いた絵巻物。「北野天神縁起」「信貴山縁起」「清水寺縁起」など多数ある。エン
15. おおにほじんじゃ【大仁保神社】奈良県:高市郡/高取町/丹生谷村
日本歴史地名大系
「三代実録」元慶二年(八七八)二月二七日条に「授大和国無位大仁保神従五位下」とみえ、当社とする説がある。「清水寺縁起」には清水寺氏社の一に高市郡「大仁富明神」の
16. 花月
世界大百科事典
花月は,門前の者(アイ)と小歌を楽しんだり,花の枝のウグイスを弓でねらったり(〈弓ノ段〉),清水寺縁起の曲舞(くせまい)を舞ったりして興じている(〈クセ〉)。僧
17. かげつ【花月】[能曲名]
能・狂言事典
花月は、門前の者と小歌を楽しんだり(〈小歌〉)、花の枝のウグイスを弓でねらったり(〈弓ノ段〉)、清水寺縁起の曲舞を舞ったり(〈クセ〉)して興じている。僧がよく見
18. かじたむら【加治田村】岐阜県:加茂郡/富加町
日本歴史地名大系
えられる。北は川小牧村、東は伊深村(現美濃加茂市)、南は夕田村、西は絹丸村。地名の由来は、清水寺縁起(清水寺蔵)によると、田を加えて治める意味だとしているが、鍛
19. か‐ふのうしょう[クヮフノウセウ]【火不能焼】
日本国語大辞典
受持し読誦し思惟して、人に説くときは、無量の福徳を得、火にも焼けないということ。*源平盛衰記〔14C前〕二・清水寺縁起「補陀落山(ふだらくせん)に在りし間なれば
20. かん‐ぺい[クヮン‥]【官兵】
日本国語大辞典
合戦」*源平盛衰記〔14C前〕二・清水寺縁起「興福寺衆徒、当社を焼払はんとす。官兵(ク
21. 清水寺
世界大百科事典
としてよりは,信仰で栄える寺となり,日本無双の観音霊場とうたわれた。平安時代以来,種々の〈清水寺縁起〉がつくられて,霊験譚が世に喧伝され,貴賤の参詣者や参籠者が
22. きよみずでら【清水寺】岐阜県:加茂郡/富加町/加治田村
日本歴史地名大系
近世中期から臨済宗龍福寺末寺。本尊十一面観音。承和五年(八三八)僧良敏の記したといわれる白華山清水寺縁起(当寺蔵)によると、坂上田村麻呂の素志を体して、大同三年
23. きよみずでら【清水寺】京都市:東山区/清水寺門前地図
日本歴史地名大系
大学頭藤原明衡の作といわれる群書類従本清水寺縁起、室町時代の成立と考えられる続群書類従本清水寺縁起があり、草創にまつわる伝承を記す。群書類従本清水寺縁起は、水を
24. きよみずでら【清水寺】兵庫県:加東郡/社町/平木村
日本歴史地名大系
のみで、ほかは名跡を残すだけである。「峯相記」によれば、法道が建立したといわれ、播州御嶽山清水寺縁起(清水寺蔵)からは景行天皇の代に法道が創建したと考えられる。
25. きよみずでら【清水寺】島根県:安来市/清水村
日本歴史地名大系
た。銅板の設計図とともに県指定の文化財。多宝塔は尼子・毛利両氏の合戦で焼亡したと伝える(「清水寺縁起」寺蔵)。文政一〇年の瑞光山清水寺三重宝塔再建万人講募縁誌(
26. きよみずでら【清水寺】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区/篠崎村
日本歴史地名大系
小倉の地に移したと伝える。古来勅願所として企救の御堂と称され、もとは南方の高所にあったという(清水寺縁起)。慶長七年(一六〇二)細川忠興が小倉城築城の際、裏鬼門
27. 清水寺(きよみずでら 京都市)画像
日本大百科全書
山号は音羽山おとわさん。古くは北観音きたかんのん寺とも称した。西国さいごく三十三所第16番札所。『清水寺縁起』によると、大和やまと(奈良県)小島こじま寺の延鎮え
28. 清水寺三重塔
日本史年表
成るか.また、円仁編 『入唐新求聖教目録』 を奏進(同書)。葛井親王、 清水寺三重塔 を建立(清水寺縁起)。
29. くめのしょう【久米庄】兵庫県:加東郡/社町
日本歴史地名大系
川)の中・上流域、現社町久米・下久米・上久米・池之内・畑・山口付近に比定される。播州御嶽山清水寺縁起(清水寺蔵)によると、摂津国住吉社の神主長盛が清水寺山を掠め
30. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
国史大辞典
聖忌記・陽禄門院三十三回忌の記 四三〇 仁和寺諸堂記・山城州葛野郡楓野大堰郷広隆寺来由記・清水寺縁起・醍醐寺縁起・安楽光院行事・楞伽寺記・勧修寺縁起・般舟三昧院
31. 康尚
日本史年表
勤子内親王のため 『倭名類聚抄』 を撰述(同書序)。仏師 康尚 、清水寺塔院大門の多聞天・持国天を造る(清水寺縁起)。
32. こ‐せん【古仙】
日本国語大辞典
〔名〕昔の仙人。*源平盛衰記〔14C前〕二・清水寺縁起事「誠に古仙(コセン)経行之聖跡、大悲利物之霊崛也」*塵芥〔1510~50頃〕「古仙 コセン」*地蔵菩薩霊
33. 今昔物語集 139ページ
日本古典文学全集
→旧国名。→地名。「波多郡」。「八多郷」(子島山寺建立縁起〈醍醐寺本『諸寺縁起集』所収〉、清水寺縁起)。現在の奈良県高市郡高取町のあたり。正しくは子島山寺(→寺
34. 今昔物語集 140ページ
日本古典文学全集
の草庵有り」(清水寺縁起)。「白衣居士」(清水寺縁起、扶桑略記抄)、「白衣之人」(明衡縁起)。破損による欠字。「有り」とあったか。破損による欠字。「此」とあった
35. 今昔物語集 141ページ
日本古典文学全集
奉公ノ隙、京ヲ出テ、東ノ山ニ行テ、妻ノ産セル料ニ一ノ鹿ヲ求得テ其ヲ屠ル間、田村麻呂奇異ノ ず」(清水寺縁起)。方角が分らない、の意。→注二。千手陀羅尼(→仏教
36. 今昔物語集 142ページ
日本古典文学全集
」とあり、これによれば「サカシク」となるか。寺院を建立して、観音像を造って安置する願い。『清水寺縁起』に「三善清継女也」と注する。律令制で、五
37. 今昔物語集 143ページ
日本古典文学全集
ら一人分を賜って、得度させて、の意。なお、『清水寺縁起』では、田村麻呂の天皇への上奏と賢心の得度受戒を、造寺造像の後のこととして記す。『清水寺縁起』では宝亀十一
38. 今昔物語集 144ページ
日本古典文学全集
こぞって帰依・参詣するさまの類型的表現。→寺社名。子島山寺(南観音寺)に対して、北観音寺と号した(明衡縁起、清水寺縁起)。破損による欠字。「軍」とあったか。田村
39. 今昔物語集 1 本朝部 116ページ
東洋文庫
。一七九 章疏 科条と注釈。一八〇 茂 倭名抄により補う。一八一 姓は…… 「姓在隠道」(清水寺縁起)、「性在隠遁」(明衡縁起)等とあるが、未詳。一八二 千手の
40. 今昔物語集 1 本朝部 117ページ
東洋文庫
一八五 命婦 四位・五位の女官および五位の官人の妻。一八六 四千手 清水寺縁起には「四十手」とある。一八七 監 前文によって補う。一八八 毘沙門天 四天王の一。
41. 坂上田村麻呂
世界大百科事典
もと賢心)と会い,力をあわせて観音像を作り,仏殿を建ててこれを安置し清水寺と号したことは《清水寺縁起》(伝藤原明衡作),《今昔物語集》,《扶桑略記》などに見え,
42. さかのうえのたむらまろ【坂上田村麻呂】
日本架空伝承人名事典
もと賢心)と会い、力をあわせて観音像を作り、仏殿を建ててこれを安置し清水寺と号したことは『清水寺縁起』(伝藤原明衡作)、『今昔物語集』『扶桑略記』などに見え、中
43. さかのうえのたむらまろのはか【坂上田村麻呂墓】京都市:山科区/勧修寺村地図
日本歴史地名大系
郡地三町、為故大納言贈従二位坂上大宿禰田村麻呂之墓地」とあるように、宇治郡の地に葬られた。清水寺縁起所引の弘仁二年(八一一)一〇月一七日の太政官符案にも「東限六
44. しじ【私寺】
国史大辞典
被
免」(『
清水寺縁起』)は、清水寺が坂上田村麻呂の建てた非公認の氏寺であったことを示している。承和十一年(八四四
45. しちじょうぶっしょ【七条仏所】
国史大辞典
定朝や運慶の仏所が七条にあった確証はないが、江戸時代初期には「七条大仏師康春」(『(御嶽山)清水寺縁起』)とあることなどから七条仏所とよばれる。なお現代仏像彫刻
46. しもつるいのしょう【下鶴井庄】兵庫県:豊岡市
日本歴史地名大系
まれる。「伊与長社」は庄内下鶴井(村)の伊与永社(現与佐伎神社)。なお清水寺蔵の播州御嶽山清水寺縁起には奈良時代建立の大講堂本尊灯油料として「但馬国下鶴居庄」が
47. しょ‐し【所司】
日本国語大辞典
之」*源平盛衰記〔14C前〕二・清水寺縁起「同十日祇園所司(ショシ)奏状を進(たてまつ)る」*二中歴〔1444~48頃か〕四・僧職「三綱
48. すみよしじんじゃ【住吉神社】兵庫県:加東郡/社町/上鴨川村
日本歴史地名大系
東条川の支流鴨川の左岸に鎮座する。祭神は上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命・神功皇后。旧村社。播州御嶽山清水寺縁起(清水寺蔵)によると、清水寺の開基法道が神功皇
49. せいすいじ【清水寺】大分県:宇佐市/旧四日市町地区/清水村
日本歴史地名大系
豊前三十三所観音第四番、筑紫三十三所観音第三番の各札所で、伝仁聞作の十一面千手観音像を秘仏とする。江戸期の清水寺縁起(寺蔵)によると、養老元年(七一七)仁聞によ
50. たむらまろでんき【田邑麻呂伝記】
国史大辞典
寺東栗栖野町)における葬儀の模様などが詳しい。また、田村麻呂の容貌・人柄などにもふれる。『清水寺縁起』(『続群書類従』釈家部)にも右とほぼ同文の伝記を収める。『