新版 日本架空伝承人名事典
日本国語大辞典
解説・用例
【一】
(仏語。死者の霊魂を支配し、生前の行ないを審判して、それにより賞罰を与えるという地獄の王。閻魔王。閻魔大王。閻魔羅。閻羅。閻羅王。
*霊異記〔810~824〕下・三五「火君(ひのきみ)の氏、忽然(たちまち)に死して魔の国に至る」
*百座法談〔1110〕三月一日「閻摩のつかひ三人、一人は鉄のあみをかつぐ」
*太平記〔14C後〕二六・芳野炎上の事「蔵王権現(ごんげん)左の御手に乗せ奉りて、炎魔(エンマ)王宮に至り給ふに」
*浮世草子・日本永代蔵〔1688〕三・二「浮世の帳面さらりと消して、閻魔(エンマ)の筆に付けかゆるに」
【二】
(1)(「借る時の地蔵顔(じぞうがお)、なす時の閻魔顔」ということわざから)借金のある人。
*雑俳・柳筥〔1783~86〕二「借りたのをなすが閻魔(エンマ)はきらい也」
*雑俳・柳多留‐一六七〔1838~40〕「鬼が来て焔魔を責る大晦日」
(2)(閻魔王の像が恐ろしい顔をしているところから)借金取り、掛け取りなどの類。
*雑俳・軽口頓作〔1709〕「のうのうのう・ゑんまいなすにあせかいた」
*歌舞伎・梅雨小袖昔八丈(髪結新三)〔1873〕三幕「芸者や閻魔(エンマ)を脅しつけて親分風を吹すけれど、遊び人を向うへ廻して命がけのことは出来ねえ」
(3)明治期、雇い人をあっせんする口入所の帳場で、登録を紹介する役目の者。
*風俗画報‐二二〇号〔1900〕新葭町「先づ入口近くに、湯屋の番台の如き台の上にゑんまとて帳付をなす男坐り居り、是は雇はんと云ひ来りし方を帳面に記入れ置き」
(4)隠語。
(イ)盗人仲間で、検事、警察官をいう。〔隠語輯覧{1915}〕
(ロ)囚人仲間で、看守をいう。〔日本隠語集{1892}〕
(ハ)(うそをつくと、閻魔様に釘抜きで舌を抜かれるというところから)大工仲間や盗人仲間で、大形の釘抜きをいう。〔日本隠語集{1892}〕
語誌
(1)【一】は、古代インド神話では、夜摩Yama 神で、みずから冥界を見いだし、死者の王となった。天上の楽土とされたが、後に下界に転じ、死者の生前の行為を審判する神とされた。これが仏教にはいり、一は六欲天の一つ、夜摩天となり、他は冥界の閻魔王となったもので、のち、中国にはいって、道教などと混じて、五官王、八王、十王などの説を生じ、特に裁判官である十王の一つとされた。住所は餓鬼界とするものなど、幾つかの説があるが、後に地獄界とするようになったもので、赤血色の衣をまとい、冠をかむり、目を怒らせ、手に罪人を縛る縄を持つ姿が、閻魔の一般的イメージである。
(2)「閻摩・摩・閻羅(えんら)・閻摩羅(えんまら)」など、種々の表記・呼び方のあることは、「一切経音義(玄応音義)」等の仏書から確認できるが、それらが特に使い分けられるということはなく、「今昔‐六・三九」の表題に「閻魔」と記されながら、本文では「閻羅」となっているように、一つの作品、一つの話の中で併用されていることもある。
発音
[エ]江戸[エ]
辞書
文明・易林・日葡・ヘボン・言海
→正式名称と詳細
表記
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図版
世界大百科事典
閻魔は冥府の王として仏教とともに日本に入り,恐ろしいものの代名詞とされたが,地蔵菩薩と習合して信仰対象にもなった。奈良時代には閻羅王と書かれ,まれに閻魔国とも書かれている(《日本霊異記》)。閻羅は閻魔羅闍(えんまらじや)Yama-râjaの略で,閻魔王の意味である。これは《仏説閻羅王五天使経》または《閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経》に拠ったものであろう。後者は《預修十王経》とも呼ばれるように,閻魔王のほかに9王を加えて10王とし,閻魔王を裁判長として陪審の形をとっている。しかし奈良時代までは閻羅王使の鬼が死者を迎えに来て閻羅王宮に引き立て,その裁判によって地獄の責苦を受けることになる。このような閻魔はインドの冥界の主が仏教の中に入って,勧善懲悪,または因果応報の唱導に利用されたものである。したがって中国でもすでに本地は地蔵菩薩であるという信仰が生まれ,死者救済を願うために信仰されるようになった。すなわち日本では閻魔十王と三仏を十三仏にあてて,初七日忌から三十三回忌までの供養本尊とする。この場合は閻魔は五七日忌の供養本尊となり,地蔵菩薩としてまつられる。しかし一方,唱導説話や地獄変相図の中では,依然として恐ろしい形相で罪ある死者を呵責する冥府の王であった。閻魔十王の造像は鎌倉時代からおこなわれ,閻魔堂に安置された。鎌倉円応寺や奈良白毫寺の閻魔十王はその古い作例である。これが近世になると村々に閻魔堂ができ,閻魔十王と葬頭河婆(そうずかば),鬼,浄玻璃(じようはり)鏡,業秤(ごうのはかり)などの像が一具としておかれるようになる。そして葬送にあたってはここに死者の衣類を供えて,滅罪を願う習俗が一般化した。この信仰が失われたところでは,閻魔十王像はほこりにまみれて放置されているものが多い。しかし信仰の生きているところでは,正月とお盆月の16日は閻魔の縁日で,地獄の死者の宥恕される日としており,これを藪入りといっている。この日地獄変相図が閻魔堂にかけられる。
→三途(さんず)の川
インドに起源するとされるヤマYama王の信仰伝承は,仏典を通して中国に伝えられた。漢訳仏典ではその名が音訳されて,閻魔,焰摩,琰魔,閻羅,閻摩羅などと表記され,また平等に罪を治するという職務から平等王とも訳される。死後の世界の支配者として,生前の善悪の行に従って死者に裁きをあたえるとされる。中国伝来以後,中国土着の冥界観念と習合し,元来は持たなかった性格が付加され,民衆に親しい神として,中国撰述の偽経仏典や小説,俗文学の作品の中に,中国的な様相の閻魔王の姿を見ることができる。魏晋南北朝時代にすでに閻魔王は,中国土着の冥府の支配者である太(泰)山府君と同化していたとされ,唐代初年の,唐臨《冥報記》では,中国的な天帝の下,太山府君の上に位を占める神と位置づけられている。さらに唐末の,杜光庭《道教霊験記》では,道教説話の中に閻羅王が出現し,中国人が閻羅の職務についたとされている。閻魔が罪人を裁く裁判官としての風貌を強くおびるようになるのも中国的な着色であろう。死者の裁判官としての閻魔は,唐末から五代の時期に,死者に対する7日ごとの供養と結びついて,冥府の十王(ほかに秦広,初江,宋帝,伍官,変成,泰山府君,平等,都市,転輪)の一人となる。十王の組織は,当時の民衆的な冥府の神々を基礎にして形成されたもので,閻魔王も道教的な神々と席をならべることになるのである。ちなみに閻魔の異称である平等王も,別に十王の一人に加えられている。閻魔をふくむ十王の観念は,中国の民衆信仰の中に長くうけつがれ,現在も,死者の供養に際しては《地蔵十王図》がかかげられることがあるという。
→ヤマ
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