利用者の声
【NEW】ジャパンナレッジを使ってランサーズ校正ランキング1位になりました

ゆめぎわ(フリーライター)
国語はもちろん、新語にも強かったジャパンナレッジ


高橋 聡(翻訳者・翻訳学校講師・日本翻訳連盟理事)
ゲーム世界のクリエイトに便利。ジャパンナレッジがあれば架空世界の名付け親になれる。

木村航/茗荷屋甚六(作家・ゲームライター)
ジャパンナレッジは大河ドラマ「真田丸」の時代考証に大いに役立っています。

丸島和洋(博士(史学)。国文学研究資料館特定研究員)
歴史学研究の新たなツールとしてジャパンナレッジのコンテンツを活用することで、効率よく文献を調べることができる

安藤 優一郎(歴史家。文学博士【早稲田大学】)
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5月31日 更新

ド=ロ(日本人名大辞典)
フランスの宣教師。1840年3月27日生まれ。カトリック。慶応4年(1868)プチジャンの要請をうけて来日し,長崎の大浦天主堂で石版印刷による宗教書を刊行。のち外海(そとめ)地域の主任司祭。診療所をひらき,出津(しつ)教会などを建設したほか,地元民の教育や社会福祉事業につくした。大正3年
五輪教会(日本歴史地名大系)
[現]福江市蕨町 五輪 奈留瀬戸に面して建つカトリック教会堂。寛政年間(一七八九―一八〇一)大村領外海(そとめ)からキリシタンの移住があったとされる。元治二年(一八六五)大浦天主堂(現長崎市)でのいわゆる信徒発見のあと、明治元年(一八六八)蕨小島(わらびこじま)
出津教会(日本歴史地名大系)
[現]外海町黒崎西出津郷 カトリック教会堂。県指定文化財。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地域で、寛政年間(一七八九―一八〇一)当地など大村藩領の外海から五島などへ移住する信徒が多かったことから、キリシタンの母郷ともよばれる。明治一二年(一八七九)主任司祭として
頭ヶ島教会(日本歴史地名大系)
[現]有川町友住郷 頭ヶ島 頭ヶ島にあるカトリック教会。天主堂は県指定文化財。江戸時代は長く無人島であったが、安政六年(一八五九)鯛ノ浦のキリシタン二、三戸が移住し、開拓を行ったという。慶応三年(一八六七)戸数二五のキリシタン集落になっていた(有川町郷土誌)。鯛ノ浦の
野首教会(日本歴史地名大系)
[現]小値賀町野崎郷カトリック教会で、野首天主堂ともいう。江戸時代よりキリシタンが潜伏していた地で、野首に寛政九年(一七九七)大村領の外海(そとめ)から移住した信徒や、瀬戸脇(せとわき)に三井楽(みいらく)(現三井楽町)・久賀(ひさか)島(現福江市)から移ったキリシタンが
黒崎村(日本歴史地名大系)
[現]外海町黒崎牧野郷・黒崎下黒崎郷・黒崎上黒崎郷・黒崎永田郷・黒崎赤首郷・黒崎東出津郷・黒崎西出津郷神浦村の南にあり、西部は外海に臨む。中世は彼杵庄のうち。建武三年(一三三六)一一月一九日の源景家和与状(深堀文書)に「彼杵庄南かたのうち、ミゑくろさき」とみえ、平氏女が
大野教会(日本歴史地名大系)
[現]外海町神浦下大野郷カトリックの巡回教会。県指定文化財。中世よりキリシタンの居住する地で、平戸松浦氏の一門に属する籠手田氏が長崎に逃れたあと、その一族は当地に来住したと伝え、また肥後のキリシタン武士が信仰の継続のために当地で百姓になったという所伝もある。江戸時代以来
黒島教会(日本歴史地名大系)
[現]佐世保市黒島町カトリック教会。江戸時代からキリシタンが潜伏していた地域で、文化―文政(一八〇四―三〇)の頃に大村藩領外海から移住したと推定されるほか、寛政年間(一七八九―一八〇一)大村領外海から五島に移住した潜伏キリシタンが、明治元年(一八六八)からの五島崩れと
安満岳(日本歴史地名大系)
平戸島の北西部にある山嶺。同島で最も高い山で、標高五一四・三メートル。山頂に白山権現(現白山神社)があり、その下に西禅寺(現坊方町)があったが、明治初年に廃された。山内には五輪塔が六基分(うち安山岩質凝灰岩製五基・花崗岩製一基)、宝篋印塔(安山岩質凝灰岩製)が九基分あり
原城跡(日本歴史地名大系)
[現]南有馬町大江・浦田 有明海に臨む岬(原の島・ハルの島、標高三一・五メートル)に築かれた中世の城館の跡。国指定史跡。史料上は春城とも記され、また志自岐原城・日暮城・有馬城とも称される。明応五年(一四九六)有馬貴純(有馬氏八代という)が築城したと伝え
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