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  11. 山本周五郎

山本周五郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『山本周五郎』の日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本近代文学大事典

人名
山本 周五郎
やまもと しゅうごろう
明治36・6・22~昭和42・2・14
1903~1967
本文:既存

小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝えられる先祖の清水大隅守政秀が主家再興の軍用金を擁して帰農した由縁の地であり、下初狩は家運没落で心そまぬ移住さきだったためかもしれない。とまれ山本は生涯、甲州と甲州人を拒絶しつづけた。明治四〇年八月二五日、山津波で祖父母、叔父母などの肉親をうしない、母とくに伴われて東京王子にあった逸太郎に合流、同町豊川小学校に入り、四二、三年頃横浜市久保町に転居、大正五年西前小学校を卒えた。後年『柳橋物語』(「椿」昭21・7)『火の杯』(「福島民友新聞」昭26・9~27・2)『正雪記』(「労働文化」昭28~32)等々の作品で、天変地異をダイナミックに描写したのは、幼児のときの遠い記憶、関東大震災、太平洋戦争中の東京大空襲などの体験によるものだったであろう。小学校じぶん、担任の水野実先生から「君は小説家になれ」と助言され、一筋に作家を志向した。学校卒業後ただちに上京、木挽町の山本周五郎商店に住込み丁稚奉公した。質店主は洒落斎と号した一偉材で、三十六少年と競うように人文、自然科学の書物を漁り、正則英語学校や大原簿記学校に通学させるなど、文壇に自立するまで物心両面でのよき庇護者であった。一二年関東大地震で質店は罹災、二〇歳の彼は文学的新天地を求めて関西に出、地方新聞記者、雑誌記者などを経て一三年帰京、一四年日本魂社の記者となった。一五年四月号の「文藝春秋」に掲載された『須磨寺附近』が文壇出世作で、同年六月には「演劇新潮」に三幕戯曲『法林寺異記』を発表している。昭和三年夏、千葉県浦安へ転居、蒸汽船で通勤しながら劇作や散文に勉励中、突如、勤怠つねならぬかどで同社を追われてのちは文筆一本に専念した。このころ少女雑誌の編集者井口長次(山手樹一郎)を知り、四年春、東京市の募集した児童映画脚本『春はまた丘へ』が当選した。五年一一月、宮城県亘理出身の土生はぶきよいと結婚、新居を江の島ちかくの腰越に構えるも翌六年一月には、今井達夫、松沢太平の勧めで東京大森の「馬込文士村」に転じた。やがてその狷介で一匹おおかみ的性向から、尾崎士郎に「曲軒」のニックネームを呈上される。七年の『だゝら団兵衛』(「キング」昭7・5)は、はじめて執筆したおとなむけの娯楽小説で、二〇年ごろまで、少年少女小説や探偵小説を、主として博文館や講談社系の大衆娯楽雑誌に発表している。なかで注目すべきは、昭和八年から一一年にかけ「アサヒグラフ」に発表した現代もの短編小説で、うち四編は後年の代表作『青べか物語』の原形であり、いわゆる大衆小説とは類を異にする才能が暗示されている。一五、六年ごろから「武家もの」に佳作をみるようになる。『城中の霜』(「現代」昭15・4)『松風の門』(「現代」昭15・10)『内蔵允留守』(「キング」昭15・11)『奉公身命』(「キング」昭16・8)、さらに一七年の『蕭々十三年』(「新国民」1月)、同年一一月『水戸梅譜』(「芸能文化」)、一八年一二月の『いもがゆ武士』(「講談雑誌」)、一九年の『紅梅月毛』(「富士」昭19・4)、同年五月の『あご』(「新武道」)などにおいて、みずから「山本ぶし」と名づけたいちおうの完成度を示した。けれども、最もこの時期に好評を得たのは、昭和一七年六月から二一年一一月に「婦人俱楽部」を主舞台に発表した『日本婦道記』である。第一七回直木賞に擬されると、「読者から寄せられる好評以外に、いかなる文学賞のありえようはずがない」との確信に基づいて固辞した。戦後も毎日出版文化賞、文藝春秋読者賞など、断固として辞退を繰りかえした。山本によれば、文学には「大衆」も「少数」もなく、「純」も「不純」もない。あるのはよい文学と悪い文学ばかりである。「よりよい文学を最大多数の読者へ」というのであった。その反骨ぶりに一種のポーズをみるムキがあるにせよ、生涯を通じて信念を貫き通した根性のありようは、やはり尊敬さるべきものである。戦争最末期の昭和二〇年五月、前夫人をがんでうしない、二一年一月吉村きんと再婚して横浜市中区本牧元町二三七に転居。二三年からは中区間門町の旅館間門園にこもり二九年以降は同園の別棟に移ってほとんど独居の生活で、散文にすべてを傾注した。戦後はまず、『おたふく物語』(昭24・4~26・3)『桑の木物語』(「キング」昭24・11『嘘ァつかねえ』(「オール読物」昭25・12)などの下町ものに進境をみせ、二六年の『山彦乙女』(「朝日新聞」昭26・6~7)は故郷甲州への望郷詩的ロマン小説だった。『雨あがる』(「サンデー毎日別冊」昭26・7)では浪人と庶民との交流を温かいユーモアで描く。翌二七年四月、「週刊朝日別冊」に発表した『よじょう』は「後半期の道をひらいてくれた」と自認したほどの成功作で、ヒントをラヴェルの作曲から感得したものだったと語っている。二九年七月から三三年におよぶ『樅ノ木は残った』(「日本経済新聞」昭29・7・13~30・4・21(第一部)、昭31・3・10~9・30(第二部)。さらに書加え上、下二冊として昭33・1、9 講談社)は原田甲斐の人間と生活に、新しい視点からの照射を与え、日本近代小説中での第一級の政治、歴史小説となった。五〇歳以降は一作ごとに新境地を開拓した。「一場面もの」と名づけた『深川安楽亭』(「小説新潮」昭32・1)、「平安朝もの」と呼んだ『平安喜遊集』(昭36・10 文藝春秋新社)、「岡場所もの」と総括した短編集『なんの花か薫る』(昭33・1 宝文館)および『将監さまの細みち』(「小説新潮」昭31・6)、「下町もの」と類別した『ちゃん』(「週刊朝日別冊」昭33・2)『落葉の隣り』(「小説新潮」昭34・10)『おさん』(「オール読物」昭36・2)等々で、短編作家としていくつかの未踏の峰をきわめている。奥野健男が「五十年後、百年後、代表的日本文学者として残るのではあるまいか」と評するゆえんであろう。三五年の『青べか物語』(「文藝春秋」昭35・1~12)は浦安町における見聞を主体とした小品集であり、三七年の『季節のない街』(「朝日新聞」昭37・4・1~10・1 夕刊)では、より高度の普遍化によって人間の原形質を剔抉しようとした力作だった。三九年六月から四一年一月にわたり「週刊新潮」に発表した『ながい坂』はみずからの自叙伝の試行ともいわれる。その前年『虚空遍歴』(「小説新潮」昭36・3~38・2)という大作を完成し、自己をも含めた作家像の造形に、ほとんど渾身の努力を傾けた。以降は『ながい坂』にしても『あとのない仮名』(「別冊文藝春秋」昭41・6)『枡落し』(「小説新潮」昭42・3)にせよ、かくしようもない疲労が読取れるように感じられる。また彼の基本のテーマの主柱に、無償の奉仕という困難な命題があった。昭和三四年四月の『畜生谷』(「別冊文藝春秋」)以後はとくに宗教的傾斜を強め、三八年の『さぶ』(「週刊朝日」昭38・1~7)、さらに『おごそかな渇き』(「朝日新聞日曜版」昭42・1~2)で「現代の聖書」を志すべく苦闘中、四二年二月一四日早朝、心臓衰弱と肝炎のため急逝した。人間把握の確実さ、いぶし銀を思わせる情景描写の精妙さ、つねに政治や経済に見放された弱く貧しいものの側に立ち、反権力の立場を固守して独自の文学世界を展開し、生前にまさる「山本ブーム」を呼んだのは読者層のすそ野の広さによるものであろう。

 没後『山本周五郎全集』全三三巻、別巻五(昭42~45 新潮社)『全集未収録作品集』全一七巻(昭47~57 実業之日本社)が刊行。

(木村久邇典 1984記)

代表作

代表作:既存
つゆのひぬま
短編小説。「オール読物」昭和三一・一二。昭和三三・一、宝文館刊『なんの花か薫る』所収。「客に惚れることは法度」という掟を信奉するおひろは癆痎の浪人ものとの子持ちだという架空の身のうえ話を、厄よけのようにみずからに張りつけて蓄財に励む岡場所の女だ。年下の朋輩おぶんが、不幸な過去をもつ客の良助に真実の愛情をもち、彼もまた大洪水のとき、危険をおかして小舟で屋根のうえに避難したおぶんの救出にあらわれたのをみたおひろは、彼女の全財産をおぶんに贈って叫ぶ「頼んだわよ良さん、おぶんちゃんを頼んだわよ」。それはおぶんの欺かれることをおそれぬまごころのゆえであった。
橋の下
はしのした
短編小説。「小説新潮」昭和三三・一。昭和三五・一、新潮社刊『若き日の摂津守』所収。「武家もの」の代表作。一人の女のために親友を斬り殺した(と思った)武士が女とともに浪々の旅に出る。乞食におちぶれ、「橋の下」で生活しなければならない境涯に落ちてしまっても、二人は腐れ縁のように行路をともにするよりはない。某日血闘のため河原にやってきたらしい若い侍に、老乞食は語って聞かせる「親友を失っても女を得ることは、それほど価値のあるものだったろうか」。むだなおのれの過去を嘆く老人の悔恨に、ひとつの人生が確実に彫琢されており、若者にその轍を踏ませまいという好意が、若侍を思いとどまらせる。
(木村久邇典 1984記)

全集

  • 『山本周五郎全集』全33巻・別巻5(1967~70 新潮社)
  • 『全集未収録作品集』全17巻(1972~82 実業之日本社)
  • 分類:小説家
    修正PDF:1000004933.pdf
    既存新規:既存


    日本大百科全書(ニッポニカ)

    山本周五郎
    やまもとしゅうごろう
    [1903―1967]

    小説家。明治36年6月22日、山梨県大月市初狩町下初狩に生まれる。本名清水三十六 (しみずさとむ)。正則英語学校卒業。質店の徒弟、新聞・雑誌記者を経て小説家となる。1926年(大正15)『文芸 (ぶんげい)春秋』4月号の懸賞に投じた『須磨寺附近』が文壇出世作となる。初めは劇作や童話、少女小説の執筆を主としていたが、32年(昭和7)5月号『キング』に時代小説『だゝら團兵衛』を発表して以後、大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる。ために一般からは大衆作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作者や批評家からはほとんど黙殺された。だが山本は「文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よい小説”と“わるい小説”があるばかりだ」を信念とし、普遍妥当性をもつ人間像の造形を生涯の目的とした。山本はつねに日の当たらぬ庶民の側にたち、既成の権威に敢然と抵抗する態度を持し続けた。43年、第17回直木賞を断固辞退したのをはじめ、受賞を要請された文学賞のすべてを一蹴 (いっしゅう)したのは「文学は賞のためにあるのではない」との作者の倫理に発したもので、その硬骨ぶりは日本近代文学史上、他に例がない。戦後、ようやく幅広い読者を獲得し、『樅 (もみ)ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚 (たん)』(1958)、『おさん』(1961)、『青べか物語』(1960)、『さぶ』(1963)などの傑作を世に問い、死後、声価はますます高い。「100年後、日本の代表的短編作家として残ろう」(奥野健男 (たけお))、「可愛い女を描いてチェホフを抜く」(島田謹二 (きんじ))と評価するむきもあるほどである。昭和42年2月14日、横浜市中区間門 (まかど)町の仕事場で死去。なお、1987年9月、「山本周五郎賞」が新潮文芸振興会により設定された。

    [木村久邇典]



    世界大百科事典

    山本周五郎
    やまもとしゅうごろう
    1903-67(明治36-昭和42)

    小説作者。山梨県生れ。本名清水三十六(さとむ)。横浜市西前小学校卒業後,東京木挽町の山本周五郎商店(きねや質店)の徒弟となり正則英語学校に学んだ。関東大震災で罹災,文学の新天地を関西に求め地方新聞記者,雑誌記者を体験して帰京後《日本魂》編集者となった。1926年《文芸春秋》に投じた《須磨寺附近》で文壇に登場,32年以降《キング》《講談雑誌》を主舞台とし,43年《小説日本婦道記》が直木賞候補になるや直ちに辞退,後すべての文学賞を固辞した。主に江戸時代に材をとり,武士の哀感や市井の人々の悲喜を描くなかで,徹底して庶民の側に立った稀有(けう)な反権力の作者であり,狭義の純・大衆文学の境域をはるかに超えた広い層の読者を持つ。戦後の進境はとくに目覚ましく,代表的短編に《つゆのひぬま》《将監さまの細みち》《落葉の隣り》《おさん》。長編に《樅ノ木は残った》《青べか物語》《赤ひげ診療譚》《虚空遍歴》《さぶ》《ながい坂》がある。
    [木村 久邇典]

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    1. 山本周五郎
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    。昭和42年2月14日、横浜市中区間門(まかど)町の仕事場で死去。なお、1987年9月、「山本周五郎賞」が新潮文芸振興会により設定された。木村久邇典
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    2) 小説作者。山梨県生れ。本名清水三十六(さとむ)。横浜市西前小学校卒業後,東京木挽町の山本周五郎商店(きねや質店)の徒弟となり正則英語学校に学んだ。関東大震
    3. やまもと‐しゅうごろう【山本周五郎】
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    小説家。山梨県出身。本名清水三十六。「須磨寺附近」でみとめられ大衆文学者として活躍。直木賞を辞退するなど反骨精神で知られた。著作「樅ノ木は残った」「赤ひげ診療譚
    4. やまもとしゅうごろう【山本周五郎】
    国史大辞典
    を失い母に伴われて上京、さらに横浜に移って西前小学校を卒えた。卒業後間もなく上京、木挽町の山本周五郎質店につとめ、この店主の名がのちに筆名となった。関東大震災後
    5. やまもと-しゅうごろう【山本周五郎】画像
    日本人名大辞典
    昭和時代の小説家。明治36年6月22日生まれ。本名は清水三十六(さとむ)。後年ペンネームとした山本周五郎質店づとめをへて新聞・雑誌記者となる。「須磨寺附近」で文
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    7. 山本周五郎[文献目録]
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    8. 文学賞【2019】[本と文芸【2019】]
    現代用語の基礎知識
    一般的知名度では一歩及ばない。 直木賞と同じく、大衆文学を対象とした非公募型の賞では、新潮社の山本周五郎賞 (18年度は小川哲『ゲームの大国』)、講談社(吉川英
    9. 文学賞【2020】[本と文芸【2020】]
    現代用語の基礎知識
    一般的知名度では一歩及ばない。 直木賞と同じく、大衆文学を対象とした非公募型の賞では、新潮社の山本周五郎賞 (19年度は朝倉かすみ『平場の月』)、講談社(吉川英
    10. 文学賞【2021】[本と文芸【2021】]
    現代用語の基礎知識
    が、知名度は一歩及ばない。 直木賞と同じく、大衆文学を対象とした非公募型の賞では、新潮社の山本周五郎賞 (20年度は早見和真『ザ・ロイヤルファミリー』)、講談社
    11. 文学賞【2022】[本と文芸【2022】]
    現代用語の基礎知識
    が、知名度は一歩及ばない。 直木賞と同じく、大衆文学を対象とした非公募型の賞では、新潮社の山本周五郎賞 (21年度は佐藤究『テスカトリポカ』)、講談社(吉川英治
    12. 青木淳悟/原田マハ[第25回三島由紀夫賞/山本周五郎賞を受賞]
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    アオキ・ジュンゴ。作家。 ハラダ・マハ。作家。 2012年5月15日、第25回三島由紀夫賞、山本周五郎賞(新潮文芸振興会主催)の選考会が行われ、三島賞には青木淳
    13. 青べか物語
    世界大百科事典
    山本周五郎の小品集。1960年(昭和35)1~12月号《文芸春秋》に連載。1928年から1年余,江戸川河口の漁師町浦安に仮寓した山本は,青いべか舟(貝や海苔を採
    14. あお・る[あふる]【煽・呷】
    日本国語大辞典
    〉三六「清三は出してくれたビールをグングンと呷(アフ)って飲んだ」*よじょう〔1952〕〈山本周五郎〉三「武平は湯呑のものをすっかりあおった」(6)気がもめる。
    15. あか‐つき【垢付】
    日本国語大辞典
    候へ共、里数隔てし此の地の儀ゆゑ所有の金円為替手形にて差送り候間」*よじょう〔1952〕〈山本周五郎〉一〇「垢付きのことも聞いてまいった。さすがは二天殿、予譲の
    16. あかひげ【赤ひげ】
    日本人名大辞典
    山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の主人公。本名は新出去定(にいで-きょじょう)。江戸の施療院小石川養生所の所長で,病苦の大半は社会悪に原因があるとしながら,献身
    17. あ・ける【明・開・空】
    日本国語大辞典
    〔1918~19〕〈宇野浩二〉「梅雨(つゆ)のあけた初夏の一日」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉砂と柘榴「お母さまの喪があけるまでは、こうして寝るようにと
    18. アタック
    日本国語大辞典
    ゆゑに他のこれと駢列する本能を以てアッタックせらるる時崩れてしまふのである」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉長と猛獣映画「にしき蛇はさっとアタックをかけ、
    19. あったか・い【暖・温】
    日本国語大辞典
    )(3)」に同じ。(4)知恵が足りない。うす馬鹿だ。おめでたい。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉留さんと女「留さんが少し頭のあったかいことや、色の黒いのと
    20. あな‐ば【穴場】
    日本国語大辞典
    るよい場所。よい行楽地や店などで人にあまり知られていないところ。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉水汲みばか「釣りの穴場を知っている点では」[発音]
    21. あばける
    日本国語大辞典
    〔動〕あばれる。もがく。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉貝盗人「そこから〓れ出ようとしていたずらにあばけるのだという」[方言
    22. あぶら‐きり【油切】
    日本国語大辞典
    〔名〕金網などを使い、揚げ物を上にのせて、余分の油を切る道具。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉朝日屋騒動「揚げ鍋や金網つきの油切りや、幾つかの壺や皿」[発
    23. あゆみ【歩】
    日本国語大辞典
    川舟にて挟と云」*今西氏家舶縄墨私記〔1813〕坤「アユミとアユミの間を合の道と」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉おらあ抵抗しなかった「船の舳先や艫や、船
    24. アリア
    日本国語大辞典
    *即興詩人〔1901〕〈森鴎外訳〉歌女「ヂドは今主なる単吟(アリア)に入りぬ」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉水汲みばか「彼はなにかのオペラの中のアリアを
    25. いいくら‐かげん【好加減】
    日本国語大辞典
    っとるでせう」(2)「いいかげん(好加減)【二】(2)」に同じ。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉土堤の夏「─おうれ、てんで縹緻(きりょう)あげたじゃねえか
    26. いぎ‐ぶか・い【意義深】
    日本国語大辞典
    〕〈中野好夫〉「この意義深い上演の開幕前の序詞の一節なのである」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉留さんと女「自分のそういう意義深い立場を誇っている留さんと
    27. いけ‐ば【生場・活場】
    日本国語大辞典
    〔名〕池や海の中で魚などを生かして飼っておく所。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉貝盗人「その沖が貝の活け場であることも」[発音]
    28. 池宮彰一郎
    日本大百科全書
    、池宮彰一郎名義で初めて著した時代小説『四十七人の刺客』で新田次郎文学賞を受賞、また同作は山本周五郎賞の候補にもあげられた。94年『高杉晋作』「千里の馬」で直木
    29. いっこ‐だて【一戸建】
    日本国語大辞典
    〔名〕独立した一棟(むね)を、一家族が専用するように建てられた家。一軒建て。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉留さんと女「漁師の物置を改造したものであるが、
    30. いっ‐さつ【一拶】
    日本国語大辞典
    ためすこと。*狂雲集〔15C後〕画虎「覿面当機誰一拶、寒毛卓竪老岩頭」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉人はなんによって生くるか「私はなにか釣りに関すること
    31. いっぱい‐うり【一杯売】
    日本国語大辞典
    何と思ったか、常には嗜まぬ井スキイを小いコップに三杯まで飲んだ」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉『青べか』を買った話「一杯売りをするのは生ビールといって、
    32. いなみ-いつら【稲見一良】
    日本人名大辞典
    手がける。昭和59年より野生生物とのかかわりを小説にあらわし,平成3年「ダック・コール」で山本周五郎賞。平成6年2月24日死去。63歳。大阪出身。作品はほかに「
    33. いのち を 張(は)る
    日本国語大辞典
    「いのち(命)を懸ける」に同じ。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉浦粕の宗五郎「命を張るってえだからな、ああいう人間がもう五六人もいれば、会社なんぞひねり潰
    34. いんしょく‐ぎょう[‥ゲフ]【飲食業】
    日本国語大辞典
    〔名〕アルコール飲料や食べ物などを、金銭をとって客に供することをする業。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉朝日屋騒動「客を集めて酒食を提供しそれによって利益
    35. うお‐せんべい[うを‥]【魚煎餠】
    日本国語大辞典
    二「細君得意の早吸物─魚煎餠に蕩汁昆布(とろろこぶ)と云ふので」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉貝盗人「魚煎餠とあんこだまと、二三冊の本を持って」[発音]
    36. うき‐した【浮下・浮子下】
    日本国語大辞典
    〔名〕浮き釣りで、浮きと鉤(針)との間隔をいう。浮標下。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉人はなんによって生くるか「安い駄竿に、浮子(ウキ)下もよく計らず」
    37. うぐいす‐まめ[うぐひす‥]【鶯豆】
    日本国語大辞典
    柔らかく甘く煮た食品。その色が鶯の羽の色に似ているところからいう。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉毒をのむと苦しい「一と二〇で酒を一升買い、〇・三〇で干物
    38. 浦安[市]
    世界大百科事典
    展から取り残され,1960年代まではノリと貝を養殖しながら水田を営む漁村であり,その情景は山本周五郎の《青べか物語》に描かれている。その後京葉臨海工業地域の造成
    39. 浦安(市)画像
    日本大百科全書
    湾岸地域の発展が著しい。伝統的な念仏踊の系統を引くお洒落(しゃらく)踊は県指定無形民俗文化財。なお、山本周五郎の『青べか物語』の舞台となった所として有名。面積1
    40. うらやすし【浦安市】千葉県地図
    日本歴史地名大系
    んだという。こうした漁業に使われる船は船圦川・境川のほか町の中を走る水路に係留されており、山本周五郎の小説「青べか物語」に描写される情景であった。江戸川三角洲に
    41. えくに-かおり【江國香織】
    日本人名大辞典
    恋愛小説で人気があり,詩的な文章に定評がある。14年「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」で山本周五郎賞。16年「号泣する準備はできていた」で直木賞。19年「
    42. えへら‐わらい[‥わらひ]【─笑】
    日本国語大辞典
    〔名〕しまりなく、えへらえへらと笑うこと。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉家鴨「冗談を云いなさんなって、増さんはえへら笑いをしたってえだ」[発音]
    43. えら‐ぶ・る【偉─】
    日本国語大辞典
    〈石坂洋次郎〉上・七「何も僕達だけが豪ぶってる訳ぢゃありません」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉三十年後「客に対してえらぶった口は決してきかない」[発音]
    44. えん【縁】
    日本国語大辞典
    、頓と実際の仕事に縁(エン)がない。即ち衣食に縁(エン)がない」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉水汲みばか「およそ水汲みなどとは縁の遠い、どこかの若隠居が
    45. えんぎ‐くそ【縁起─】
    日本国語大辞典
    〔名〕(「縁起くそが悪い」の形で)縁起の悪いことをののしって言う語。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉ごったくや「朝っぱらからいやなことを云う縁起くその悪い
    46. 「演劇新潮」
    日本近代文学大事典
    岸田国士『屋上庭園』、北村小松『猿から貰つた柿の種』、高田保『人魂黄表紙』などがあり、また山本周五郎『法林寺異記』が抄載されている。翻訳ではチェーホフ『嫌々なが
    47. おき‐ぎ【沖着】
    日本国語大辞典
    〔名〕漁師の仕事着。刺し子で男女ともに用いる。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉青べか馴らし「倉なあこは沖着のぼった姿で」[方言]《おきぎ》新潟県佐渡356
    48. 荻原浩
    情報・知識 imidas
    同作で作家デビューする。2005年、若年性認知症をテーマにした「明日の記憶」(04年、光文社)で第18回山本周五郎賞を受賞。同作は、渡辺謙主演で映画化された。1
    49. おくり‐ぬし【送主・贈主】
    日本国語大辞典
    送り主は、すでに死者であるのに」(2)(贈主)贈り物をする当人。*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉おらあ抵抗しなかった「銀公はその鼻緒の色によって、贈りぬし
    50. おっ‐た・つ【押立】
    日本国語大辞典
    唄「せんどしゅは、おあいだ、みづさをが、おったつにはこまります」*青べか物語〔1960〕〈山本周五郎〉「青べか」を買った話「なんにもおっ建たなかっただよ」【二】
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