1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 人物
「人物」カテゴリの記事一覧
カテゴリ別にサンプルページを見ることができます。

夏目漱石(日本大百科全書(ニッポニカ))
小説家。本名金之助。慶応3年1月5日(新暦2月9日)に江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれた。[三好行雄]生い立ち父は同町一帯を支配する名主小兵衛直克、母千枝との5男3女の末子であった。父母晩年の子として疎まれ、生後まもなく里子に出され
太宰治(日本大百科全書(ニッポニカ))
小説家。本名津島修治。明治42年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現、五所川原市)に生まれる。津島家は新興地主で、貴族院多額納税議員の資格があった。青森中学、弘前高校を経て東京帝国大学仏文科中退。中学時代から同人雑誌を刊行。芥川龍之介の影響から出発したが
大橋鎮子(日本人名大辞典)
昭和後期-平成時代の出版経営者。大正9年3月10日生まれ。日本読書新聞勤務をへて,昭和21年女性に役だつ出版をめざし,花森安治らと衣裳研究所(のち暮しの手帖社)を設立して社長となり,シリーズ「スタイルブック」をだす。23年「美しい暮しの手帖」(28年「暮しの手帖」と改称)を創刊し
花森安治(日本大百科全書(ニッポニカ))
ジャーナリスト。明治44年10月25日神戸市に生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学新聞』で活躍し、新聞のレイアウトに異才を発揮した。1940年(昭和15)大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対する厳しい反省を基礎に
坂野惇子(日本人名大辞典)
昭和後期-平成時代の実業家。大正7年4月11日生まれ。レナウン創業者佐々木八十八(やそはち)の3女。昭和23年友人と神戸にベビー洋品店を開店,25年ファミリアを創業し代表取締役となる。
森鴎外(日本大百科全書(ニッポニカ))
文学者、軍医。本名林太郎。文久(ぶんきゅう)2年1月19日、石見(いわみ)国(島根県)津和野横堀に生まれる。[磯貝英夫]生涯。森家は、津和野藩代々の御典医の家柄で、父は静男(静泰(せいたい))、母は峰子。鴎外は長男で、2弟、1妹があった。7歳より藩校養老館で漢学を学び、また、父についてオランダ文典をも学んだ。
磯崎新(日本大百科全書(ニッポニカ))
建築家。大分県に生まれる。1954年(昭和29)東京大学工学部建築学科を卒業、同大学院に進み、丹下健三に師事、1961年博士課程修了。カリフォルニア大学、ハーバード大学、エール大学、コロンビア大学などの客員教授を務める。1963年磯崎新アトリエを創設。40年以上の活動において、建築の形式や引用に注目し、多様な表現を展開
宮沢賢治(日本大百科全書(ニッポニカ))
詩人、童話作家、農芸化学者。農村指導者、宗教思想家。明治29年8月27日岩手県稗貫(ひえぬき)郡花巻町(現花巻市)に、父政次郎(まさじろう)(質・古着商)、母イチの長男として生まれ、父祖伝来の濃密な仏教信仰のなかで育った。
杉原千畝(日本大百科全書(ニッポニカ))
外交官。1900年(明治33)生まれ、岐阜県出身。1940年(昭和15)にバルト海に面したリトアニアの日本領事館領事代理。当時、ナチスの迫害を逃れようとするユダヤ系ポーランド人がリトアニアに殺到し日本領事館で日本通過の査証(ビザ)を得ようとした。
ゲバラ(改訂新版・世界大百科事典)
ラテン・アメリカが生んだ傑出した革命家の一人で,その理論と実践はラテン・アメリカのみならず世界中に大きな影響を及ぼした。アルゼンチンのロサリオ市で中流家庭に生まれ,1945年,ブエノス・アイレス大学の医学部に入学,53年に学位を得た。子どものときから喘息の発作に苦しめられ,それは死ぬまで続いた。
カストロ(日本大百科全書(ニッポニカ))
革命キューバの最高指導者で、ラテンアメリカが生んだもっとも傑出した革命家、政治家の一人。オリエンテ州北部のビランの近郊で生まれる。父親はスペインのガリシアからの移民で、砂糖と木材で成功した比較的富裕な砂糖農園主。幼少から恵まれた環境で育ち、イエズス会派の学校で初等・中等教育を受けたのち
ニーチェ(文庫クセジュ ベストセレクション)
第一部 ニーチェの生涯と著作 第一章 生涯 ニーチェは好んでポーランド貴族の末裔を称した。しかし実際には、詳細な研究が十八世紀の初頭まで遡って明らかにしたところによれば、ニーチェの家系は完全にドイツ系である。ニーチェの祖先のうちには、数多くの聖職
橋本進吉(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
国語学者。福井県敦賀市に生まれる。代々の医家であったが、5歳にして父を失った。第三高等学校を経て、1906年(明治39)東京帝国大学文科大学言語学科を卒業、国語調査委員会補助委員となる。09年東京帝国大学文科大学助手に任ぜられ、27年(昭和2)助教授、2年後教授となる
石塚龍麿(日本大百科全書(ニッポニカ))
江戸後期の国学者。本名は矩慶、通称は安右衛門。歌合では於富耶麻登、大倭を名のり、家号は槇屋。遠江国(静岡県)の生まれ。23歳で内山真龍の門に入り、26歳で本居宣長の門に入る。龍麿の名号は最初の師内山真龍の前名を受けたもの。とくに国語学に秀で、宣長に篤学者として早くから
1
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額550万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典・叢書サービス。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
利用料金・収録辞事典・会員登録はこちら