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オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「人物」のカテゴリ別サンプルページです。
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ゲバラ(改訂新版・世界大百科事典)
ラテン・アメリカが生んだ傑出した革命家の一人で,その理論と実践はラテン・アメリカのみならず世界中に大きな影響を及ぼした。アルゼンチンのロサリオ市で中流家庭に生まれ,1945年,ブエノス・アイレス大学の医学部に入学,53年に学位を得た。子どものときから喘息の発作に苦しめられ,それは死ぬまで続いた。
カストロ(日本大百科全書(ニッポニカ))
革命キューバの最高指導者で、ラテンアメリカが生んだもっとも傑出した革命家、政治家の一人。オリエンテ州北部のビランの近郊で生まれる。父親はスペインのガリシアからの移民で、砂糖と木材で成功した比較的富裕な砂糖農園主。幼少から恵まれた環境で育ち、イエズス会派の学校で初等・中等教育を受けたのち
ニーチェ(文庫クセジュ ベストセレクション)
第一部 ニーチェの生涯と著作 第一章 生涯 ニーチェは好んでポーランド貴族の末裔を称した。しかし実際には、詳細な研究が十八世紀の初頭まで遡って明らかにしたところによれば、ニーチェの家系は完全にドイツ系である。ニーチェの祖先のうちには、数多くの聖職
橋本進吉(世界大百科事典)
国語学者。福井県敦賀(つるが)市に生まれ,1906年東京帝国大学文科大学言語学科を卒業。同大学助手,助教授を経て,29年教授,上田万年(かずとし)のあとをついで国語学科の主任教授となり,43年に定年退官。国語学会初代会長を務めた。日本語の歴史と文法の
ルイス・キャロル(集英社世界文学大事典)
イギリスの作家,数学者。本名チャールズ・ラトウィジ・ドジソンCharles Lutwidge Dodgson。童話『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(解説後出)の作者。牧師の長男としてチェシャーに生まれ,多くの弟妹に囲まれて,家族回覧雑誌を作り
サン・テグジュペリ(集英社世界文学大事典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランスの飛行家,作家。古い貴族の家系の長男としてリヨンに生まれる。4歳で父を失うが,母方の城館で幸福な子供時代を過ごす。カトリック系の学校で中等教育を受けたのち,パリに出て海軍兵学校を目指すが入試に失敗。1921年兵役に服し,飛行操縦生となり,予備
曲亭馬琴(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の小説家。姓は滝沢、名は興邦(おきくに)、のち解(とく)と改める。字(あざな)は子翼、瑣吉(さきち)。通称は清右衛門、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)。別号は大栄山人(だいえいさんじん)、著作堂(ちょさどう)主人、飯台陳人、乾坤(けんこん)
十返舎一九(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の洒落本(しゃれぼん)、黄表紙(きびょうし)、滑稽本(こっけいぼん)、合巻(ごうかん)作者。本名重田貞一(しげたさだかず)、通称与七。十返舎は香道の十返(とがえ)しにちなみ、一九は幼名市九による。酔斎、十偏舎、十偏斎などとも号す。前半生の伝記
アーネスト・サトウ(東洋文庫)
幕末・明治維新の激動期に,日本語を自在に駆使して活躍したイギリスの外交官アーネスト・サトウ。日本,シャム,清国,モロッコ各地でのエピソードを交えてその生涯を活写する。1999年02月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)はじめに序章神秘な異国日本へ
中浜万次郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八二八-九八江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風の
ヒトラー(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
ドイツの政治家。第三帝国の総統兼首相、ナチスの指導者。[村瀬興雄]▲青壮年期オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の子として4月20日ブラウナウ(現オーストリア)に生まれる。若くして両親を失い、ウィーンで画家になろうとして失敗し、同市の公営施設を定宿と
プーチン(岩波 世界人名大辞典)
ロシアの政治家.レニングラード生まれ.祖父はレーニン家など要人の料理人を務めた.レニングラード大学法学部卒業[1975].国家保安委員会(KGB)職員として東ドイツのドレスデンに勤務[80-].その後,サンクトペテルブルク市で大学の恩師ソプチャーク市
上総介広常(日本大百科全書・国史大辞典)
平安末期の武将。平忠常(ただつね)の子孫、常澄(つねずみ)の子。上総権介(ごんのすけ)に任じ、介八郎(すけのはちろう)と称す。その所領は上総国(千葉県中部)から下総(しもうさ)国(千葉県北部)に及び、この地方最大の勢力を誇った。保元(ほうげん)
川端康成(日本大百科全書・世界大百科事典)
小説家。明治32年6月14日、大阪に生まれる。医師の父栄吉、母ゲンの長男。1901年(明治34)父、翌年母が亡くなり、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(しゅくのしょう)(現茨木(いばらき)市宿久庄)で祖父母に育てられた。小学校入学の年祖母、4年のとき姉
スターリン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本名ジュガシビリДжугашвили/Dzhugashvili。ソ連の政治家。12月21日ジョージア(グルジア)のゴリという町の靴屋の子に生まれる。チフリス(現、ジョージア・トビリシ市)の神学校在学中にマルクス主義の洗礼を受け、職業革命家の道に入った
江戸川乱歩(日本大百科全書・世界大百科事典・日本近代文学大事典)
推理作家。本名平井太郎。明治27年10月21日、三重県名張市に生まれる。早稲田(わせだ)大学政経学部卒業。中学生のころに黒岩涙香(るいこう)の『幽霊塔』などの作品に熱中して以来、欧米のミステリーを耽読(たんどく)。ペンネームは彼が傾倒したエドガー
向田 邦子(日本近代文学大事典・日本大百科全書)
本文:新規脚本家・エッセイスト・小説家。東京府荏原郡世田ヶ谷生れ。第一徴兵保険株式会社に勤める父向田敏雄と、母せいの長女として出生。敏雄は仕事柄転勤が多く、家族を伴っての転居を繰り返した(東京、宇都宮、鹿児島、高松、東京、仙台、東京)。1939
岸信介(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八九六-昭和時代の政治家。明治二十九年(一八九六)十一月十三日、山口県熊毛郡田布施村の酒造家佐藤秀助の次男として生まれ、のち父の生家(秀助は養子)岸家を継いだ。佐藤栄作は実弟である。大正九年(一九二〇)東京帝国大学法学部を卒業、農商務省に入り
小泉八雲(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存随筆家、批評家。イギリス人。のち帰化。ギリシア、アイオニアのリュカディア島生れ。島の名にちなんで命名された。父チャールスはアイルランド系の軍医、母はギリシア人ローザ゠カシマティ。生後一年半、父の西印度諸島赴任によりダブリンへ帰ったが
尾崎紅葉(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。江戸の芝中門前町に生れた。本名は徳太郎。縁山、半可通人などの別号があり、俳句には十千万堂(十千万)などの別号を用いた。慶応三年一二月一六日は太陽暦では一八六八年一月一〇日に当たる。なお、一説では慶応三年一二月二七日の出生とする
中原中也(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存詩人。山口県吉敷郡山口町大字下宇野令村生れ。父謙助、母福の長男。父は陸軍軍医であった。生後まもなく父の勤務地であった旅順に赴き、父の転任にしたがい、その後、山口、広島、金沢に移り住み、大正三年、母、弟とともに山口に帰って下宇野令小学校に入学
三島由紀夫(日本近代文学大事典)
小説家、劇作家。東京市四谷区永住町二番地に生れた。本名は平岡公威きみたけ。父梓と母倭文重しずえの長男。父は農林省官吏で、祖父の定太郎は樺太庁長官をつとめた。母は、前田藩儒者で東京開成中学校長をつとめたことのある橋健三の次女である。祖母の夏子
ドストエフスキー(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
ロシアの小説家。トルストイと並んで19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。「魂のリアリズム」とよばれる独自の方法で人間の内面を追求、近代小説に新しい可能性を開いた。農奴制的旧秩序が資本主義的関係にとってかわられようとする過渡期のロシアで、自身が時代の
ロダン(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの彫刻家。生気に満ちた写実主義、モニュメンタルな表現性、象徴主義的なテーマ、彫刻を量塊(マッス)としてとらえ、その動きと表現的な肌によって周辺空間と関連させる手法などにより、19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術
カミュ(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
フランスの作家、思想家。11月7日、当時フランスの植民地であったアルジェリアの旧コンスタンティーヌ県サン・ポール農場で生まれる。父親リュシアンLucienAugusteCamus(1885―1914)は農場労働者、母親カトリーヌ・サンテスCather
ベートーベン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ドイツの作曲家。盛期古典派から初期ロマン派への転換期に56歳の生涯を送ったベートーベンは、古典派音楽様式を極点にまで高めるとともに、19世紀の音楽家たちにとっての偶像的な存在となり、後世に無限の広範な影響を与えた。[中野博詞]▲生涯フランドルから移住
ファーブル(世界大百科事典・日本大百科全書)
フランスの昆虫研究家,博物学者。南仏アベロン県の寒村サン・レオンに貧農の子として生まれ,幼時より自然に親しむ。苦学の末,アビニョン師範学校を出た後,アビニョン小学校,コルシカのアジャクシオ中学,次いでアビニョン中学で教師をする。向上心の旺盛な彼は
パスツール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの化学者、微生物学者。父ジャン・ジョセフJean-JosephPasteur(1791―1865)はナポレオン軍の下士官も務めた小さな皮革業者で、その長男として12月27日、ドール市に生まれた。幼時の天才児らしい話は残っていない。パリの高等師
永井荷風(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家、随筆家。東京市小石川区金富町に、永井久一郎、恆の長男として生れた。本名壮吉。別号断腸亭主人、石南居士、鯉川兼待、金阜山人など。久一郎は尾州(現・愛知県)の出身、藩儒鷲津毅堂に漢学を学び、上京後、大学南校貢進生となり、明治四年渡米
井上靖(日本近代文学大事典・日本大百科全書)
既存小説家。北海道上川郡旭川町で生れたが、旭川は父の勤務地で、郷里は静岡県田方郡上狩野かみかの村大字湯ケ島字久保田。父隼雄はやおは同村門野原の旧家石渡いしわた家の出で、母八重は井上文次の長女。井上家は七代ほど前の明和(1764~1771)のころ
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