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ジャパンナレッジで閲覧できる『中浜万次郎』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典

中浜万次郎
なかはままんじろう
一八二八 - 九八
江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風のため太平洋上を漂流、十三日鳥島に漂着、半年後アメリカ捕鯨船ジョン=ハウランド号に救われ、ハワイで四人と別れ、船長ホイットフィールドと東海岸ニュー=ベッドフォードに上陸、フェアヘイブンでジョン=マンJohn Munnの名で小学教育を終えた。水夫・鉱夫として金を貯え、ハワイに戻って伝蔵父子と帰国準備をし、嘉永三年(一八五〇)末アメリカ船サラボイド号に便乗して沖縄沖で翌年正月かねて購入してあった小艇で琉球摩文仁(まぶに)間切に上陸、八月鹿児島に送られ、九月長崎で訊問を受け、五年六月土佐藩に引き渡され、十月中ノ浜に帰った。この年土佐藩は中浜の姓を与え、教授館下遣に取り立て、坂本竜馬・岩崎弥太郎らがその英学を学んだ。ペリー艦隊渡来の年、嘉永六年十一月、幕府に召され、普請役格二十俵二人扶持で韮山代官江川英竜の手付となり、安政四年(一八五七)江戸軍艦操練所ができるとその教授方となり、同六年『英米対話捷径』を刊行、翌万延元年(一八六〇)咸臨丸の通弁主任として遣米使節の護衛にあたった。文久元年(一八六一)末咸臨丸で小笠原島を視察、その日本領土であることを在住外国人に諭し、のち一番丸船長として小笠原島付近で捕鯨に従事した。元治元年(一八六四)薩摩藩開成所で、慶応二年(一八六六)土佐藩開成館で新知百石を給せられて英学を講じた。明治二年(一八六九)新政府の徴士として開成学校中博士となり、同三年渡欧の途次病を得て米国経由で帰国、以後療養生活を送り、明治三十一年十一月十二日東京京橋弓町で没した。七十一歳。当初、谷中の仏心寺に葬り、のち墓を豊島区の雑司ヶ谷墓地に移した。
[参考文献]
中浜東一郎『中浜万次郎伝』、文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』、井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』
(金井 圓)


日本大百科全書(ニッポニカ)

中浜万次郎
なかはままんじろう
[1827―1898]

幕末明治期の英学者。別名ジョン万次郎。土佐国中浜 (なかのはま)村(高知県土佐清水 (しみず)市)の漁夫の家に生まれる。1841年(天保12)、出漁中遭難漂流し無人島 (ぶにんとう)(鳥 (とり)島)に漂着し、アメリカの捕鯨船ホーラント号に救助され、同国に渡り教育を受けた。50年(嘉永3)ボイド号でホノルルから帰国の途につき、翌年8月鹿児島に上陸、長崎で取調べを受けたのち故郷に帰された。52年12月藩庁に召され、徒士 (かち)格に登用されて藩士に列し、53年幕府に招聘 (しょうへい)されて普請役 (ふしんやく)格に列し韮山 (にらやま)代官江川英龍 (ひでたつ)の手付 (てつき)を命じられた。ペリー来航時には重用され、外国使臣の書翰 (しょかん)の翻訳や軍艦操練所教授、鯨漁 (くじらりょう)御用を勤め、60年(万延1)新見正興 (しんみまさおき)の遣米使節には通弁主務として随行した。61年(文久1)小笠原 (おがさわら)島の調査、64年(元治1)薩摩 (さつま)藩に聘せられ軍艦操練・英語教授を委任された。68年(明治1)土佐藩に召され、翌年徴士として開成 (かいせい)学校二等教授として英学を教授した。70年、プロイセン・フランス戦争観戦のため品川弥二郎 (やじろう)、大山巌 (いわお)らとともに渡欧を命ぜられたが、翌年病を得て帰国した。以後悠々自適の生活を送った。

[加藤榮一]



世界大百科事典

中浜万次郎
なかはままんじろう
1827-98(文政10-明治31)

幕末の土佐の漁師,のち英語学者。ジョン万次郎ともいう。幡多郡中浜(なかのはま)浦(現,高知県土佐清水市)の漁師の子に生まれる。1841年(天保12)出漁中に遭難し無人島の鳥島に漂着,アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられ,ニューベドフォードに伴われた。船長の好意で学校教育を受け,卒業後職に就いたことが,帰国後の活躍を支えた。50年(嘉永3)メキシコを出発し,琉球,鹿児島を経て土佐に帰着したのは52年7月であった。この万次郎を藩命で調べたのが画家の河田小竜であり,その口述をまとめたのが《漂巽紀略(ひようそんきりやく)》である。その後土佐藩や幕府などに登用され,英語を講じ,外交文書の翻訳や通訳などの仕事を通じて,日本に英語を広めるため開拓者的役割を果たした。明治政府の下では開成学校教授となっているが,病弱のため引退せざるをえなかった。なお子息東一郎の《中浜万次郎伝》(1936)が,その業績をよくまとめている。
[池田 敬正]

[索引語]
漂巽紀略(ひようそんきりやく)
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検索コンテンツ
1. 中浜万次郎
日本大百科全書
幕末明治期の英学者。別名ジョン万次郎。土佐国中浜なかのはま村(高知県土佐清水しみず市)の漁夫の家に生まれる。1841年(天保12)、出漁中遭難漂流し無人島ぶにん
2. 中浜万次郎
世界大百科事典
明治政府の下では開成学校教授となっているが,病弱のため引退せざるをえなかった。なお子息東一郎の《中浜万次郎伝》(1936)が,その業績をよくまとめている。池田
3. なかはま‐まんじろう【中浜万次郎】
日本国語大辞典
江戸末期の幕臣、英学者。ジョン万次郎ともいう。土佐国中浜村(高知県土佐清水市)の漁師の家の生まれ。天保一二年(一八四一)漂流中をアメリカの捕鯨船に救出され、アメ
4. なかはままんじろう【中浜万次郎】
国史大辞典
当初、谷中の仏心寺に葬り、のち墓を豊島区の雑司ヶ谷墓地に移した。 [参考文献]中浜東一郎『中浜万次郎伝』、文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸』、井伏鱒二『ジョン万次郎漂
5. 中浜万次郎
日本史年表
1841年〈天保12 辛丑①〉 6・4 中浜万次郎 、太平洋を漂流しアメリカ捕鯨船に救われる(中浜万次郎漂流記)。 1851年〈嘉永4 辛亥〉 1・3 土佐国漁
6. 中濱萬次郎(なかはままんじろう)
古事類苑
外交部 洋巻 第1巻 1820ページ
7. なかはま-まんじろう【中浜万次郎】画像
日本人名大辞典
1827−1898 江戸後期-明治時代の漂流民,教育者。文政10年1月1日生まれ。15歳のとき,土佐(高知県)宇佐港から出漁して遭難。アメリカの捕鯨船にすくわれ
8. 中浜万次郎[文献目録]
日本人物文献目録
いて』伊藤貫一『中浜万次郎』-『中浜万次郎伝 1‐3』-『中浜万次郎と西沢敬秀』弥富破摩雄『中浜万次郎の恩人ホワイフヒルド』杜山居士『中浜万次郎漂流記』国沢新兵
9. 中浜万次郎御答書(著作ID:3421270)
新日本古典籍データベース
なかはままんじろうごとうしょ 漂流記 
10. 嘉永癸丑十月勘定下役上申書中浜万次郎尋問事件(著作ID:1556714)
新日本古典籍データベース
かえいきちゅうじゅうがつかんじょうしたやくじょうしんしょなかはままんじろうじんもんじけん 
11. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 77ページ
東洋文庫
         同下役   小永井五八郎(後小舟)  (通弁主務)        中浜万次郎  (医師)  松前伊豆守抱医 牧山修卿       松平伯耆守抱
12. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 83ページ
東洋文庫
用ひての天測を担当して居た。伴・松岡の両教授方は、天測に就いては余り与らなかった。通弁主務の中浜万次郎は、土佐の漂流漁夫として亜米利加に渡り、永く米国の教育を受
13. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 91ページ
東洋文庫
    通弁官は  中浜万次郎   而して指揮官は勝麟太郎とす。此人々は皆予の親友にして能く其心腹をも知、業前も抜群たるを   以て政府へ申立、此度の乗組に定め
14. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 254ページ
東洋文庫
幕臣。通称温、号は寛堂。 川路聖護の孫。箕作院甫につき、また蕃書調所で オランダ語を学び、中浜万次郎、森山多吉郎に英 語を学ぶ。慶応二年(天六六)歩兵頭並に抜擢
15. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 262ページ
東洋文庫
率い、北海道に走り、官軍の降伏 勧告に応ぜず、千代岡の砦で永保、永固の二子と ともに討死した。中浜万次郎(ジョン万次郎)〔五二〒究〕 土佐国幡 多郡中浜浦の漁師
16. 足摺宇和海国立公園画像
日本大百科全書
る。自然景観のみならず、日振島の藤原純友すみともの根拠地、土佐清水市中浜のジョン・万次郎(中浜万次郎)生地、愛南町外泊そとどまり地区の石垣集落などの文化景観もみ
17. あしずりみさき【足摺岬】高知県:土佐清水市/足摺村
日本歴史地名大系
いるが、その前身は明治四年(一八七一)に設置された灯明台である(土佐清水市史)。また岬には中浜万次郎(ジョン万次郎)の銅像がある。
18. アメリカ合衆国画像
日本大百科全書
た。 日本側は1840年代から、オランダ書や中国書を通じて、アメリカ知識を育て始めていた。中浜万次郎や浜田彦蔵らの漂流民のアメリカ体験も、貴重な情報源になった。
19. アメリカがっしゅうこく【アメリカ合衆国】
国史大辞典
このころすでにアメリカ船は漁場や中国貿易を求めて極東に進出していた。日本水域にもアメリカ船は出没し、中浜万次郎のごとく明治維新前にアメリカに渡った日本人もいる。
20. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
島島民を小笠原島に移住させて開拓を試み、当時不明確であった領有権確立をはかった。しかし翌年中浜万次郎が咸臨丸を用いて同島で捕鯨をした際、いわゆるホーツン事件が発
21. 英学
日本大百科全書
ヘボン編集の『和英語林集成』(1866)は新しい日本文化の発展に役だった。高梨健吉海外留学開国前は、中浜万次郎(ジョン・万次郎)や浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)のよ
22. 英米対話捷径(著作ID:696628)
新日本古典籍データベース
えいべいたいわしょうけい 中浜万次郎(なかはままんじろう) 訳 外国語 安政六刊
23. えのもとたけあき【榎本武揚】
国史大辞典
元天文方出仕西ノ丸御徒目付榎本円兵衛の次男。弘化四年(一八四七)昌平坂学問所に入りさらに米国帰りの中浜万次郎の塾に学び、大鳥圭介らと相知る。箱館奉行堀織部正利煕
24. おがさわらしよとう【小笠原諸島】東京都:総論地図
日本歴史地名大系
与えたうえで、全島取締規則・港規則などを告知し、山頂に日章旗を掲揚した。このときの通訳者は中浜万次郎であった。翌年二月には母島に上陸、居住民ジェームス・モットレ
25. かわだ-しょうりょう【河田小竜】
日本人名大辞典
篠崎小竹にまなぶ。のち木下逸雲に師事した。嘉永(かえい)5年(1852)藩命でアメリカからかえった中浜万次郎をとりしらべ,聞き書き「漂巽(ひょうそん)紀略」をあ
26. 瓦版 32[別刷図版]画像
国史大辞典
万延元年(1860)の遣米使節の名簿。絵はワシントンに上陸するようすを想像したもの。文中には2隻の船の概要、中浜万次郎の紹介、使節一行の日程などが記されている。
27. きゅうすけ【九助】
日本人名大辞典
2ヵ月あまり漂流して千島沖でアメリカの捕鯨船ヘンリー-ニーランド号に救助される。ハワイにおくられ中浜万次郎とであう。翌年香港,上海などをへて長崎に帰着。別名に虎
28. ぐんかんそうれんじょ【軍艦操練所】
国史大辞典
源である。最初永井が総督、矢田堀が教授方頭取と成り、佐々倉桐太郎・鈴藤勇次郎・小野友五郎・中浜万次郎ら多数の教授・教授手伝などを置き、測量・算術・造船・蒸気機関
29. 高知[県]画像
世界大百科事典
た点や,1596年(慶長1)のスペイン船サン・フェリペ号浦戸漂着はじめ異国船の漂着,幕末の中浜万次郎の物語なども含めて,土佐湾が太平洋に大きく開いている地理的条
30. ごえもん【五右衛門】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代後期の漂流民。天保(てんぽう)12年(1841)中浜万次郎らと5人で土佐(高知県)宇佐浦から漁にでて遭難し,鳥島に漂着。5ヵ月後アメリカの捕鯨船
31. 裁縫画像
日本大百科全書
してから独立することができた。ミシンは1860年(万延1)に、遣米使節の通詞つうじとして渡米した中浜万次郎(ジョン万次郎)が初めて持ち帰り、その後、東京・芝の洋
32. さかもと-はるき【坂本春樹】
日本人名大辞典
江戸後期-明治時代の武士,歌人。文政11年11月3日生まれ。土佐高知藩士。安政6年藩命で江戸にでて,中浜万次郎らに船舶操縦法や軍艦運用術をまなび,帰郷後,高知藩
33. ジョン・マン
日本大百科全書
中浜万次郎
34. ジョン・万次郎
日本大百科全書
中浜万次郎
35. ジョン万次郎
世界大百科事典
中浜万次郎
36. ジョン‐まんじろう[‥マンジラウ]【─万次郎】
日本国語大辞典
〓なかはままんじろう(中浜万次郎
37. ジョンまんじろう【ジョン万次郎】
国史大辞典
中浜万次郎(なかはままんじろう)
38. じょん-まんじろう【ジョン万次郎】
日本人名大辞典
中浜万次郎(なかはま-まんじろう)
39. せきしんぱち【尺振八】
国史大辞典
のち尺家を継ぐ。昌平坂学問所に学んだが、幕末の状況下で洋学修得を志し、万延元年(一八六〇)中浜万次郎に師事して英語を学び、横浜で蘭人宅に雇われたのち文久元年(一
40. せき-しんぱち【尺振八】
日本人名大辞典
1839−1886 幕末-明治時代の英学者。天保(てんぽう)10年生まれ。中浜万次郎,西吉十郎らに英語をまなぶ。文久元年幕府の外国方通弁となり,遣欧使節にしたが
41. ぞうしがやれいえん【雑司が谷霊園】東京都:豊島区/雑司ヶ谷村地図
日本歴史地名大系
正式には雑司が谷都営霊園とよび、敷地はおおよそ六万七〇〇〇平方メートル。園内には小栗上野介忠順・成島柳北・中浜万次郎・綱島梁川・大井憲太郎・小泉八雲・泉鏡花・夏
42. 増訂 武江年表 2 138ページ
東洋文庫
談」(板本一、中浜万次郎)△「亜墨利加総記」(板本一、広瀬達可行)△「魯西亜本紀略」(写+一)△「異国落葉籠」(板本一、三木光斎)△「仙輿図識」(板本七、箕作玄
43. たいりくこっかのけいせい【大陸国家の形成】 : アメリカ合衆国
国史大辞典
このころすでにアメリカ船は漁場や中国貿易を求めて極東に進出していた。日本水域にもアメリカ船は出没し、中浜万次郎のごとく明治維新前にアメリカに渡った日本人もいる。
44. たかみせんせき【鷹見泉石】
国史大辞典
江戸在住時代に利位・用人枚田(ひらた)水石とともに谷文晁に入門。大黒屋光太夫からロシア語を、中浜万次郎から英語を学び、別に華語も独学した。幕府に提出した古河藩の
45. たはら-なおすけ【田原直助】
日本人名大辞典
造船技術者。文化10年10月11日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。鋳製方として砲台を築造。中浜万次郎から造船技術をまなび,安政元年わが国初の西洋式軍船昇平丸を
46. てつどう【鉄道】画像
国史大辞典
ンス人が立てた鉄道建設計画の情報が盛りこまれていた。こののち、海難に遭ってアメリカに渡った中浜万次郎や浜田彦蔵の乗車体験記が鉄道を紹介したが、蒸気機関車の構造・
47. てつどうのどうにゅうかいぎょう【鉄道の導入・開業】 : 鉄道
国史大辞典
ンス人が立てた鉄道建設計画の情報が盛りこまれていた。こののち、海難に遭ってアメリカに渡った中浜万次郎や浜田彦蔵の乗車体験記が鉄道を紹介したが、蒸気機関車の構造・
48. でんぞう【伝蔵(2)】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代後期の漂流民。天保(てんぽう)12年(1841)中浜万次郎らと5人で土佐(高知県)宇佐浦から漁にでたが遭難し,鳥島に漂着。5ヵ月後アメリカの捕鯨
49. 東京年中行事 2 312ページ
東洋文庫
四方拝以下三十三項目につき説明を施してある。著 者細川潤次郎は天保五年土佐に生れ、十洲と号す。海軍 操練所、中浜万次郎に英学を学んだ後、明治政府に仕え、 印刷局
50. 東洋金鴻 英国留学生への通信 240ページ
東洋文庫
学問の方は特に熱心に修業させられ、漢学は日下部伊三次・安積艮斎に師事し、また語学は箕作阪甫について蘭学を、中浜万次郎・森山多吉郎について英学を学んでいる。そして
「中浜万次郎」の情報だけではなく、「中浜万次郎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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