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大伴金村(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
五世紀末から六世紀前半へかけての大和朝廷の有力者。武烈・継体・安閑・宣化朝の大連。大伴談(かたり)の子。磐・咋・狭手彦の父。仁賢天皇の死後、権勢強大な平群氏を滅ぼし、武烈天皇を即位させた。武烈の死後、あとをつぐ皇族がないため、金村は群臣とはかって
十返舎一九(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の洒落本(しゃれぼん)、黄表紙(きびょうし)、滑稽本(こっけいぼん)、合巻(ごうかん)作者。本名重田貞一(しげたさだかず)、通称与七。十返舎は香道の十返(とがえ)しにちなみ、一九は幼名市九による。酔斎、十偏舎、十偏斎などとも号す。前半生の伝記
曲亭馬琴(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸後期の小説家。姓は滝沢、名は興邦(おきくに)、のち解(とく)と改める。字(あざな)は子翼、瑣吉(さきち)。通称は清右衛門、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)。別号は大栄山人(だいえいさんじん)、著作堂(ちょさどう)主人、飯台陳人、乾坤(けんこん)
小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫、美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによると
弁慶(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて一一八九年(文治五)とされる。『吾妻鏡』や『平家物語』にその名が見えるので、実在の人物と考えられているが、詳しくは不明。その説話や伝承は、『義経記』をはじめ室町時代の
鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い
一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋
水戸黄門(日本架空伝承人名事典)
徳川光圀。江戸中期の大名。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男として水戸に生まれる。母は頼房の側室谷久子。家臣の屋敷で養われた。幼名は長丸、のち千代松、九歳で元服のとき三代将軍徳川家光の一字を与えられて光国と名のる。のち五〇歳代に国を圀に改めた。字ははじめ
小栗忠順(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末の幕臣。慶応(けいおう)期の徳川幕府を支えた中心人物の一人。江戸の生まれ。幼名を剛太郎、また襲名を又一ともいう。のち豊後守(ぶんごのかみ)、さらに上野介(こうずけのすけ)と改めた。1859年(安政6)目付となり、1860年(万延1)には日米修好通
山内豊信(日本大百科全書・世界大百科事典)
幕末期の土佐藩主。文政(ぶんせい)10年10月9日生まれ。分家山内豊著(とよあきら)の長男、宗家豊惇(とよあつ)の養子。1848年(嘉永1)15代目の藩主となり、隠居後、容堂(ようどう)と号す。分家出身のため苦労したが、ペリー来航後の対外的危機の緊迫
鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。《視聴草》によれば,1823年(文政6)以来10年間に99ヵ所の武家屋敷へ122度も忍びこみ,金3000両余を盗む。盗金は酒食や遊興,ばくちなどに費やした。32年8月獄門。36歳とも37歳ともいわれた。のち小説,講談,戯曲に義賊とし
塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじょう)鹿島家の四宿老(しゅくろう)の一つで、鹿島社(鹿島神宮)の祠官(しか
渋沢喜作(国史大辞典・日本人名大辞典)
一八三八-一九一二明治時代の実業家。渋沢栄一の従兄で、栄一より二歳年長。天保九年(一八三八)六月十日、武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)に渋沢文平の子として生まれる。文久三年(一八六三)栄一らとともに攘夷を決行しようとしたが中止した。翌元治元年
五代友厚(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
実業家、政商。薩摩(さつま)藩士で儒者兼町奉行(まちぶぎょう)の五代直左衛門秀堯(ひでたか)の次男として生まれる。幼名を徳助、才助といい、松蔭と号す。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争(1863)に参加し捕虜となるが脱出した
安倍晋三(日本大百科全書・日本人名大辞典)
政治家。東京都生まれ。父親は元外務大臣安倍晋太郎(1924―1991)、祖父が元首相岸信介(きしのぶすけ)、大叔父が元首相佐藤栄作(さとうえいさく)という政治家一族に生まれる。小学校から大学までを東京都武蔵野市にある成蹊(せいけい)学園で学び
赤穂浪士(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一七〇一年(元禄一四)三月一四日に、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(五万三五〇〇石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼
松平慶永(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
幕末期の越前国 (えちぜんのくに)福井藩主、幕府の政事総裁。元服のときにつけた雅号春嶽 (しゅんがく)が通称となる。田安 (たやす)家徳川斉匡 (とくがわなりまさ)の八男で、1838年(天保9)11歳のとき、越前家を継ぎ、第16代藩主となった
徳川家茂(日本大百科全書)
江戸幕府第14代将軍。紀州11代藩主徳川斉順 (なりゆき)(将軍家斉の子)の長子。弘化 (こうか)3年閏 (うるう)5月24日、赤坂の江戸藩邸に生まれる。幼名菊千代、のち慶福 (よしとみ)と称す。12代藩主斉彊 (なりかつ)(斉順の弟)の養
徳川昭武(世界大百科事典)
明治初年の水戸藩主,のち水戸藩知事。徳川斉昭の18子。1866年(慶応2)三卿の一つ清水家を相続。67年パリで開かれた万国博覧会に,将軍徳川慶喜の名代として参列し,スイス,オランダ,ベルギー,イタリア,イギリスの各国を歴訪し,再びパリへ戻って留学した
川路聖謨(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
江戸末期の政治家。幕府の徒士 (かち)内藤吉兵衛 (きちべえ)の子として豊後 (ぶんご)国(大分県)日田に生まれ、小普請 (こぶしん)組川路三左衛門光房 (さんざえもんみつふさ)の養子となる。通称弥吉 (やきち)、のち三左衛門。18歳のと
オルター(日本大百科全書)
アメリカの医学者、ウイルス学者。ニューヨーク市生まれ。ロチェスター大学で医学を学び、1960年医学博士号を取得した。ロチェスター大学付属のストロング・メモリアル病院などで内科医として研鑽 (けんさん)を積み、1961年にアメリカ国立衛生研究所(NI
バイデン(日本大百科全書)
アメリカ合衆国第46代大統領。ペンシルベニア州生まれ。1953年、父の仕事のため、デラウェア州に転居し、1965年デラウェア大学卒業、その後シラキュース大学法科大学院に進む。デラウェア州を長年拠点に活動し、弁護士や地方政治家を経て、1972年11月に
サン・テグジュペリ(集英社世界文学大事典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
フランスの飛行家,作家。古い貴族の家系の長男としてリヨンに生まれる。4歳で父を失うが,母方の城館で幸福な子供時代を過ごす。カトリック系の学校で中等教育を受けたのち,パリに出て海軍兵学校を目指すが入試に失敗。1921年兵役に服し,飛行操縦生となり,予備
ルイス・キャロル(集英社世界文学大事典・日本大百科全書)
イギリスの作家,数学者。本名チャールズ・ラトウィジ・ドジソンCharles Lutwidge Dodgson。童話『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(解説後出)の作者。牧師の長男としてチェシャーに生まれ,多くの弟妹に囲まれて,家族回覧雑誌を作り
丹下左膳(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)の名刀をめぐる争いに藩主の密命
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
銭形平次(日本架空伝承人名事典)
野村胡堂が一九三一年(昭和六)から五七年まで書き継いだ『銭形平次捕物控』シリーズ(長・短編合わせて総計三八三編)の主人公。江戸神田明神下の長屋に住む「江戸一番の捕物名人」の御用聞(岡っ引き)。犯罪者の捕縛に際して、投げ銭の特技を見せるところから、銭形
武田耕雲斎(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一八〇四 - 六五 幕末尊攘派の水戸藩士。文化元年(一八〇四)同藩士跡部正続の嫡男として生まれる。正続の兄正房の養子となり本家を継いだが、のち跡部の旧姓武田に復す。名は正生。通称は彦太郎、彦九郎、のち修理。字は伯道。号は如雲、致仕後に耕雲斎。文化十四年
高島秋帆(世界大百科事典・国史大辞典)
幕末の長崎会所調役頭取で砲術家。名は茂敦,通称は四郎太夫,秋帆は号。長崎防備のため,はじめ荻野流砲術を学び,のち出島のオランダ人から西洋砲術を学んで,これを高島流砲術と名づけた。西洋近代砲術を最初に紹介したものといえる。アヘン戦争が起こった1840年
菅義偉(日本大百科全書)
政治家。秋田県の生まれ。秋田県立湯沢高等学校を卒業後、上京し就職するがほどなくして帰郷。二浪して法政大学法学部政治学科に進学する。空手道部に4年間在籍し空手道二段。1973年(昭和48)3月同大学卒業。1975年政治家を志し大学OBで自由民主党
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