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金正恩(世界人名大辞典・日本大百科全書)
1984.1.8~北朝鮮の政治家.金正日(キムジョンイル)の3男.生年は1983年説もある.北朝鮮で生まれ,スイスの公立学校に在学しドイツ語などを学んだ [96-2000].帰国後,金日成総合大学を経て,金日成軍事総合大学特設班で砲術を学んだ [02-07]とされる
イェーツ(日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランドの詩人、劇作家。6月13日ダブリン郊外のサンディマウントに生まれる。父ジョンは画家。1867年に一家はロンドンに移ったが、母の郷里スライゴーに帰ることも多く、幼時からアイルランド北西海岸の風景や、農民の語る妖精(ようせい)談になじんだ
イブン・バットゥータ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1304.2.24~68・9(77)アラブの大旅行家.モロッコのタンジール生まれ.21歳の時にマッカ(メッカ)巡礼に出立 [1325],エジプトに入り,アラビア半島,イラク,イラン,シリア,アナトリア,東アフリカ,南ロシア,コンスタンティノポリスを歴訪
ダンテ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1265.5.21(-6.21)~1321.9.13(14)イタリアの詩人,哲学者.フィレンツェに生まれる.若い頃から詩人カヴァルカンティやチーノ・ダ・ピストイアらと交友があり,ラティーニに師事して修辞学を学ぶ.この頃イタリア語での詩作を始め,いくつかは《詩集:Rime》に収められている
マルコ・ポーロ(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1254~1324.1.8ヴェネツィアの商人,東洋旅行家.父(Niccolo P.)および叔父(Matteo P.)は,クリミア半島からキプチャク・ハン国に至ったが,戦乱のため帰路を閉ざされてさらに東方に向かい,モンゴル帝国の首都ドロンノール(上都開平府)においてクビライに拝謁した
トマス・アクィナス(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1225(-27)~74.3.7イタリアの盛期スコラ学最大の神学者,哲学者,聖人.アクィーノ伯家に生まれる.モンテ・カッシーノおよびナポリで教育をうけ,ドミニコ会に入った [1244].パリおよびケルンに赴き,主としてパリに滞在して [45-59],アルベルトゥス・マグヌスに師事
クビライ(世界人名大辞典・国史大辞典)
尊号:セチェン・カーンSečen Qaγan 諡号:聖徳神功文武皇帝 廟号:世祖〔漢〕忽必烈1215.9.23~94.2.18[世祖至元31.1.22]モンゴル帝国の第5代カーン(元朝皇帝) [1260/94].トルイの4男,チンギス・カンの孫,生母はソルカクタニ・ベキ.モンケがカーンに即位すると
インノケンティウス3世(世界人名大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1160~1216.7.16ローマ教皇 [1198/1216].グレゴリウス7世の教権統治思想を踏襲し,教皇庁の強化および教皇領の失地回復を図った.ドイツの帝位争いにおいては [1198-],オットー4世を助けて,ローマで戴冠させた [1209]が,同帝が約束に反して
朱熹(世界人名大辞典・世界文学大事典)
1130.10.18[建炎4.9.15]~1200.4.23[慶元6.3.9]中国南宋の思想家,儒者.一般に朱子と呼ばれる.本籍は徽州の婺源(ぶげん)だが,福建尤渓(ゆうけい)(現,福建三明)で生まれた.科挙に合格,地方官として各地をまわるが,地元の福建で教育と学問に携わる期間が長かった
ウィリアム1世(世界人名大辞典・世界大百科事典)
1027(28)~87.9.9イングランド王 [1066/87].ノルマンディー公ロベール1世(悪魔公)(Robert I le Diable †1035)の庶子.父が没するとノルマンディー公ギヨーム2世(Guillaume II)となり [1035-87],ハロルド2世がイングランド王に即位する [66]と,先王エドワード(証聖王)による
イブン・スィーナー(世界人名大辞典・世界大百科事典)
イスラーム哲学者,医学者.ブハラ(現ウズベキスタン)でサーマーン朝のペルシア人官吏の子として生まれ,イスラーム,ギリシア,インドの諸学,特に哲学,医学,数学,天文学などを極めた.サーマーン朝の王子を治療して宮廷に出入りし
范寛(世界人名大辞典・世界大百科事典)
名:中正 字:中立(仲立)中国北宋の画家.華原(現,陝西銅川)の人.性格が温厚で度量が大きかったことから「寛」とあだ名されるようになったという.在野の山水画家で,天聖年間 [1023-32]には,なお在世していたとされる
連歌(小学館 全文全訳古語辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
〔名詞〕短歌の上の句(五七五)と下の句(七七)とを、二人が応答してよむ詩歌の一種。平安時代に発生し、はじめは、二人の唱和で一首とする「短連歌」であったが、中世以降、二人以上(時には一人)で、五七五と七七の句を交互に長く続ける「長連歌」
俳諧集(新編 日本古典文学全集)
俳諧集(扉) 哥いづれの巻(貞徳翁独吟百韻自註)(扉) 作品解説・作者解説 哥いづれ小町おどりや伊勢踊 紅梅やの巻(紅梅千句)(扉) 作品解説・作者解説 梅 第一 蚊柱はの巻(蚊柱百句)(扉) 作品解説・作者解説 そもそもいきとしいけるもの
吉田茂(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八八五 - 一九五四 大正・昭和時代の内務官僚、政治家。明治十八年(一八八五)九月二日大分県北海部郡臼杵町(臼杵市)に生まれる。父は銀行員。父の転勤により上京。同四十四年東京帝国大学法科大学独法科卒業。内務省に入り地方官を経て神社局第二課長、同第一課長を歴任
マッカーサー(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八八〇 - 一九六四 アメリカ合衆国軍人、日本占領連合国最高司令官(昭和二十年(一九四五)―二十六年)。一八八〇年一月二十六日アーカンソー州リトル=ロックに生まれる。父親アーサー=マッカーサーは陸軍中将。一九〇三年陸軍士官学校卒業後
山本五十六(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[1884―1943]昭和期の海軍軍人。明治17年4月4日新潟県生まれ。海軍兵学校32期、海軍大学校14期卒業。第一次世界大戦後の3回にわたる在米勤務ののち、いち早く航空機の将来性に着目。1930年(昭和5)航空本部技術部長、1935年航空本部長。航空兵力を主体とした対米迎撃戦を構想し
犬養毅(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五五 - 一九三二 明治から昭和時代にかけての政党政治家。号は木堂。安政二年(一八五五)四月二十日、岡山藩士犬養源左衛門の次子として生まる。明治八年(一八七五)上京、『郵便報知新聞』に寄稿しながら慶応義塾に学んだ。同十年西南戦争に記者として従軍
原敬(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五六 - 一九二一 明治・大正時代の政党政治家。幼名は健次郎。鷲山・一山・逸山などと号した。最初の夫人貞子は中井弘の娘。安政三年(一八五六)二月九日陸奥国盛岡(南部)藩士原直治・リツ子の次男(第四子)として同藩盛岡城外本宮村(盛岡市本宮)に生まれる
尾崎行雄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五八 - 一九五四 明治から昭和時代前期にかけての政党政治家。号は咢堂。安政五年(一八五八)十一月二十日、尾崎行正・貞子の長男として相模国津久井郡又野村(神奈川県津久井郡津久井町)に生まれる。地方官であった父の転任で度会県に居住
野口英世(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八七六 - 一九二八 明治から昭和時代にかけての医学者、細菌学者。幼名清作。明治九年(一八七六)十一月九日佐代助・シカの長男として福島県耶麻郡三ツ和村(猪苗代町)に生まれる。二十九年秋、東京に出て高山歯科医学院の学僕となり、翌年済生学舎に学ぶ
西園寺公望(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八四九 - 一九四〇 明治から昭和時代前期にかけての政治家。最後の元老。嘉永二年(一八四九)十月二十三日公家の清華の家柄である右大臣徳大寺公純(きんいと)の次男として京都に生まれる。母は宇佐八幡宮神主正親盛澄の娘斐子。徳大寺実則の実弟
田中正造(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八四一 - 一九一三 明治時代の政治家、社会運動家。天保十二年(一八四一)十一月三日、下野国安蘇郡小中村(栃木県佐野市小中町)に生まれる。父は名主役富蔵、母サキ、幼名兼三郎。少年期赤尾小四郎塾で学ぶ。安政四年(一八五七)十七歳で父の割元昇進に伴い
志賀潔(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八七〇 - 一九五七 明治から昭和期にかけての細菌学者。志賀赤痢菌の発見者。医学博士。貴洋史と号す。明治三年(一八七〇)十二月十八日仙台に生まれる。父は旧仙台藩士佐藤信。母の生家志賀家を嗣いだ。明治十九年東京に出、同二十九年帝国大学医科大学卒
北里柴三郎(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五二 - 一九三一 明治・大正時代の細菌学者。嘉永五年(一八五二)十二月二十日肥後国阿蘇郡小国郷北里村に生まれた。父は惟信、母は加藤海助の女貞子、柴三郎はその長男である。明治二年(一八六九)熊本藩の藩校時習館に入ったが
東郷平八郎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[1847―1934]明治・大正期の海軍軍人。弘化(こうか)4年12月22日生まれ。薩摩(さつま)藩出身。初め仲五郎(なかごろう)と称し、元服して平八郎と称す。薩英戦争に参加後、1866年(慶応2)薩摩藩の海軍に入る。戊辰(ぼしん)戦争に薩摩藩の軍艦「春日(かすが)」
小村寿太郎(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八五五 - 一九一一 明治時代の外交官、外相。侯爵。安政二年(一八五五)九月十六日、日向国飫肥(宮崎県日南市)に生まれる。父は飫肥藩の徒士小村寛平、母は梅子。文久元年(一八六一)藩校振徳堂にはいり頭角をあらわして、小倉処平の注目する
陸奥宗光(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八四四 - 九七 明治時代の政治家で第二次伊藤内閣の外務大臣。伯爵。父は和歌山藩士伊達藤二郎宗広、母は同じく和歌山藩士渥美源五郎の長女政子。その第六子として、弘化元年(一八四四)七月七日誕生。幼名牛麿。父宗広は家禄八百石、藩の重職を歴任したが
大隈重信(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三八 - 一九二二 明治・大正時代の政治家。天保九年(一八三八)二月十六日佐賀の会所小路に、父信保、母三井子の長男として生まれた。幼名は八太郎。大隈家は代々、佐賀藩に砲術・築城家としてつかえ、父信保も知行地四百石、物成百二十石を支給された
板垣退助(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三七 - 一九一九 幕末・明治時代の政治家。天保八年(一八三七)四月十七日高知城下中島町の邸に生まれた。父は高知藩士乾正成、母は林氏賢貞。家禄三百石、馬廻格。退助の幼名は猪之助。安政二年(一八五五)勤番を以てはじめて江戸に上り、翌年帰藩
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