1. 大石良雄画像
日本大百科全書
赤穂あこう浅野あさの家の家老。代々家老で内蔵助くらのすけと称し家禄は1500石。いわゆる赤穂事件で吉良邸討入りの首領となり、名を知られた。1701年(元禄14)
2. 大石良雄
世界大百科事典
率いて吉良邸に討ち入り目的をとげたが,幕府から切腹を命じられ翌年2月4日に死んだ。田原 嗣郎 大石良雄は赤穂浪士の討入りに取材した〈忠臣蔵物〉の作品群の中心人物
3. おおいし‐よしお【大石良雄】
日本国語大辞典
赤穂義士の頭領。播磨赤穂藩浅野家の家老。正しくは「よしたか」。通称内蔵助。元祿一五年(一七〇二)一二月、同志と共に吉良(きら)邸を襲って、主君浅野長矩の仇を討つ
4. おおいしよしお【大石良雄】
国史大辞典
見るとき、吉田忠左衛門・原惣右衛門・小野寺十内らの協力を無視することができず、この人々の上に、大石良雄はまとめ役として行動したということができる。→赤穂事件(あ
5. おおいし-よしお【大石良雄】
日本人名大辞典
1659−1703 江戸時代前期の武士。万治(まんじ)2年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩家老。儒学を伊藤仁斎(じんさい)に,兵学を山鹿素行(や
6. 大石良雄[文献目録]
日本人物文献目録
』森林助『大石良雄と仏教』前田慧雪『大石良雄の画賛』-『大石良雄の画事』渡辺乙羽『大石良雄の自画像』しげたみ『大石良雄の書翰に就いて』阿久津沼村『大石良雄の真画
7. 大石良雄
日本史年表
1702年〈元禄15 壬午⑧〉 12・15 赤穂浪士 大石良雄 ら、吉良義央を討つ(実紀)。 1703年〈元禄16 癸未〉 2・4 幕府、大石良雄ら46人に切腹
8. 大石良雄娘 (見出し語:大石良雄)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 1259ページ
9. 大石良雄登二青樓一 (見出し語:大石良雄)
古事類苑
居處部 洋巻 第1巻 1131ページ
10. 大石良雄(大石内蔵助)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
1847~1852年(弘化4~嘉永5) 歌川国芳くによし画国立国会図書館所蔵
11. おおいしよしおたくあと【大石良雄宅跡】京都市:山科区/西野山村地図
日本歴史地名大系
蔵助カ隠居所ト定メテ、敵討ノ時節ニハ其辺ノ禅宗僧ニチナミヲ致シ、此僧ニ屋鋪ヲ預ケ」たとみえる大石良雄の「隠レ所」。ここに住んで島原・撞木町などへ遊興に通ったとい
12. 大石良雄遺書(著作ID:116552)
新日本古典籍データベース
おおいしよしおいしょ 大石内蔵助遺状写
13. 大石良雄大高源吾手簡(著作ID:116563)
新日本古典籍データベース
おおいしよしおおおたかげんごしゅかん
14. 大石良雄自画像記(著作ID:15269)
新日本古典籍データベース
おおいしよしおじがぞうき 赤松 滄洲(あかまつ そうしゅう)
15. 大石良雄筆扇面(著作ID:676073)
新日本古典籍データベース
おおいしよしおひつせんめん 元禄一五
16. 介石記(著作ID:126647)
新日本古典籍データベース
かいせきき 大石良雄忠義物語 実録
17. 赤穂大石良雄之状写(著作ID:4385740)
新日本古典籍データベース
あこうおおいしよしおのじょううつし
18. 赤穂(市)画像
日本大百科全書
電機の諸工業が立地し、播磨工業地域の一角を形成し、西播磨テクノポリスの副母都市ともなっている。 赤穂城跡、大石良雄宅跡(国指定史跡)、花岳寺(浅野氏菩提ぼだい寺
19. あこうぎしろん【赤穂義士論】
国史大辞典
大石良雄以下旧赤穂浅野家(赤穂藩)の浪士四十七人が、元禄十五年(一七〇二)十二月十四日、江戸本所一ツ目の吉良義央邸に討ち入った行動を賞讃する論。赤穂事件の結末
20. あこうし【赤穂市】兵庫県
日本歴史地名大系
跡が多い。一二月一四日の義士祭は、明治元年明治天皇が泉岳寺(現東京都港区)へ勅使を差遣わして大石良雄らを嘉賞した勅語を与えたことに始まる。同四一年提灯行列が開始
21. あこうじょう【赤穂城】
国史大辞典
)の設計を修正したことなどが城郭史上重要。周辺の地形は変わったが遺構はよく遺り、大手門内史跡大石良雄宅跡には長屋門が遺る。城址は国史跡に指定されている。 [参考
22. あこうじょうあと【赤穂城跡】兵庫県:赤穂市/赤穂城下
日本歴史地名大系
れ、著述に励みながら延宝三年(一六七五)許されるまで在留した。浅野氏の家臣に影響を与え、家老大石良雄(内蔵助)も兵法を学んでいる(「山鹿家譜並年譜」山鹿家文書、
23. 赤穂浪士画像
世界大百科事典
れた浅野家の名誉を回復しようとする者があった。いわゆる急進派である。それに対して家老であった大石良雄は長矩の弟大学によって浅野家の再興を図るとともに,吉良へもな
24. 赤穂浪士
世界大百科事典
1927-28年(昭和2-3),《東京日日新聞》に連載。28-29年,改造社から3巻本として刊行。この小説中の大石良雄は,松の廊下での刃傷事件に対する幕府の処置
25. あこうろうし【赤穂浪士】
日本架空伝承人名事典
れた浅野家の名誉を回復しようとする者があった。いわゆる急進派である。それに対して家老であった大石良雄は長矩の弟大学によって浅野家の再興を図るとともに、吉良へもな
26. 赤穂浪士(小説)
日本大百科全書
の期待を裏切って虚無的な行動に走り、やがて上杉家の家老千坂兵部ひょうぶのスパイ組織に加入し、大石良雄たちの動静を探る。赤穂義士とせず浪士としたところに作者の批判
27. 赤穂浪士(日本史)画像
日本大百科全書
または亡君の遺志を継いで吉良を殺し両成敗の処分を事実上完成させることで回復されると考えた。前者は家老であった大石良雄おおいしよしお以下多数の考えであり、長矩の弟
28. 赤穂浪士一覧
日本大百科全書
長子主税ちからとともに参加。変名、池田久右衛門、垣見五郎兵衛。法名、忠誠院刃空浄剣居士こじ。〈大石良雄〉吉田忠左衛門兼亮よしだちゅうざえもんかねすけ 64歳。足
29. あさい-もとあき【浅井元秋】
日本人名大辞典
陸奥(むつ)仙台藩士。大地寄治に甲州流兵学をまなび,大番頭(おおばんがしら)などをつとめた。大石良雄,細井広沢(こうたく)と親交があり,大石から愛刀をおくられた
30. あさのながのり【浅野長矩】
国史大辞典
江戸芝高輪の泉岳寺に葬る。法名は冷光院殿前少府朝散大夫吹毛玄利大居士。この事件によって領地は没収され、また遺臣大石良雄らの諸士による復讐が行われた。室は浅野長治
31. あさの-ながのり【浅野長矩】
日本人名大辞典
墓所は泉岳寺(東京都港区高輪(たかなわ))。官職名は内匠頭(たくみのかみ)。翌年12月14日家老の大石良雄以下遺臣47人が吉良邸に討ち入り長矩の仇(あだ)を討っ
32. 一寸の光陰軽んずべからず
故事俗信ことわざ大辞典
わずかな時間であっても、決して無駄にしてはならない。 大石良雄(1906~07)〈塚原渋柿園〉続編・下・一三「御意通り百日にも偽りますなあ。一寸の光陰軽んずべか
33. いとうじんさい【伊藤仁斎】
国史大辞典
持とうとしなかったが、門人の中には京都在勤の諸藩の武士などもあり、赤穂義士中の小野寺十内秀和はその一人であり、大石良雄もそうであったといわれる。その性質は温厚で
34. 岩屋寺
日本大百科全書
る本尊の不動明王は、浅野家の遺臣大石良雄よしおが山科に隠棲いんせいしていたときの念持仏であった。境内には47人の赤穂あこう義士の木像を安置する木像堂、大石良雄植
35. 江戸近郊道しるべ 300ページ
東洋文庫
大師河原すべて三千石の地也、海道より海端まで長さ一里ありと云、元禄のいにしへ、 浅野長矩の臣大石良雄が徒、しばしこ』にかくれ住し時、石の地蔵尊一躯を作り、夜深く
36. 江戸小咄集 1 272ページ
東洋文庫
」とある。播州赤穂の城主浅野内匠頭、私怨にて吉良上野介を江戸城内にて斬り、切腹。その仇を家来大石良雄以下四十七人が打った事件を脚色した歌舞伎劇の題名 (∈丁稚と
37. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
制定1697(元禄10)7月 旗本知行制改正(地方直し)1702(元禄15)12月 赤穂浪士大石良雄ら吉良義央を討つ1707(宝永4)10月 幕府、藩札を禁止1
38. 江戸繁昌記 2 204ページ
東洋文庫
尾に坐下し、仮果して天を仰ぐ。風無し、波無し。看る、那の舟漸ぐ揺動し来るを。忽ち見る、大石良雄が数箇の幕間を拉ぎて、下流より活り過ぐるを。條ち見る、伴頭、手代(
39. 江戸繁昌記 3 212ページ
東洋文庫
元禄十四年勅使接待役浅野長短を苦しめ、殿中に刃傷せられ、わずかに死を免れたが、翌年長矩の遺臣大石良雄らに殺された。六二歳(四)小忽小さな怒り (五)大礼を妨げ勅
40. 絵本江戸風俗往来 273ページ
東洋文庫
発するのである。師匠の方は佐倉宗五郎の甚兵衛の渡しをやったが、デロレンがひどく長かった。弟子の方は大石良雄だったが、ギヤマンのコップなどという新しい感じのことば
41. えんつうじ【円通寺】兵庫県:城崎郡/竹野町/円通寺村
日本歴史地名大系
寺内抱井山投老庵に隠居していた京都南禅寺の大休の弟子となり祖錬元快と称した。こうした関係から大石良雄の書状や、りく夫人の打掛けも秘蔵されている。
42. おおいし‐き[おほいし‥]【大石忌】
日本国語大辞典
〔名〕毎年三月二〇日(陰暦二月四日)、赤穂義士の忌日に、京都祇園の万亭(一力)で営む法会。この万亭で、大石良雄が遊興したと伝えられており、当日、義士の遺墨、遺品
44. おおいし-くらのすけ【大石内蔵助】
日本人名大辞典
⇒大石良雄(おおいし-よしお)
45. おおいしくらのすけ【大石内蔵助】
日本架空伝承人名事典
大石良雄。赤穂浅野家の家老。代々家老で、家禄は一五〇〇石。主君浅野長矩(ながのり)の一件に対する大石の方針は浅野家の名誉の回復であったが、名誉あるかたちでの浅野
46. 大石神社
世界大百科事典
兵庫県赤穂市にあり,大石良雄以下四十七士を主神とし,萱野三平(《仮名手本忠臣蔵》の早野勘平)を併せまつる。境内地は赤穂城内大手門近くにあった大石良雄の屋敷跡にあ
47. おおいし-せざえもん【大石瀬左衛門】
日本人名大辞典
県)赤穂(あこう)藩士。四十七士のひとり。藩主浅野長矩(ながのり)につかえ馬廻役をつとめる。大石良雄らと東軍流剣術を奥村重旧(しげひさ)にまなぶ。長矩自刃(じじ
48. おおいし-ちから【大石主税】
日本人名大辞典
1688−1703 江戸時代前期の武士。元禄(げんろく)元年生まれ。大石良雄の長男。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)四十七士のひとり。元禄14年藩主浅野長
49. おおいしまとら【大石真虎】
国史大辞典
寛政四年(一七九二)尾張国名古屋門前町の医師小泉隆助の次子として生まれる。幻名を門吉。成人後、大石良雄を敬慕して姓を大石と改めた。通称は小門太・衛門七・寿太郎・
50. おおいし-むじん【大石無人】
日本人名大辞典
播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩士。浅野長直につかえ,寛文のころ辞して江戸にうつる。大石良雄らの主君仇(あだ)討ち計画を支援した。正徳(しょうとく)2年