NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 真田信之(真田信幸)

真田信之(真田信幸)

ジャパンナレッジで閲覧できる『真田信之(真田信幸)』の国史大辞典のサンプルページ

真田信之
さなだのぶゆき

一五六六 - 一六五八
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため、天正十年(一五八二)人質として駿府に送られ、同十四年家康の養女となっていた本多忠勝の娘を娶る。同十八年の小田原征伐では父とともに豊臣秀吉に属し功をあげ、戦後旧領の沼田を復するとここに住んだ。文禄二年(一五九三)に秀吉の命により従五位下伊豆守に叙任。慶長五年(一六〇〇)の家康の会津征伐には父や弟と従軍していたが、この間に石田三成が兵をあげたのを知り、父昌幸・弟幸村が西軍に味方したのに対し、信之は行動を別にして沼田に帰ったところ、領内を父の兵に放火されたため、父の要害伊勢山の砦を攻撃した。そして東山道から西上した徳川秀忠軍が昌幸の居城上田城を攻撃した際には、信之もこれに参加した。関ヶ原の戦後、父弟の助命を乞い戦功によって許され、これまでの所領である上野国利根郡二万七千石と父の本領信濃国小県郡三万八千石に、三万石の加増がなされ、計九万五千石を領し上田城に住んだ。同十九年の大坂冬の陣では徳川方の先鋒となり、息子信吉とともに青屋口今福に陣して功をあげた。元和二年(一六一六)七月の松平忠輝改易にあたっては、仙石忠政と越後国高田城の三ノ丸を守衛した。同八年信濃国松代に移封され、高井・水内・埴科・更科の四郡で十万石、それに旧領沼田の三万石をあわせた十三万石を領した。明暦二年(一六五六)十月晦日致仕し、松代領を嗣子信政に、沼田領を嫡男信吉にそれぞれ譲った。万治元年(一六五八)十月十七日、領地埴科郡柴村(長野市松代町)において没す。九十三歳。法諡は大鋒院殿徹巌一当大居士。柴村大鋒寺に葬られる。現在位牌は松代町長国寺にある。
[参考文献]
『寛政重修諸家譜』六五四、『大鋒院殿御事蹟稿』(『(新編)信濃史料叢書』一六・一七)、春日政治「真田信之の和歌」(史学地理学同攷会『歴史と地理』五ノ二)
(笹本 正治)
©Yoshikawa kobunkan Inc.
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


真田信之(真田信幸)の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 135
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 真田信之
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代・江戸初期の武将。昌幸(まさゆき)の長男。初め信幸。1585年(天正13)昌幸が信濃(しなの)(長野県)上田城に籠城(ろうじょう)したとき ... ...
2. 真田信之
世界大百科事典
1566-1658(永禄9-万治1) 安土桃山・江戸初期の武将。上野国沼田城主真田昌幸の子。初名信幸,通称源三郎,伊豆守。1593年(文禄2)沼田城主となる。1 ... ...
3. さなだのぶゆき【真田信之】 画像
国史大辞典
[参考文献]『寛政重修諸家譜』六五四、『大鋒院殿御事蹟稿』(『(新編)信濃史料叢書』一六・一七)、春日政治「真田信之の和歌」(史学地理学同攷会『歴史と地理』五ノ ... ...
4. さなだ-のぶゆき【真田信之】
日本人名大辞典
1566−1658 織豊-江戸時代前期の大名。永禄(えいろく)9年生まれ。真田昌幸(まさゆき)の長男。天正(てんしょう)18年上野(こうずけ)(群馬県)沼田城主 ... ...
5. 真田信之[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『真田信之の和歌』春日政治 ... ...
6. 真田信之印[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
7. 眞田信之妻(さなだのぶゆきのつま)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1266ページ ... ...
8. 真田信之夫人[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『真田大蓮院夫人』堀内信水『真田信之夫人』山本強哉 ... ...
9. さなだ-のぶゆきの-つま【真田信之妻】
日本人名大辞典
⇒真田小松(さなだ-こまつ) ... ...
10. あいむら【会村】長野県:長野市/篠ノ井地区
日本歴史地名大系
取った「横田御陣」(大塔物語)はいずれもこの会館(横田城の別称)であると考えられる。近世を通じて松代領。真田信之は寛永元年(一六二四)小泉弥兵衛に会村の地に「仁 ... ...
11. あおきくぼばやし【青木窪林】長野県:上田市/神川地区
日本歴史地名大系
奉仕している(「諏訪御符礼之古書」守矢文書)。近世初頭には真田領となったが、元和三年(一六一七)正月九日、真田信之は出浦対馬守らに命じ、小県郡の領内各地を開発さ ... ...
12. あめのみやにいますひえじんじゃ【雨宮座日吉神社】長野県:更埴市/雨宮村
日本歴史地名大系
日吉社で、当社の祭日ともに神輿を本村の唐(辛)崎社に参るともいう(→須々岐水神社)。松代藩は真田信之の時より祭に籾一〇俵を下賜(「大鋒院殿御事蹟稿」元和九年四月 ... ...
13. あわさむら【粟佐村】長野県:更埴市
日本歴史地名大系
村田角兵衛(花押黒印) 肝煎百性中参同じ諏訪文書の寛永元年(一六二四)八月には、松代藩主真田信之は、家臣の太田加右衛門らに「粟佐村肝煎石川伝内に新田欠落百姓 ... ...
14. いくしまたるしまじんじゃ【生島足島神社】
国史大辞典
(やえことしろぬし)命・八坂刀売(やさかとめ)命を祀り、社殿は慶長年間(一五九六―一六一五)真田信之の建立にかかる。例祭は四月十九日・九月十九日。なお蟇目鳴弦並 ... ...
15. いせやま【伊勢山】長野県:上田市/神科地区/塚原村
日本歴史地名大系
女二一九人と記されている。村内の陽泰寺は戸石城の東側山麓にあり、曹洞宗、本尊釈迦如来。慶長六年八月、真田信之より寺領五貫文を安堵されている(陽泰寺文書)。天明三 ... ...
16. いづなじんじゃ【飯縄神社】長野県:長野市/新安村
日本歴史地名大系
幕府は同大明神に荒安村の一〇〇石を社領に寄付した(「大久保長安判物案」同文書)。慶安二年(一六四九)松代城主真田信之から幕府へ朱印下付を申請し、同年八月一七日、 ... ...
17. いなづみしゅく【稲積宿】長野県:長野市/稲積村
日本歴史地名大系
三村一宿とし、稲積村・東条村の両所に問屋をおいて、月の上下半月交代で伝馬役を勤めさせた。同九年真田信之もまた三村をもって伝馬宿とし、諸役を免じた(吉沢文書)。そ ... ...
18. いわかどむら【岩門村】長野県:上田市/神科地区
日本歴史地名大系
社文書)に「大宮南方大鳥居(中略)岩門之郷、正物五貫文代官宮内右衛門尉」として岩門がみえる。真田信之は慶長七年(一六〇二)二月二七日家臣鈴木久次郎へ「岩門之郷内 ... ...
19. うえだしゅく【上田宿】長野県:上田市/上田城下
日本歴史地名大系
が出ているので、同時期と考えられる。坂木宿へ三里六丁、海野宿へ二里。元和二年(一六一六)藩主真田信之から町奉行への申書に、原町造成奉行申付候内其方預置候、伝馬已 ... ...
20. うえだじょうか【上田城下】長野県:上田市
日本歴史地名大系
元和八年(一六二二)から仙石氏三代八五年間、宝永三年(一七〇六)から幕末まで松平氏が支配した。領域・石高は真田信之の時上野国沼田領を含め九万五千石、他はおおむね ... ...
21. 上田藩
世界大百科事典
明治2)世直し大一揆が起こって,廃藩置県を待たずして藩政は崩壊した。横山 十四男 真田昌幸 真田信之 仙石忠政 仙石政俊 仙石氏 藤井忠周 松平忠周 宝暦騒動 ... ...
22. うえのむら【上野村】長野県:長野市
日本歴史地名大系
)長沼城主佐久間勝之の遺領一万八千石を二男勝友から甥勝盛に五千石を分知する際、これまで松代の真田信之の領であったが、そのうち一二二石余の分が佐久間勝盛領になった ... ...
23. うえまつむら【上松村】長野県:長野市
日本歴史地名大系
検地打立之帳(小柳文書)に「九百五拾四石三斗三升 上松村」とある。また「植松村」とも記す(「真田信之朱印状」飯島文書)。滝・湯谷の二集落から成り、地附山の山麓に ... ...
24. うちかわむら【内川村】長野県:埴科郡/戸倉町
日本歴史地名大系
内川村がみえ、寛永元年(一六二四)の「大鋒院殿御事蹟稿」の中では、「高拾壱石 内川村之内」を真田信之によって、家臣の金井渡右衛門の知行地として宛行われている。以 ... ...
25. うらのやかたあと【浦野館跡】長野県:上田市/川西地区/馬越村
日本歴史地名大系
天正一〇年武田氏が滅びた時、浦野氏は上杉氏に安堵されたが(上杉年譜)、その後まもなく浦野秀幸は上田城主真田信之の麾下に入り(「大鋒院殿御事蹟稿」慶長七年の条)、 ... ...
26. うわだいらむら【上平村】長野県:埴科郡/坂城町
日本歴史地名大系
同五年より森忠政領となる。次いで同八年より松平忠輝領、元和二年(一六一六)より酒井忠勝領となり、同八年一〇月真田信之が上田より松代へ転封となり、以後一貫して廃藩 ... ...
27. うんのまち【海野町】長野県:上田市/上田城下
日本歴史地名大系
好き方に口を明け、往来の方口無き家も御座候」(百合さゞめごと)と伝える。天和四年(一六八四)真田信之は家造りのよい家七軒に城主の来客などの宿にすることを申し渡し ... ...
28. おおくまむら【大熊村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
「上杉景勝朱印状案」上杉編年文書)。その後、福島正則領となり、改易後元和八年(一六二二)から真田信之領となった。しかし正則の季子正利が幕府旗本に取り立てられて三 ... ...
29. おおぼしじんじゃ【大星神社】長野県:上田市/房山村
日本歴史地名大系
年(一五八七)八月一四日真田昌幸は社殿修理料を寄進している(小野文書)。また上田城主となった真田信之は慶長六年(一六〇一)、「社領五貫参百五拾文」を安堵するなど ... ...
30. おおむろむら【大室村】長野県:長野市/松代地区
日本歴史地名大系
住スル事四年、弘治元年乙卯之春退テ如法・禅福・明桂ノ三刹ヲ開テ始祖トナル」とある。承応元年(一六五二)真田信之の娘台子が崇敬し、湯茶料金一〇枚を寄進し、中興開基 ... ...
31. おかむら【岡村】長野県:上田市/川西地区
日本歴史地名大系
小県之郡」の項に「岡村之郷、二貫四百文」とみえる。真田氏の支配下に入った慶長一二年(一六〇七)真田信之は、重臣日置一郎兵衛に岡村(二〇〇貫文)をはじめ洗馬・真田 ... ...
32. おぶせむら【小布施村】長野県:上高井郡/小布施町
日本歴史地名大系
同四年酒井忠勝(松代)。翌五年酒井領(分郷)・福島正則領(福島正則領総村高帳)と分割支配。酒井領は元和八年松代真田信之領となり明治に至った。福島領は寛永元年(一 ... ...
33. おんせんじ【温泉寺】長野県:下高井郡/山ノ内町/湯田中村
日本歴史地名大系
松代城主松平忠昌の代官稲垣忠左衛門が旧例のごとく温泉寺を守護不入の地とした。寛永一一年(一六三四)二月三日真田信之は当寺の要求により、沓野村のうち、原新田の開発 ... ...
34. おんべいがわむら【御幣川村】長野県:長野市/篠ノ井地区
日本歴史地名大系
る。元和四年(一六一八)の信州川中島御知行目録に村名はなく、寛永元年(一六二四)一〇月三日に真田信之は「御幣川百四拾石」を飯島庄次郎なる者に宛行っているのがみえ ... ...
35. かいぜんじ【海禅寺】長野県:上田市/房山村
日本歴史地名大系
約している(海禅寺文書)。寺が上田城下房山村新田に移って後、慶長六年(一六〇一)八月一二日、真田信之は領内寺社に寺社領を寄進(海禅寺文書)したが「開善寺」にも「 ... ...
36. かざわむら【加沢村】長野県:小県郡/東部町
日本歴史地名大系
海野攻めの後、天文二二年武田氏領、天正一〇年(一五八二)真田氏領となる。慶長五年(一六〇〇)真田信之の領になり、上田領として廃藩置県に至る。宝永三年(一七〇六) ... ...
37. かみたかいぐん【上高井郡】長野県
日本歴史地名大系
元和二年(一六一六)松平忠輝改易、堀直寄転封。同年、松平忠昌松代入封、小布施町一部を支配、以後、酒井忠勝、真田信之と明治まで続く。他は幕府領として、元和五年から ... ...
38. かみたけし【上武石】長野県:小県郡/武石村
日本歴史地名大系
元和五年(一六一九)真田氏の代官屋敷が片羽に置かれたと伝う(武石村郷土誌)。同年五月武石村の小山久介に、真田信之は貢租納入の功を賞し代官免を与えている(小山家文 ... ...
39. かみまるこむら【上丸子村】長野県:小県郡/丸子町
日本歴史地名大系
丸子城を攻め「丸子ノ河原町(当時の上丸子)ヲ焼」いて退いた(信府統記)。慶長六年(一六〇一)真田信之は上丸子の地四〇三貫三五〇文のうち三〇〇貫文を海野三右衛門尉 ... ...
40. かわなかじまはん【川中島藩】
国史大辞典
となり、家康の孫松平忠昌、つづいて譜代酒井忠勝が継ぎ(ともに海津城)、天領も置かれた。同八年真田信之が海津城に入封し、一時福島正則も高井郡にいて、四郡は松代領・ ... ...
41. がんぎょうじ【願行寺】長野県:上田市/上田城下/横町
日本歴史地名大系
然して自今以後門前屋敷等の諸役、赦免せしむべきものなり」と申し伝えた(願行寺文書)。元和八年、真田信之は松代移封にあたり、松代にも願行寺を建立している。その後松 ... ...
42. きせがわ・きせがわしゅく【黄瀬川・黄瀬川宿】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区/木瀬川村
日本歴史地名大系
喜瀬川表」における大藤与七の戦功を賞している(「北条氏直感状」大藤文書)。同月八日豊臣秀次は真田信之に「きせ川際」に在陣していることを知らせ(「豊臣秀次書状」真 ... ...
43. こいずみじょうあと【小泉城跡】長野県:上田市/川西地区/小泉村
日本歴史地名大系
文書に「小泉惣三郎昌宗の宿坊証文」がある。慶長一九年(一六一四)大坂冬の陣に、東軍仙石忠政、真田信之の軍に従ったものに小泉弥五左衛門、小泉七助の名がみえ、「上田 ... ...
44. こうげんじ【向源寺】長野県:上田市/西脇村
日本歴史地名大系
北国脇往還沿いの西脇村新町にある浄土真宗の寺。京都東本願寺末。本尊阿弥陀如来。元和五年(一六一九)八月真田信之が領内の寺社領改めを行った書上(小林文書)には、寺 ... ...
45. こうしょくし【更埴市】長野県
日本歴史地名大系
武田氏に次いで上杉氏の北信侵入後、須田満親・田丸直昌・森忠政・松平忠輝・松平忠昌・酒井忠勝・真田信之へと領主が交代した。江戸時代は、稲荷山村は上田領、桜堂・寂蒔 ... ...
46. こうたかむら【幸高村】長野県:須坂市
日本歴史地名大系
石余、小笠原忠知領二四一石余の相給となる。耕作農民による分割と推定される。幕府領は元和八年、真田信之の松代領となり廃藩に至る。小笠原領は寛永一〇年幕府領、寛文元 ... ...
47. こじまむら【小島村】長野県:上田市/塩田地区
日本歴史地名大系
)に「三之御柱 小県郡塩田一二郷」の項に「小島郷六〇〇文」とある。慶長九年(一六〇四)六月、真田信之が、日置五右衛門に肝煎をさせた塩田一八ヵ村の中に「小嶋」とあ ... ...
48. こまつばらむら【小松原村】長野県:長野市/篠ノ井地区
日本歴史地名大系
)に「八百九拾四石九斗七升七合 小松原村」とある。領主は松平忠輝・松平忠昌・酒井忠勝と経て、真田信之以降松代領。村の中央段丘上に腰村前方後円墳がある。 ... ...
49. こもりむら【小森村】長野県:長野市/篠ノ井地区
日本歴史地名大系
島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「五百石六斗九升壱合 小森村」とあり、寛永元年(一六二四)に真田信之は小森村のうち四四三石余を丸子喜兵衛に宛行っている。江戸時代 ... ...
50. ごみょうむら【五明村】長野県:埴科郡/坂城町
日本歴史地名大系
天正一〇年(一五八二)七月一六日、上杉景勝が北条氏直を追撃した所と伝えられている。寛永三年(一六二六)の真田信之家臣連署状(海野文書)には「五百仁拾九石一斗七升 ... ...
「真田信之(真田信幸)」の情報だけではなく、「真田信之(真田信幸)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

真田信之(真田信幸)と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「真田信之(真田信幸)」は真田丸に関連のある記事です。
その他の真田丸に関連する記事
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
真田丸に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶