NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 長宗我部盛親

長宗我部盛親

ジャパンナレッジで閲覧できる『長宗我部盛親』の国史大辞典のサンプルページ

長宗我部盛親
ちょうそがべもりちか
一五七五 - 一六一五
安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。同十四年長兄信親の戦死後、後嗣と決定。一族の吉良親実・比江山親興はこれに反対し元親より自刃を命ぜらる。慶長四年(一五九九)元親の死後家督をつぎ、長浜(高知市)の慶雲寺を長宗我部氏の菩提寺とし、元親の法号にちなみ雪蹊寺と改め、元親の画像(重要文化財)と木像(秦神社神体)を納む。豊臣秀吉の小田原征伐に元親とともに従軍し、文禄・慶長の役にも出兵した。慶長元年十一月には近習・中間・小者の勤務について規定を定め、翌二年三月には元親と連名で掟書を発布した。関ヶ原の戦では西軍に属し、毛利・吉川・長束・安国寺らの諸将とともに南宮山麓に陣したが、西軍の敗色が濃くなると戦わずに帰国した。帰国後浦戸城をかためて関東軍にそなえるとともに井伊直政を通じて徳川家康にわびた。しかし兄の津野親忠を殺したため家康の怒りにふれたので上京して弁明したが許されず、領国を没収された。上洛後上立売の柳ガ厨子に屏居し、大岩祐夢と号し寺子屋の師匠をして十四年を過ごした。慶長十九年大坂冬の陣には豊臣秀頼の招きに応じ大坂へ入城した。翌元和元年(一六一五)の夏の陣では八尾方面に出陣し、藤堂高虎の兵と戦ったが、井伊直孝の軍に側面をつかれて敗走した。大坂落城後京街道を北に逃れ、山城の八幡付近の橋本に潜んでいるところを蜂須賀の家臣に捕えられ、京の大路を引き廻された末、五月十五日板倉勝重に六条河原で斬られた。四十一歳。法号は源翁宗本。京都五条寺町の蓮光寺に葬る。
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ二〇 元和元年五月十五日条、寺石正路『長宗我部盛親』
(山本 大)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


長宗我部盛親の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 56
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】
デジタル大辞泉
[1575〜1615]安土桃山時代の大名。土佐守。元親の四男。関ヶ原の戦いで西軍に属し、戦後所領を没収。大坂の陣で大坂に入城、豊臣方についたが敗れ、京都六条河原 ...
2. ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】
日本国語大辞典
戦国・江戸初期の武将。元親の子。幼名、千熊丸。関ケ原の戦いに石田三成の側について敗れ、領国土佐を没収された。京で薙髪(ちはつ)して大岩幽夢と称した。大坂の陣に豊 ...
3. ちょうそかべ-もりちか【長宗我部盛親】
日本人名大辞典
1575−1615 織豊-江戸時代前期の武将。天正(てんしょう)3年生まれ。長宗我部元親の4男。慶長4年家督をつぐ。関ケ原の戦いでは西軍に属し,徳川家康に土佐( ...
4. 長宗我部盛親
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の大名。土佐守(とさのかみ)。元親(もとちか)の四男で、土佐国長岡郡岡豊(おこう)(高知県南国(なんこく)市)に生まれる。幼名千熊丸(ちく ...
5. 長宗我部盛親
世界大百科事典
1575-1615(天正3-元和1) 織豊時代の大名。幼名千熊丸。通称右衛門太郎。土佐守。元親の四男。1586年(天正14)長兄信親の戦死後,家督と定められ,小 ...
6. ちょうそがべもりちか【長宗我部盛親】
国史大辞典
京都五条寺町の蓮光寺に葬る。 [参考文献]『大日本史料』一二ノ二〇 元和元年五月十五日条、寺石正路『長宗我部盛親』 (山本 大)  ...
7. 長宗我部盛親
日本史年表
1600年〈慶長5 庚子〉 10・‐ 長宗我部盛親 、家康に領地を没収される(土佐国編年紀事略)。 1615年〈元和元(7・13) 乙卯⑥〉 5・15 没。  ...
8. 長宗我部盛親印[図版]
国史大辞典
盛親 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
9. 長宗我部盛親花押[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
10. あらくらじんじゃ【荒倉神社】高知県:吾川郡/春野町/弘岡中ノ村
日本歴史地名大系
その後天正四年(一五七六)には長宗我部元親の弟吉良親貞が、同一八年には元親の四男吉良千熊丸(長宗我部盛親)が大檀那となっている。慶長二年(一五九七)弘岡村地検帳 ...
11. いいなおまさ【井伊直政】
国史大辞典
討ち取ったがその時鉄砲で負傷した。しかし石田三成の本拠近江佐和山城の攻略、毛利輝元の降伏の斡旋、長宗我部盛親の土佐一国の受取りにも功を立て、佐和山城十八万石を与 ...
12. いしだみつなり【石田三成】
国史大辞典
名は、毛利輝元・小早川秀秋・吉川広家・宇喜多秀家・島津義弘・鍋島勝茂・伊東祐兵・立花宗茂・長宗我部盛親・小西行長・増田長盛・長束正家・安国寺恵瓊・脇坂安治・大谷 ...
13. いでちょう【井手町】京都市:東山区/建仁寺門前地図
日本歴史地名大系
下す」と述べ、現在、町の東方を流れる側溝は、その遺流と伝える旨を記す。また同書は、かつて当町北端に長宗我部盛親の墓及びゆかりの池の存したことを伝える。すなわち、 ...
14. うまじるし【馬印】
国史大辞典
永禄のころとは断定できないが、このころから流行して、徳川家康の金の開き扇、蒲生氏郷の熊の棒、長宗我部盛親の三挑燈、安国寺恵瓊の天蓋、島津義弘の鳥毛の一本杉、井伊 ...
15. うらどじょうあと【浦戸城跡】高知県:高知市/浦戸村
日本歴史地名大系
国法として著名な「長宗我部元親百箇条」が発布されている。慶長五年関ヶ原合戦で西軍に味方した長宗我部盛親は除封され、土佐一国は新たに山内一豊に与えられた。しかし長 ...
16. 大坂の陣
日本大百科全書
恐れ、ただの1人もこれに応ずる者はいなかった。大坂方が頼むのは真田幸村(さなだゆきむら)、長宗我部盛親(ちょうそがべもりちか)、明石全登(あかしぜんと)、毛利勝 ...
17. おおさかのじん【大坂の陣】
国史大辞典
益)・木村重成・渡辺糺らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城さ ...
18. 大坂RONIN 5(ローニンファイブ)
デジタル大辞泉プラス
2014年登場。大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)で活躍した真田幸村、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石掃部(かもん)が現代に転生し、「大 ...
19. おおやぶむら【大藪村】高知県:土佐郡/大川村
日本歴史地名大系
所有地の相続が帰国後問題となり、結局紀伊守はその耕作権を獲得している(年不詳九月二九日付「長宗我部盛親書状」蠧簡集)。大藪紀伊守は、本川五党と称された当地方の有 ...
20. おきのすうら【沖洲浦】徳島県:徳島市/旧名東郡地区
日本歴史地名大系
城東半里而遥吐舌於海中、長松園繞細沙平敷、旧有沙嘴」と記される。慶長一九年の大坂の陣の際、長宗我部盛親に従った武藤左京は土佐を出たのち当浦で船を繋いで休息してい ...
21. おとなしじんじゃ【鳴無神社】高知県:須崎市/奥浦村
日本歴史地名大系
般若経(南路志)、応永一七年(一四一〇)比丘桂久寄進の半鐘(古文叢)、慶長五年(一六〇〇)長宗我部盛親寄進の八角形漆塗神輿などがあったが、このうち現存するのは神 ...
22. こうちはん【高知藩】
国史大辞典
関ヶ原の戦後、遠江国掛川城主山内一豊は土佐の国主に封ぜられ、慶長六年(一六〇一)正月八日前国主長宗我部盛親の居城浦戸に入城した。入国後土佐郡大高坂山に新城を築き ...
23. さなだゆきむら【真田幸村】
国史大辞典
基次らが敗死したので、手兵三百を率いて殿軍をつとめ、伊達政宗の大軍と戦い、これを破った。翌七日、幸村は長宗我部盛親とともに茶臼山に向かい、天王寺付近で松平忠直の ...
24. 四天王
世界大百科事典
王として酒井忠次,井伊直政,本多忠勝,榊原康政,豊臣秀頼の四天王として木村重成,真田幸村,長宗我部盛親,後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王(頓阿,兼好,浄 ...
25. してんのう【四天王】
日本架空伝承人名事典
徳川家康の四天王として酒井忠次、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、豊臣秀頼の四天王として木村重成、真田幸村、長宗我部盛親、後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王( ...
26. しももと-おきのぶ【下元興宣】
日本人名大辞典
織豊-江戸時代前期の武将。長宗我部元親(もとちか)にしたがい,文禄(ぶんろく)の役に出陣。関ケ原の戦いでは長宗我部盛親(もりちか)にしたがい,美濃(みの)(岐阜 ...
27. しんかんじ【真観寺】
国史大辞典
開基として創建。元和元年(一六一五)、大坂夏の陣で、徳川方の藤堂高虎軍が八尾に陣し、豊臣方の長宗我部盛親軍を迎撃、八尾一帯は焼尽、当寺も焼失した。のち、金地院崇 ...
28. すさきじょうあと【須崎城跡】高知県:須崎市/須崎村
日本歴史地名大系
元親の直轄地とした。親忠はわずかに岩村郷を与えられたのみで旧臣との通信も断たれたが、慶長五年関ヶ原の合戦で長宗我部盛親が西軍について敗れると、東軍の藤堂高虎と知 ...
29. せきがはらこせんじょうあと【関ヶ原古戦場跡】岐阜県:不破郡
日本歴史地名大系
七月一七日西軍は家康への弾劾状を発し、これに応じて毛利秀包・吉川広家・小早川秀秋・宇喜多秀家・長宗我部盛親・小西行長・島津義弘・鍋島勝茂ら総勢九万三千人余が大坂 ...
30. せきがはらのたたかい【関ヶ原の戦】
国史大辞典
毛利一門の毛利秀包・吉川広家・小早川秀秋らのほか、宇喜多秀家・生駒親正・脇坂安治・蜂須賀家政・長宗我部盛親・小西行長・島津義弘・同豊久・福原長堯・毛利高政・鍋島 ...
31. たにあいむら【谷相村】高知県:香美郡/香北町
日本歴史地名大系
おり、当郡の岩村郷地検帳の末尾の検地役人のなかにも名前を連ねている。慶長一九年(一六一四)長宗我部盛親に従って大坂冬の陣に加わり戦死、残った子孫は土着して農民と ...
32. ちょうそかべ【長宗我部/長曽我部】
デジタル大辞泉
姓氏の一。 「長宗我部」姓の人物 長宗我部元親(ちょうそかべもとちか) 長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)  ...
33. 長曽我部盛親[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:2件 【逐次刊行物】:1件 『大阪城の七将星』福本日南『長宗我部盛親』寺石正路『長曽我部盛親と木村重成』臼井信義 ...
34. 長宗我部氏
世界大百科事典
跡も徴される。下村 效 秦氏 岡豊(おこう)城 長宗我部兼序 長宗我部国親 長宗我部元親 長宗我部盛親 ...
35. とうどうたかとら【藤堂高虎】
国史大辞典
倒壊したが同十八年竣工、津・上野の城下町も整備した。大坂夏の陣に河内路の先鋒となり、八尾で長宗我部盛親と苦闘し、真田幸村のため危険に瀕した家康を救うなど戦功を挙 ...
36. とうどう-たかのり【藤堂高刑】
日本人名大辞典
藤堂高虎の甥(おい)。文禄(ぶんろく)・慶長の役,関ケ原の戦いで功をたてる。大坂夏の陣では高虎の指揮のもと,長宗我部盛親(ちょうそかべ-もりちか)軍と八尾(やお ...
37. 土佐国
世界大百科事典
らの一国総検地であり,97年(慶長2)発布の掟書百箇条である。1600年,関ヶ原の戦では,長宗我部盛親の属した西軍が敗北,土佐長宗我部氏の時代は終わる。 文化  ...
38. とさのくに【土佐国】
国史大辞典
土佐一国を安堵された。以後、土佐国内の経営に努力した。地検帳や掟書はその成果である。関ヶ原の戦で長宗我部盛親は西軍に属して除国され、山内一豊が土佐の国主となり、 ...
39. とさのくにこうちはんりょうけいちょうごねんうらどいっき【土佐国高知藩領慶長五年浦戸一揆】
国史大辞典
慶長五年(一六〇〇)末、土佐国吾川郡浦戸で起った長宗我部遺臣の一揆。関ヶ原の戦で西軍に属した長宗我部盛親は上洛中に改易、遠江国掛川城主山内一豊に土佐一国が与えら ...
40. とさのくにこうちはんりょうけいちょうはちねんいっき【土佐国高知藩領慶長八年一揆】
国史大辞典
山郷滝山に起った高石左馬之助を首領とした一揆。滝山一揆(本山一揆)ともいう。関ヶ原の戦の後長宗我部盛親に替わった山内一豊の新領国での政策は、一領具足(=長宗我部 ...
41. とさのくにへんねんきじりゃく【土佐国編年紀事略】
国史大辞典
弘化四年(一八四七)に整理したものと思われる。神代、崇神朝に始まり元和元年(一六一五)五月十五日長宗我部盛親の死に至るまでの間、土佐国に関係した事項を軍事・政治 ...
42. なつのじん【夏の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
戦場は藤井寺(藤井寺市)方面にまで拡大したが、ついに敗退、基次・兼相は戦死した。一方木村重成・長宗我部盛親ら一万余の軍も朝霧の中を若江(東大阪市)・八尾(八尾市 ...
43. にながわし【蜷川氏】
国史大辞典
』は室町時代の重要史料である。室町幕府滅亡後、蜷川氏の一族は地方に離散した。親長は、一時、長宗我部盛親に寄ったが、滅後、徳川家康に召され旗本となった。貞繁の子孫 ...
44. はぎのむら【萩野村】高知県:香美郡/香北町
日本歴史地名大系
川で討死した。左馬介の子松千代は、天正一六年の韮生谷地検帳に給人として名前がみえるが、のち長宗我部盛親に従い大坂冬の陣で戦死した。同地検帳には近世の萩野村域に萩 ...
45. ひがしはばやま【東端山】徳島県:美馬郡/貞光町
日本歴史地名大系
―二四)のことと推定される。同日記によると三郎左衛門は元和元年大坂夏の陣で、逃落ちる土佐の長宗我部盛親(元親の子)とその家老を摂津境の山城国八幡(現京都府八幡市 ...
46. ふゆのじん【冬の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
益)・木村重成・渡辺糺らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城さ ...
47. まるばしちゅうや【丸橋忠弥】
国史大辞典
―一六五一 江戸時代前期の武士。由比正雪とともに慶安事件の首謀者の一人。出自は不詳で諸説があり、長宗我部盛親の子との説も流布されているが信憑性はうすい。かつて加 ...
48. やおし【八尾市】大阪府地図
日本歴史地名大系
てきた大坂方と激しく戦う。慶長二〇年(一六一五)五月六日、藤堂高虎軍は千塚から八尾へ進み、長宗我部盛親の軍と戦う。井伊直孝軍は神立から若江へ出て、木村重成軍と戦 ...
49. やおじょうあと【八尾城跡】大阪府:八尾市/八尾村
日本歴史地名大系
濃へ移封された。その後、大坂夏の陣の時の慶長二〇年(一六一五)五月六日、八尾表は藤堂高虎と長宗我部盛親らの合戦場となっている(寛政重修諸家譜ほか)。なお八尾城図 ...
50. やすだじょうあと【安田城跡】高知県:安芸郡/安田町/東島村
日本歴史地名大系
、長宗我部家臣団の給地はない。安田氏の末路には諸説があるが、泰綱の子弥次郎は権大夫と改め、長宗我部盛親に従って関ヶ原に戦い、子息彦左衛門は敗戦後陸中へ逃れた。権 ...
「長宗我部盛親」の情報だけではなく、「長宗我部盛親」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

長宗我部盛親と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「長宗我部盛親」は真田丸に関連のある記事です。
その他の真田丸に関連する記事
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
真田丸に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶