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  11. 明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)
日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典

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日本人名大辞典
明石掃部
あかしかもん
織豊-江戸時代前期の武将。
宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(ちくぜん)(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村(さなだ-ゆきむら)らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和(げんな)4年に病死したともいう。名は守重。号は全登,全薑。洗礼名はジョアン。


改訂新版・世界大百科事典
明石掃部
あかしかもん

江戸初期のキリシタン武将。生没年不詳。名は守重。全登,全薑と号す。洗礼名ジョアン。宇喜多秀家の姉を妻とし,家臣中最大の領地を有した。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で西軍に属した宇喜多家滅亡後,黒田家にむかえられ,筑前秋月に住した。15年,豊臣秀頼の招きに応じ,大坂の陣にキリシタン部隊を率いて活躍した。大坂落城後,戦死とも,逃亡潜伏後病死したともいわれている。
[高木 傭太郎]

[索引語]
明石守重 明石ジョアン


国史大辞典
明石掃部
あかしかもん
 - 一六一八
江戸時代前期の武将。名は守重。全登・全薑と号す。キリスト教を信じ受洗してジョアンという。備前国出身で宇喜多秀家・黒田如水の親戚にあたり、父景親とともに宇喜多家に仕えた。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に参加、西軍の敗北により宇喜多家が没落したため浪人となり、黒田直之の領地筑前秋月に隠れ、のち長崎に移った。元和元年(一六一五)豊臣秀頼の招請に応じてその子らとともに大坂城に入り、落城後逃亡し潜伏していたが三年後病死した。なお彼の五人の子はいずれもキリシタンで、長男は宣教師となっていた。四男ヨセフは大坂城で戦死、次男内記パウロは城を脱出し、一時広島に身をひそめたが最後は明らかでない。
[参考文献]
レオン=パジェス『日本切支丹宗門史』(吉田小五郎訳 『岩波文庫』)
(岡田 章雄)
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1. 明石掃部
世界大百科事典
江戸初期のキリシタン武将。生没年不詳。名は守重。全登,全薑と号す。洗礼名ジョアン。宇喜多秀家の姉を妻とし,家臣中最大の領地を有した。1600年(慶長5)関ヶ原の ...
2. あかしかもん【明石掃部】
国史大辞典
?―一六一八 江戸時代前期の武将。名は守重。全登・全薑と号す。キリスト教を信じ受洗してジョアンという。備前国出身で宇喜多秀家・黒田如水の親戚にあたり、父景親と ...
3. あかし-かもん【明石掃部】
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?−? 織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(ちくぜん)(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真 ...
4. 明石掃部[文献目録]
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5. あかし-てるずみ【明石全登】
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明石掃部(あかし-かもん) ...
6. あかし-もりしげ【明石守重】
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明石掃部(あかし-かもん) ...
7. 明石守重[文献目録]
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8. アンジェリス【Girolamo de Angelis】
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9. 一条兼定[文献目録]
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10. 大坂RONIN 5(ローニンファイブ)
デジタル大辞泉プラス
大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)で活躍した真田幸村、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石掃部(かもん)が現代に転生し、「大坂の陣400年天 ...
11. 甲子夜話三篇 2 12ページ
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人、一同に長崎の湊より船に乗せ、今日亜嫡港へ追放たると也。又日。元和元年、大坂籠城諸士の内、明石掃部、五月七日、京橋口より船に乗りて遁れ出、兵庫に至り、其所より ...
12. こなかばらむら【小中原村】岡山県:苫田郡/加茂町
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13. とくどみむら【徳富村】岡山県:赤磐郡/熊山町
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山一六町余、藪三ヵ所、居商人二・笊振商人三・鍛冶一。南部に保木古城山があり、城主は宇喜多氏家臣明石掃部全職と伝える(備前記)。 ...
14. トルレス【Balthazar de Torres】
国史大辞典
同十八年のキリシタン禁令と伴天連追放令の際、堺に隠れ、元和元年(一六一五)の大坂夏の陣のとき大坂の明石掃部の屋敷にいた。大坂落城の時の冒険的な脱出について、体験 ...
15. 南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子 285ページ
東洋文庫
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16. べっしやま【別枝山】徳島県:麻植郡/美郷村
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17. ロドリゲス
日本人名大辞典
日し,伏見,金沢で布教。のち長崎コレジヨ院長,上(畿内)地区長をつとめる。元和(げんな)3年明石掃部(かもん)の長男パウロ明石内記の逃亡事件に連座し,離日した。 ...
18. 1618年〈元和4 戊午③〉
日本史年表
8・30 狩野孝信(48、画家)。 11・9 多賀谷重経(61、常陸下妻城主)。 この年 明石掃部(武将)。 【世界】 5・23 ボヘミアの反乱により三十 ...
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