1. 上杉景勝
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代・江戸初期の大名。上杉謙信(けんしん)の養子。初名は卯松(うのまつ)、喜平次(きへいじ)、顕景(あきかげ)。実父は越後(えちご)坂戸(さか ... ...
2. 上杉景勝
世界大百科事典
1555-1623(弘治1-元和9) 安土桃山・江戸初期の大名。越後魚沼郡上田庄(現南魚沼市,旧六日町)の領主長尾政景の子。1564年(永禄7)父の急死後,叔父 ... ...
3. うえすぎ‐かげかつ【上杉景勝】 画像
デジタル大辞泉
[1555〜1623]安土桃山時代の武将。上杉謙信の養子。豊臣秀吉に仕え、会津若松120万石の領主、五大老の一人となった。関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れ、出羽米沢 ... ...
4. うえすぎ‐かげかつ【上杉景勝】
日本国語大辞典
安土桃山、江戸初期の大名。長尾政景の子。上杉謙信の養子。通称喜平次。越後・佐渡・越中・能登を支配。豊臣秀吉に仕えて五大老の一人となり、会津一二〇万石を領する。関 ... ...
5. うえすぎかげかつ【上杉景勝】 画像
国史大辞典
一五五五―一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五 ... ...
6. うえすぎ-かげかつ【上杉景勝】
日本人名大辞典
1556*−1623 織豊-江戸時代前期の大名。弘治(こうじ)元年11月27日生まれ。長尾政景の子。叔父上杉謙信の養子。おなじ養子の上杉景虎と家督をあらそい(御 ... ...
7. 上杉景勝[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:0件 『二十六大藩の藩学と士風』斎藤悳太郎 ... ...
8. Uesugi Kagekatsu 【上杉景勝】
Encyclopedia of Japan
1555−1623 Daimyo of the Azuchi-Momoyama (1568−1600) and early Edo (1600−1868) pe ... ...
9. 上杉景勝印[図版] 画像
国史大辞典
円量 立願勝軍地蔵摩利支天飯綱明神 摩利支天月天子勝軍地蔵 阿弥陀日天弁才天 森帰掌内 虚空蔵竜 森帰掌内 森帰掌内 (c)Yoshikawa kobunkan ... ...
10. 上杉景勝花押[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
11. あいかわむら【相川村】新潟県:北魚沼郡/川口町
日本歴史地名大系
に至り、親長の時に当地に築城という。星野家由緒書(星野家文書)によると、天正八年(一五八〇)上杉景勝の意によって千谷川へ移り、権七郎が当地にとどまったという。 ... ...
12. 合口
日本大百科全書
短刀の拵のもっとも一般的な形式として、平安時代から江戸時代まで盛行しているが、室町時代末期には上杉景勝(かげかつ)の愛刀の高木長光や山鳥文一文字など、まれに打刀 ... ...
13. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
氏郷が会津に入部し会津全域のほか岩瀬郡・安積郡・石川郡・白河郡を領した。慶長三年(一五九八)上杉景勝が会津に入り、一二〇万石を領した。同六年再び蒲生秀行が六〇万 ... ...
14. あいづせいばつ【会津征伐】
国史大辞典
慶長五年(一六〇〇)八月、徳川家康が陸奥国会津若松城主上杉景勝の勢威を牽制するために起した戦い。直接の原因は、慶長三年正月越後春日山五十五万石余から会津百二十 ... ...
15. 会津藩 画像
日本大百科全書
領内交通網の整備を行い、「文禄(ぶんろく)三年蒲生領高目録」を作成した。1598年(慶長3)上杉景勝(かげかつ)120万石、1601年蒲生秀行(ひでゆき)60万 ... ...
16. 会津藩
世界大百科事典
画然と区別,郷里近江国蒲生郡若松の森にちなんで,この地を若松と改めた。98年(慶長3)120万石で入部した上杉景勝は,関ヶ原の戦で石田三成と呼応したために減封さ ... ...
17. あいづはん【会津藩】
国史大辞典
その子秀行の代となって家中騒動が起り、蒲生家は宇都宮十八万石に移封された。慶長三年(一五九八)上杉景勝が会津を支配し、百二十万石を領したが、のち家康と対立、同六 ... ...
18. あいづ‐ばん[あひづ:]【会津版】
日本国語大辞典
〔名〕慶長年間に上杉景勝の家臣直江山城守兼続が会津米沢で銅活字を用いて刊行した書籍。慶長一二年(一六〇七)に刊行された「文選」は名高い。普通には直江板という。会 ... ...
19. あいづろう【会津©】
国史大辞典
会津藩が最も重視した専売商品。上杉景勝の会津就封により初めて役木制度が施行され、蒲生(再封)・加藤・保科(松平)と続く領主交替のもとで、役木一本につき年貢蝋、 ... ...
20. あいづわかまつし【会津若松市】福島県
日本歴史地名大系
ている。氏郷の死後は子の秀行が襲封する。慶長三年(一五九八)秀行の下野国宇都宮移封後、越後の上杉景勝が会津入りし、出羽・佐渡の領地を加え、一二〇万石を領した。景 ... ...
21. あおうづむら【粟生津村】新潟県:西蒲原郡/吉田町
日本歴史地名大系
[現]吉田町粟生津 上河原村外新田の南に接し、西は西川、南は高木村古新田。天正一二年(一五八四)七月二四日の上杉景勝朱印状(東京大学史料編纂所所蔵文書)に「粟生 ... ...
22. あおき-しんべえ【青木新兵衛】
日本人名大辞典
1561−1632 織豊-江戸時代前期の武士。永禄(えいろく)4年生まれ。上杉景勝(かげかつ)につかえ,慶長5年伊達政宗とたたかい,政宗の冑(かぶと)の半月をお ... ...
23. あおさわごえかいどう【青沢越街道】山形県:飽海郡/八幡町/麓村
日本歴史地名大系
越えて最上領に入ったとある。同一九年磐井出館(現平田町北俣)館主阿倍頼保は太閤検地に反対したため、上杉景勝の部将志駄修理に攻められ、当街道から仙北沼田(現秋田県 ... ...
24. あおやぎじょうあと【青柳城跡】長野県:東筑摩郡/坂北村/青柳町村
日本歴史地名大系
天文二二年(一五五三)武田晴信の侵攻を受けて武田氏に下ったが、武田氏が天正一〇年(一五八二)三月滅びると上杉景勝に属した。同年七月松本深志城を回復した小笠原貞慶 ... ...
25. あかいばしむら【赤井橋村】新潟県:北蒲原郡/豊浦町
日本歴史地名大系
などの地字があり、木戸口には土塁が残る。赤橋玄蕃は戦国末期の新発田合戦では新発田重家方となり上杉景勝に敵対したが、文禄三年(一五九四)の定納員数目録の上杉氏の家 ... ...
26. あかぎじんじゃ【赤城神社】群馬県:勢多郡/北橘村/八崎村
日本歴史地名大系
同家は当社の鑰本であったというからそれが狩野家であったかもしれない。そして天正九年一二月二六日の狩野新介宛上杉景勝判物写(狩野文書)の狩野新介家と考えられる。寛 ... ...
27. あかさわむら【赤沢村】新潟県:中頸城郡/吉川町
日本歴史地名大系
天正六年(一五七八)の御館の乱で当地からの援兵の求めに対し、上杉景勝は樋口与三右衛門らに二挺の鉄砲を添えて派遣した(六月一七日「上杉景勝書状」歴代古案)。泉村と ... ...
28. あかさわむら【赤沢村】新潟県:中魚沼郡/津南町
日本歴史地名大系
天正七年(一五七九)二月二五日の武田勝頼朱印状案(市河文書)によると、同六年からの御館の乱で上杉景虎から上杉景勝への支援に転じた勝頼は、小菅(現長野県飯山市)と ... ...
29. あかしおごう【赤塩郷】長野県:上水内郡/三水村/赤塩村
日本歴史地名大系
これらの諸郷はいずれも太田庄に属するものと考えられる。その後、天正一〇年(一五八二)北信地方を掌中に収めた上杉景勝が、島津忠直を長沼城主に任ずるとともに、所領を ... ...
30. あかだじょうあと【赤田城跡】新潟県:刈羽郡/刈羽村/赤田村
日本歴史地名大系
呂一薄・大島春里・斎藤加左衛門の名がみえる。御館の乱の後の天正八年(一五八〇)閏三月一四日付上杉景勝宛行状写(斎藤文書)によると、朝信は刈羽郡内六ヵ所を除くすべ ... ...
31. あかだにむら【赤谷村】新潟県:新発田市
日本歴史地名大系
)には天正一五年(一五八七)新発田重家を支援する会津の蘆名氏の被官小田切三河守が築城したが、上杉景勝軍の攻撃を受け、落城した。同年九月一九日付実相寺宗碩書状(瀬 ... ...
32. あかだむら【赤田村】長野県:長野市/信更地区
日本歴史地名大系
水郷に属したといわれる。中世は坂城葛尾城主村上氏領。戦国時代には、武田晴信の支配に属し、のち上杉景勝の支配となる。慶長三年(一五九八)景勝の会津移封の後は、海津 ... ...
33. あかどまりじょうあと【赤泊城跡】新潟県:佐渡郡/赤泊村/赤泊村
日本歴史地名大系
伝承では城主は本間三河守と伝える。「越後上杉佐渡責太平記」などの軍記類では、天正一七年(一五八九)上杉景勝によって滅ぼされた羽茂城(現羽茂町)城主本間対馬守高貞 ... ...
34. あかぼりごう【赤堀郷】群馬県:佐波郡/赤堀町
日本歴史地名大系
城に自立した北条高広が、大胡(現勢多郡大胡町)・赤堀などの備えとして軍勢を遣わすように越後の上杉景勝に要請している(「北条高広条書写」歴代古案)。郷域は定かでな ... ...
35. あがのがわ【阿賀野川】新潟県:総論
日本歴史地名大系
三条・護摩堂計敵相踏候」とみえ、天正一一年(一五八三)上杉景勝の将蓼沼友重が新発田重家の兵船を「揚河口」で破るなど(同年一二月二四日「上杉景勝書状」蓼沼文書)、 ... ...
36. あきもとし【秋元氏】 画像
国史大辞典
の重臣であった。その子長朝は小田原北条氏に服しながら巧みに徳川氏に転じ、関ヶ原の戦の前後には上杉景勝の帰降を促して、慶長六年(一六〇一)六千石加増され、あわせて ... ...
37. あきもとながとも【秋元長朝】
国史大辞典
斡旋で徳川氏に仕え、上野国碓氷郡中野谷五百石を賜わった。関ヶ原の戦の前、下総栗橋の関を守って上杉景勝の出動に備え、戦後会津に使いして景勝の帰降を促すなどの功によ ... ...
38. 秋山記行・夜職草 86ページ
東洋文庫
ナさ三蔦藁「つた」は莇、藁のこと。壁土にまぜて亀裂を防ぐつなぎとするもの。西嶋里二左衛門箕作村の名主、上杉景勝が会津へ移封の際、市河氏に随従したが、後帰農したと ... ...
39. あくたみむら【芥見村】岐阜県:岐阜市/旧山県郡・各務郡地区
日本歴史地名大系
禅宗系寺院となった。同じ黄檗宗の真聖寺は室賀氏の菩提所だが、本尊の十一面観音は天竺伝来のものが上杉景勝・大垣藩家老戸田氏へと伝えられ、さらに湛然の弟子嘉 ... ...
40. あくたむら【悪田村】新潟県:柏崎市
日本歴史地名大系
いたミきれせん之外きらいなくこれをとるへし 但水ひ、かちこしのときハやく不可有之」とあって、上杉景勝が船賃五文、歩行者無料と定めている。渡守文書によれば阿久田・ ... ...
41. あくみぐん【飽海郡】山形県
日本歴史地名大系
本庄繁長は十五里ヶ原の戦いで最上軍を破り庄内を支配、天正一八年の奥羽仕置後、庄内は上杉景勝領となった。〔近世〕秀吉は天正一八年八月一日、上杉景勝に出羽国大宝寺分 ... ...
42. あげおじょうあと【上尾城跡】長野県:長野市/信更地区/平林村
日本歴史地名大系
田晴信及び勝頼に属した。天正一〇年(一五八二)勝頼滅亡の後は上杉景勝に属し、牧之島城の守衛にあたった。慶長三年(一五九八)上杉景勝の会津への移封に際し、正恒はこ ... ...
43. あさかいよりいじょうあと【浅貝寄居城跡】新潟県:南魚沼郡/湯沢町/浅貝村
日本歴史地名大系
この頃の五月二八日付上杉謙信書状(同文書)に「沼田為加勢、其儘有詰、浅貝之寄居普請成就」とあり、長尾顕景(上杉景勝)の部将樺沢城(現塩沢町)城主栗林政頼に対し築 ... ...
44. あさのごう【浅野郷】長野県:上水内郡/豊野町/浅野村
日本歴史地名大系
この地は武田氏の手に落ちたが、天正一〇年(一五八二)武田氏の滅亡、次いで織田信長の横死により上杉景勝の支配下に帰し、「上杉年譜」にその料所の一つ「浅野内堀分」と ... ...
45. あさのむら【浅野村】長野県:上水内郡/豊野町
日本歴史地名大系
たる道が通じており、浅野はその沿道の要地であった。天正一〇年(一五八二)北信濃地方を掌握した上杉景勝は、同年七月島津忠直を長沼(現長野市)城主に任命するとともに ... ...
46. あたごじんじゃ【愛宕神社】新潟県:上越市/旧直江津市地区/国分寺村
日本歴史地名大系
別当寺としたと伝えるが、このことも当社と修験との関係をうかがわせる。御館の乱では上杉景勝が当社に戦勝祈願をしている(天正六年五月一四日「上杉景勝願文」古文書集) ... ...
47. あだちぐん【安達郡】福島県
日本歴史地名大系
と領域が固定した。〔近世〕奥羽仕置により会津には蒲生氏郷が入部、その後慶長三年(一五九八)に上杉景勝、同六年に蒲生秀行と代わり、寛永四年(一六二七)加藤嘉明が会 ... ...
48. あつかいむら【厚貝村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
為給分中野・新井村三人懸帯・同あつかい村両人懸帯出置候、軍役以下急度可相勤之者也、仍如件、支配の変遷は、上杉景勝の移封後、飯山城城主関一政・森忠政・松平忠輝・堀 ... ...
49. あつみがわむら【温海川村】山形県:西田川郡/温海町
日本歴史地名大系
西の温海川下流は一霞村。天正一八年(一五九〇)以降と考えられる一〇月晦日の豊臣秀吉朱印状(津軽文書)に上杉景勝分領として「あつミ川」とみえる。元和八年(一六二二 ... ...
50. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
9月関ヶ原の戦い、三成ら西軍敗北1601(慶長6)3月家康、大坂城より伏見城に移る。8月家康、上杉景勝を米沢に移封1602(慶長7)1月家康、諸大名に命じ二条城 ... ...