1. 後藤基次
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の武将。通称又兵衛(またべえ)。黒田家の臣で豪勇をうたわれた。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役における晋州(しんしゅう)城一番乗り ...
2. 後藤基次
世界大百科事典
1560-1615(永禄3-元和1) 織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父 ...
3. ごとうもとつぐ【後藤基次】
国史大辞典
?―一六一五 安土桃山時代の武将。通称又兵衛、隠岐と号した。父新左衛門はもと播磨別所氏の家臣で、のち小寺政職の下にあり病死した。幼少の又兵衛は黒田孝高に養育さ ...
4. ごとう-もとつぐ【後藤基次】
日本人名大辞典
⇒後藤又兵衛(ごとう-またべえ) ...
5. 江戸時代
世界大百科事典
継いだ2代目の若い主君と誇り高い老巧の家老との間で成立しえないのはむしろ当然であり(黒田長政と後藤基次の関係はその好例である),江戸時代初期には両者の関係が原因 ...
6. 大坂の陣
日本大百科全書
長宗我部盛親(ちょうそがべもりちか)、明石全登(あかしぜんと)、毛利勝永(もうりかつなが)、後藤基次(ごとうもとつぐ)らをはじめとし、全国各地から馳(は)せ参じ ...
7. おおさかのじん【大坂の陣】
国史大辞典
成・渡辺糺らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城させ、大坂およ ...
8. かわちのくに【河内国】大阪府地図
日本歴史地名大系
)を越えて国分に陣を構えた。五月六日に激戦が展開され、大坂方の木村重成は西郡(現八尾市)で、後藤基次は道明寺付近で戦死し、翌日、大坂城をめざして押寄せた関東の大 ...
9. きむらけんかどう【木村蒹葭堂】
国史大辞典
邸内の井戸より出た古芦根にちなんで室名を蒹葭堂と称した。元文元年(一七三六)十一月二十八日生まれる。後藤基次七世の孫。北堀江(西区)で酒造を業とした。通称は坪井 ...
10. 木村重成
日本大百科全書
ひでより)の乳母(うば)であったので、重成も幼時から秀頼に仕えた。大坂冬の陣では、初陣ながら後藤基次(もとつぐ)とともに、上杉景勝(かげかつ)、佐竹義宣(よしの ...
11. 後藤又兵衛
日本大百科全書
→後藤基次 ...
12. ごとうまたべえ【後藤又兵衛】
国史大辞典
⇒後藤基次(ごとうもとつぐ) ...
13. 後藤又兵衛[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:2件 『大阪城の七将星』福本日南『武蔵・又兵衛 郷土の剣豪たち』綿谷雪『後藤基次』土師清二『後藤基次墓』- ...
14. さなだゆきむら【真田幸村】
国史大辞典
三ノ丸まで埋められたことから、籠城は不可能だとして、城外に徳川軍を迎撃することにした。そして五月六日、後藤基次・薄田兼相らとともに大和口を防ごうとして、河内国片 ...
15. しぎのむら【鴫野村】大阪府:大阪市/城東区地図
日本歴史地名大系
東軍上杉景勝は四千人の兵を率いて鴫野口に迫り、井上頼次は戦死、柵は東軍が奪った。しかし今福堤の後藤基次隊の援護により西軍は再び柵を奪回、さらに二八日には東軍堀尾 ...
16. 四天王
世界大百科事典
忠次,井伊直政,本多忠勝,榊原康政,豊臣秀頼の四天王として木村重成,真田幸村,長宗我部盛親,後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王(頓阿,兼好,浄弁,慶運), ...
17. してんのう【四天王】
日本架空伝承人名事典
忠次、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、豊臣秀頼の四天王として木村重成、真田幸村、長宗我部盛親、後藤基次などがある。芸道では和歌の四天王(頓阿、兼好、浄弁、慶運)、 ...
18. 十二支考 1 33ページ
東洋文庫
そのほか捜さぱまだ多少あるべし。『常山紀談』に、黒田長政の厩に虎入り恐れて出合う者なかりしに、菅政利と後藤基次これを斬り殺す。長政、汝ら先陣の士大将して下知する ...
19. すすきだかねすけ【薄田兼相】
国史大辞典
城中町屋の娼家で遊女と酒宴していたという。翌年夏の陣では、五月六日黎明より片山道明寺付近にて後藤基次らとともに水野勝成・本多忠政・伊達政宗らと戦い、討死した。水 ...
20. 想古録 1 近世人物逸話集 279ページ
東洋文庫
羨むなり、士風の高下、古今其趣きを殊にすること見るべし、歎ぜざる可けんや(鶴見虎之助) 五五四 後藤基次、膳の縁を削りて箸と為す 後藤又兵衛基次は千里の駿足なり ...
21. ちくぜんのくに【筑前国】福岡県
日本歴史地名大系
良城(現杷木町)の六端城を建設し、井上之房・母里友信・後藤基次ら大身を配置してその地域の支配を任せたが、元和の一国一城令によってこれらの諸城は破却された。 ...
22. 鳥取(市)
日本大百科全書
市内には荒木又右衛門(あらきまたえもん)や渡辺数馬(わたなべかずま)、後藤又兵衛(またべえ)(後藤基次(もとつぐ))、亀井茲矩(これのり)、山中鹿介(しかのすけ ...
23. なつのじん【夏の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
この日は太陽暦一六一五年六月二日・三日にあたり、暑いころであった。まず五月五日平野口に集結した城兵のうち、後藤基次・薄田兼相らは六日早暁朝霧をついて道明寺に進出 ...
24. 八陣守護城
日本大百科全書
を連れ琵琶(びわ)湖上を悠々と帰って行く「御座船(ござぶね)」と、八段目で朝清が正木・児島(後藤基次)の両軍師を得て安堵(あんど)して落命する「本城」が名高い。 ...
25. 八陣守護城
世界大百科事典
飲み,身体の異常に耐えながら,御座船で悠々と本城に帰っていくところと,八段目の本城の段で,正木・児島(後藤基次)の両軍師を得て,若君守護の見通しがついたので,毒 ...
26. はちじんしゅごのほんじょう【八陣守護城】
歌舞伎事典
身体の異常に耐えながら、御座船で悠々と本城に帰っていくところと、八段目の本城の段で、正木・児島(後藤基次)の両軍師を得て、若君守護の見通しがついたので、毒酒の物 ...
27. ふゆのじん【冬の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
成・渡辺糺らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城させ、大坂およ ...
28. 南方熊楠文集 2 217ページ
東洋文庫
木曽が巴を妓童代りに用いた故智に倣い頼長が使うたのだ。『武徳編年集成』七四、城中で和睦評議の節、後藤基次の語に、十二月四日東軍の諸勢真田丸に籠った際、城兵力戦も ...
29. 1615年〈元和元(7・13) 乙卯⑥〉
日本史年表
3・14 奥平信昌(61、美濃加納藩主)。 4・29 塙直之(49、武将)。 5・6 後藤基次(武将)。 木村長門守(武将)。 薄田兼相(武士)。 5・ ...