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春日局

ジャパンナレッジで閲覧できる『春日局』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

春日局
かすがのつぼね
一五七九 - 一六四三
徳川三代将軍家光の乳母。お福ともいう。天正七年(一五七九)に生まる。父は明智光秀の重臣斎藤利三、母は稲葉通明女。父利三が山崎合戦で自刃(一説に磔刑)ののち、母方の一族稲葉重通の養女となり、その養子正成に嫁し、四男(正勝・正定・岩松・正利)を生む。のち正成と離別して大奥に仕え、慶長九年(一六〇四)、家光誕生に伴い、その乳母となる。後年、家光が将軍職に就任できたのは局の働きによるところが大きい。すなわち、幼少時の家光は父の将軍秀忠、母の御台所浅井氏(お江与、崇源院)にうとまれ、世嗣の座(次期将軍の座)は弟忠長に移る気配であった。それを察知した局は、元和元年(一六一五)、ひそかに駿府に至り、この旨を大御所家康に訴えた。その結果、家康の取計いによって家光は無事に世嗣の座につくことができたのである。寛永三年(一六二六)、浅井氏の没してのち、局は大奥を統率し、そのもとで諸々の「掟」などが制定されたという。また、大名証人のうち、女子のことはすべて局一人で沙汰をしたといわれる。その影響力は将軍家光をはじめ、老中・諸大名など幕府の内外に及んだ。同六年、いわゆる紫衣事件がおこり、後水尾天皇が譲位の意志を示すさ中、局は大御所秀忠の内意をうけて上洛した。このとき幕府の一侍女の身分にして、武家伝奏三条西実条の猶妹に定められ、春日の局号を賜わり、参内を許されて天盃を授かった。これは公家衆に希代の儀との批評をうけたのである。この直後、天皇は興子内親王(明正天皇)に譲位してしまう。同八年、近江佐和山(彦根)に至り、井伊直孝に密旨を伝える。ところで、局との縁故で幕府に登用されたものは多い。夫正成は大名に取り立てられ、子正勝は老中に出世し、兄宗利・三存、女婿堀田正吉は旗本の士に召し出された。なかでも正吉の子正盛は老中を経て家光側近随一の重臣にまでなった。また、局は旧主明智光秀の女お玉(ガラシヤ)の嫁した細川忠興家と親密であった。寛永元年、江戸湯島に天沢寺(のち麟祥院と改む)を建立し、同十一年、子正勝没後、麟祥院と称し、また京都妙心寺に塔頭麟祥院を建立した。代官町・春日町に屋敷を賜わり、采地三千石を領した。豪侠の性質であったという。寛永二十年九月十四日没す。六十五歳。湯島天沢寺に葬る。法名は麟祥院殿仁淵了義。
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ二 慶長九年七月十七日条、『徳川実紀』一―三、『寛政重修諸家譜』六〇七・八〇〇、菊池弥門『柳営婦女伝系』八(『徳川諸家系譜』一)、『玉輿記』五(『柳営婦女伝叢』)
(北原 章男)


世界大百科事典

春日局
かすがのつぼね
1579-1643(天正7-寛永20)

徳川家光の乳母。お福ともいう。父は明智光秀の重臣斎藤利三,母は稲葉通明の女。従兄稲葉重通の養女となり,その養子正成に嫁し,正勝ら4男を生む。のち正成と離別して大奥に仕え,1604年(慶長9)家光の誕生にともなってその乳母となる。後年,家光・忠長兄弟の嫡庶争いのとき,局はひそかに駿府の大御所家康に直訴し,家光の世嗣決定に大きな役割を果たした。大奥を統率し,もろもろの〈掟〉を制定したといい,また大名証人のうち,女子のことはすべて局一人の沙汰するところであったという。その影響力は将軍家光をはじめ幕府の内外におよんだ。29年いわゆる紫衣(しえ)事件のさなか,局は秀忠の内意をうけて上洛し,参内して後水尾天皇に拝謁した。このとき春日の局号を賜って,公家三条西実条の猶妹となった。局との縁故で幕府に登用されたものは多く,夫正成は大名,子正勝は老中,兄斎藤利宗・三存,女婿堀田正吉は旗本,なかでも正吉の子正盛は老中をへて家光側近随一の重臣に取り立てられた。晩年,湯島に天沢寺を建立し,34年,子正勝没後は麟祥院と称した。東京都文京区春日の地名は,そこに局の屋敷のあったことに由来する。
[北原 章男]

[索引語]
徳川家光 お福(人名) 春日(東京) 天沢寺 麟祥院
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検索ヒット数 216
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検索コンテンツ
1. かすが‐の‐つぼね【春日局】
日本国語大辞典
千代の乳母として、国千代擁立をはかる高円(たかまど)らの陰謀に抗し、竹千代の世継の位置を守る春日局の苦心を脚色した。活歴を主張する桜痴が初めてその主張を具体化し
2. 春日局画像
日本大百科全書
り譲位の意志を示すさなか、局は大御所秀忠の内意を受け上洛(じょうらく)し、参内して天盃を賜り春日局の号を許された。田安門内に宏壮(こうそう)な屋敷を営み、相州吉
3. 春日局
世界大百科事典
1579-1643(天正7-寛永20) 徳川家光の乳母。お福ともいう。父は明智光秀の重臣斎藤利三,母は稲葉通明の女。従兄稲葉重通の養女となり,その養子正成に嫁し
4. かすがのつぼね【春日局】画像
国史大辞典
一五七九―一六四三 徳川三代将軍家光の乳母。お福ともいう。天正七年(一五七九)に生まる。父は明智光秀の重臣斎藤利三、母は稲葉通明女。父利三が山崎合戦で自刃(一
5. 春日局
日本史年表
1629年〈寛永6 己巳②〉 10・10 家光乳母参内し、 春日局 の号を授与される(東武実録)。 1643年〈寛永20 癸未〉 9・14 没。
6. 春日局(かすがのつぼね)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 282ページ
7. かすがのつぼね【春日局】
日本架空伝承人名事典
き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)駿河の家康のもとへ継承問題で直訴したとき、春日局は表むき伊勢参宮に名をかりてひそかに江戸を出た(『烈婦伝』)。
8. 春日局[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:7件 『春日局伝記』天沢文雅(著刊)『春日局補伝』細川潤次郎(著刊)『殉職の女性春日局』-『明智光秀と春日局』平塚正雄『春日局』赤堀又次郎『春日
9. 春日局[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
春日局画像」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分)©東京大学史料編纂所
10. 春日局
古事類苑
服飾部 洋巻 第1巻 1038ページ
11. 春日局創麟祥院 (見出し語:春日局)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 420ページ
12. かすがのつぼね【春日局(1)】
日本人名大辞典
?−? 平安時代後期の女官。徳大寺実能(さねよし)の娘。鳥羽(とば)天皇(在位1107-23)の皇后美福門院につかえる。のち天皇の後宮にはいり頌子(しょうし)内
13. かすがのつぼね【春日局(2)】
日本人名大辞典
?−1180 平安時代後期の女官。中原師元(もろもと)の娘。二条天皇の後宮にはいり〓子(ぜんし)内親王(賀茂斎院)を生んだ。治承
14. かすがのつぼね【春日局(3)】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉-南北朝時代の女性。西園寺公宗(きんむね)の妻(日野名子(めいし))の侍女。建武(けんむ)2年(1335)公宗が後醍醐(ごだいご)天皇暗殺未遂の罪で
15. かすがのつぼね【春日局(4)】
日本人名大辞典
問題で徳川家康にうったえ,家光の世子決定を実現。大奥に絶大な権力をふるう。のち後水尾天皇から春日局の称をうけた。寛永20年9月14日死去。65歳。名は福。【格言
16. 春日局花押[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
17. かすがのつぼね【春日局(5)】
日本人名大辞典
⇒治部卿局(じぶきょうのつぼね)(3)
18. 明智光秀[文献目録]
日本人物文献目録
『明智光秀』平田骨仙『明智光秀再検討の一齣』長倉三郎『明智光秀伝の一部』粟野秀穂『明智光秀と春日局』平塚正雄『明智光秀と其の時代』有働研造『明智光秀の一考察』桑
19. あしかがよしつぐ【足利義嗣】
国史大辞典
一三九四―一四一八 室町時代前期の武将。三代将軍義満の子。生母は摂津能秀の女、春日局。初め三千院(梶井門跡)に入室したが、やがて義満はこれを三千院から戻し、室
20. あじきむら【安食村】千葉県:印旛郡/栄町地図
日本歴史地名大系
の際に錦旗山に錦旗を立て野立所とし、松を神籬として祖神を祀ったのが始まりと伝える。江戸時代は春日局の崇敬が厚かったといわれる。例祭(酉の市)は一二月の初酉の日。
21. あずかり‐そ[あづかり‥]【預所】
日本国語大辞典
〔名〕「あずかりしょ(預所)(1)」に同じ。*高野山文書‐安元三年〔1177〕六月二二日・春日局消息(大日本古文書一・二八一)「あつかりそしもつかさにつけても、
22. いこのつぼね【いこの局】
日本人名大辞典
江戸時代前期の女性。天正(てんしょう)17年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)の武将稲葉正成(まさなり)の娘。春日局(かすがのつぼね)の継子にあたる縁で,将軍徳川家
23. いしはらしゅく【石原宿】滋賀県:蒲生郡/日野町/石原村
日本歴史地名大系
[現]日野町石原 石原村に設けられた御代参街道の宿駅で、成立は寛永一七年(一六四〇)春日局が伊勢神宮から多賀大社への参詣にあたり、伏見奉行小堀遠江守が石原村に対
24. いせさだたけ【伊勢貞丈】画像
国史大辞典
殿中の礼法故実を伝えて伊勢流と称した。室町幕府滅亡の後、沈淪したが、寛永十四年(一六三七)に伊勢貞衡は、春日局の縁故により、旧家の末として江戸幕府に召出され、稟
25. 稲葉氏
世界大百科事典
関ヶ原の戦では,秀秋の東軍への寝返りに関与。1607年美濃で1万石を得た。2代稲葉正勝は母(春日局)が将軍徳川家光の乳母となったため寵用され,老中・相模小田原城
26. いなばし【稲葉氏】画像
国史大辞典
中、寛永九年(一六三二)相模小田原城主(八万五千石)となる。このような立身は正勝が家光の乳母春日局の子であったためである。以後代々譜代大名として奏者番・寺社奉行
27. 稲葉正勝
世界大百科事典
1597-1634(慶長2-寛永11) 江戸前期の幕府老中。稲葉正成の三男。母は春日局。8歳で3代将軍徳川家光に仕え,小姓組番頭・書院番頭を経て,1623年(元
28. いなばまさかつ【稲葉正勝】画像
国史大辞典
江戸時代前期の大名。慶長二年(一五九七)稲葉正成の三男として、京都に生まる。母は稲葉重通の養女阿福、のちの春日局。初名千熊、通称宇右衛門。同九年八歳で徳川家光に
29. いなば-まさかつ【稲葉正勝】
日本人名大辞典
1597−1634 江戸時代前期の大名。慶長2年生まれ。稲葉正成(まさなり)の3男。母は春日局(かすがのつぼね)。徳川家光につかえ,元和(げんな)9年老中。寛永
30. いなば-まさなり【稲葉正成】
日本人名大辞典
元亀(げんき)2年生まれ。美濃(みの)十七条城主林政秀の次男。稲葉重通(しげみち)の養子。妻の福(春日局(かすがのつぼね))との間に正勝らをもうけた。小早川秀秋
31. いなば-まさのり【稲葉正則】
日本人名大辞典
1623−1696 江戸時代前期の大名。元和(げんな)9年6月2日生まれ。稲葉正勝の子。4歳で母と死別,祖母の春日局(かすがのつぼね)にそだてられる。寛永11年
32. いのくちむら【井口村】神奈川県:足柄上郡/中井町地図
日本歴史地名大系
四がいた(「煙草仲買連名帳」県史五)。「風土記稿」によれば、藩領の名主大島家は、寛永一八年の春日局大山不動尊(現伊勢原市)参詣途次の旅所となり、公費で家作を修造
33. いびがわちょう【揖斐川町】岐阜県:揖斐郡
日本歴史地名大系
京都上賀茂神社領の脛長庄が成立していた。守護土岐氏の居城や墓地などの遺跡が残り、また斎藤利三・稲葉一鉄・春日局らのゆかりの地でもある。近世には現町域に大野郡一九
34. 乳母(うば)
日本大百科全書
乳母の子は乳兄弟(めのとご)とよばれて好遇された。江戸時代には将軍家や諸大名もこの慣習を行い、乳母の権力は春日局(かすがのつぼね)(徳川家光(いえみつ)の乳母)
35. えいよ【栄誉】
日本人名大辞典
(いわみ)寺で出家。のち大和(奈良県)の真言宗長谷寺でまなぶ。春日局にまねかれ3代将軍徳川家光の護持僧をつとめる。寛永13年春日局が寄進した江戸根生院の住職とな
36. えん‐こ【縁故】
日本国語大辞典
827〕二二・徳川氏正記「以〓春日局縁故〓、皆見
37. 大奥画像
日本大百科全書
た。寛永(かんえい)(1624~1644)のころ、3代将軍徳川家光(いえみつ)の乳母(うば)春日局(かすがのつぼね)によって、大奥女中の職制が整えられたといわれ
38. 大原麗子[「好感度タレントNo.1」の常連だった美人女優、死去]
情報・知識 imidas
1」に何度も選ばれるなど、和風の美人女優としてドラマやCMでも人気を集め、NHKの大河ドラマ「春日局」では主役を務めた。私生活では73年に俳優の渡瀬恒彦と結婚し
39. おおはら-れいこ【大原麗子】
日本人名大辞典
「網走番外地」シリーズなどで人気をあつめる。46年渡辺プロにうつり,映画「おはん」,テレビドラマ「勝海舟」「春日局(かすがのつぼね)」などに出演した。平成21年
40. おくのいん【奥院】和歌山県:伊都郡/高野町/高野山
日本歴史地名大系
もつ「いにしへハはなさくはるにむかひしににしにくまなき月おミるかな」と仮名書きした卒塔婆、その奥に春日局墓があり、左手には霊元天皇をはじめとする歴代の皇族の宝塔
41. お‐つぼね【御局】
日本国語大辞典
大奥で局を与えられていた奥女中、また、女中を取り締まった老女の敬称。三代将軍家光の乳母であった春日局(かすがのつぼね)などが有名。長局。*浮世草子・好色一代女〔
42. お局さま[新語流行語]
情報・知識 imidas
口うるさい先輩OL。気位が高く、職場の備品管理を仕切りたがるハイミス。語源はNHK大河ドラマ「春日局」とされているが、実は、ふつうのOLの実態を観察したドキュメ
43. おらくのかた【お楽の方(1)】
日本人名大辞典
元和(げんな)7年生まれ。弟に増山正利(ましやま-まさとし),那須資弥(なす-すけみつ)。寛永10年ごろ春日局(かすがのつぼね)のすすめで大奥にはいる。18年竹
44. かいぜんじ【開善寺】埼玉県:本庄市/本庄宿地図
日本歴史地名大系
、信嶺の夫人久旺院尼の兄である球山実温が招かれて当寺を開山した。「風土記稿」によると、球山は春日局の叔父にあたり、信濃国伊那郡川路村開善寺(現長野県飯田市)の住
45. 海北派画像
日本大百科全書
狩野(かのう)といった専門絵師より一段低い「絵屋」をなりわいとする生活を送っていた。それが後年、春日局(かすがのつぼね)(友松の親友・斎藤利三(としみつ)の娘)
46. 海北友松
日本大百科全書
一時没落し、町絵師的生活を送るが、このとき海北家を引き立て再興させたのは、ほかならぬ利三の娘春日局(かすがのつぼね)であった。友松の恩義に報いたのであろう。 友
47. かいほうゆうせつ【海北友雪】
国史大辞典
はじめとする幅広い絵画需要に応じていた。友松は生前親友斎藤利三の遺児である春日局の世話をしたことがあったので、やがて友雪は春日局によって徳川家光への推挙を受けて
48. 香川照之[NHKのドラマ「坂の上の雲」と「龍馬伝」に出演する人気俳優]
情報・知識 imidas
父は歌舞伎役者の三代目市川猿之助、母は女優の浜木綿子。東京大学文学部を卒業後、89年にNHK大河ドラマ「春日局」で、俳優デビュー。90年代は「静かなるドン」など
49. かしわぎむら【柏木村】東京都:新宿区/旧淀橋区地区地図
日本歴史地名大系
四町一反余などがある。鎮守は平将門のものと伝える鎧を祀った鎧神社。円照寺(現真言宗豊山派)は春日局の再興とされる。境内の右衛門桜は近世初頭からその名を知られた(
50. かすが【春日】
日本国語大辞典
横豎小路 一条〈略〉椹木丁 春日(カスガ) 丸太丁」〔四〕東京都文京区南部の町名。江戸初期、春日局(かすがのつぼね)の屋敷があったため呼ばれた。〔五〕福岡県中西
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