1. 狩野探幽
日本大百科全書
桃山後期から江戸初期の画家。狩野孝信(たかのぶ)の長子として京都に生まれる。次弟に尚信(なおのぶ)、末弟に安信があった。名を守信、初め采女(うねめ)と称した。幼
2. 狩野探幽
世界大百科事典
1602-74(慶長7-延宝2) 江戸初期の画家で江戸狩野の確立者。狩野孝信の長男で,永徳の孫にあたる。幼名采女(うねめ),名は守信。1635年(寛永12)に剃
3. かのう‐たんゆう【狩野探幽】
日本国語大辞典
江戸初期の画家。京都の人。孝信の子。名は守信。宗家を弟尚信に譲り幕府の御用絵師となり、鍛冶橋狩野家を起こす。二条城、名古屋城をはじめ、多くの寺社、大名屋敷の障壁
4. かのうたんゆう【狩野探幽】
国史大辞典
考』三七、武田恒夫『狩野探幽』(『日本美術絵画全集』一五)、田島志一編『東洋美術大観』五、土居次義「大徳寺方丈の探幽画」(『近世日本絵画の研究』所収)、春山武松
5. かのう-たんゆう【狩野探幽】
日本人名大辞典
1602−1674 江戸時代前期の画家。慶長7年1月14日生まれ。狩野孝信の長男。元和(げんな)3年幕府御用絵師となり,7年(1621)鍛冶橋(かじばし)狩野家
6. かのうたんゆう【狩野探幽】
日本架空伝承人名事典
江戸初期の画家で江戸狩野の確立者。狩野孝信の長男で、永徳の孫として京都に生まれる。幼名采女、名は守信。江戸幕府の成立とともに江戸へ下り一六一七年(元和三)幕府御
7. 狩野探幽[文献目録]
日本人物文献目録
蔵図解』-『狩野探幽筆小倉百人一首帖』-『狩野探幽筆花鳥図解』-『狩野探幽筆勧学図』-『狩野探幽筆韓退之図』-『狩野探幽筆清見潟図』-『狩野探幽筆琴棋書画図解』
8. 狩野守信・狩野探幽
日本史年表
幕府、 狩野守信(探幽) を御用絵師とする(重修譜)。 1626年〈寛永3 丙寅④〉 この年 狩野探幽 、二条城の襖絵を描く。 1662年〈寛文2 壬寅〉 5・
9. いけがみほんもんじ【池上本門寺】東京都:大田区/池上村地図
日本歴史地名大系
日朗筆大曼荼羅は都指定文化財。境内墓地に徳川吉宗室の墓、山内寺院の南之院墓地に将軍家御用絵師狩野探幽の墓がある。江戸開城前に西郷隆盛(南洲)と勝海舟が会見したと
10. 石川丈山画像
日本大百科全書
との風雅の交友を楽しみ、詩文に遊ぶ自適の生涯を送った。詩仙堂の名は、中国の詩人36人を選んで狩野探幽(かのうたんゆう)にその像を描かせ、壁に掲げたことにちなむ。
11. いしかわじょうざん【石川丈山】画像
国史大辞典
ひところ母を養うために大名の客臣となったこともあるが、没後は洛北一乗寺村に一庵を建てて隠棲した。そして狩野探幽に、漢から宋までの詩人三十六人の画像を描かせ、これ
12. いしだゆうてい【石田幽汀】
国史大辞典
一七二一―八六 江戸時代中期の画家。名守直、幽汀は号。播州明石に生まれ、京都の石田家の養子となる。狩野探幽の画系をくむ鶴沢探鯨に学んで画名を挙げ、禁裏絵師となり
13. 一休和尚年譜 1 173ページ
東洋文庫
かみそしったちはき禦さむ心こそ いつさひぎやうをぎりすてんため、一休子宗純隻画筆[印][印]」(狩野探幽模写) (1)(2)(3)(4)の賛は、若干の異同がある
14. いわつきじょうあと【岩槻城跡】埼玉県:岩槻市/岩槻城下地図
日本歴史地名大系
高岩筋に四区分されて支配された(吉田家文書)。なお重次は川越の仙波東照宮に一二面の鷹絵額(伝狩野探幽筆)、岩槻久伊豆神社に螺鈿鞍などを奉納、正春は寛文一一年時の
15. えいふくじ【栄福寺】千葉県:千葉市/若葉区/坂尾村地図
日本歴史地名大系
書によれば天文一九年(一五五〇)本庄胤村の寄進、延宝六年(一六七八)板倉重直の補綴で、作者は狩野探幽門人の片山三清守長。山門の左右から寺の三面を囲む高さ一メート
16. 絵金
日本大百科全書
く影響された。3年後に帰国して藩のお抱え絵師に取り立てられるが、数年後にスキャンダル(一説に狩野探幽(たんゆう)らの偽作を行うという)によりその地位を失い、以後
17. 江戸小咄集 1 56ページ
東洋文庫
禿も一様の牡丹づくし、子鼻女郎の顔を見れば獅(一)張付戸の略。片面紙張の戸 (二)狩野探幽(たんにゆう)のこと。江戸初期の画家。鍛冶橋狩野の祖。幕府の御用絵師(
18. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
教。『信長記』刊1624(寛永1)2月 江戸に猿若座(のちの中村座)できる1625(寛永2)狩野探幽、二条城の襖絵を描く1627(寛永4)吉田光由『塵劫記』。土
19. 江戸時代美術画像
世界大百科事典
や霊廟を営んだ。二条城二の丸御殿(1624-26)はその代表的な遺構の一つであり,内部を彩る狩野探幽一門の障壁画の巨大な松の枝ぶりが長押(なげし)の上にまで延び
20. えんつうじ【円通寺】茨城県:水戸市/千波村
日本歴史地名大系
本堂のほか常陸大掾氏の守護仏と伝える観音像を祀る観音堂があり、寺宝に伝道元禅師真筆、伝後醍醐天皇綸旨二通、狩野探幽筆の涅槃図などがある。
21. 近江八景
世界大百科事典
山秋月,粟津晴嵐,唐崎夜雨,比良暮雪,三井晩鐘の8景がそれである。絵画作品としては江戸時代に狩野探幽,鳥居澄久,葛飾北斎などが描いているが,とくに安藤広重の名所
22. おおえやまえまき【大江山絵巻】
国史大辞典
十四世紀後半の製作と推定されよう。『考古画譜』によると、『大江山絵巻』としてはこのほか、狩野元信筆の三巻本、狩野探幽筆三巻本、土佐光起筆三巻本などあったことが知
23. おおにし-じょうりん【大西浄林】
日本人名大辞典
寛永のころ京都三条釜座(かまんざ)で茶の湯釜をつくった。作品は蘆屋(あしや)風で,鮮明な地文を特徴とした。狩野探幽(かのう-たんゆう)の下絵をもちいたものがある
24. おおままち【大間町】新潟県:佐渡郡/相川町/相川町
日本歴史地名大系
大間町橘屋庄兵衛預リ、此縁ヲ以て寺町円徳寺丹那ニ成」という記事がある。胖幽の父は画家久隅守景で、師匠は狩野探幽。延宝二年(一六七四)相川に流され、橘屋に預けられ
25. おおみどうじ【大御堂寺】
国史大辞典
池禅尼墓からは常滑窯の大甕に入った平安時代末期の経筒二個が発見されている。このほか、徳川義直寄進の狩野探幽筆という義朝最後の図がある。寺の東には長田屋敷跡という
26. おおみどうじ【大御堂寺】愛知県:知多郡/美浜町/柿並村
日本歴史地名大系
寄進した。寛永一六年(一六三九)徳川義直二五〇石寄進の黒印状を所蔵する。なお義直は伽藍を修復し、狩野探幽に命じて義朝最後の図や大法会の図を描かせ、自ら絵解を記し
27. 尾形光琳
世界大百科事典
発揮した点にある。《鳥獣写生帖》(文化庁)は,彼が写生に関心をもっていたことを示すものだが,これ自体は狩野探幽の模写であることが近年判明した。二大傑作は,法橋叙
28. おがた-もりよし【尾形守義】
日本人名大辞典
江戸時代前期の画家。寛永20年生まれ。父は筑前(ちくぜん)福岡藩の御用絵師尾形仲由。藩命により狩野探幽(たんゆう)の門人となり,師の名守信(もりのぶ)の一字をと
29. かいぜんじ【海善寺】静岡県:下田市/下田町
日本歴史地名大系
なり、家茂は寺庭に松を植えたが(増訂豆州志稿)、「徳川家茂手植の松」は今も樹勢が盛んである。狩野探幽筆と伝えられる出山釈迦の大幅がある。境内には唯念と徳本の六字
30. 改訂 京都民俗志 193ページ
東洋文庫
紫野大徳寺方丈の猿回の水墨絵は有名である。都林泉名勝図会に、花園妙心寺法堂天井の竜を描く時、狩野探幽が塔頭海福院に滞留していた。酒狂してたわむれに襖へ唐の猿回を
31. 改訂 京都民俗志 203ページ
東洋文庫
える◎ 虎 桃山時代の蟇股や欄間の彫刻に虎は多い◎襖絵にもたくさん現われている。東山南禅寺の狩野探幽筆水飲の虎はすこぶる名高く、毎夜外へ出るので近所が濡れていた
32. 改訂 京都民俗志 220ページ
東洋文庫
絵があるo 竜 禅堂の鏡板には、墨絵の竜がたいてい描かれている。花園妙心寺の法堂の天井の竜は狩野探幽が描いたが、眼睛を点ずるの日には、にわかに暴風雨が起こったと
33. かしく‐うめ【畏梅・可祝梅】
日本国語大辞典
女子の手紙の末尾に書く「可しこ(かしく)」の書体に似せて書いたもの。*狂歌・万紫千紅〔1818〕「狩野探幽斎かしく梅の画にこれがかのかの探幽がふでにかく梅とし聞
34. かじかわ-ぶんりゅうさい【梶川文竜斎】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代前期の蒔絵(まきえ)師。梶川家3代をつぎ,幕府につかえた。狩野探幽(1602-74)の下絵による鷹が雀を追う図の印籠(いんろう)が現存する。
35. かじばし‐かのう[かぢばし‥]【鍛冶橋狩野】
日本国語大辞典
江戸幕府の御用絵師狩野四家の一つ。江戸鍛冶橋(東京都中央区八重洲)内外に屋敷を賜わった
狩野探幽の系統をさす。[発音]カジバシカノー
[カ]<2>
36. 歌仙絵画像
日本大百科全書
岩佐勝以(いわさかつもち)(又兵衛)筆の『三十六歌仙絵額』(川越市・喜多院(きたいん))などが残る。このほか狩野探幽(かのうたんゆう)筆『新三十六歌仙画帖』や尾
37. かつたちくおう【勝田竹翁】
国史大辞典
後年勝田家が表絵師の一家となる基礎を築く。貞享四年(一六八七)以前に八十一歳で没したと推定される。同世代の狩野探幽の影響を受けながらも、より古風な作風を示す。代
38. かつらりきゅう【桂離宮】京都市:西京区/下桂村地図
日本歴史地名大系
苑路と橋とによってつないでいる。中書院と笑意軒は寛永一八、九年頃智忠親王によって増築され、その襖絵は狩野探幽・尚信・安信三兄弟が並んで彩管を振るったと伝えられる
39. かとう-えんたく【加藤遠沢】
日本人名大辞典
1643−1730 江戸時代前期-中期の画家。寛永20年生まれ。陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)の人。狩野探幽の門にはいる。山水・人物画を得意とし,久隅守景
40. かのう-ありのぶ【狩野有信】
日本人名大辞典
1606−? 江戸時代前期の画家。慶長11年生まれ。狩野探幽(たんゆう)の門人。松平信濃守(しなののかみ)につかえた。寛文12年5月13日67歳筆としるされたも
41. かのうさんらく【狩野山楽】画像
国史大辞典
天王寺の絵堂に「聖徳太子絵伝」板絵(重要文化財)を描き、寛永初年には、家光再建の大坂城本丸に狩野探幽や尚信を助け、障壁画制作を担当したと伝える。寛永八年(一六三
42. かのう-たんしん【狩野探信(1)】
日本人名大辞典
1653−1718 江戸時代前期-中期の画家。承応(じょうおう)2年生まれ。狩野探幽の長男。父の跡をうけて鍛冶橋(かじばし)狩野家をつぐ。御所や江戸城の障壁画制
43. かのう-たんせつ【狩野探雪】
日本人名大辞典
1655−1714 江戸時代前期-中期の画家。明暦元年生まれ。狩野探幽の次男。朝鮮贈呈屏風や御所の障壁画制作などにたずさわる。延宝3年(1675)別家して一家を
44. かのう-どううん【狩野洞雲】
日本人名大辞典
1625−1694 江戸時代前期の画家。寛永2年生まれ。狩野探幽の養子となるが,探幽に探信,探雪の2子ができ,万治(まんじ)2年に別家。寛文7年(1667)幕府
45. 狩野尚信[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:11件 『狩野探幽の勉励並に安信尚信の評』-『狩野尚信筆猿曳図』-『狩野尚信筆山水画巻解』-『狩野尚信筆山水屏風
46. 狩野派画像
世界大百科事典
狩野松栄 四季花鳥図 狩野光信 風俗画 狩野秀頼 狩野孝信 狩野山楽 狩野貞信 狩野長信 京狩野 狩野探幽 狩野安信 狩野尚信 鍛冶橋狩野 木挽町狩野 中橋狩野
48. かのうもりのぶ【狩野守信】
国史大辞典
⇒狩野探幽(かのうたんゆう)
49. 狩野安信[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:0件 【逐次刊行物】:12件 『永真安信に就いて』狩野探道『画道要訣 牧心翁遺稿』-『狩野探幽の勉励並に安信、尚信の評』-『狩野守信、尚信、安信筆宇治
50. かみおぐむら【上尾久村】東京都:荒川区地図
日本歴史地名大系
より寺名を譲渡された(尾久の民俗)。文明一五年(一四八三)一〇月七日銘の三尊来迎図の板碑、伝狩野探幽作の屏風絵、普化宗関連の古文書などを有する。悪疫退散祈願を目