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  11. 蘆屋道満

蘆屋道満

ジャパンナレッジで閲覧できる『蘆屋道満』の日本架空伝承人名事典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 日本架空伝承人名事典

蘆屋道満
あしやどうまん
 平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが、道長の犬と晴明に見破られ、本国播磨国に追放されたと伝える。『峯相記』『東斎随筆』に同じ説話が見え、道摩を道満に作る。『簠簋袖裡ほきしゅうり伝』(室町末ごろ写、竜門文庫蔵)、『簠簋抄』(一六二九)に、道満は晴明と術くらべをして敗れ、晴明の弟子となる。のち晴明の入唐中、その妻利花と通じて秘蔵の卜占の書『金烏玉兎きんうぎょくと集』を写し取り、帰朝した晴明の首を斬る。術を用いてこれを知った晴明の師、大唐荊山の伯道上人は、来朝して晴明の遺骨を集め生活しょうかつ続命の法を修して蘇生させ、道満の首を斬り、利花をも殺す。古浄瑠璃『信田しのだ妻』は、晴明・道満伝説を脚色したものであるが、道満を蘆屋宿禰の後裔とし、宿禰以来、法道仙人の法術を伝えたとする。道満の生国は、『簠簋抄』に薩摩国とする以外は、すべて播磨国とし、『峯相記』は同国佐用郡の奥に住し、後裔は英賀あが・三宅にあってその芸を継ぐとする。今日でも三宅(姫路市飾磨区)には蘆屋塚があって、道満の末孫を称する者がいて、もと佐用郡仁方村に住したが、のちこの地に移住したと伝える。古記録によれば、この地には赤松満祐に薬を与えた蘆屋道薫をはじめ、室町期に活躍した蘆屋道仙・道善・道軒・道海などが住したことが確認できる。中古以来の説話集にも智徳をはじめとして、播磨陰陽師、播磨相人などの活躍がみられるところから賀茂、安倍二氏とは別系の陰陽師の拠点であったと考えられている。京の道満の居所は『古事談』などに六条坊門万里小路とあるが、江戸期の地誌類では大宮通三条の南にあったとする(『京羽二重織留』『雍州府志』『和漢三才図会』など)。また日本の各地に蘆屋塚・道満塚・道満井戸など、その伝説を伝えるところが多く、大和生駒郡安堵村飽波、近江国犬上郡北青柳村長曾根などは道満を非人の祖と伝え、若狭国では八百比丘尼の父を道満とする伝説があり、武蔵・会津などでもさまざまな伝説がある。
安倍晴明
[山本 吉左右]
 道満は人形浄瑠璃や歌舞伎でも活躍する。『信田森女占しのだのもりおんなうらかた』(一七一三初演)においては、一条戻橋で待ち伏せ保名・晴明の親子を討ち取ろうとするが、逆にとらえられて首をはねられることになっている。さらに、「信田妻」系統の歌舞伎狂言の代表作で「『葛の葉』の名で知られる『蘆屋道満大内鑑おおうちかがみ』(竹田出雲作、一七三四初演)における道満は、はじめ道満みちたるの名で、安倍保名のライバルとして登場するが、三段目で発心剃髪して、道満どうまんと称し、陰陽道に専心することになる。四段目では、狐葛の葉と保名との間に生まれた童子と問答をし、その聡明さに感心して、童子を晴明と名づける人物として描かれている。
[中山 幹雄]
御堂入道殿法成寺を作らせ給ふ時。毎日渡らせ給ふ。其ころ白犬を愛して飼せ給ひける。御供に参りけり。或日門を入らせおはしますに。御前にすゝみて走めぐりてほえければ。立とまらせ給ひて御覧ずるに。させる事なかりければ。猶歩み入らせ給ふに。犬御直衣のらんをくひ引とめ奉れば。いかにもやう有べしとて。榻をめして御尻をかけて居給て。忽に晴明を召て子細を仰らるゝに。しばらく眠て思惟したる気色にて申やう。君を呪咀し奉るもの厭術の物を道に埋て越させ奉らんと構へ侍る也。御運やむごとなくして。此犬ほえあらはす所也。犬もとより小神通の物なりとて。其所を指てほらするに。土器を打合て黄なる紙ひねりにて。十文字にからげたるをほりおこしてけり。解て見るに入たる物はなくして朱砂にて一文字を土器に書り。晴明申て云。此術はきはめたる秘事也。晴明が外知者なし。但若道摩法師所為歟。其一人ぞ知べしとて。懐帋取出て鳥の形をゑりて呪を唱へてなげあぐるに。白鷺と成て南をさして行。此鳥の落とまらん所を厭術のものゝ住所と知べしと申ければ。下部彼白鳥の行かたを守りて付て行間。六条坊門万里小路河原院の古き諸折戸の内に落ぬ。仍捜り求る所に老僧一人有。すなはち搦捕て行衛を問はる。道摩堀川の左府の語にて術をほどこす由申けれども。罪をば行れず。本国播磨へ追つかはす。但ながくかくのごとく術いたさゞるよし誓状をめさる。是運のつよく慮の賢くおはしますによりて。此難をのがれさせ給ひにけり。
十訓抄第七


世界大百科事典

蘆屋道満
あしやどうまん

平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。《古事談》《宇治拾遺物語》《十訓抄》に,道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが,道長の犬と晴明に見破られ,本国播磨国に追放されたと伝える。《峯相記》《東斎随筆》に同じ説話が見え,道摩を道満に作る。《簠簋袖裡(ほきしゆうり)伝》(室町末ごろ写,竜門文庫蔵),《簠簋抄》(1629)に,道満は晴明と術くらべをして敗れ,晴明の弟子となる。のち晴明の入唐中,その妻利花と通じて秘蔵の卜占の書《金烏玉兎(きんうぎよくと)集》を写し取り,帰朝した晴明の首を斬る。術を用いてこれを知った晴明の師,大唐〓山の伯道上人は,来朝して晴明の遺骨を集め生活(しようかつ)続命の法を修して蘇生させ,道満の首を斬り,利花をも殺す。古浄瑠璃《信田(しのだ)妻》は,晴明・道満伝説を脚色したものであるが,道満を蘆屋宿禰の後裔とし,宿禰以来,法道仙人の法術を伝えたとする。道満の生国は,《簠簋抄》に薩摩国とする以外は,すべて播磨国とし,《峯相記》は同国佐用郡の奥に住し,後裔は英賀(あが)・三宅にあってその芸を継ぐとする。今日でも三宅(姫路市飾磨区)には蘆屋塚があって,道満の末孫を称する者がいて,もと佐用郡仁方村に住したが,のちこの地に移住したと伝える。古記録によれば,この地には赤松満祐に薬を与えた蘆屋道薫をはじめ,室町期に活躍した蘆屋道仙・道善・道軒・道海などが住したことが確認できる。中古以来の説話集にも智徳をはじめとして,播磨陰陽師,播磨相人などの活躍がみられるところから賀茂,安倍2氏とは別系の陰陽師の拠点であったと考えられている。京の道満の居所は《古事談》などに六条坊門万里小路とあるが,江戸期の地誌類では大宮通三条の南にあったとする(《京羽二重織留》《雍州府志》《和漢三才図会》など)。また日本の各地に蘆屋塚・道満塚・道満井戸など,その伝説を伝えるところが多く,大和生駒郡安堵村飽波,近江国犬上郡北青柳村長曾根などは道満を非人の祖と伝え,若狭国では八百比丘尼の父を道満とする伝説があり,武蔵・会津などでもさまざまな伝説がある。
[山本 吉左右] 道満は人形浄瑠璃や歌舞伎でも活躍する。《信田森女占(しのだのもりおんなうらかた)》(1713初演)においては,一条戻橋で待ち伏せた道満は,保名・晴明の親子を討ち取ろうとするが,逆にとらえられて首をはねられることになっている。さらに,〈信田妻〉系統の歌舞伎狂言の代表作で,《葛の葉》の名で知られる《蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)》(竹田出雲作,1734初演)における道満は,はじめ道満(みちたる)の名で,安倍保名のライバルとして登場するが,三段目で発心剃髪して,道満(どうまん)と称し,陰陽道に専心することになる。四段目では,狐葛の葉と保名との間に生まれた童子と問答をし,その聡明さに感心して,童子を晴明と名づける人物として描かれている。
[中山 幹雄]

[索引語]
道摩 安倍晴明 道摩法師 藤原顕光 道満 金烏玉兎(きんうぎよくと)集 伯道上人 蘆屋塚 道満塚 信田森女占(しのだのもりおんなうらかた) 信田妻 葛の葉 蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)
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検索コンテンツ
1. 蘆屋道満
世界大百科事典
はねられることになっている。さらに,〈信田妻〉系統の歌舞伎狂言の代表作で,《葛の葉》の名で知られる《蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)》(竹田出雲作,1734初演
2. あしや‐どうまん【蘆屋道満】
日本国語大辞典
藤原道長を呪詛(じゅそ)し晴明に破れたため播磨国(兵庫県)に放逐されたと伝えられる。のちに浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」などに脚色された。生没年不詳。
3. あしや-どうまん【蘆屋道満】
日本人名大辞典
平安時代中期の伝説上の陰陽師(おんようじ)。藤原道長に呪いをかけて安倍晴明(せいめい)にみやぶられ追放されたといい,また晴明と術くらべをして敗れ弟子となり,のち
4. あしやどうまん【蘆屋道満】
日本架空伝承人名事典
はねられることになっている。さらに、「信田妻」系統の歌舞伎狂言の代表作で「『葛の葉』の名で知られる『蘆屋道満大内鑑(おおうちかがみ)』(竹田出雲作、一七三四初演
5. 芦屋道満[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『秋葉別役と芦屋道満』楠瀬儀孝
6. 『蘆屋道満大内鑑』
日本史年表
1734年〈享保19 甲寅〉 10・5 竹田出雲 『蘆屋道満大内鑑』 、大坂竹本座で初演(外題年鑑)。
7. 芦屋道満大内鑑
日本大百科全書
初段~三段―天文博士加茂保憲かものやすのりの秘書『金烏玉兎集きんうぎょくとしゅう』をめぐる安倍保名と芦屋道満あしやのみちたるの相続争いで、保名の恋人榊の前さかき
8. 蘆屋道満大内鑑
世界大百科事典
らを集大成した作品。秘伝書《金烏玉兎集(きんうぎよくとしゆう)》をめぐる安倍保名(やすな)と蘆屋道満との対立を主筋とし,保名に助けられた白狐が許婚葛の葉姫の姿を
9. あしやどうまんおおうちかがみ[あしやダウマンおほうちかがみ]【蘆屋道満大内鑑】
日本国語大辞典
浄瑠璃。時代物。五段。竹田出雲作。享保一九年(一七三四)大坂竹本座初演。信田妻(しのだづま)伝説を集大成した作品。人形の三人遣いがこの作から始まったと伝える。
10. あしやどうまんおおうちかがみ【蘆屋道満大内鑑】
国史大辞典
。歌舞伎化は寛延元年(一七四八)大坂角の芝居が最初。天文博士加茂保憲の養女榊の前は、父の高弟蘆屋道満と安倍保名のどちらかに譲るべき家伝の秘書を盗まれて自殺する。
11. あしやどうまんおおうちかがみ【蘆屋道満大内鑑】
歌舞伎事典
本作はそれらを集大成した作品。秘伝書《金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)》をめぐる安倍保名と蘆屋道満(みちたる)との対立を主筋とし、保名に助けられた白狐が許嫁葛
12. 蘆屋道満大内鑑(著作ID:82791)
新日本古典籍データベース
あしやどうまんおおうちかがみ 竹田 出雲 一世(たけだ いずも 1せい) 浄瑠璃/義太夫 享保一九初演
13. 蘆屋道満大内鑑(著作ID:82848)
新日本古典籍データベース
あしやどうまんおおうちかがみ 絵本番附 安政三刊
14. 蘆屋道満大内鑑(著作ID:82859)
新日本古典籍データベース
あしやどうまんおおうちかがみ 絵本番附 
15. あうん の 二王(におう)
日本国語大辞典
持ながら、へいの上につっ立て、にらみあふたるつらだましひ、あうんの二王にことならず」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕四「一息つきしはあうんの二王(ワウ)げん
16. あがり‐がまち【上框】
日本国語大辞典
〔名〕(「あがりかまち」とも)玄関など家の上がり口の縁にわたしてある、化粧横木。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「家になふてならぬものは、上(アガ)り框(
17. あくて‐ぐち【悪態口】
日本国語大辞典
〔名〕(「あくたいぐち(悪態口)」の変化した語)「あくたい(悪態)」に同じ。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「腹だつままのあくて口聞くにあやまる身のせつな
18. あけ て 悔(くや)しき=玉手箱(たまてばこ)[=箱(はこ)]
日本国語大辞典
1717〕三「小むつがかくるる岩影も、明てくやしき玉手箱、ふたりの心ぞやるせなき」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕一「只一時に一生の、年を寄せたる浦島があけ
19. 開けて悔しき玉手箱
故事俗信ことわざ大辞典
(1717)三「小むつがかくるる岩影も、明てくやしき玉手箱、ふたりの心ぞやるせなき」浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)一「只一時に一生の、年を寄せたる浦島があけ
20. あざ‐つき【蠣付】
日本国語大辞典
無点のスベタの札数枚(七~九枚)に、あざ(強い有利な札)が加えられること。これで勝ちとなる。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「ほんにぬしの芸揃へかぞへ立つ
21. あじ を やる
日本国語大辞典
*浮世草子・浮世親仁形気〔1720〕三・一「ずいぶんあぢをやって親の名まであげてくれよ」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「同じ御領を預かってもこなたは仕合
22. あっ て 無(な)かし物(もの)
日本国語大辞典
あっても、ないに等しいもの。あるとは名ばかりのもの。あってなしもの。あるなしもの。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「外戚の権威を好古にとられ主人は有ってな
23. あつかわづら 火(ひ)に懲(こ)りず
日本国語大辞典
鉄面皮な人ほど物に懲りない。どこまでもずうずうしいの意にいう。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「よふもよふも太切な夫の訴人、あつかはづら火にこりずとしのび
24. 厚皮面火に懲りず
故事俗信ことわざ大辞典
鉄面皮な者は何度しくじっても懲りない。どこまでもずうずうしい。「厚皮面」は、つらの皮の厚い者。 浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)三「よふもよふも太切な夫の訴人
25. 安倍晴明
世界大百科事典
この2人の,卜占をめぐる熾烈なる抗争は古浄瑠璃《信田妻(しのだづま)》(作者不明)や義太夫《蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)》(竹田出雲作,173
26. あべのせいめい【安倍晴明】
日本架空伝承人名事典
この二人の、卜占をめぐる熾烈なる抗争は古浄瑠璃『信田妻(しのだづま)』(作者不明)や義太夫『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』(竹田出雲作、一七三
27. あべ‐の‐やすな【安倍保名】
日本国語大辞典
浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」中の人物。平安時代の天文学者安倍晴明の父として登場。狐との間にもうけた一子が、のちの晴明となる。
28. あべの-やすな【安倍保名】
日本人名大辞典
の)森で陰陽師(おんようじ)芦屋道満の弟石川悪右衛門におわれた狐(きつね)をたすける。狐の化身の女とむすばれ,生まれた子が安倍晴明とされる。この話は義太夫「芦屋
29. あべのやすな【安倍保名】
日本架空伝承人名事典
)に『しのだ妻』『しのだ妻後日』『しのだ妻嫁くらべ』などが上演された。これらの集大成作品が『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』であり、保名はその二
30. あやつり‐さんにんがかり【操三人懸】
日本国語大辞典
〔名〕一体の操り人形を三人でつかうこと。享保一九年(一七三四)に、「蘆屋道満大内鑑」で吉田文三郎の考案より始まるという。現在は、主(おも)遣い、左遣い、足遣いの
31. あんらく‐せかい【安楽世界】
日本国語大辞典
にや安楽世界より、今此娑婆に示現して、われらがための観世音仰ぐもおろかなるべしや」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「今こそうれしい隠居の宿がへ、安楽(アン
32. 家に無くてならぬものは上がり框と女房
故事俗信ことわざ大辞典
家には必ず上がり口があるように、主婦が必要である。 浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)三「家になふてならぬものは、上(アガ)り框(ガマチ)と女房と世話にもいふぢ
33. いける を 放(はな)つ
日本国語大辞典
やはなちはなたぬ弓八幡〈安利〉」*俳諧・江戸弁慶〔1680〕「鼠火や生るを放つけふの月〈一楽〉」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「非常の大赦か生(イケ)る
34. いち‐あがり【一上】
日本国語大辞典
高めた調子。例は少なく、長唄「軍艦」「伏猫」に使われているだけである。一上り調子。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「おゆるしが出たはやりうた一(いチ)あが
35. いち から 十(じゅう)まで
日本国語大辞典
御上〓候」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「おわらひ草も顧ず、一から十迄申上ましょ」*諺苑〔1797〕「一から十まて
36. 一から十まで
故事俗信ことわざ大辞典
首尾合たる衆可レ有二御上一候」浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)三「おわらひ草も顧ず、一から十迄申上ましょ」諺鏡(1774)下「一から十ま
37. いちじ‐きんりん【一字金輪】
日本国語大辞典
一字金輪〓也」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕五「鈴おっ取てちりりんちりりん。いちじきんりん金峰山蔵王権現りうざうごんげ
38. いっく‐いっし【一句一指】
日本国語大辞典
〔名〕わずかなこと。僅少(きんしょう)。些細(ささい)。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕四「是式の邪正をただすこと、一句一指(いッくいッシ)の手段に有り」
39. 一句一指の手段
故事俗信ことわざ大辞典
ほんのちょっとした手段。些細な方法。 浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)四「是式の邪正をただすこと、一句一指(いッくいッシ)の手段に有り」
40. いなか の 月(つき)
日本国語大辞典
《季・秋》*浮世草子・国姓爺明朝太平記〔1717〕五「廿日亥中(イナカ)の月白く」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「廿日亥(ヰ)中の月しろも、東の山にあか
41. いに‐しな【往─】
日本国語大辞典
*浄瑠璃・摂津国長柄人柱〔1727〕四「幾度来ても抱留められ、来しなの腹立ちより去しなに立つが迷惑」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「いつものおさとがへり
42. 妹背山婦女庭訓(浄瑠璃集) 328ページ
日本古典文学全集
ただし、この部分、前年秋歌舞伎で上演の「蘆屋道満大内鑑」での、野干平が藤次ら四人の頭を剃る演技を当て込むか。野干平は文七、与勘平は八蔵が勤めた。「芦屋道満大内鑑
43. い・れる【入・容・納】
日本国語大辞典
った」(6)(腹に入れる意から)食べる。また、人形浄瑠璃社会で、酒を飲む意にいう。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕一「けふはびっくりの仕つづけ、それゆへか腹
44. いろ を 違(ちが)える
日本国語大辞典
ちがへ」*浄瑠璃・堀川波鼓〔1706頃か〕中「是にもなんとうたがひがと色をちがへて申ける」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕四「つぶやきながら立ちよってそっと
45. いん‐ぷ【淫婦・婬婦】
日本国語大辞典
「淫婦 インフ」*元和本下学集〔1617〕「狐 多疑之獣也。古之淫婦(インフ)也」*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕四「婬(イン)ふと変じあまたの人をたぶらか
46. うえきだにむら【植木谷村】兵庫県:佐用郡/佐用町
日本歴史地名大系
に道満塚と称される墳丘状の土盛がある。同所に寛政九年(一七九七)再建の宝篋印塔がある。陰陽師蘆屋道満(道摩とも)は藤原道長を呪詛し、これを安倍晴明に見破られて播
47. うざい‐がき【有財餓鬼】
日本国語大辞典
い奴ぢゃ、持ってをって嗇(しわ)い有財餓鬼ぢゃ」(3)人をののしっていう語。餓鬼。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「最前手なみは見せ置いたに、しやうこりも
48. 宇治拾遺物語 451ページ
日本古典文学全集
字、(2)漢字を一文字、の両方に解されるが、すぐ前の「十文字」との関係から(1)とみておく。芦屋道満。平安時代の陰陽師。晴明の弟子。『峯相記』は「晴明、道満ハ一
49. うち【打】
日本国語大辞典
ても主と家来との事じゃに依って負けうちじゃ」(2)…しなれていることの意を表わす。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕三「夫婦間(あひ)のもやもや是に限らず幾度
50. うぶすな‐もうで[‥まうで]【産土詣】
日本国語大辞典
〔名〕「うぶすなまいり(産土参)」に同じ。*浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑〔1734〕二「俄ごとのお供にて我々(われわれ)迄も気ばらし。そもまあけふの産宮詣(ウブスナマ
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フランスの彫刻家。生気に満ちた写実主義、モニュメンタルな表現性、象徴主義的なテーマ、彫刻を量塊(マッス)としてとらえ、その動きと表現的な肌によって周辺空間と関連させる手法などにより、19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術
ドストエフスキー(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
ロシアの小説家。トルストイと並んで19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。「魂のリアリズム」とよばれる独自の方法で人間の内面を追求、近代小説に新しい可能性を開いた。農奴制的旧秩序が資本主義的関係にとってかわられようとする過渡期のロシアで、自身が時代の
モネ(岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランスの画家,印象派の開拓者,指導者.パリに生まれる.少年時代をルアーヴルで過ごして海と陽光の美しさに啓発され,同地でブーダンに師事し風景画に開眼する.パリに戻り[1859],はじめトロワイヨン,のちグレールに師事し,P.A.ルノワール,シスレー
三島由紀夫(日本近代文学大事典)
小説家、劇作家。東京市四谷区永住町二番地に生れた。本名は平岡公威きみたけ。父梓と母倭文重しずえの長男。父は農林省官吏で、祖父の定太郎は樺太庁長官をつとめた。母は、前田藩儒者で東京開成中学校長をつとめたことのある橋健三の次女である。祖母の夏子
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