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  11. 小泉八雲

小泉八雲

ジャパンナレッジで閲覧できる『小泉八雲』の日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本近代文学大事典

人名_外国人
小泉 八雲 ラフカディオ=ハーン(ヘルン)
こいずみ やくも
Lafcadio Hearn
嘉永3~明治37
1850・6・27~1904・9・26
本文:既存

随筆家、批評家。イギリス人。のち帰化。ギリシア、アイオニアのリュカディア島生れ。島の名にちなんで命名された。父チャールスはアイルランド系の軍医、母はギリシア人ローザ゠カシマティ。生後一年半、父の西印度諸島赴任によりダブリンへ帰ったが、一八五六年、父母の離婚のため大叔母のもとに預けられた。一生を通ずる母への思慕と父への反感がつのることになった。一八六三年ダラムのローマ旧教の学校に入学、生来ひどい近視だったが在学中遊戯をして左眼を傷つけ失明した。一八六六年退学、一一月父死去。フランス、ルーアン近郊イヴトーの旧教の学校へ入ったが中途退学。一八六九年二〇歳のときアメリカ、シンシナティ市に行き、窮乏にたえながら文筆の修業、七四年「シンシナティ・インクワイアラー」紙記者となり、市井の生活に取材した記事をかいた。同年六月、後援者を得て「絵入日曜新聞」創刊。一八七六年「シンシナティ・コマーシャル」紙に移り警察関係の探訪記事をかく。一八七七年一一月ニューオーリンズへ行き同紙へ通信文を送った。翌年六月「デイリー・アイテム」紙に入り社説、随筆、・時事漫画のほか外国記事をかいた。一八八一年文学色の強い「タイムス・デモクラット」紙の文学部長となり、モーパッサン、A゠フランス、ロティ、ドーデ、ゾラ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ハイネなどアメリカに親しみの薄いヨーロッパの作家の作品百八十余を翻訳発表し注目された。アメリカのボヘミアンの中心の一つにおけるこの活動は日本時代の講義の背景を示している。東洋、日本への関心もこのころ抱きはじめた。この間翻訳集『クレオパトラの一夜他』(1882)『異文学遺聞』(『Stray Leaves from Strange Literature』1884)を刊行。八七~八九年西印度諸島とくにマルティニック島に滞在、のち『仏領西印度諸島の二年』(1890)を刊行。

 明治二三年四月「ハーパース・マンスリー」誌特派員として来日。八月松江中学に赴任。これが彼の運命を決定した。生徒の作文、近郊訪問、伝説口碑、骨董、浮世絵の蒐集研究により日本を知ろうとした。まだ古い日本の面影を残していた松江に住んだことがハーンの日本観に特徴をあたえた。すなわち伝統的な日本文化を解明して、日本と日本人を理解する道を西洋人にひらくことになり、一方日本人に自省させる批評ともなった。一二月旧藩士の娘小泉セツと結婚し旧武士屋敷に住み、日本理解を進める好伴侶を得た。

 明治二四年一一月寒さをさけて熊本の第五高等中学に転任、松江時代の経験により創作にはげみ、アメリカ時代のボヘミアン的生活から学究と作家の道へ転じた。熊本の三年間に、九州各地のほか京都、奈良、中国路、隠岐などにも旅行。二七年四月琴平詣でののち一一月神戸「クロニクル」紙入社。熊本は風流心のない土地、神戸は西洋化した俗悪の街と映じた。同年『知られざる日本の面影』(ボストン)、翌年『東方から』(ボストン、ニューヨーク)をアメリカで出版。ハーンの日本紹介のはじまりであった。長男や妻の将来を考え、二九年二月帰化して小泉家を相続し、小泉八雲となった。

 明治二九年八月上京、東京帝大文科大学講師となり英文学を講じはじめる。市ケ谷富久町円融寺通称瘤寺の隣の家に住み、好んで寺の墓地で瞑想しては講義、創作の想をねった。この数年間に『影』『骨董』などの著述をつづけている。東大での講義はH゠スペンサーの進化論哲学に裏づけられた社会文明批評をふまえるとともに作品の芸術的鑑賞を特徴とし東大の文学講義を大転換していた。三六年三月辞職、三七年四月東京専門学校の講師となったが、九月二六日狭心症のため急逝。雑司ケ谷に葬られた。

 創作の経験による作品の批評鑑賞を中心にしてイギリス文学を講じ、作品のよみ方の根本を教えた点にその功績があった。浪漫的傾向のゆえに芸術至上主義、非倫理的と誤解されることもあった。一方欧米文学の新声をあわせ講じ、英文学研究に広い視野をあたえるとともにヨーロッパ文学に知識の乏しい日本の学生に世界文学への窓を開いた。上田敏は推賞された弟子であり、その広汎な活動はハーンに負うところが大きい。大学での講義は没後、学生のノートによって編集出版され、批評家ハーンの名声を高めた。

『文学鑑賞』『詩鑑賞』『人生と文学』『英文学史』その他。

 ハーンの日本研究はアストンらの学究的なものと異なり、日本人の風俗習慣、伝説、信仰など日常生活を通ずる直接体験から感得したものに基づいていて、文化人類学民俗学的な性格を帯びている。日本人の笑いに関する論文、また日本に上陸してからの数日間、横浜、東京の街、建物、社寺、男女の生活を驚異の眼でながめ、同時にそのもつ意味、美的感覚などを探ろうとしているのはその好例である。ここに西洋人的優越感はない。これが日本研究に一貫する態度である。西洋人の標準で判断せず、異国趣味的好奇心がないため、欧米人に日本の真実の姿を伝ええた功績は最大である。『心』(明29)の深い日本人の心意の洞察を経て、『神国日本』(明37)に社会、政治、宗教の面から日本論の総体を示した。

 田部隆次ほか訳『小泉八雲全集』全一七巻、別巻一(大15~昭3 第一書房。ほかに学生版、家庭版など)、平井呈一訳『全訳小泉八雲作品集』全一二巻(昭39~42 恒文社)。

(太田三郎 1984記)

代表作

代表作:既存
怪談
かいだん
『KWAIDAN』短編小説集。明治三七・四、ボストン、ニューヨーク、ホートン・ミフリン社刊。文学にたいする態度をうかがわせる代表的創作集。『古今著聞集』『玉すだれ』などの古典、民間説話から得て作り上げられた浪漫怪奇の世界である。平家滅亡にからまる哀話の『耳無し芳一』、『雪女をみた渡し守り巳之吉の運命』のほか『ろくろ首』『青柳物語』など一五編。またハーンの自然ものへの愛情を示す虫のいろいろを綴る三編がふくまれている。
人生と文学
じんせいとぶんがく
『Life and Literature』論文集。大正六・一一、ニューヨーク、ドッド・ミード社刊。東大の講義を集めたもの。文学の社会的性格と機能を論じ文学理解を拡大した。文学と世論の関係、国際的文化交流と各国民の相互理解とにおける文学の役割を論じた点は現在にも妥当する卓見である。読書論では情緒の表現として文学を規定し功利的見解を是正している。
知られざる日本の面影
しられざるにほんのおもかげ
『Glimpses of Unfamiliar Japan』随想集。明治二七・九、ボストン、ニューヨーク、ホーン・ミフリン社刊。『私の極東第一日』ははじめてみる横浜、東京を印象主義風に描き筆力を示した。『狐』は民間信仰の対象である狐のありかたを稲荷信仰や狐伝説などを通じて探り、日本人の心情のありかたを求めている。『日本人の微笑』は外国人の不可解とする日本人の微笑、悲痛のときにも浮かべる笑い、の意味を心理的に解説し、日本人への深い理解を示している。
(太田三郎 1984記)

全集

  • 『小泉八雲全集』全17巻・別巻1(1926~1928 第一書房。ほかに学生版、家庭版など)
  • 『小泉八雲全集』全12巻(1964~67 恒文社)
  • 分類:随筆家
    分類:批評家
    修正PDF:1000001835.pdf
    既存新規:既存


    日本大百科全書(ニッポニカ)

    小泉八雲
    こいずみやくも
    [1850―1904]

    随筆家、批評家。ラフカディオ・ハーン(ヘルン)Lafcadio Hearn。ギリシアに生まれ、生後1年半でアイルランドのダブリンに移り、1863年左眼失明。のちフランスのカトリックの学校を中退、渡米して新聞記者となり、『タイムス・デモクラット』紙の文学担当者としてモーパッサン、ゾラ、ドストエフスキー、ハイネなどの翻訳・紹介者となる。1890年(明治23)4月に来日し、8月島根県の松江中学に赴任。年末に小泉セツと結婚。翌年11月熊本の第五高等学校に転じ、94年神戸の『クロニクル』紙に入社。『知られざる日本の面影』をアメリカで出版し、日本紹介を始める。96年2月日本に帰化し小泉家を継ぎ、小泉八雲を名のる。8月上京し、東京帝国大学文科大学講師となり、英文学を講ずる。1903年(明治36)3月退職。翌年4月東京専門学校(早稲田 (わせだ)大学の前身)講師となるが、狭心症のため9月26日に急逝した。東京の雑司ヶ谷 (ぞうしがや)墓地(現雑司ヶ谷霊園)に葬られる。八雲は日本人の風俗、習慣、伝説、信仰など日常生活を見聞した体験に基づいた日本研究を深め、日本のありのままの姿を欧米に伝えた。没後、教え子のノートによって大学の講義がまとめられ、『人生と文学』『英文学史』などがアメリカで刊行された。ほかに日本人と日本を精神構造、社会、政治、宗教などの側面から全般的に考察した『心』『神国日本』の著作を残しているが、『古今著聞集 (ここんちょもんじゅう)』などの古典や民間説話に取材した創作集『怪談』は文学的芳香の高い作品である。松江市奥谷町に旧居、記念館がある。

    [富田 仁]



    世界大百科事典

    ハーン
    Lafcadio Hearn
    1850-1904

    文芸評論家,小説家。日本名は小泉八雲。ギリシアのレフカス島でイギリス進駐軍の軍医チャールズ・ブッシュ・ハーンと島の女ローザとの間に生まれた。幼時ダブリンに移ったが母と生別し,大伯母に育てられた。フランスのイブトーとイギリスのアショーのカトリック系の学校で教育を受けたが,家庭の崩壊,カトリック神父に対する反発,左眼の失明,大伯母の破産などの不幸に遇い,19歳のとき,イギリスを捨てアメリカに文無しで渡り,シンシナティで苦労しながら新聞記者として名をなした。ニューオーリンズに行き,フランス文学の翻訳紹介,仏領西インド諸島の探訪記事を書物の形で刊行した。1890年来日,島根県立松江中学校の英語教師となり,翌年熊本の第五高等中学校へ移った。神戸で一時英字新聞記者を務めた後,96年から6年半にわたって東京大学で英米文学を講義し,早稲田大学に移った1904年に亡くなった。小泉八雲は日本に帰化したときに選んだ名前である。

     ハーンの十数冊に及ぶ日本時代の著作の中で,出雲の生活を描いた《知られぬ日本の面影》,日本人の内面生活をとらえた《心》,また日本の怪談の再話はとくに著名である(《怪談》)。邦訳は《小泉八雲作品集》が良く,アメリカ時代の作品を中心とする《ラフカディオ・ハーン著作集》もある。妻小泉節子に〈思ひ出の記〉がある。
    [平川 祐弘]

    [索引語]
    Hearn,L. 小泉八雲
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    1. 小泉八雲
    日本大百科全書
    『知られざる日本の面影』をアメリカで出版し、日本紹介を始める。96年2月日本に帰化し小泉家を継ぎ、小泉八雲を名のる。8月上京し、東京帝国大学文科大学講師となり、
    2. 小泉八雲
    世界大百科事典
    →ハーン,L.
    3. こいずみ‐やくも【小泉八雲】
    日本国語大辞典
    英文学者、小説家。イギリス名は、ラフカディオ=ハーン(Lafcadio Hearn )。ギリシアに生まれ、渡米して新聞記者となり、明治二三年(一八九〇)来日。松
    4. こいずみやくも【小泉八雲】
    国史大辞典
    本の面影』『骨董』などがある。これらの作品は数種の『小泉八雲全集』に収められている。 [参考文献]田部隆次『小泉八雲』、小泉一雄『父小泉八雲』、矢野峰人『日本英
    5. こいずみ-やくも【小泉八雲】画像
    日本人名大辞典
    1850−1904 明治時代の随筆家,英文学者。1850年6月27日ギリシャ生まれ。明治23年(1890)来日,松江中学の英語教師となる。小泉節子と結婚,29年
    6. 小泉 八雲 ラフカディオ=ハーン(ヘルン)
    日本近代文学大事典
    宗教の面から日本論の総体を示した。  田部隆次ほか訳『小泉八雲全集』全一七巻、別巻一(大15~昭3 第一書房。ほかに学生版、家庭版など)、平井呈一訳『全訳小泉八
    7. 小泉八雲[文献目録]
    日本人物文献目録
    部隆次『小泉八雲新考』丸山学『小泉八雲文学入門』町野静雄『旧師小泉八雲先生を語る』松江中学校(編刊)『小泉八雲』岡戸武平『小泉八雲伝』野口米次郎『小泉八雲につい
    8. こいずみやくもきゅうきょ【小泉八雲旧居】島根県:松江市/松江城下/北堀町
    日本歴史地名大系
    のち松江の次の任地熊本で帰化を決意、名を小泉八雲と改めた。「知られぬ日本の面影」「怪談」など多数の著作で日本を世界に紹介したが、同三七年九月二六日狭心症のため東
    9. 会津 八一
    日本近代文学大事典
    ったが、それは避けて読書に過ごした。卒業論文は『キーツの研究』。これはラフカディオ=ハーン(小泉八雲)からうけた英文学史講義の感化によるものと見られ、またやがて
    10. アイルランド(共和国)画像
    日本大百科全書
    大正期の政治社会問題を論ずる学者、官僚、言論人たちはしばしばアイルランド問題に論及していた。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が父の郷里ダブリンで幼少のころから育
    11. あかまじんぐう【赤間神宮】山口県:下関市/赤間関/阿弥陀寺町
    日本歴史地名大系
    盛・教盛、後列は右から徳門霊位・忠光・景継・景俊・盛継・忠房・二位尼となっている。芳一堂は、小泉八雲の書いた「耳無し芳一」を祀るお堂で、木像の芳一像が安置されて
    12. 安藤 元雄
    日本近代文学大事典
    賞を受賞。1998(平成10)年には月刊『現代詩手帖』(思潮社)に「めぐりの歌」を連載する。小泉八雲、夏目漱石、ボードレール、シュペルヴィエルら十三のエピグラフ
    13. アーネスト・サトウ 神道論 308ページ
    東洋文庫
     『小泉八雲回想と研究』、平川〓弘編、一九九二年、講談社 楠家重敏 『ネズミはまだ生きている』、一九八六年、雄松堂出版 同前 『日本アジア協会の研究』、一九九七
    14. イギリス画像
    日本大百科全書
    漱石そうせき)であり、屈折を余儀なくされた留学生活を送った彼は、帰国後ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の後任として東京帝国大学で英文学を講じた。聖書と賛美歌の翻
    15. いしかわ-りんしろう【石川林四郎】
    日本人名大辞典
    1879−1939 明治-昭和時代前期の英語学者。明治12年12月生まれ。東京帝大在学中,小泉八雲にまなぶ。六高教授,東京高師教授をへて昭和4年東京文理大教授。
    16. 稲むらの火[地震/火山]
    情報・知識 imidas
    高台に住む庄屋の五兵衛が、積み重ねた稲束に火をつけて村人を呼び寄せ、津波から避難させた物語で、小泉八雲の「生ける神」が原作。最初に潮が引く話となっているが、最初
    17. 上田敏
    日本大百科全書
    志向する敏の活動は、東京帝国大学英文学科の学生時代にも顕著で、『帝国文学』の編集委員を務め、ケーベルや小泉八雲こいずみやくもに学び学識を深めた。1897年大学卒
    18. うえだびん【上田敏】
    国史大辞典
    学後は『帝国文学』の創刊に参画、同誌上に海外文学の新声を紹介、卒業後高等師範学校教授となり、小泉八雲辞任の後をうけて、夏目漱石とともに東大講師となった。明治三十
    19. うえだ-びん【上田敏】画像
    日本人名大辞典
    明治-大正時代の外国文学者,詩人。明治7年10月30日生まれ。帝国大学在学中に「帝国文学」の創刊に参加し,小泉八雲にまなぶ。夏目漱石とともに東京帝大英文科講師を
    20. 雨月物語 396ページ
    日本古典文学全集
    。生仏のように法徳あらたかな僧。「師父ハ是レ活仏」(水滸伝第五回)。仏が現世に来られること。小泉八雲の「耳無し芳一」の話などのように、日本では古くから幽鬼・悪魔
    21. 絵本
    世界大百科事典
    のみやげ物とし,海外にも売り出したものである。訳者のうちにヘボン,チェンバレンがおり,のちに小泉八雲(L. ハーン)も加わった。これが俗に〈ちりめん本〉と呼ばれ
    22. 大谷 繞石
    日本近代文学大事典
    昭和8・11・17 1875 ~ 1933 俳人。 松江市の生れ。本名正信。造り酒屋の長男。松江中学在学中小泉八雲に敬事し、倒産したさい学資を仰いだ。三高では虚
    23. おちあい-ていざぶろう【落合貞三郎】
    日本人名大辞典
    郷里島根県の松江中学,東京帝大で小泉八雲にまなぶ。卒業後アメリカのエール大,イギリスのケンブリッジ大に留学。帰国後,第六高等学校,学習院の教授をつとめる。大谷正
    24. 御伽物語(仮名草子集) 500ページ
    日本古典文学全集
    失う話がある。『御伽厚化粧』(享保十九年〈一七三四〉刊)の「赤間関留幽鬼」は本書により、さらに小泉八雲の『怪談』の中の一話「The Story of Mimin
    25. かいぞうじ【海蔵寺】静岡県:焼津市/小川村
    日本歴史地名大系
    徳川頼宣筆竹の画、本多伯耆守筆の紺地金泥地蔵経、西尾忠知奉納の狩野元俊筆の絵馬などがある。また小泉八雲の「漂流」に登場する甚助が、伊勢沖で遭難し板にすがり地蔵に
    26. 怪談
    世界大百科事典
    ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の短編小説集。1904年アメリカ,イギリスで刊行。著者が14年に及ぶ日本滞在の後期,妻小泉節子らに朗読させた日本の怪談を英語で再
    27. かい‐だん[クヮイ‥]【怪談】
    日本国語大辞典
    少こしも道理の分った人の耳には、ばかばかしうて聞くに堪られまい」【二】(原題Kwaidan )短編小説集。小泉八雲作。明治三七年(一九〇四)英、米両国で刊行。「
    28. 怪談(小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の短編小説集)
    日本大百科全書
    小泉八雲やくも(ラフカディオ・ハーン)の短編小説集。1904年ロンドンとボストンのホウトン・ミフリン社から出版。『古今著聞集ここんちょもんじゅう』『玉すだれ』『
    29. 〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選 3 479ページ
    東洋文庫
    『民族文化』第十二巻第二号(特集1Hアラブ世界)、十月、二八-三五頁。◎忘れ得ぬ町々ーニューオーリンズと小泉八雲〔随筆〕 『三田評論』第七百六十三号、十月、二-
    30. かわもと-こうじ【川本皓嗣】
    日本人名大辞典
    の近代詩,和歌俳句をはじめとする日本の詩を研究。著作に「日本詩歌の伝統」(サントリー学芸賞,小泉八雲賞)など。国際比較文学会会長,日本比較文学会会長などを歴任。
    31. 外国の日本近代文學研究(戦前)
    日本近代文学大事典
    史的記録である『Heroic Japan』(明29)、チェンバレンの古事記研究と日本文物論、小泉八雲(ハーン)の日本の文化風俗文学の紹介などは外国における日本文
    32. 紀行文学画像
    日本大百科全書
    刺激したことは確かである。それが異国趣味を刺激し、東洋への伝道やピエール・ロチやラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に代表されるわが国への憧憬しょうけいにつながる。
    33. 近代文學と民話
    日本近代文学大事典
    「郷土研究」創刊は大正二年である。文学的な再話が行われだすのは、ほとんど戦後になってからといっていい。小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)が出入りの職人たちから聞い
    34. 熊本[市]
    世界大百科事典
    ,工学などの高等教育機関も多かった。明治中期九州の文教の中心ともなり,熊本には当時夏目漱石,小泉八雲,徳富蘇峰などが住んでいた。明治後期から九州の中心は福岡市に
    35. 厨川白村
    日本大百科全書
    文芸批評家。津山藩士厨川磊三らいぞうの子として京都に生まれる。本名辰夫。東京帝国大学英文科に進み、小泉八雲やくも、夏目漱石そうせき、上田敏びんに学び、1904年
    36. くりやがわ-はくそん【厨川白村】画像
    日本人名大辞典
    1880−1923 明治-大正時代の英文学者,評論家。明治13年11月19日生まれ。小泉八雲(やくも),夏目漱石(そうせき),上田敏(びん)らにまなぶ。五高,三
    37. 厨川 白村
    日本近代文学大事典
    父磊三は中津藩士、広瀬淡窓に師事したのち蘭学を修め官吏となった。京都府立一中、三高を経て東京帝大英文科で小泉八雲、夏目漱石、上田敏について学んだ。明治三七年卒業
    38. クレオール
    世界大百科事典
    失ったが,風俗,食物,建築に,その文化は生き残っている。かつての彼らの生活は,G.W.ケーブル,L.ハーン(小泉八雲),G.キングらの作品に描かれている。亀井
    39. げっしょうじ【月照寺】島根県:松江市/松江城下/外中原町
    日本歴史地名大系
    隠居していた先代をねぎらうため事跡を天愚孔平に撰文させた。台石の亀は中国伝説の聖獣亀趺をかたどったもの。小泉八雲は「知られぬ日本の面影」のなかでこの大亀の伝説を
    40. こいずみ-かずお【小泉一雄】
    日本人名大辞典
    1893−1965 昭和時代の文筆家。明治26年11月17日生まれ。小泉八雲の長男。早大卒業後,拓殖大教務部,横浜グランドホテルに勤務。のち父の遺稿の整理,書簡
    41. こいずみ-きよし【小泉清】
    日本人名大辞典
    1900−1962 昭和時代の洋画家。明治33年12月20日生まれ。小泉八雲の3男。昭和21年新興美術展で読売賞。23年一灯美術賞。29年国画会会員。新樹会展や
    42. こいずみ-せつこ【小泉節子】
    日本人名大辞典
    1868−1932 明治-昭和時代前期,小泉八雲の妻。慶応4年2月4日生まれ。出雲(いずも)松江藩士小泉湊の娘。松江中学教師のラフカディオ=ハーン(小泉八雲)と
    43. コット
    日本人名大辞典
    1875−1949 フランスの教育者。1875年8月25日生まれ。小泉八雲の著作をよんで日本にあこがれ,明治41年(1908)来日。東京帝大でラテン語,古典文学
    44. 小林正樹
    日本大百科全書
    得意とし、1962年のカンヌ国際映画祭審査員特別賞を得た『切腹』や、1964年ふたたび同じ賞を得た小泉八雲やくも原作の『怪談』などは、そうした本領を発揮した作品
    45. コーベ=クロニクル【The Kobe Chronicle】
    国史大辞典
    同十七年一月末日終刊。なお、明治二十七年十月より翌二十八年にかけてハーンLafcadio Hearn(小泉八雲)が編集を助ける。国立国会図書館・神戸市立中央図書
    46. さい‐じょ【細叙】
    日本国語大辞典
    27〕〈里見〓〉濠沿の家・五「小泉八雲の、この地方を細叙した随筆集」*「意識の流れ」小説の伝統〔1951〕〈中村真一郎〉「極めて些
    47. 斎藤 野の人
    日本近代文学大事典
    意義を明らかにし、個人主義思想の進展に寄与した。  他方、大学時代に小泉八雲の英文学講座を聴講し、八雲に心酔し、『小泉八雲氏を悼む』(「帝国文学」明37・11)
    48. サガ
    世界大百科事典
    対立する首長らの抗争を異教時代の習俗や幽霊話などを織りまぜて書く《エイルの人々のサガ》。友情と復讐の物語で小泉八雲も絶賛した《ニャールのサガ》。これらの5編を普
    49. 《サガ》
    世界文学大事典
    敵するような人間理解と心理的洞察の例を見ない」と絶賛されたものであり,ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)もつとに『文学入門』の中で激賞しているのはさすがである。
    50. 質実国家[新語流行語]
    情報・知識 imidas
    細川首相が所信表明演説で使った新政権のキャッチフレーズ。小泉八雲が100年前、旧制熊本5高での「虚飾を排して質と実を追求せよ」との講演がヒント。
    「小泉八雲」の情報だけではなく、「小泉八雲」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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    小説家。本名金之助。慶応3年1月5日(新暦2月9日)に江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれた。[三好行雄]生い立ち父は同町一帯を支配する名主小兵衛直克、母千枝との5男3女の末子であった。父母晩年の子として疎まれ、生後まもなく里子に出され
    太宰治(日本大百科全書(ニッポニカ))
    小説家。本名津島修治。明治42年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現、五所川原市)に生まれる。津島家は新興地主で、貴族院多額納税議員の資格があった。青森中学、弘前高校を経て東京帝国大学仏文科中退。中学時代から同人雑誌を刊行。芥川龍之介の影響から出発したが
    曲亭馬琴(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
    江戸後期の小説家。姓は滝沢、名は興邦(おきくに)、のち解(とく)と改める。字(あざな)は子翼、瑣吉(さきち)。通称は清右衛門、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)。別号は大栄山人(だいえいさんじん)、著作堂(ちょさどう)主人、飯台陳人、乾坤(けんこん)
    十返舎一九(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
    江戸後期の洒落本(しゃれぼん)、黄表紙(きびょうし)、滑稽本(こっけいぼん)、合巻(ごうかん)作者。本名重田貞一(しげたさだかず)、通称与七。十返舎は香道の十返(とがえ)しにちなみ、一九は幼名市九による。酔斎、十偏舎、十偏斎などとも号す。前半生の伝記
    三島由紀夫(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
    小説家。本名平岡公威(きみたけ)。父梓(あずさ)と母倭文重(しずえ)の長男として大正14年1月14日東京四谷(現新宿区)に生まれる。満年齢が昭和の年数と一致するという点にも時代との関係がみられる。1931年(昭和6)学習院初等科に入り、高等科まで学習
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    ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
    豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
    エジソン(世界大百科事典)
    アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
    ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
    ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
    山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
    本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
    築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
    徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
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