キャロル ルイス
Lewis Carroll
イギリス 1832.1.27-1898.1.14
イギリスの作家,数学者。本名チャールズ・ラトウィジ・ドジソンCharles Lutwidge Dodgson。童話『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』(解説後出)の作者。牧師の長男としてチェシャーに生まれ,多くの弟妹に囲まれて,家族回覧雑誌を作り,少年時代から言葉遊びやゲームの考案に才を示した。名門ラグビー校を経て,オクスフォード大学クライスト・チャーチ学寮に進み,卒業後もフェロー(特別研究員)および数学講師として残り,1867年のロシア旅行のほかは一生のほとんどをここで独身のまま過ごした。20代から,本名を変形して作った筆名ルイス・キャロルを名乗って漫画雑誌に寄稿を始める一方,写真に熱中して,のちに当代有数の肖像写真家となる。テニソン などの名士も撮ったが,玩具(がんぐ)やパズルや物語で魅了した少女たちを,学寮の自室に作ったスタジオでモデルにすることが多かった。彼女たち相手だと,生来の吃音(きつおん)も消えた。少女,ゲーム,物語——いわゆる〈独身者〉的芸術家の典型的特徴がここに出そろっている。
1862年7月4日,学寮長リデル博士の3人娘を連れて,ボートでピクニックに出かけたキャロルは,途次即興で,お気に入りの次女アリスを主人公にした物語をして聞かせた。これを数カ月かけてノートブックに清書し,挿絵も自分で描いて,アリスに献呈したのが『アリスの地下の冒険』Alice's Adventures Underground(1886複製版公刊)である。65年には倍の長さに書き改められ,大手出版社から『不思議の国のアリスの冒険』として刊行。挿絵は当時の人気挿絵画家テニエル 。言葉遊びと論理ゲームを駆使して,独自の奔放な想像的世界をつくりだしたこの作品は,作者の才能のみごとな開花であった。教訓的童話に飽きていた子供たちに熱狂的に迎えられて,たちまちベストセラーとなり,以後数十カ国語に翻訳されて,世界中の子供の共有財産となった。イギリスでは聖書 とシェイクスピア に次いでよく引用され,また既成の〈コモンセンス〉を転覆する〈ノンセンス〉の面白さは,シュルレアリストなど現代の芸術家や作家をも刺激した。
献呈された『不思議の国のアリス』に感激したヴィクトリア女王が「次の著作もぜひ」と所望したところ,数学の専門書を贈られたというエピソードがあるが,続編『鏡の国のアリス』(正確には『鏡の向こう側,そしてアリスがそこで見いだしたこと』)が出版されたのは72年だった。現実のアリスの成長(すでに20歳)やその両親との不和にもかかわらず,キャロルは再び少女アリスを主人公にした傑作をものした。もう一つのノンセンス文学野心作『スナーク狩り』The Hunting of the Snark, An Agony, in Eight Fits(1876)は,「八つの〈発作・歌〉からなる一つの〈苦悩・闘い〉」という副題をもった疑似叙事詩。怪鳥狩りに出発した一団の奇人たちの冒険譚(たん)は,滑稽(こつけい)きわまりないが,すべてが無に帰着する趣は不条理で無気味でもある。
裸身の少女を好んでモデルにしたことが世間のうわさになりはじめたためか,48歳の時長年の趣味だった写真を放棄する。アリス・リデルがこの年結婚。式に招かれなかったのは衝撃だったようである。またこの年から女性雑誌に数学の問題を織り込んだ短編の連載を始め,のちに『もつれっ話』A Tangled Tale(85)として出版した。87年には2つのアリス物語がオペレッタ化されて,ロンドンで上演。お気に入りの少女を連れて,お気に入りの少女俳優が演じる自作を見に行くのは,キャロルの大きな喜びであった。89年,『不思議の国のアリス』を5歳以下の幼児のために『子供部屋のアリス』The Nursery Aliceとして書き直すいっぽうで,小説『シルヴィとブルーノ』Sylvie and Brunoの前編を上梓(じようし)(「完結編」は93年)。この最後の野心作は,内容的には『アリス』のノンセンスを愛と正義のモラルに包摂しようとしたもので,感傷性に陥っている欠点があるが,現実世界における物語と夢の中で展開する妖精(ようせい) 世界の物語を交錯させた技法は,先駆性をもつ。「望ましからぬ思いを避けるための助け」と称する数学問題集『枕頭(ちんとう)問題集』Pillow-Problems Thought Out during Sleepless Nights(93),『記号論理学・第一部 初級』Symbolic Logic, Part 1(96)などを,本名や筆名を使い分けて出版。97年,クリスマス休暇をギルフォードの姉妹宅で過ごす間に気管支炎にかかり,翌年1月14日永眠。
1862年7月4日,学寮長リデル博士の3人娘を連れて,ボートでピクニックに出かけたキャロルは,途次即興で,お気に入りの次女アリスを主人公にした物語をして聞かせた。これを数カ月かけてノートブックに清書し,挿絵も自分で描いて,アリスに献呈したのが『アリスの地下の冒険』Alice's Adventures Underground(1886複製版公刊)である。65年には倍の長さに書き改められ,大手出版社から『不思議の国のアリスの冒険』として刊行。挿絵は当時の人気挿絵画家
献呈された『不思議の国のアリス』に感激したヴィクトリア女王が「次の著作もぜひ」と所望したところ,数学の専門書を贈られたというエピソードがあるが,続編『鏡の国のアリス』(正確には『鏡の向こう側,そしてアリスがそこで見いだしたこと』)が出版されたのは72年だった。現実のアリスの成長(すでに20歳)やその両親との不和にもかかわらず,キャロルは再び少女アリスを主人公にした傑作をものした。もう一つのノンセンス文学野心作『スナーク狩り』The Hunting of the Snark, An Agony, in Eight Fits(1876)は,「八つの〈発作・歌〉からなる一つの〈苦悩・闘い〉」という副題をもった疑似叙事詩。怪鳥狩りに出発した一団の奇人たちの冒険譚(たん)は,滑稽(こつけい)きわまりないが,すべてが無に帰着する趣は不条理で無気味でもある。
裸身の少女を好んでモデルにしたことが世間のうわさになりはじめたためか,48歳の時長年の趣味だった写真を放棄する。アリス・リデルがこの年結婚。式に招かれなかったのは衝撃だったようである。またこの年から女性雑誌に数学の問題を織り込んだ短編の連載を始め,のちに『もつれっ話』A Tangled Tale(85)として出版した。87年には2つのアリス物語がオペレッタ化されて,ロンドンで上演。お気に入りの少女を連れて,お気に入りの少女俳優が演じる自作を見に行くのは,キャロルの大きな喜びであった。89年,『不思議の国のアリス』を5歳以下の幼児のために『子供部屋のアリス』The Nursery Aliceとして書き直すいっぽうで,小説『シルヴィとブルーノ』Sylvie and Brunoの前編を上梓(じようし)(「完結編」は93年)。この最後の野心作は,内容的には『アリス』のノンセンスを愛と正義のモラルに包摂しようとしたもので,感傷性に陥っている欠点があるが,現実世界における物語と夢の中で展開する
(高橋康也)
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