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  11. 向田 邦子

向田 邦子

ジャパンナレッジで閲覧できる『向田 邦子』の日本近代文学大事典・日本大百科全書のサンプルページ

日本近代文学大事典

人名
向田 邦子
むこうだ くにこ
昭和4・11・28~昭和56・8・22
1929~1981
本文:新規

脚本家・エッセイスト・小説家。東京府荏原郡世田ヶ谷生れ。

 第一徴兵保険株式会社に勤める父向田敏雄と、母せいの長女として出生。敏雄は仕事柄転勤が多く、家族を伴っての転居を繰り返した(東京、宇都宮、鹿児島、高松、東京、仙台、東京)。1939(昭和14)年に移った鹿児島市平之町での暮らしを邦子は大いに気に入り、一年程度の滞在ではあったが、後にエッセイ(「鹿児島感傷旅行」)で「故郷もどき」と語っている。また本格的に文学に触れたのもこの頃で、漱石や鷗外をはじめ、読書家であった父の蔵書を隠れて読み漁った。なかでも直木三十五『南国太平記』(1931・4、同・6 誠文堂、同・11 番町書房)は邦子の愛読書であった。1950(昭和25)年3月、実践女子専門学校国語科卒業。4月、財政文化社に入社、社長秘書となるも転職。1952(昭和27)年6月、雄鶏社に入社し、洋画専門誌『映画ストーリー』編集部へ配属となる。ところが入社から5年ほどで雄鶏社の経営が悪化、邦子は雑誌記者のアルバイトを始める。

 1958(昭和33)年、シナリオライター集団Zプロに参加、テレビドラマ「ダイヤル110番」(日本テレビ)で邦子作のシノプシス「火を貸した男」(第57回)が採用される。翌年、俳優森繁久彌のラジオ番組「奥様お手はそのまま」(文化放送)の台本を書き、森繁に才能を認められることとなる。1960(昭和35)年5月、女性フリーライターの事務所ガリーナクラブに参加、週刊誌に記事を執筆する。雄鶏社の業務と週刊誌のルポライターとを掛け持ちし、その合間にラジオの仕事をこなしていたが、同年12月雄鶏社を退社。1962(昭和37)年3月、ラジオドラマ「森繁の重役読本」(東京放送、毎日放送)が放送開始となり、本格的に脚本家として歩みだす。この頃、市川三郎に師事し、テレビドラマの脚本も手掛けるようになる。まもなく頭角を現し、「寺内貫太郎一家」(1974・1 TBS)に代表されるコメディタッチのホームドラマの脚本を多数執筆。しかし、やがてホームドラマ自体の人気が下火となり、1977(昭和52)年頃、方向転換を余儀なくされる。邦子自身、かねてより大人向けのドラマの脚本を書きたいと望んでいたため、このことは1つの契機となった。邦子は、相変わらず家族や家庭をテーマに据えつつも、その家族を構成している個人の秘事や負い目引け目に肉薄し、「阿修羅のごとく」(1979・1 NHK)などシリアスな作風の脚本を執筆した。

 1975(昭和50)年10月、初期の乳がんを患い手術を受けるが、年明けに血清肝炎を発症、一時は文字を書くことも困難となった。時同じくして、タウン誌『銀座百点』からエッセイの執筆依頼があり、これを受諾。2年半の連載の後に『父の詫び状』(1978・11 文芸春秋)を刊行。自身の家族を題材にしたエッセイが好評を博し、活字の仕事も増加する。『寺内貫太郎一家』(1975・4 サンケイ出版)のノベライズ以降、小説執筆だけは渋っていた邦子であったが、実践女子専門学校時代の同級生で『小説新潮』の編集長川野黎子の勧めもあって、同誌に短編小説を寄稿。1980(昭和55)年7月、同誌連載中の『思い出トランプ』(1980・12 新潮社)のうち3編、「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」が第83回直木賞を受賞した。また同時期に、テレビドラマ「あ・うん」(1980・3 NHK)のノベライズという形で『別冊文芸春秋』に同名小説を発表。翌年、単行本刊行と前後して、続編「やじろべえ(あ・うんパートⅡ)」を『オール読物』に発表する。1981(昭和56)年8月22日、取材旅行中の台湾にて、航空機事故のため客死。

(山口みなみ 2021記)

代表作

代表作:新規
あ・うん
長編小説。「あ・うん」(『別冊文芸春秋』1980・3)、続編「やじろべえ(あ・うんパートⅡ)」(『オール読物』1981・6月)。1981・5 文芸春秋刊。1983・4 文春文庫。なお、大和書房版(1987・6)は邦子の死後、テレビドラマの脚本をまとめて刊行したものである。新潮文庫版(1991・7)、岩波現代文庫版(2009・4)は大和書房版を底本としている。
第二次世界大戦前夜の昭和10年代東京白金を舞台とし、製薬会社勤務の水田仙吉とその親友で会社経営者の門倉修造の友情と、仙吉の妻たみと門倉の三角関係を主軸にした小説である。題名は、一対の狛犬に由来する。仙吉は男前で羽振りのよい門倉に憧れと嫉妬心を抱くが、憧れの門倉がたみに惚れていることを密かに自慢にしているのであった。一方の門倉は、何事にもきっちりとした性格の妻君子との生活に息の詰まる思いであった。外に愛人を囲い、子をもうけるが、たみを慕う気持ちは変わらない。仙吉、たみ、門倉の3人は互いの気持ちを知りつつ、関係を壊さぬよう振る舞う。大人たちのそのような様子を、仙吉の娘さと子は興味をもって眺めるが、次第に3人に対して反発した思いを抱くようになる。しかしさと子をはじめ周囲の誰もが、この3人の関係をまさに「あ・うん」の呼吸で支えているのである。
(山口みなみ 2021記)

全集

  • 『向田邦子全集』全3巻(1987 文芸春秋)
  • 『新版 向田邦子全集』全11巻・別巻2(2009~10 文芸春秋)
  • 『向田邦子TV作品集』全11巻(1981~88 大和書房)
  • 『向田邦子シナリオ集』全6巻(2009 岩波現代文庫)
  • 分類:脚本家
    分類:エッセイスト
    分類:小説家
    既存新規:新規人名


    日本大百科全書(ニッポニカ)

    向田邦子
    むこうだくにこ
    [1929―1981]

    放送作家、小説家。東京生まれ。実践女子専門学校(現、実践女子大学)国語科卒業。映画雑誌編集者のかたわらラジオやテレビの脚本を書くようになり、『森繁 (もりしげ)の重役読本』(1962~1969)、『七人の孫』(1964)などで人気ライターとなる。1976年(昭和51)小説風な自伝的エッセイ『父の詫 (わ)び状』(1976~1978)を発表、散文家としても注目されたが、1980年、連載の短編小説『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で直木賞を受けた。日常の些事 (さじ)を描きながら人生の暗部をかいまみせる巧みな芸が期待されたが、翌1981年、台湾旅行中に飛行機事故で急逝。ほかに『寺内貫太郎一家』(1975)、『あ・うん』(1981)、『隣りの女』(1981)などの著がある。

    [沖山明徳]

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    1. 向田邦子
    日本大百科全書
    放送作家、小説家。東京生まれ。実践女子専門学校(現、実践女子大学)国語科卒業。映画雑誌編集者のかたわらラジオやテレビの脚本を書くようになり、『森繁もりしげの重役
    2. むこうだ-くにこ【向田邦子】
    日本人名大辞典
    1929−1981 昭和時代後期の小説家。昭和4年11月28日生まれ。映画雑誌記者をへて放送作家となり,「時間ですよ」「阿修羅(あしゅら)のごとく」などのテレビ
    3. 向田 邦子
    日本近代文学大事典
    。 『向田邦子全集』全3巻(1987 文芸春秋) 『新版 向田邦子全集』全11巻・別巻2(2009~10 文芸春秋) 『向田邦子TV作品集』全11巻(1981~
    4. あげ‐いろ【揚色】
    日本国語大辞典
    〔名〕料理で、油で揚げた材料が帯びる薄い焦げ色。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉薩摩揚「練り上げた魚のすり身を〈略〉たぎった油鍋へ落しこむ。シューと金色の泡
    5. あっけら‐かん
    日本国語大辞典
    指さされたところで、アッケラカンと、白昼の公園は、何事もなかった」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉兎と亀「羽根をつく音もなく、獅子舞いもこない異国のお正月は
    6. あり‐きゅう
    日本国語大辞典
    〔名〕食事をいう、デパートの店員などの隠語。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉チーコとグランデ「『臨休(りんきゅう)』がトイレで『有休(アリキュウ)』が食事と
    7. いけはた-しゅんさく【池端俊策】
    日本人名大辞典
    でデビュー。今村昌平監督の脚本助手もつとめる。昭和60年テレビドラマ「私を深く埋めて」ほかで向田邦子賞,芸術選奨新人賞。平成11年映画「あつもの」を監督。21年
    8. 市川森一[NHK大河ドラマ「黄金の日日」などで知られる脚本家、死去]
    情報・知識 imidas
    純情シネマ」で芸術選奨文部大臣新人賞、82年にはドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」で第1回向田邦子賞を受賞。NHK大河ドラマは「黄金の日日」(78年)、「山河
    9. いちかわ-しんいち【市川森一】
    日本人名大辞典
    獣ブースカ」でデビュー。「黄金の日日」で地位を確立し,「淋しいのはお前だけじゃない」で第1回向田邦子賞。平成元年「もどり橋」ほかで芸術選奨。11年「幽婚」でモン
    10. いっちょう‐まえ[イッチャウまへ]【一丁前】
    日本国語大辞典
    一「一丁前になるまで歯をくいしばってがんばるだろうと思っています」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉魚の目は泪「一丁前に鼻をピクつかせて風の匂いを嗅いだりして
    11. ウエハース
    日本国語大辞典
    〉かも・三「アイスクリームが来た。〈略〉上(うは)っ側のウェファスを匙で」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お八つの時間「お前はボールとウエハスで大きくなった
    12. うりたて‐かい[‥クヮイ]【売立会】
    日本国語大辞典
    会(ウリタテクヮイ)には、色々好者の眼を聳(そばだ)てさせる物が」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉ねずみ花火「岸田劉生晩年の作に『鵠沼風景』という日本画があ
    13. えもん を 抜(ぬ)く
    日本国語大辞典
    着ている和服のえりを後方へ押しさげる。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉隣りの匂い「奥さんは、紅白粉を絶やさない人で、衣紋を抜いたゆるんだ着つけをしていた」
    14. おたま‐じゃくし【御玉杓子】画像
    日本国語大辞典
    *蛙〔1938〕〈草野心平〉さようなら一万年「楽符のおたまじゃくしの群が一列」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お八つの時間「わが『お八つの交響楽』を作れたら
    15. おどり[をどり]【躍・踊】
    日本国語大辞典
    取得する事が二時間位あると仮定して」(9)「おどりぐい(躍食)」の略。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉父の詫び状「オドリにすれば三、四人前はありますというだ
    16. お‐ねがい[‥ねがひ]【御願】
    日本国語大辞典
    之〉「S新聞の月曜日のかこみ欄に『ちょっとお願い』というのがある」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉昔カレー「自分のうちなら、『お母さん、お願いね』で済むのに
    17. おぼく‐さん【御仏供様】
    日本国語大辞典
    〔名〕(「さん」は接尾語)「おぶくさま(御仏供様)」に同じ。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉あだ桜「祖母は、『おぼくさん』と呼んでいた仏壇に供えたごはんを私
    18. お‐まじり【御混・御交】
    日本国語大辞典
    〔名〕(「お」は接頭語)飯粒(めしつぶ)のまじった重湯(おもゆ)。幼児や病人用の食物。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉卵とわたし「重湯からおまじりになり卵の
    19. おん‐ち【音痴】
    日本国語大辞典
    〕〈藤本義一〉味盲人「味について、まったくオンチな女が増えてきた」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉学生アイス「数字オンチなので、一個幾らだったか思い出せない
    20. かくしつ‐そう【角質層】
    日本国語大辞典
    保護するほか水分のむだな蒸散を防ぐ。足の裏や手のひらでは特に発達して厚くなる。角層。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉魚の目は泪「魚(うお)の目とは、踵や足の
    21. かぜっ‐ぴき【風引・風邪引】
    日本国語大辞典
    目三遊亭円遊〉「冒寒(カゼッピキ)を五年暑気中(あた)りを五年に」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉鼻筋紳士録「おなかを掻いてやると、風邪っぴきが洟をかむよう
    22. かた‐どなり【片隣】
    日本国語大辞典
    〔名〕左右の隣の一方。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉隣りの匂い「父の会社が玉藻城のお濠に隣り合って建っており、そのうしろに社宅であって、片隣りは海軍人事部
    23. 加藤治子
    情報・知識 imidas
    集める。TBS系「寺内貫太郎一家」(74年)、NHK「阿修羅のごとく」(79~80年)など、向田邦子脚本のテレビドラマに多数出演する。一方、舞台出演も数多く、9
    24. かまた-としお【鎌田敏夫】
    日本人名大辞典
    シリーズや「男女7人夏物語」などが高視聴率をとる。「29歳のクリスマス」で平成7年芸術選奨,向田邦子賞。早大卒。映画作品に「いこかもどろか」など。
    25. から‐くち【辛口】
    日本国語大辞典
    子・日本永代蔵〔1688〕一・五「所酒のから口、鱶のさしみを好み」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉昔カレー「『お父さんのカレー』は肉も多く色が濃かった。大人
    26. かわり‐だま[かはり‥]【変玉】
    日本国語大辞典
    盤上に散った水滴が変り玉のやうにきらきらするのを取りあげて見れば」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お八つの時間「変り玉などは、しゃぶりながら、どこでどう模様
    27. かんげき‐や【感激屋】
    日本国語大辞典
    〔名〕「かんげきか(感激家)」に同じ。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉卵とわたし「革と汗のにおいのする軍服が、うちの玄関に立って敬礼して、あの慰問文はとても
    28. かんそう‐たまご[カンサウ‥]【乾燥卵】
    日本国語大辞典
    昭和一七年(一九四二)戦時の配給食品に加えられて普及した。乾燥鶏卵。かんそうらん。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉卵とわたし「わが卵の歴史の中で、切ない思い
    29. カー‐ラジオ
    日本国語大辞典
    一〉一「今まで小さかったカー・ラジオの歌が不意にだしぬけに大きく」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉車中の皆様「いつぞや乗ったタクシーのカー・ラジオは」
    30. がん‐にく【眼肉】
    日本国語大辞典
    〔名〕鯛などの魚の、目のまわりのやわらかい肉。美味とされる。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉魚の目は泪「『魚は眼肉(ガンニク)がおいしいんだ』と、目のまわり
    31. き‐しゅ【機種】
    日本国語大辞典
    報告及通報には〈略〉飛行機に在りては機種、機数、高度、飛行方向等」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉兎と亀「機種は、日本でもお馴染みのロッキード・エレクトラで
    32. きたがわ-えりこ【北川悦吏子】
    日本人名大辞典
    ョン」などのヒットをとばし,ラブストーリーの名手といわれる。12年「ビューティフルライフ」で向田邦子賞,橋田賞,および放送文化基金賞をうけた。岐阜県出身。早大卒
    33. き‐ぶく・れる【着脹】
    日本国語大辞典
    に綿入を三四枚も着脹(キブク)れて居る、傍に寄ると汗臭い匂がする」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お軽勘平「日頃は厚手の下着やセーターで、ぼてぼてと着ぶくれ
    34. きも‐やき【肝焼】
    日本国語大辞典
    〔名〕鰻の肝臓を串に通して、たれを付けて焼いたもの。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉ごはん「母は鰻丼を一人前注文する。肝焼がつくこともあった」(1)怒りっぽ
    35. きん‐うん【金運】
    日本国語大辞典
    〈横光利一〉「松下家の中で美紀ちゃんは、一番金運の悪かった人間だ」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉わが拾遺集「こんな幸先のいいスタートを切ったにもかかわらず
    36. 久世光彦
    日本大百科全書
    台湾取材旅行中に事故死した向田邦子との思い出を綴つづった『触れもせで――向田邦子との二十年』(1992)、『夢あたたかき――向田邦子との二十年』(1995)には
    37. 久世光彦[「寺内貫太郎一家」を手がけた演出家、死去]
    情報・知識 imidas
    1935年、東京生まれ。東京大学文学部美術史学科を卒業し、KRテレビ(現・TBS)に入社。脚本家の故・向田邦子とコンビを組み、ドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一
    38. くどう-かんくろう【宮藤官九郎】
    日本人名大辞典
    士(くにお)戯曲賞。脚本はほかに「木更津キャッツアイ」など。23年「うぬぼれ刑事(でか)」で向田邦子賞。宮城県出身。日大中退。本名は宮藤俊一郎。
    39. くらもと-そう【倉本聰】
    日本人名大辞典
    「文吾捕物絵図」「うちのホンカン」「浮浪雲」などの人気テレビドラマをかく。「北の国から」はテレビ大賞,向田邦子賞をはじめおおくの賞をうけた。昭和59年富良野塾を
    40. くり‐ぬき【刳貫・刳抜】
    日本国語大辞典
    二「桐の刳抜(クリヌキ)の手炉(てあぶり)に桜炭が埋(いか)って」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お八つの時間「その上に黒っぽい刳(ク)り抜きの菓子皿があり
    41. クール
    日本国語大辞典
    する冬の旅「橋の上から眺める夜の河は、ひどくクールに光って見えた」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉ねずみ花火「日本人離れのした理知的な顔に眼鏡が似合っていた
    42. グレート‐デーン
    日本国語大辞典
    (あちら)から買って来た二万円の名犬グレート・デーンが吠えたてる」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉隣りの匂い「犬好きらしく、白地に黒の斑(まだら)のあるハル
    43. けっぽり‐こ・む【蹴込】
    日本国語大辞典
    〔他マ五(四)〕蹴ってなかに入れる。蹴り込む。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉チーコとグランデ「私は台所へ飛び込むと、グランデの方を、あわてて流しの下に蹴っ
    44. こころ‐やさし・い【心優】
    日本国語大辞典
    やさしき、なみだもろきおひじりさまには、いまがはじめで御ざあるの」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉お軽勘平「昔も今も、物書き歌詠む殿方は心やさしく」ココロヤ
    45. コンプレックス
    日本国語大辞典
    橋聖一〉「それに対してコンプレックスを感じたことは一度もなかった」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉鼻筋紳士録「日本人の外人コンプレックスは、背と鼻が低い、目
    46. ごう‐もう[ガウ‥]【剛毛】
    日本国語大辞典
    こわい毛。*飼育〔1958〕〈大江健三郎〉「背に剛毛の生えた太い指で」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉わが拾遺集「唇の横にうぶ毛にまじって二センチほどの黒い
    47. ご‐ふじょう[‥フジャウ]【御不浄】
    日本国語大辞典
    御不浄(ゴフジャウ)に一時間も隠れて読んで、ヅロオスにそっとしまって─」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉隣りの匂い「朝刊を持った父がご不浄に立ってゆく」ゴフ
    48. さく
    日本国語大辞典
    手早くさっと焼き、きざみねぎとおろししょうがをしっかりたたきこんだ手づくりでも」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉薩摩揚「練り上げた魚のすり身を、二挺の包丁を
    49. さんかく‐ぼうし【三角帽子】
    日本国語大辞典
    【一】〔名〕(1)さきのとがった長めの帽子。三角帽。*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉チーコとグランデ「三角帽子をかぶって肩を組んだ酔っぱらいと」(2)女性の
    50. しば‐つ・く
    日本国語大辞典
    俳・伊勢冠付〔1772~1817〕「アカベ六・鶏の尻程しば付かす」*父の詫び状〔1978〕〈向田邦子〉魚の目は泪「けむそうな目をしばつかせながら」
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    本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
    築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
    徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
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