「文化人」カテゴリの記事一覧
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「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
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大橋鎮子(日本人名大辞典)
昭和後期-平成時代の出版経営者。大正9年3月10日生まれ。日本読書新聞勤務をへて,昭和21年女性に役だつ出版をめざし,花森安治らと衣裳研究所(のち暮しの手帖社)を設立して社長となり,シリーズ「スタイルブック」をだす。23年「美しい暮しの手帖」(28年「暮しの手帖」と改称)を創刊し

花森安治(日本大百科全書(ニッポニカ))
ジャーナリスト。明治44年10月25日神戸市に生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学新聞』で活躍し、新聞のレイアウトに異才を発揮した。1940年(昭和15)大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対する厳しい反省を基礎に

森鴎外(日本大百科全書・世界大百科事典)
文学者、軍医。本名林太郎。文久(ぶんきゅう)2年1月19日、石見(いわみ)国(島根県)津和野横堀に生まれる。[磯貝英夫]生涯。森家は、津和野藩代々の御典医の家柄で、父は静男(静泰(せいたい))、母は峰子。鴎外は長男で、2弟、1妹があった。7歳より藩校養老館で漢学を学び、また、父についてオランダ文典をも学んだ。

磯崎新(日本大百科全書(ニッポニカ))
建築家。大分県に生まれる。1954年(昭和29)東京大学工学部建築学科を卒業、同大学院に進み、丹下健三に師事、1961年博士課程修了。カリフォルニア大学、ハーバード大学、エール大学、コロンビア大学などの客員教授を務める。1963年磯崎新アトリエを創設。40年以上の活動において、建築の形式や引用に注目し、多様な表現を展開

ニーチェ(文庫クセジュ ベストセレクション)
第一部 ニーチェの生涯と著作 第一章 生涯 ニーチェは好んでポーランド貴族の末裔を称した。しかし実際には、詳細な研究が十八世紀の初頭まで遡って明らかにしたところによれば、ニーチェの家系は完全にドイツ系である。ニーチェの祖先のうちには、数多くの聖職

福地源一郎(国史大辞典)
一八四一-一九〇六明治時代の代表的ジャーナリスト。天保十二年(一八四一)三月二十三日、医師福地苟庵と松子の長男として長崎に生まれる。幼名は八十吉、長じて源一郎と称す。諱は万世。桜痴は、江戸で馴染みとなった芸妓「桜路」に因んで付けた号。少年時代より神童

アーネスト・サトウ(東洋文庫)
幕末・明治維新の激動期に,日本語を自在に駆使して活躍したイギリスの外交官アーネスト・サトウ。日本,シャム,清国,モロッコ各地でのエピソードを交えてその生涯を活写する。1999年02月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)はじめに序章神秘な異国日本へ

中浜万次郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八二八-九八江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風の

キーン ドナルド(日本近代文学大事典・日本大百科全書)
本文:新規日本文学研究者、翻訳者。アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。本名、DonaldLawrenceKeene。1938年、16歳でコロンビア大学入学。学部生時代はフランス文学、ギリシャ文学を専攻し、人文学の泰斗であるマーク・ヴァン

モネ(岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランスの画家,印象派の開拓者,指導者.パリに生まれる.少年時代をルアーヴルで過ごして海と陽光の美しさに啓発され,同地でブーダンに師事し風景画に開眼する.パリに戻り[1859],はじめトロワイヨン,のちグレールに師事し,P.A.ルノワール,シスレー

ロダン(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの彫刻家。生気に満ちた写実主義、モニュメンタルな表現性、象徴主義的なテーマ、彫刻を量塊(マッス)としてとらえ、その動きと表現的な肌によって周辺空間と関連させる手法などにより、19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術

ベートーベン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ドイツの作曲家。盛期古典派から初期ロマン派への転換期に56歳の生涯を送ったベートーベンは、古典派音楽様式を極点にまで高めるとともに、19世紀の音楽家たちにとっての偶像的な存在となり、後世に無限の広範な影響を与えた。[中野博詞]▲生涯フランドルから移住

ファーブル(世界大百科事典・日本大百科全書)
フランスの昆虫研究家,博物学者。南仏アベロン県の寒村サン・レオンに貧農の子として生まれ,幼時より自然に親しむ。苦学の末,アビニョン師範学校を出た後,アビニョン小学校,コルシカのアジャクシオ中学,次いでアビニョン中学で教師をする。向上心の旺盛な彼は

パスツール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの化学者、微生物学者。父ジャン・ジョセフJean-JosephPasteur(1791―1865)はナポレオン軍の下士官も務めた小さな皮革業者で、その長男として12月27日、ドール市に生まれた。幼時の天才児らしい話は残っていない。パリの高等師

南方熊楠(日本大百科全書・世界大百科事典)
生物学者、民俗学者。和歌山県に生まれる。博覧強記、国際人、情熱の人として、日本を代表する人物の一人に数えられる。大学予備門(東京大学教養課程の前身)を中途退学してアメリカ、イギリスに渡り、ほとんど独学で動植物学を研究。イギリスでは大英博物館で考古学

時間生物学とは何か(文庫クセジュ)
第一章基本概念と定義I生物リズム(生体リズム)研究の歩み古代の人びとは、その深い洞察力によって周期性の意味する重要性を捉えていた。天地の創造は光と闇の分離から始まる。聖書には「種を蒔くに時あり、刈り入れに時あり、……生きるに時あり、死するに時あり

セザンヌ(世界大百科事典)
フランスの画家。後期印象派を代表する一人。印象主義の決定的な影響を受けるが,そのあまりに感覚的で,しまりのない画面にあきたらず,〈印象主義を,美術館の美術のように堅固で持続性のあるものにする〉ことを目ざし,自然を前にした際の,刻々と変化する〈感覚

スタンダール(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの小説家。本名アンリ・ベールHenriBeyle。小説のほか,文芸批評,美術・音楽論,旅行記,評伝,自伝なども手がけており,未定稿や日記,書簡の類いを併せれば,執筆量は膨大なものになる。文筆活動以外にも,ナポレオン時代の軍人・軍属としての経歴

モーツァルト(世界大百科事典)
18世紀古典派を代表するオーストリアの作曲家。生涯当時は独立したカトリック大司教領だったザルツブルクに生まれた。父親は大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバハに仕える音楽家レオポルト・モーツァルトであった。レオポルトは南ドイツの町アウクスブルクに

シューベルト(日本大百科全書・世界大百科事典)
オーストリアの作曲家。歌曲をはじめ管弦楽曲、室内楽、ピアノ曲などに多くの優れた作品を残し、ドイツ・ロマン派初期を代表する。[石多正男]▲生涯1月31日、教員で敬虔(けいけん)なカトリック教徒の父フランツ・テオドールと、シュレージエン地方出身の母

狩野探幽(国史大辞典・世界大百科事典)
一六〇二-七四江戸時代前期の狩野派画家。名は守信、幼名四郎次郎、また采女。探幽斎・白蓮子と号す。狩野孝信の長男として慶長七年(一六〇二)正月十四日京都に生まる。母は佐々成政の女。四歳にして習熟者のように描くほど早熟の天才であったと伝える。早くも同十七

ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的

ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇