ルターやカルバンなどによる宗教改革に端を発し、今日では、ローマ・カトリック教会、東方正教会と並ぶキリスト教の一大勢力となった諸教派およびその思想の総称。プロテスタントということばは、神聖ローマ帝国皇帝カール5世の改革否認に対する抗議宣言に由来するが、単なる抗議を超えて、自らの信ずるキリスト教信仰の中核を大胆に告白するという積極的意味をも含んでいる。ルターの提唱になり、その後この教派共通の原理となったのは、(1)人は、善行によってではなく、信仰のみによって神の前に義とされるという信仰義認の原理、(2)伝承などを否定し、聖書のみが信仰の根拠であるとする聖書主義、(3)聖職者と平信徒の区別を排し、神の前での平等を強調する万人祭司の原理、である。これらの原理はすべて、神と人間との間の媒介物を除去し、人間を直接神と直面せしめるものであって、ここにいかなる権威にも屈することのない内面的価値が自覚され、封建的身分秩序からの個人の自立化が可能となった。したがって、政治的には近代民主主義、経済的には資本主義の思想的淵源(えんげん)がここに求められている。他面、信仰が、恩寵(おんちょう)の客観的施設としての教会から解放されることによって、高度に主観的・心情的なものとなり、救いの確かさが見失われていったこと、また正統と異端の分裂を惹起(じゃっき)したことも忘れてはならない。近年、教会再一致への方向が模索されている。
[高野清弘]
16世紀の宗教改革にはじまり,そこから発展・分化したキリスト教の一群を包括する名称。ローマ・カトリック教会,東方正教会とならぶ,キリスト教の三つの大きな流れの一つ。〈プロテスタント主義〉とも訳される。日本で慣用されている訳語〈新教〉は正しくない。プロテスタントの名称は,1529年4月,ドイツのシュパイヤーで開かれた国会(シュパイヤー国会)で,宗教改革の側に立つ少数派の諸侯と都市が,多数派のカトリック側の皇帝に対してみずからの立場を〈公に表明して抗議〉(ラテン語のプロテスタティオprotestatio--元来は法律用語)したことに由来し,のちに自称として用いられるようになった。英語では17世紀の半ばから用いられはじめ,19世紀にシュライエルマハーをはじめとするドイツの神学者たちがプロテスタンティズムの本質について研究し,思想的・神学的概念として確立した。しかしキリスト教の一群を総称する客観的概念として盛んに用いられるようになったのは,20世紀に入ってからである。
現在使われている意味でのプロテスタンティズムは,信仰,教義ないし思想,共同体の性格などの諸点において多様なキリスト教現象を含んでいるため厳密に規定することは難しいが,その起源と基本的性格とは,ドイツのルターによって開始され,スイスのツウィングリ,フランスのカルバンらによって強力に推進された宗教改革運動に発するものである。それゆえこの概念は特にローマ・カトリック教会との対比を強く含意している。この起源におけるプロテスタンティズムの基本的な立場は,人間の善い行為(功績)によらない,恩恵としての〈信仰のみによる〉救いを説く〈信仰義認〉,教権や伝統でなく〈聖書のみ〉を規範的権威と認める聖書原理,信ずる各人が直接神の前に立つという〈万人祭司主義〉の3点を特徴とする。これらの点で〈福音的〉あるいは〈福音主義的〉キリスト教とも呼ばれる。礼拝は説教を中心とし,典礼は極度に簡素化され,サクラメントは洗礼と聖餐の二つに限られる。ローマ・カトリック教会がサクラメンタル(秘跡的)な宗教類型に属するのに対して,プロテスタンティズムは〈神の言(ことば)〉としての聖書とその説教を中心とする預言者的な類型に属する。
ローマ・カトリック教会が教皇を頂点とする聖職制度によって民族や国家を超える統一体として機能するのに対して,プロテスタンティズムは,発祥地,指導者などによって個別に分化して発展した宗教改革諸運動を含むので,当初から統一的体制をもたない。ルター派教会はドイツで政治的支配と結びついた領邦教会として発展し,北欧諸国に広まった。カルバンらの改革派教会はスイスからフランス,スコットランド,オランダに広まった。イギリスでは宗教改革が政治的な事情によって行われたので,そこに成立したアングリカン・チャーチ(英国国教会)は,原則としてプロテスタンティズムに加えられるものの,その自意識は希薄である。それゆえルター派教会と改革派教会とが,ローマ・カトリック教会から分離した分派であるが教会としての形態を有するプロテスタンティズムの正統派ないし主流を形成している。しかしプロテスタンティズムの特徴は独立の分派集団をたえず生み出すことにある。宗教改革時代の神秘主義的,熱狂主義的,心霊主義的諸運動は現代のプロテスタンティズム諸派の多くのものの原流をなしている。バプティスト,会衆派教会,メソディスト,クエーカーなどの現代有力な教派は,歴史的起源においても思想的背景においても宗教改革諸運動と近代思想との交渉の中から複合的な要因によって成立した。さらにアメリカ合衆国においては以上の諸派が隆盛になるとともに,プロテスタンティズムの周辺現象も著しい。
プロテスタンティズムは西洋近代の成立と発展とに歩みを同じくしているので,近代世界と深い関係をもったことは当然である。近代資本主義成立にかかわるプロテスタンティズムとくにカルビニズムないしピューリタニズムの倫理の役割を強調したM.ウェーバーの《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》は有名である。また神の前に立つ良心的人格の確立は,近代の個人主義的傾向に大きな影響を及ぼしている。ドイツ観念論や実存主義はその例である。しかし数次にわたる大戦を経験し,ニヒリズムの浸透した現代においてプロテスタンティズムが意義をもちうるためには,みずからのうちにある分裂主義的傾向を克服し,多様の一致(エキュメニズム)において普遍性を回復するとともに,あらゆる不義と圧制と罪とを排撃する本来の預言者的使命を発揮することが求められている。この意味で20世紀のK.バルト,E.ブルンナー,P.ティリヒらの神学者の業績は記憶さるべきである。
宗教改革は,ルネサンスと異なって,たんなる学問,思想,文芸上の変革にとどまらず,深く一般民衆の日常生活のありかたにまで影響を及ぼした。それが最もはっきり現れたのは,世俗的な職業についての考え方の変化である。中世のカトリック教会秩序のなかでは,聖職者が一般の俗人信徒とは別個の身分を形成しており,俗世を離れてひたすら信仰生活に専念する修道士にせよ,俗人信徒の救霊の任務をゆだねられた教区の司祭にせよ,聖職者のみが真の意味で神の〈召命〉を受け,そして神に直接奉仕する人間とみなされていた。
しかし,ルターの唱えた〈万人祭司〉の原理は,このような狭い意味での〈召命〉観を根本から変化せしめ,上は君侯から下は手工業者や農民にいたるまで,あらゆる身分の人間が,社会におけるそれぞれの仕事ないし職業労働を通じて,聖職者と同様直接神に奉仕するものと考えられるようになった。どのような賤しい業(わざ)でも,それがまことの信仰と隣人愛において行われるならば,神の御意(みこころ)にかなう〈善き業〉であり,その点ですべての業の間に本質的な差別はない,とルターは説いたのである。
カルビニズムは,この新しい職業・召命観をさらに発展せしめ,信徒はおのおの,自己がそこにおいて神に〈召され〉た職業を通じて,〈神の栄光〉を地上にあらわし,終末のときに完成される神の御業のため積極的に奉仕すべきことを,とりわけ強調するにいたった。このように,現世におけるすべての勤労が神の摂理と直接に結びつけられ,宗教的に意味づけられたことは,職業倫理のかたちで信徒の日常生活を,魂の救いに向けて照準し,道徳的にきびしく律するという結果を生んだ。中世では瞑想的な修道生活とほとんど等置されていた〈禁欲〉が,今や勤労生活の良心的な自己規制そのものへと拡大解釈され,M.ウェーバーが《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》などの著作で指摘するごとく,信仰に基礎づけられた一種の合理主義的エートスを発展させることとなる。再洗礼派をはじめとするプロテスタントの諸分派の中でも,このような禁欲主義は強調され,世俗労働の成果を通じてまことの信仰を確証しつつ,生活全体の〈聖化〉を目ざす努力がみられた。このように,プロテスタンティズムは,西欧キリスト教会における職業労働の積極的評価をうながし,経済社会の意味における近代的な市民社会の形成に,生活意識の面で,大いに貢献するところがあったのである。
→カトリシズム
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