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アイルランド文学

ジャパンナレッジで閲覧できる『アイルランド文学』の集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

デジタル版 集英社世界文学大事典

アイルランド文学
イギリス
アイルランド文学は,文字に残されたものとしては,6世紀ごろまでさかのぼることができる。それまでの文学は口承によるもので,特別な修業を積んだ詩人たちが神々,英雄,美女,妖精(ようせい)の物語を語り伝えた。文字としては,石の角(かど)に長短の直線を刻み付けてアルファベットを表すオーガム文字があったが,もちろん文学の用には立たなかった。5世紀ごろのキリスト教化とともに,アイルランド語をラテン文字で記すようになって,急速に文字の使用が広まった。それ以後,詩人たちの物語は文字に記され,さらに,各地にできた修道院で筆写された。それらは散文を主とし,随処に詩が挿入されている。叙事詩と劇の不在が,初期のアイルランド文学の特徴である。これらの物語は,現在では次の4つのサイクル(物語群)に分類するのが普通である。(1)神話サイクル,(2)アルスター・サイクル,(3)フェニアン・サイクル,(4)歴史サイクル。(1)は文字どおり神話時代の物語で,ヨーロッパ大陸時代のケルト人が崇拝していた神々が主役である。(2)はアルスターを中心とした北部に伝えられ,アイルランドを代表する英雄クーフリン,femme fatale(宿命の女)の典型としてのデアドラらが登場し,激しく劇的な物語を展開する。(3)はマンスターを中心とする南部に広まったもので,フィン・マックール,アシーン(オシーン,スコットランドではオシアン)らのフィアナ騎士団が活躍し,ロマンティックな色彩が濃い。(4)は実在とされた王たちの事績を伝える(ケルト伝説)。
 これらのほかに,多くの抒情詩が伝わっている。特に注目すべきものは,8~12世紀にかけての自然詩である。これには詩人たちの作品のほかに,修道院で古文書を筆写していた書記たちが,文書の余白に書き付けたものが多い。簡潔な印象派風の描写によって自然への共感を歌う詩風は,同時代の日本の和歌を思わせる。詩の技巧としては,初めは頭韻のみで,規則的な韻律をもたなかったが,6世紀の末から押韻が生まれ,8世紀からは音節の数による複雑な作詩法が主流となり,これが近代まで続いた。
 アイルランドは12世紀の後半にイギリスの支配下に入ったが,移住してきたイギリス人を同化して,自らの独自性は失わなかった。しかし,アイルランド語によるアイルランド文学の最盛期は12世紀で終わり,あとは惰性時代が続く。18世紀に至って,イギリスの支配強化とともにアイルランド語の勢力が衰え,英語によるアイルランド文学,いわゆるアングロ=アイリッシュ文学が主流となる。アイルランドの社会問題に強い関心をもっていたスウィフトを例外として,イギリス文学の出店の観があった18世紀を経て,19世紀の作家たちは,アイルランドのアイデンティティーを意識するようになる。世紀半ばからは,週刊新聞「ネイション」の発刊(1842)を契機として,ナショナリズムの潮流が勢いを増し,世紀末には,W. B.イェイツを中心としたアイルランド文芸復興の運動が起こり,特にその演劇運動は,ヨーロッパ,アメリカにも大きな影響を及ぼした。ワイルドやバーナード・ショーのように,この運動から離れていた作家もあるが,この運動とともに近代アイルランド文学は確立したといってよい。
 これ以後詩では,A.クラーク,パトリック・キャヴァナマクニースキンセラ,ジョン・モンタギューヒーニー,マイケル・ロングリー,デレク・マハン,トム・ポーリン,ポール・マルドゥーン,小説ではジョージ・ムアジョイス,フランク・オコナーオフェイロン,フラン・オブライエン,メアリー・ラヴィン,ジョン・マクガハン,ジョン・バンヴィル,ニール・ジョーダン,劇ではJ. M.シングオケイシーベケットフリール,トマス・キルロイ,トマス・マーフィーらが輩出した。
 また最近では女性作家の活躍が目立ち,詩ではイーヴァン・ボーランド,メーヴ・マガキアン,アイルランド語でのみ詩を書くヌーラ・ニ・ゴーナル,小説ではジェニファー・ジョンストン,エドナ・オブライエン,ジュリア・オフェイロンらが注目されている。
(佐野哲郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)

アイルランド文学
あいるらんどぶんがく

インド・ヨーロッパ語族のケルト語に属する一派にゴイデル語があり、それはさらにアイルランド・ゲール語、スコットランド・ゲール語、およびマン島ゲール語の三つに分類される。アイルランド固有の言語はアイルランド・ゲール語(以下ゲール語あるいはアイルランド語と表記)で、19世紀中葉の「大飢饉 (ききん)」の時期まで一般に用いられてきた。12世紀のヘンリー2世に始まり16世紀のヘンリー8世を経て17世紀のクロムウェルに至る植民地化政策によってイギリスのアイルランド支配は強化され、1801年連合法の発効とともにこの国はイギリスとの連合王国の一部となった。それと並行して言語面での植民地化も着実に進行し、19世紀に入るやゲール語から英語への地滑り的な移行がみられた。したがってアイルランド文学は2系列の文化遺産を継承していることになる。一つは母語によるゲール語文学(ゲーリック文学)であり、一つは英語による文学(アングロ・アイリッシュ文学)である。

[大澤正佳]2018年5月21日

口承の伝統

アイルランドでは口承の伝統が脈々と息づいている。口承物語はゲール語文学の源流をなしており、古写本に収められた説話群は豊かさにおいてギリシアのそれに匹敵するとされる。これら神話、英雄伝説の数々は、通例次の三つの説話群に分けられる。

(1)神話族説話群――アイルランド先住種族にまつわる神話集成
(2)アルスター説話群(クーフリンCuchulain説話群ともいう)――アルスター赤枝戦士団の伝説的英雄クーフリンをはじめ多彩な人物が登場する説話群
(3)2、3世紀ごろ活躍したとされる戦士団フィアンナとその指導者フィン・マクールFionn MacCumhailと息子アシーンOisin(オシアンOssian)、さらにその子オスカルOscarをめぐる説話群
[大澤正佳]2018年5月21日

ゲール語文学の変遷

5世紀前半にキリスト教が伝来し、6世紀から9世紀にかけて修道院文化が栄えたアイルランドは「聖人と賢者の島」とよばれ、ヨーロッパの重要な文化的拠点として黄金時代を享受していた。9世紀からおよそ1世紀に及ぶバイキング襲来によりさしもの修道院文化も衰退するが、その後もかつてのドルイド(古代ケルト社会の知識階級を形成した彼らはドルイド教の祭司で民族的な詩人でもあった)の流れをくむ吟唱詩人(吟遊詩人)たちが豪族やアングロ・アイリッシュ貴族の庇護 (ひご)のもとに伝統的詩文を伝えていた。17世紀以降ゲール的氏族制度の崩壊によりこれら職業的吟唱詩人の流派は衰微し、より平易で自由な詩形が行われるようになった。やがて18世紀にはメリマンBrian Merriman(1747ごろ―1805)の喜劇的風刺詩など秀逸なゲール語詩が生まれた。19世紀になるとこの国の言語的主導権はほぼ完全に英語へ移ったが、民族主義運動の高揚とともにゲール語復活運動がおこり、とくに1893年ダグラス・ハイドの「ゲール語同盟(ゲール同盟)Gaelic League」創立以来、執拗 (しつよう)にゲール語文学の復権が試みられている。

[大澤正佳]2018年5月21日

アングロ・アイリッシュ文学

アングロ・アイリッシュ文学最初の偉大な作家は18世紀のジョナサン・スウィフトで、その作品にはゲール的伝統につながる奔放な風刺精神の裏打ちが認められる。18世紀アイルランドはウィリアム・コングリーブ、R・B・シェリダンなどアイルランド育ちの喜劇作家を世に送り出したが、イギリスを作家生活の本拠とする彼らのこの国への関心は強いとはいえなかった。19世紀前半には詩人トマス・ムーアThomas Moore(1779―1852)がアイルランド的叙情の美しさによって広く愛唱され、アイルランド人の郷土愛を強く刺戟 (しげき)した。19世紀中葉になるとマンガンJames Clarence Mangan(1803―1849)やファーガソンSamuel Ferguson(1810―1886)など優れた詩人たちが自国文化の過去の栄光を歌いあげている。一方、この時期にはこの国の状況を凝視し地域的特色を浮き彫りにするマライア・エッジワースをはじめマテューリンCharles Robert Maturin(1782―1824)、カールトンWilliam Carleton(1794―1869)、J・S・レ・ファニュなど個性的な小説家が輩出した。しかしアングロ・アイリッシュ文学の独自性が明確に打ち出されるためには、ハイドの国語復活運動と呼応して展開されたアイルランド文芸復興運動をまたねばならない。

[大澤正佳]2018年5月21日

アイルランド文芸復興運動

民族主義と言語、文化が結び付いて19世紀末に始まった文芸復興運動は、固有の文化遺産を再評価し伝統的な民族精神を覚醒 (かくせい)させることによってアイルランドの文化的復権を目ざす運動であり、指導的役割を果たしたのは詩人W・B・イェーツ(1923年ノーベル文学賞受賞)であった。イェーツ初期の詩および詩劇はアイルランド神話に霊感を求めているが、彼の助言に従ったJ・M・シングはアイルランド本来の姿がもっともよく継承されている西部地域の習俗、方言を劇作の素材とした。イェーツとグレゴリー夫人Lady Gregory(1852―1932)を中心に1904年に設立されたアベイ劇場(アビー座)を拠点とする演劇活動は、この運動全体の中核をなし、シングの作品はそのみごとな成果であった。その後、1920年代のショーン・オケーシーに至ってアイルランド演劇の地位は確固たるものになる。文芸復興運動を精力的に推進したイェーツの詩人としての偉大さは改めていうまでもない。最後のロマン派といわれる彼は、同時に現代詩の先駆者でもあった。復興期を通じて小説の分野も活況を呈し、とくにジョージ・ムーアはこの国の小説を19世紀から20世紀に導き入れる先駆的役割を演じた。

[大澤正佳]2018年5月21日

国外離脱者たち

一方、国外に去って文筆活動を行った作家の系譜としてオスカー・ワイルド、G・B・ショー(1925年ノーベル文学賞受賞)、ジェームズ・ジョイスなどがいる。エグザイルすなわち亡命あるいは異郷流浪はアイルランド文学伝統の重要な主題の一つであるが、これら現代の国外離脱者たちの存在はアイルランド文学の複雑なありようを示す注目すべき特徴となっている。アイルランドは現代でもっとも偉大な小説家を生んだ。ジョイスである。詩人シェイマス・ディーンSeamus Deane(1940―2021)の評言を援用すれば、ジョイスはアイルランド人であることの限界を拒否するアイルランド作家であり、イギリス作家であることの限界を拒否する英語作家であった。彼を抜きにして現代文学を語ることは不可能であり、その影響力は詩におけるイェーツに匹敵し、サミュエル・ベケットやフラン・オブライエンFlann O'Brien(1911―1966)などの異才を触発した。

[大澤正佳]2018年5月21日

植民地状態からの離脱

ジョイスの『ユリシーズ』がパリで出版された1922年はアイルランド自由国憲法が制定された年でもあった。イギリス植民地支配下にあったこの国は、北部6州の分離(1920)という痛みに耐えながらも、ついに統治権をわがものとする時を迎えたのである。さらに1937年には新憲法が制定され、翌1938年ダグラス・ハイドがエール(アイルランドのゲール語名)初代大統領に就任、1949年アイルランド共和国として完全独立を達成する。1916年イースター蜂起 (ほうき)(復活祭蜂起)が象徴するように世紀の前半では植民地状態からの離脱を図り、世紀の後半には北アイルランド問題をかかえたアイルランドにとって、20世紀は激動の時代であった。この国の現代作家たちは独自の文化伝統再確認を国際的な展望に組み込みながら、自らのアイデンティティを問いつめる緊迫した文学的営為に専念してきたのである。

[大澤正佳]2018年5月21日

今日の作家たち

北アイルランド生まれのシェイマス・ヒーニー(1995年ノーベル文学賞受賞)は苛酷 (かこく)な現実を神話的視座に反映させ民族の基層に掘り進んで、イェーツ以来最大の詩人と目されている。彼をはじめとしてポール・マルドゥーンPaul Muldoon(1951― )、ブレンダン・ケネリーBrendan Kennelly(1936―2021)、さらにはゲール語詩の伝統の再構築を試みる女性詩人ヌーラ・ニー・ゴーノルNuala Ni Dhomhnaill(1952― )など今日のアイルランド詩人たちはイェーツを超えんばかりの勢いである。演劇の分野においても、ベケットやブレンダン・ビーアンBrendan Behan(1923―1964)に続くブライアン・フリールBrian Friel(1929―2015)、トマス・マーフィThomas Murphy(1935―2018)、フランク・マクギネスFrank McGuinness(1953― )などの意欲的な活動は、復興期の演劇的熱気の再燃を予感させる。エドナ・オブライエンEdna O'Brien(1930― )など女性作家はもとより今日の小説家たちの多くは、引き裂かれ分断されてきた歴史をもつこの国の現実の実相に迫ることによって、それぞれに特色ある文学空間構築を試みており、ジョン・マガハーンJohn McGahern(1934―2006)、ジョン・バンビルJohn Banville(1945― )など注目すべき作家は枚挙にいとまがない。

[大澤正佳]

「分断された文化遺産」の融合

この国の文学の底流として影響を与え続けてきたのは言語および文化の重層性であった。しかしイギリスとの緊張関係に発するこの重層性はかならずしも負の遺産ではあるまい。言語の二重性は言語そのものについての鮮烈な意識を誘発する。その意識はアイルランド古来の口承の伝統に培われた「語る」という行為の活性化に貢献してきた。そして今日の文化一般に認められる国際化の機運とともにゲーリックとアングロ・アイリッシュという「分断された文化遺産」はおもむろに融合のきざしを示し始めている。シェイマス・ディーンは現在の状況を熱っぽい調子で語っている――「今や中核をなすのはゲーリックでもアングロ・アイリッシュでもない。両者の融合過程は、完全とはいいがたいにしても十分に進行しており、誤解を招くおそれなしに《アイルランド文学》という語句の使用が可能になっているのである」。

[大澤正佳]



世界大百科事典

アイルランド文学
アイルランドぶんがく

19世紀の末に,イェーツやグレゴリー夫人らがアイルランド文芸復興運動をおこし,演劇の分野を中心に,積極的な活動を展開した。その目標は,イギリス文学の伝統を脱して,古代ケルト精神に復帰し,アイルランドの神話,伝説,歴史,文化,民衆の生活感情,風土風物などを題材に取りあげて,独自の国民文学をつくりだすことであった。つまり,文学技法の改革よりも,民族固有の主題の発見を重視する運動であり,本来,ロマン主義文学の系譜につらなるものである。文学運動の実践をうながす直接のきっかけとなったのは,オグレーディStandish James O'Grady(1846-1928)の《アイルランド史》2巻(1878-80)である。彼がここに集成したアルスター伝説群には,王コノハーの奸智,デアドラの悲恋,英雄クーフリンの武勲などをめぐる物語が含まれており,イェーツ,グレゴリー夫人,シングをはじめ,G.W.ラッセル(筆名AE),J.スティーブンズらの文学者にかっこうの素材を提供することになった。イェーツはフィニア伝説群にも題材を見いだし,フィンの息子を主人公とする長編詩《アシーンの放浪》(1889)において,この英雄が妖精ニーアブとともに西方の魔法の島々をめぐり,300年を経て故郷へ帰るという幻想的な物語を,繊細巧緻な韻文で語り,詩人としての地位を確立した。また,地方農民の間に伝わる民話,妖精譚のたぐいを収集し,《ケルトの薄明》(1893)ほかの民話集におさめて,種族の記憶の保存に努めた。彼が1891年に国民文芸協会を設立したのは,こういう気運を一般にひろめるためであった。伝承文学に対する関心はハイドDouglas Hyde(1860-1949)においていっそう徹底する。彼は《暖炉のそば》(1890)や《コナハト地方の恋の歌》(1893)にゲール語(ゲーリック語)の民話・民謡を収録し,英訳を付して発表した。また,93年にはゲール語(ゲーリック語)連盟を創設して,衰微しかけていた古来の言語の修得と復活をはかった。この実践運動は文学のみならず,一般の生活風習にまで深い影響を及ぼすことになる。イェーツらの運動は英語によるアイルランド文学の形成をめざしていたから,ハイドとは時に協力しあいながらも,ほぼ並行して進展した。彼らの劇作品のなかで使われる英語の会話には,しばしばゲール語語法の影響が見られる。また,この文芸運動自体,対英独立抗争など当時の緊迫した状況を反映して,一般観衆や読者に民族の自覚を訴えかける政治的な役割を担ってもいたが,他方では,懐古的,反時代的,唯美的,神秘主義的な傾向も強く,神話・伝説の世界に逃避する世紀末文学の特徴を共有してもいた。イェーツらはこういう緊張関係のなかで,偏狭な排他主義や政治宣伝に陥ることをさけて,作品の芸術性を維持しようと努め,また演劇活動に踏みきることによって一般民衆と結びつこうとした。

 1899年,イェーツはアイルランド文芸劇場を設立して,本格的な演劇運動に入る。初期にあっては,イェーツの民話劇のほかに,イプセンの影響を受けたエドワード・マーティンやジョージ・ムーアの劇や,ゲール語で書かれたハイドの劇が上演されるなど,運動の方針は必ずしも定まらなかったが,1902年フェイ兄弟の組織するアイルランド素人俳優の劇団を得,翌年アイルランド国民劇場協会に改組,イェーツ,グレゴリー夫人,シングが加わり,優れた作品を次々に生み出した。04年にはアベー座を開設,ここを拠点にして黄金時代を築きあげた。イェーツは農民説話を素材にした《キャスリーン伯爵夫人》(1899初演)や,愛国的な寓意劇《キャスリーン・ニ・フーリハン》(1902初演)や,クーフリン伝説に基づく《バーリアの浜で》(1904初演)その他を発表し,グレゴリー夫人は写実的で力強い会話体を駆使して,農民生活のこっけいな側面や,独立運動の挿話などを《噂のひろまり》(1904初演),《月の出》(1907初演)に描き,シングは奔放で詩的な文体を用いて,荒涼たる土地に生きる農民の皮肉で陰鬱な宿命を《谷間の陰で》(1903初演),《海へ騎(の)りゆく人々》(1904初演)に描き,《西の国の伊達男》(1907初演)では,農民の原始的な生命力と荒々しいユーモアをえぐりだした。この作品は仮借ない観察と戯画のゆえに,初演当時は観衆の反感をかったが,その後のアイルランド演劇の基本的な性格を内蔵している。10年代に入るとロビンソンEsmé Stuart Lennox Robinson(1886-1958)らの農民写実劇が主流をしめ,20年代にはショーン・オケーシーが《狙撃者の影》(1923初演),《ジューノウと孔雀》(1924初演),《鋤と星》(1926初演)において,対英抗争と内乱の時代を背景に,貧民街労働者たちの悲喜劇を描いて新たな活力を吹きこんだ。イェーツは中期以後も《鷹の井戸》(1916初演)など,日本の能の手法を取り入れた象徴的な伝説劇や寓意劇を書き続け,また演劇活動や内乱時代の体験をふまえて《塔》(1928),《螺旋階段》(1933)など優れた詩集を発表して,世界的な名声を得たが,その中核にはつねにケルト族の神話・伝説が存在している。ジョイスやベケットのような亡命作家たちについても,同様のことが言えるであろう。

 対英武力抗争(1919-21),および独立直後の内戦(1922-23)は,国民文学の展開に屈折をもたらした。詩人たちはイェーツの影響から抜けだして,それぞれの進路を見いだそうとした。クラークAustin Clarke(1896-1974)はゲール語の音楽性を英語の表現に生かして,伝説物語詩《コノートの牛追い》(1921)や,信仰の葛藤を告白する《夜と朝》(1938)を発表,しばらく演劇運動に専念した後,晩年の詩集《古代の光》(1955),《アフリカへの飛行》(1963)等によって現代詩人に変身をとげ,緊迫した文体で身辺の事象を論じた。キャバナPatrick Kavanagh(1904-67)は文芸復興運動の観念性を批判し,詩集《農夫》(1936),長編詩《大飢饉》(1942)で,自己の体験にもとづいて悲惨な農村生活の実体を克明に描いた。デブリンDenis Devlin(1908-59)は《ダーグ湖》(1946)で,宗教的熱情をモダニズム文学の技法に託して表現した。トマス・キンセラ(1928- ),リチャード・マーフィ(1927- ),ジョン・モンタギュー(1929- )らも,伝説や歴史の挿話など従来の題材を新しい技法によって語ろうと試みている。

 小説では,ジョイス,ベケットのほかに,オブライエンFlann O'Brien(1911-66)が《第三の警官》(1940執筆,1967)などで実験的な構成法を試みたが,一般にはリアリズム小説が主流をしめた。オフレアティLiam O'Flaherty(1896-1984)は《密告者》(1925)で動乱当時の都会における裏切りと暴力を描き,《スケレット》(1932)では生れ故郷のアラン諸島を舞台に,司祭に対抗する教師スケレットの没落を,《飢饉》(1937)では1840年代の農村の一家の生活と離散を描くなど,多くの長編や短編を発表した。オコーナーFrank O'Connor(1903-66)は短編集《国民の賓客》(1931)で対英抗争中の悲劇を取りあげ,長編《聖者とメアリー・ケイト》(1932)や《オランダ風俗画》(1940)では,地方小都市の因習に閉じ込められた若い男女の姿を描いた。オフェーロンSean O'Faolain(1900-91)は動乱期のできごとを題材にした短編集《真夏の夜の狂気》(1932)で注目された。長編《素朴な人々の巣》(1933),《はぐれ鳥》(1936),《エリンへ帰れ》(1940)は,周囲の抑圧に反抗し,幻滅し,孤立する人々を描いている。これらの作家たちはそれぞれの仕方でアイルランド人の本性を探り出そうとしたのであるが,その模索は現在もまだ続いていると言えるであろう。
[高松 雄一]

[索引語]
イェーツ,W.B. グレゴリー夫人 アイルランド文芸復興 オグレーディ,S.J. O'Grady,S.J. アイルランド史 アシーンの放浪 ケルトの薄明 ハイド,D. Hyde,D. ゲーリック語連盟 アイルランド文芸劇場 アイルランド国民劇場協会 シング,J.M. ロビンソン,E.S.L. Robinson,E.S.L. オケーシー,S. クラーク,Austin Clarke,A. コノートの牛追い 古代の光 キャバナ,P. Kavanagh,P. 大飢饉 デブリン Devlin,D. ダーグ湖 オブライエン,F. O'Brien,F. オフレアティ,L. O'Flaherty,L. スケレット オコーナー,Frank O'Connor,F. 聖者とメアリー・ケイト オフェーロン,S. O'Faolain,S. エリンへ帰れ
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文庫クセジュ
6年. 『アイルランド ―― 緑の国土と文学』,水之江有一,研究社出版,1994年. 『アイルランド文学史』,尾島庄太郎・鈴木弘,北星堂書店,1977年. 『物
6. アイルランド(共和国)画像
日本大百科全書
ドの若い女性が登場し、イギリスに支配されているアイルランドの惨状を克明に語る。大正期にはアイルランド文学が多く翻訳された。文学者ばかりではなく、日本の保護貿易政
7. アイルランド演劇
世界大百科事典
演劇の最大の部分を占めているのは,この国の不幸な歴史を思えば,当然というべきであろう。→アイルランド文学高橋 康也 イェーツ,W.B. アイルランド文芸劇場 I
8. アイルランド文芸復興
日本大百科全書
アイルランド文学
9. アイルランド文芸復興
世界文学大事典
イルランド人に自国の歴史と文化に目を向ける契機を与え,イェイツ,ジョイスを頂点とする近代アイルランド文学を確立するうえで,大きな役割を果たしたということができる
10. 石田 幸太郎
日本近代文学大事典
~ 1987 英文学者。 京都市嵐山の生れ。旧制三高を経て大正八年京都帝大英文科卒業。専攻アイルランド文学、比較文学。九年、万朝報へ入社、東京の出版社の編集長を
11. 鼬
日本大百科全書
会津方言を基盤にした力動感あふれる独自の台詞(せりふ)運びに定着した作者の出世作である。アイルランド文学の影響が濃い。大島 勉
12. 燕石 猷
日本近代文学大事典
編著に『日夏耿之介詩集』(昭29・6 河出文庫)『詩人日夏耿之介』(昭47・6 新樹社)がある。またアイルランド文学に傾倒、英米詩の翻訳もある。長く三省堂に勤務
13. おじま-しょうたろう【尾島庄太郎】
日本人名大辞典
昭和時代の英文学者。明治32年9月28日生まれ。昭和24年早大教授。のち立正大,明星大教授。アイルランド文学,とくに詩人イエーツの研究で知られ,著作に「イェイツ
14. 尾島 庄太郎
日本近代文学大事典
ォード大学に学んだ。 『イェイツ研究』(昭2・6 泰文社)いらい、イェイツの伝記、訳詩、アイルランド文学関係の著書多数。日本イェイツ協会初代会長をつとめ、詩人と
15. オフェイロン(O'Faoláin, Seán
世界人名大辞典
イギリス贔屓の家に生まれるが,ユニヴァーシティ・カレッジに入学して[1918],英文学,アイルランド文学,イタリア文学を学び,同時にア
16. オフェイロン ショーン
世界文学大事典
小説,短編集,伝記,批評,劇,自叙伝など30作以上の著作を発表する。 オフェイロンは現代アイルランド文学界の大御所として,文化と国家に対する文学の重要性を常に主
17. オブライエン フラン
世界文学大事典
が奇妙に絡み合う独自の世界を形成しており,スターン,ジョイス,ベケットの系譜に連なる現代アイルランド文学においてひときわ異彩を放っている。
18. クラーク オースティン
世界文学大事典
カレッジ卒業。同大学の英文学講師を務めてのち,渡英してジャーナリストになる。1932年にアイルランド文学アカデミーを作り52~54年の間会長。37年ダブリン韻文
19. ケルト伝説
世界文学大事典
の国〉の思想が反映している。11世紀の教会風刺文学『マッコングリニの夢想』には古代・中世アイルランド文学の伝統全体がパロディー化され,ラブレーに先行するヨーロッ
20. 「聖盃」
日本近代文学大事典
て発揮し、詩人日夏耿之介は戯曲『美の遍路』を書き新傾向の和歌連作を発表したり、西条八十がアイルランド文学研究を載せたり、美学者森口多里が戯曲や創作の筆をとったり
21. 日本近代文學における外国文學の移入と影響
日本近代文学大事典
これは明治末の自然主義文学の発展と照応していた。英文学は露仏にだんだんと差をつけられてしまい、大正末のアイルランド文学、昭和一〇年ごろのジョイス、ロレンスの紹介
22. ハイド ダグラス
世界文学大事典
創設,1915年まで会長。ケルト族固有の言語文化の復活と,新しい民族文学の創造に努めた。『アイルランド文学史』A Literary History of Ire
23. バックス(Bax, Sir Arnold Edward Trevor
世界人名大辞典
3〕イギリスの作曲家.王立音楽院に学ぶ[1900-05].W.B.イェイツを中心とする詩人たちと交わり,アイルランド文学に傾倒.ケルトの民話を素材にした作品を数
24. ヒーニー シェイマス
世界文学大事典
中心とする若い詩人の集まりに参加,デレク・マハン,マイケル・ロングリーらヒーニーと共に北アイルランド文学のルネサンスと呼ばれる動きの担い手となった詩人たちと知り
25. 帆足 図南次
日本近代文学大事典
わら、中山と「農民リーフレット」を創刊、アイルランド農民詩などを翻訳。この間の成果は、『アイルランド文学の闘争過程』(昭3・10 思想・教育研究所出版部)にまと
26. 堀 辰雄
日本近代文学大事典
「山繭」に発表したが、それを見てくれた師の芥川龍之介がこの年、突然自殺した。龍之介の松村みね子(アイルランド文学研究家)との恋愛とこの思いがけぬ自殺とは辰雄の上
27. 翻訳文学
日本大百科全書
、ワイルド、ペイター、シュニッツラー、アンドレーエフ、メレシコフスキー、メーテルリンク、アイルランド文学のイェーツ、シング、詩人ではインドのタゴールなどが翻訳紹
28. 松村みね子
日本大百科全書
賞した。歌壇に超然として、純粋な歌境に沈潜した。歌集『翡翠(かわせみ)』(1916)出版後、アイルランド文学の訳業に専念し、その面での開拓者になった。1935年
29. まつむら-みねこ【松村みね子】
日本人名大辞典
佐佐木信綱に師事し,「心の花」に歌文を発表した。明治32年片山貞次郎(のち日銀理事)と結婚。アイルランド文学をまなび,「シング戯曲全集」などの翻訳にあたる。芥川
30. 松村 みね子
日本近代文学大事典
・6)で、芥川龍之介が書評した。『翡翠』刊行のころから、鈴木大拙夫人ビアトリスの指導で、アイルランド文学に親しみ、以後短歌より翻訳に専念して、シングの戯曲『いた
31. 真船豊
日本大百科全書
劇作家。明治35年2月16日福島県に生まれる。早稲田(わせだ)大学英文科在学中アイルランド文学に親しみ、『水泥棒』(1926)、『寒鴨(かんがも)』(1927)
32. 真船 豊
日本近代文学大事典
早大英文科へ進むころ芝居、寄席から遠のき、剣道もやめ、思想的なめざめを体験するが、関東大震災の衝撃ののちアイルランド文学に親しみ、シングの『アラン島』はバイブル
33. 村岡 花子
日本近代文学大事典
「ラジオのおばさん」として人気があった。文筆活動をはじめたのは、東洋英和女学院高等科に在学中のことで、アイルランド文学の翻訳家であり、歌人としても知られた松村み
34. 「游牧記」
日本近代文学大事典
詩作品のほか、イェイツ、ハイド、オショーネシ、ライオネル=ジョンソン、ペイター、モリス等アイルランド文学を主とした英文学およびマラルメ、シュタードラー等一九世紀
35. 吉田 一穂
日本近代文学大事典
。のち靖国神社裏に下宿を変え、近くの大橋図書館で訳書と原書にて英文学に夢中となる。とくにアイルランド文学を好む。同時に、このころより詩ならびに短歌をつくった。七
36. 吉村 鉄太郎
日本近代文学大事典
1945 文芸評論家。 東京生れ。本名片山達吉。東大法学部卒。母ヒロ(広子、松村みね子)は歌人、アイルランド文学研究家、妹総子(宗瑛)は作家。学友の堀辰雄、神西
37. ローチ(James Jeffrey Roche)
日本大百科全書
)は冒険的な小説として人気を博し、詩作でも繊細なユーモアと風刺の才で評価された。共編で『アイルランド文学全集』全10巻(1904)があり、大統領セオドア・ルーズ
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奈良時代の歌学書。藤原浜成(はまなり)著。序、跋(ばつ)によれば、772年(宝亀3)5月勅命により成立。偽作説もあったが、真作と認めうる。最古の歌学書で、とくに歌病(かへい)論は平安時代以降、変化しつつも大きな影響を残した。序によれば書名は『歌式(かしき)』。
倭名類聚抄(和名類聚抄)(世界大百科事典・国史大辞典)
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ラテン文学史(文庫クセジュ)
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