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  11. 神曲

神曲

ジャパンナレッジで閲覧できる『神曲』の集英社世界文学大事典・世界大百科事典のサンプルページ

デジタル版 集英社世界文学大事典 [作品の解説]

親項目アリギエーリ ダンテ
神曲
La Divina Commedia
イタリア
全1万4233行からなる壮大な長編叙事詩で,均整のとれた構成はしばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。「地獄」Inferno,「煉獄(れんごく)」Purgatorio,「天国」Paradisoの3編からなり,各編は33歌から,また各連は3行からなる。「地獄編」の冒頭には,全体の序歌にあたる第1歌が置かれ,結局『神曲』は1+33+33+33=100,すなわち100歌によって構成される。ダンテは三位一体説を奉じて,その文学的表現をこの長編叙事詩において十全に達成しようとした。そのため,1,3,9(=32),10(=32+1),100(=102)といった数字の用い方(10は完全数)が作品の隅々にまで行きわたっている。原題は初め単に『喜劇』CommediaもしくはComedia(現代の発音コンメーディアとは異なり,当時はコンメディーアもしくはコメディーア)と呼ばれていたが,後年になって〈神聖な〉Divinaという形容詞が加えられた。邦訳名の『神曲』は,森鷗外(おうがい)が『即興詩人』(1902)のなかに用いて,また詩人ダンテをめぐって物語の展開する魅力的な章「神曲,吾(わが)友なる貴公子」により,広くわが国の読書界に定着した。なお〈喜劇〉とは,物語の悲しい最後を迎える〈悲劇〉に対して,円満な結末を迎える物語のことである。
神曲』は,詩人ダンテが,生身でありながら,彼岸(ひがん)の旅を成就する物語である。大赦の年すなわち1300年の復活祭に,折しも人生の半ば(35歳)に差しかかった〈私〉ダンテは,暗い森のなかに迷い込んで,聖木曜日の深夜から聖金曜日の未明にかけて地底へ入り,ラテンの大詩人ウェルギリウスに導かれて,地獄の亡者たちのあいだを経巡り,地球の中心まで下って,大魔王ルチーフェロの腰を伝って1回転し,南半球へ出て,煉獄の山を登り,途中,ラテンの詩人スタティウスも加わるが,やがて山頂の地上楽園からは,ベアトリーチェ(恵みを与える女)に天国の至高天まで導かれ,さらに聖ベルナルドが導者となって,天上の純白の薔薇(ばら)の形のうちに三位一体の神秘をかいま見せてくれる。この彼岸の世界への旅は1300年4月8日からほぼ1週間にわたって続くが,読者は主人公のダンテ・アリギエーリと共に,3人の導者たちに連れられて地獄,煉獄,天国の三界を遍歴しながら,しだいに魂の浄化を遂げてゆく。その意味では,カトリシズムによる一大教化の書といってもよい。しかしながら,作品の随所に,教皇を含めた聖職者たちへの熾烈(しれつ)な糾弾も語られ,単なるキリスト教の喧伝(けんでん)の書ではなくなっている。また教皇庁と鋭く対立する亡命者ダンテの政策が掲げられ,政治思想上も故郷フィレンツェ共和国の狭い壁を乗り越えて,ローマ帝国の再建とイタリア半島の政治的統一を企図している。さらにまたアラブ世界を経由した科学思想,前衛的な詩法,神学,スコラ哲学,社会批判の精神等々を,作品のうちに溶かし込み,中世ラテン文化を総決算した書物になっている。
 邦訳には,山川丙三郎,中山昌樹(まさき),生田長江(ちようこう),竹友藻風,野上素一(そいち),平川祐弘(すけひろ),寿岳(じゆがく)文章らの労作があり,批評面では正宗白鳥,矢内原忠雄,杉浦明平(みんぺい),花田清輝(きよてる)らの魅力的な言及もある。しかしながら,概括すれば,上田敏(びん),阿部次郎,あるいは内村鑑三らを出発点として,審美的解釈もしくはキリスト者的接近の仕方が主流を占め,イタリア語原典からダンテ本来の寓意としての〈愛〉をとらえきれないままに,明治,大正,昭和の3代を経てきてしまった,と言ってよいであろう。
(河島英昭)


世界大百科事典

神曲
しんきょく
La Divina Commedia

中世末期からルネサンスにかけてのイタリアの大詩人ダンテの代表作。全1万4233行からなる叙事詩。1302年に故郷フィレンツェを追放されてから,流浪の生活のなかで07年ころから書き始めて最晩年に完成した。原題は《喜劇Commedia》(〈悲劇〉に対して円満な結末を迎えるため)であり,〈神聖なdivina〉という形容詞は後年に付加されたものである。なお,邦訳名《神曲》は森鷗外が《即興詩人》のなかに用いて以来,今日のごとく定着した。

 ダンテは三位一体説を奉じて,その文学的発露をこの長編叙事詩に求めたため,1,3,10(=32+1),100(=102)などの数字(10は完全数)が作品の隅々にまで行きわたって,均斉のとれた大聖堂にも似た構造をつくりあげている。全3篇(地獄,煉獄,天国),各篇33歌。ただし,〈地獄篇〉の冒頭に序歌が加わり,都合100歌。詩型は3行を1連とする三行韻詩で,脚韻はaba,bcb,cdc,……と鎖状につながり,各行11音節。地獄,煉獄,天国の各篇とも〈星stella〉という言葉で結ばれている。

 主題は,生身の人ダンテが彼岸の世界の旅を成就することにある。大赦の年1300年の復活祭に,おりしも人生の半ば(35歳)にあった詩人が,暗い森に迷いこみ,聖木曜日から聖金曜日にかけての夜に始まり,1週間の三界遍歴を行う。まず地獄から煉獄の一部までをラテンの大詩人ウェルギリウスがダンテを導き,地上楽園から天国の至高天までをベアトリーチェが導いて,最後に聖ベルナルド(クレルボーのベルナール)が3人目の案内役となって天上の純白の薔薇の形のうちに三位一体の神秘を示す。地獄は漏斗状の九つの圏谷から成り,ダンテはウェルギリウスに導かれて,左へ左へと谷間をまわって底へ下りてゆくが,各谷間にひしめく亡霊たちの責苦は苛酷さを増してゆく。そしてダンテを流浪の旅へと追いやった故郷フィレンツェの敵(かたき)たちが,あるいは教皇が,聖職者が,君侯が,悲惨な汚濁のなかにいる。

 このような〈地獄篇〉の生々しい叙述は,古来,洋の東西を問わず,読む人びとの心に激しい衝撃を与えて,たとえばイタリアの文学史家デ・サンクティスのごとく,あるいは内村鑑三,正宗白鳥,阿部次郎のごとく,他の2篇よりも〈地獄篇〉に偏った言及がなされてきた。北川冬彦の〈地獄篇〉翻案はその顕著な例である。しかしながらダンテは,現実的で肉体的な〈地獄篇〉〈煉獄篇〉から,空想的で精神的な〈天国篇〉までの3篇を,等しい比重で遍歴するうちに,読者の魂が教化されることを意図している。そして〈天国篇〉が,若き日の詩人の見神の体験を踏まえた《新生》と同工異曲である点にも留意して,《神曲》全体を寓意としての〈愛〉の表出ととらえねばならないであろう。邦訳には1914-22年の山川丙三郎による訳業以来,平川祐弘,寿岳文章らの労作があり,第2次大戦中の最も困難な時代に深く傾倒して《神曲》を語ったものに矢内原忠雄の《土曜学校講義》3巻(1968-72)がある。
[河島 英昭]

[索引語]
La Divina Commedia ダンテ 森鷗外 地獄篇 矢内原忠雄 土曜学校講義
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1. 神曲
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2. 神曲
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迎えるため)であり,〈神聖なdivina〉という形容詞は後年に付加されたものである。なお,邦訳名《神曲》は森鷗外が《即興詩人》のなかに用いて以来,今日のごとく定
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40. イタリア文学
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41. イタリア文学
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42. いつく〓し【厳・慈・美】
日本国語大辞典
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人たちと会い論議する形式をとっている。これはマアッリーの作品『ゆるしの書』,あるいはダンテの『神曲』の先駆的作品と見なされている。後者でも彼は優れた詩論を展開し
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*文明本節用集〔室町中〕「韋編三絶 イヘンミタビタツ」*ダンテについて〔1927〕〈正宗白鳥〉一「ケリー英訳の『神曲』を座右に置いてゐる。葦篇(ヰヘン)三たび絶
47. 韋編三度絶つ
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48. いわつきじょうあと【岩槻城跡】埼玉県:岩槻市/岩槻城下地図
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二の丸は本丸と空堀を隔てた東側にあり、この東に竹沢曲輪がある。総面積は二千七二四坪、出入口は車橋・天神曲輪門・竹沢曲輪口がある。建物は二の丸御殿と武具蔵がそれぞ
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ふだにも恐ろしき彼の暗黒のいんへるの」【二】(Inferno )《インフェルノ》ダンテの作品「神曲」中の「地獄編」。[発音]〓[ヘ]
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「神曲」の情報だけではなく、「神曲」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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