NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 歌舞伎・狂言・落語
  10. >
  11. 歌舞伎舞踊

歌舞伎舞踊

ジャパンナレッジで閲覧できる『歌舞伎舞踊』の新版 歌舞伎事典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典

歌舞伎舞踊
かぶきぶよう
 歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。
【歴史】
 歌舞伎舞踊は、中世末期の風流ふりゅう踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も、女性芸能一切の禁止で出現した若衆歌舞伎も、その中心はレビュー式の〈総“踊”‐大踊〉であった。若衆歌舞伎から、その禁止後に登場する野郎歌舞伎になる頃、“舞”の系統が注入され、さらに女方の発生により若衆から女方に舞踊の中心が移り、元禄期(1688‐1704)に、劇的な“振”の物真似要素を加えた〈所作事〉が確立する。次の享保(1716‐)から宝暦期(‐1764)に女方舞踊全盛期を迎え、石橋物、道成寺物の名作が生まれる。宝暦以後、豊後系浄瑠璃〈常磐津・富本〉などの発達とともに天明期(1781‐9)に〈狂言浄瑠璃〉といわれる舞踊劇が完成する。やがて文化・文政期(1804‐1830)から幕末にかけて〈変化物〉流行の時代。この特色は、バラエティーのある小品舞踊を組み合わせたもので、三変化から一二変化に及ぶ作品を一人で踊りわけるものである。これらの一部が単独で残り、現在の日本舞踊作品の中心になっている。明治になると、演劇改良運動などによる高尚化の波にのって、能狂言に取材した〈松羽目物〉が登場する。この後、新舞踊運動が起こり、歌舞伎をはなれて、日本舞踊家が独立輩出する。
【種類】
 歌舞伎舞踊を大別すると、劇舞踊と純舞踊に分けられる。前者はテーマをもつ演劇性の強い舞踊で、後者はテーマのない風俗描写を主眼としたものである。さらに詳細にみるとさまざまの分類法がある。様式上、題材上からは、祝儀物、三番叟物、道成寺物、石橋物、浅間物、丹前物、草摺引物、蜘蛛舞物、道行物、松風物、曾我物、山姥物、椀久物、拍子舞物、男舞物、変化物、松羽目物、狂乱物、風俗物、祭礼物、最近は素踊物などがある。また興行形態から、儀式舞踊、顔見世物、大切物と区別される。
 伴奏音楽を基準にすると、長唄物(歌い物系統)と浄瑠璃物(語り物系統)に二大別されるが、地方の〈掛合〉という形式もみられる。
【構成】
 歌舞伎舞踊の一曲の構造は、基本的には一定の原則がある。舞楽・能の序破急の理論に基づき、一曲の構成は次の表の形式が原則となる。文章構造にも通じるものがある。
オキ(置唄・置浄瑠璃)
出(出端(では))――道行
クドキまたは語り(物語)
踊り地
チラシ(段切れ)
 〈オキ〉は舞台を空にして唄を聞かせる部分。〈出〉人物の登場・紹介の部分。花道で道行となることもある。〈クドキ〉女が男への恋情を振に表現する眼目の部分。男の場合は、〈語り〉で戦の物語を踊る。〈踊り地〉は太鼓地ともいい賑やかな鳴物入りの手踊、総踊となる。
 〈チラシ〉終局の場面。段切れで舞台上の見得で終わることもあり、花道引込みの場合もある。
[西形 節子]


世界大百科事典

歌舞伎舞踊
かぶきぶよう

歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。

歴史

歌舞伎舞踊は,中世末期の風流(ふりゆう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので,出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も,女性芸能いっさいの禁止で出現した若衆歌舞伎も,その中心はレビュー式の〈総“踊”-大踊〉であった。若衆歌舞伎から,その禁止後に登場する野郎歌舞伎になるころ,“舞”の系統が注入され,さらに女方の発生により若衆から女方に舞踊の中心が移り,元禄期(1688-1704)に,劇的な“振り”の物真似要素を加えた〈所作事〉が確立する。次の享保から宝暦期(1716-64)に女方舞踊全盛期を迎え,石橋(しやつきよう)物,道成寺物の名作が生まれる。宝暦以後,豊後系浄瑠璃〈常磐津,富本〉などの発達とともに天明期(1781-89)に〈狂言浄瑠璃〉といわれる舞踊劇が完成する。やがて文化・文政期(1804-30)から幕末にかけては〈変化(へんげ)物〉流行の時代。変化物は,バラエティーのある小品舞踊を組み合わせたもので,三変化から十二変化に及ぶ作品を1人で踊りわけるものである。この一部が単独で残り,現在の日本舞踊作品の中心になっている。明治になると演劇改良運動などによる高尚化の波にのって,能狂言に取材した〈松羽目物〉が登場する。この後,新舞踊運動が起こり,歌舞伎をはなれて,日本舞踊家が独立輩出する。

種類

歌舞伎舞踊を大別すると,劇舞踊と純舞踊に分けられる。前者はテーマを持つ演劇性の強い舞踊で,後者はテーマのない風俗描写を主眼としたものである。さらに詳細にみるとさまざまの分類法がある。様式上,題材上からは,祝儀物,三番叟物,道成寺物,石橋物,浅間物,丹前物,草摺引物,蜘蛛舞物,道行物,松風物,曾我物,山姥物,椀久物,拍子舞物,男舞物,変化物,松羽目物,狂乱物,風俗物,祭礼物,最近は素踊物などがある。また興行形態から,儀式舞踊,顔見世物,大切物と区別される。伴奏音楽を基準にすると,長唄物(歌い物系統)と浄瑠璃物(語り物系統)に二大別されるが,地方の〈掛合〉という形式もみられる。

構成

歌舞伎舞踊の1曲の構造は,基本的には一定の原則がある。舞楽・能の序破急の理論に基づき,1曲の構成は次の表の形式が原則となる。文章構造にも通じるものがある。

 〈オキ〉は舞台を空にして唄を聞かせる部分。〈出〉は人物の登場・紹介の部分。花道で道行となることもある。〈クドキ〉は女が男への恋情を振りに表現する眼目の部分。男の場合は,〈語り〉で戦の物語を踊る。〈踊り地〉は太鼓地ともいい賑やかな鳴物入りの手踊,総踊となる。

 〈チラシ〉は終局の場面。段切れで舞台上の見得で終わることもあり,花道引込みの場合もある。
[西形 節子]

[索引語]
所作事 女方舞踊 狂言浄瑠璃 変化(へんげ)物 松羽目物 オキ クドキ(口説) 踊り地 太鼓地 チラシ
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


歌舞伎舞踊の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 516
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 歌舞伎舞踊
世界大百科事典
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。 歴史 歌舞伎舞踊は,中世末期の風流(ふりゆう)踊という民俗舞踊を
2. かぶき‐ぶよう【歌舞伎舞踊】
日本国語大辞典
〔名〕歌舞伎芝居で歌舞伎役者によって演じられた舞踊。上方舞などお座敷舞踊に対する語。[発音]カブキブヨー〓[ブ]
3. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
国史大辞典
舞と踊りを総合した歌舞伎の舞踊で日本舞踊の代表。出雲阿国(いずものおくに)が始めたころから若衆歌舞伎時代までは、風流踊り系統の踊りが中心であった。野郎歌舞伎時
4. かぶきぶよう【歌舞伎舞踊】
歌舞伎事典
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】 歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊
5. 歌舞伎舞踊
日本大百科全書
→日本舞踊
6. 相生獅子
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。長唄。本名題《風流相生獅子》。1734年(享保19)3月江戸中村座,初世瀬川菊之丞により初演。作詞初世瀬川路考か。作曲7世杵屋喜三郎。現存最古の石橋
7. あいおいじし【相生獅子】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。長唄。本名題《風流相生獅子》。享保一九(1734)年三月江戸・中村座初演。初世瀬川菊之丞。作詞初世瀬川路考か。作曲七世杵屋喜三郎。現存最古の石橋物
8. 合方
世界大百科事典
く。相手役,相手方をいう場合と,楽曲あるいは楽曲部分の分類名として用いる場合とがある。まず歌舞伎舞踊では,2人以上で踊る場合の相手役,とくに主役から見た準主役を
9. あいかた‐もの[あひかた‥]【相方物】
日本国語大辞典
〔名〕相手のある踊りで、二人が対等に踊るもの。主として歌舞伎舞踊でいう。[発音]〓[0]
10. 悪太郎
世界大百科事典
〈悪〉は,悪たれ,乱暴者の意。類曲に《悪坊》がある。羽田 昶(2)狂言《悪太郎》に取材した歌舞伎舞踊,長唄。1924年6月東京市村座初演。悪太郎=2世市川猿之助
11. 明烏
世界大百科事典
(1)歌舞伎舞踊。新内と清元が有名。1772年(安永1)初世鶴賀若狭掾が作曲した《明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)》が新内の名曲として流布し,1851年(
12. あけがらす【明烏】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。新内と清元が有名。安永一(1772)年初世鶴賀若狭掾が作曲した《明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)》が新内の名曲として流布し、嘉永四(1851
13. 浅妻船
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。長唄。1820年(文政3)9月江戸中村座で3世坂東三津五郎が初演。七変化《月雪花名残文台(つきゆきはななごりのぶんだい)》の一つ。本名題《浪枕月浅妻
14. 浅間物
世界大百科事典
歌舞伎舞踊の一系統。1698年(元禄11)2月,京都の東山で信州浅間明神の開帳があった。これを当て込んで諏訪家のお家騒動を背景とし,終局に東山開帳の場を配した《
15. あさまもの【浅間物】
国史大辞典
歌舞伎舞踊の一系統。元禄十一年(一六九八)初演(京都)『けいせい浅間嶽』の、小笹巴之丞が遊女奥州と取りかわした起請を焼くと、煙の中から奥州の生霊が現われて恨み
16. あさまもの【浅間物】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊の一系統。元禄一一(1698)年二月、京都の東山で信州浅間明神の開帳があった。これを当て込んで、諏訪家のお家騒動を背景とし、終局に〈東山開帳の場〉を
17. あつみせいたろう【渥美清太郎】
国史大辞典
『歌舞伎大全』(同十八年)、『日本演劇辞典』(同十九年)、『六代目菊五郎評伝』(同二十五年)、『歌舞伎舞踊』(同三十一年)、『日本舞踊史』(同三十三年)など、編
18. あづま-とくほ【吾妻徳穂】画像
日本人名大辞典
り4代目家元となる。17年徳穂と改名。戦後夫の藤間万三哉と「アヅマカブキ」を結成し,欧米に歌舞伎舞踊を紹介。61年芸術院会員。平成3年文化功労者。平成10年4月
19. あべの-やすな【安倍保名】
日本人名大辞典
狐の化身の女とむすばれ,生まれた子が安倍晴明とされる。この話は義太夫「芦屋道満大内鑑(かがみ)」や歌舞伎舞踊「保名」などを生んだ。
20. 海人(士)
世界大百科事典
能,地歌,長唄,歌舞伎舞踊の曲名。(1)能の曲名。観世流は〈海士〉と書く。五番目物。世阿弥以前の作。シテは海人の女の霊。大臣藤原房前(ふささき)(子方)は生母が
21. 綾踊
世界大百科事典
風流(ふりゆう)踊(風流)のうち踊り手が千鳥掛けに入れかわる曲を称するところもある。(2)歌舞伎舞踊でも《小原女》などに綾竹を用いる振りが残るが《子守》などでは
22. 操り
世界大百科事典
〈操り狂言〉と呼ぶようになって,本来の糸操りはかえって〈南京操り〉として区別された。しかし歌舞伎舞踊の《操三番叟》のように,糸操りを意味する用例も皆無ではない。
23. 操三番叟
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。長唄。1853年(嘉永6)2月江戸河原崎座初演。本名題《柳糸引御摂(やなぎのいとひくやごひいき)》。大坂の2世嵐璃珏(りかく)の江戸下りのお目見得狂
24. あやつりさんばそう【操三番叟】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。長唄。嘉永六(1853)年二月江戸・河原崎座初演。本名題《柳絲引御摂(やなぎのいとひくやごひいき)》。大坂の二世嵐璃
25. 淡島信仰
世界大百科事典
東京浅草寺境内の淡島堂はこの日,参詣客でにぎわう。蛸島 直 淡島物 淡島信仰の普及に伴い,淡島願人の風俗が歌舞伎舞踊の中にとりいれられて成立した一群の作品をいう
26. あわしまもの【淡島物】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊の一系統。淡島というのは和歌山市の加太(かだ)神社の俗称。この神社の祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)などで婦人病に霊験があるといわれ、婦人に縁
27. 粟餅
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。常磐津。本名題《花競俄曲突(はなのほかにわかのきよくづき)》。1845年(弘化2)正月江戸中村座初演。4世中村歌右衛門,2世市川九蔵(後の6世団蔵)
28. 茨木
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。長唄。新古演劇十種の一つ。1883年4月東京新富座初演。作詞河竹黙阿弥,作曲3世杵屋(きねや)正次郎,振付初世花柳寿輔ほか。配役は茨木童子を5世尾上
29. いばらき【茨木】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。長唄。新古演劇十種の一。明治一六(1883)年四月東京・新富座初演。作詞河竹黙阿弥、作曲三世杵屋正次郎、振付初世花柳寿輔ほか。配役は茨木童子=五世
30. 浮かれ坊主
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。清元。原曲の常磐津《願人坊主》は,1811年(文化8)3月江戸市村座で3世坂東三津五郎により初演された。七変化《七枚続花の姿絵(しちまいつづきはなの
31. うかれぼうず【浮かれ坊主】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。清元。原曲は常磐津の《願人坊主》。文化八(1811)年三月江戸・市村座で三世坂東三津五郎により初演。七変化《七枚続花の姿絵(しちまいつづきはなのす
32. うきよ‐おどり[‥をどり]【浮世踊】
日本国語大辞典
〔名〕(「浮世」は当世の意)元祿時代(一六八八~一七〇四)の終り頃から流行した歌舞伎舞踊の一つ。*評判記・役者口三味線〔1699〕京・大和屋甚兵衛「此人ひゃうし
33. うしろ‐めん【後面】
日本国語大辞典
〔名〕(1)歌舞伎舞踊の一つ。後頭部にも面を付け、身体の前後をそれぞれ別の役に演じ分ける趣向。享保一七年(一七三二)に佐渡島長五郎が「釣狐」を所作事化したときに
34. 後面
世界大百科事典
歌舞伎舞踊の一技法および,その技法を用いた舞踊曲の略称。演者が後頭部に面をつけ,一人で二役を踊り分けること。古くから多く演じられてきたのは,狂言《釣狐》に想を得
35. うしろめん【後面】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊の一技法。演者が後頭部に面をつけ、一人で二役を踊り分けること。古くから多く演じられてきたのは、狂言《釣狐》に想を得て白蔵主と狐を踊り分ける趣向で、佐
36. 靱猿
世界大百科事典
つけ,モンパと称するぬいぐるみを着用する。この役はしばしば幼年の演者が初舞台に演ずる。羽田 昶(2)歌舞伎舞踊。常磐津。1838年(天保9)江戸市村座の顔見世興
37. うつぼざる【靭猿】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。常磐津。天保九(1838)年江戸・市村座顔見世興行で初演。本名題《花舞台霞の猿曳(はなぶたいかすみのさるひき)》。演者は猿曳=四世中村歌右衛門、女
38. 浦島
世界大百科事典
与えなどする(〈ノリ地〉)。聞き所はクセ。後場は変化の多いにぎやかな場面。横道 万里雄(2)歌舞伎舞踊。長唄。1828年(文政11)3月江戸中村座初演。中村芝翫
39. 越後獅子
日本大百科全書
うとうが作曲。のち、箏曲そうきょくに編曲され、生田いくた、山田の両流で行われている。(2)歌舞伎舞踊。長唄ながうた。篠田しのだ金次作詞、9世杵屋きねや六左衛門作
40. 越後獅子
世界大百科事典
山村流では初世山村友五郎の振付。着流しと衣装付きとあり,二人立ちのこともある。平野 健次(3)歌舞伎舞踊。長唄。本名題《遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななも
41. えちごじし【越後獅子】
国史大辞典
中心とし、歌詞には越後名物のさまざまをよみ込んでいる。三下りで、箏は雲井から半雲井。 (三) 歌舞伎舞踊。長唄。文化八年三月、三代目中村歌右衛門が江戸中村座で上
42. えちごじし【越後獅子】 : 越後獅子/(三)
国史大辞典
(三) 歌舞伎舞踊。長唄。文化八年三月、三代目中村歌右衛門が江戸中村座で上演した七変化の所作事『遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)』のなかの一曲。門
43. えちごじし【越後獅子】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。長唄。本名題《遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)》。作詞篠田金治。作曲九世杵屋六左衛門。振付初世市山七十郎。文化八(1811)年三月江戸
44. えどきんせいぶようし【江戸近世舞踊史】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊の史的研究書。九重左近著。昭和四(1929)年一二月刊。一冊。年代的叙述をさけ、複雑多岐にわたる歌舞伎舞踊をジャンル別一五項目に整理分類して、これに
45. えんげき【演劇】
国史大辞典
え、仏会のときの行列芸能)の記帳、郷土芸能の伎楽系獅子舞やその流れをくむ能の『石橋』もの、歌舞伎舞踊の獅子ものなどは、伎楽の残存形態である。ついで入ってきたのは
46. えんげき【演劇】 : 演劇/〔大陸芸能輸入時代(五―七世紀)〕
国史大辞典
え、仏会のときの行列芸能)の記帳、郷土芸能の伎楽系獅子舞やその流れをくむ能の『石橋』もの、歌舞伎舞踊の獅子ものなどは、伎楽の残存形態である。ついで入ってきたのは
47. 扇
世界大百科事典
節舞(ごせちのまい)や巫女舞(みこまい)など),中啓(能のシテやワキなどの役,歌舞伎狂言,歌舞伎舞踊の時代物),末広(神楽舞,近代の舞踊,仕舞や狂言などの小道具
48. 桜梅会[付録]
歌舞伎事典
一門京屋会の協力によるもので、代表は中村京妙、中村京蔵。 昭和55年丸の内日本工業倶楽部。 初期は歌舞伎舞踊を主体としたが、近年は歌舞伎狂言を上演するようになっ
49. 大森彦七
世界大百科事典
歌舞伎舞踊。常磐津・義太夫。作詞福地桜痴,作曲岸沢仲助。1897年10月東京明治座初演。彦七を9世市川団十郎,千早姫を市川女寅(後の6世門之助)。《太平記》によ
50. おおもりひこしち【大森彦七】
歌舞伎事典
 歌舞伎舞踊。常磐津・義太夫。作詞福地桜痴。作曲岸沢仲助。明治三〇(1897)年一〇月東京・明治座初演。彦七=九世市川団十郎、千早姫=市川女寅(後の六世門之助)
「歌舞伎舞踊」の情報だけではなく、「歌舞伎舞踊」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

歌舞伎舞踊と同じ歌舞伎・狂言・落語カテゴリの記事
歌舞伎(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎という表記は当て字であるが、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(伎芸)をそれぞれ意味し、日本独自の様式的演劇の特質を巧まずして表現しているため、今日では広く用いられている。かつて江戸時代には「歌舞妓」と書かれるのが普通であったが、もっと古くは「かぶき」と仮名で書かれた
下座音楽(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
歌舞伎の演出に、効果・修飾・背景・伴奏音楽として、原則として黒御簾で演奏される歌舞伎囃子の通称。〈黒御簾音楽〉〈陰囃子〉(略して〈黒御簾〉〈陰〉とも)などの別称がある。ただし〈陰囃子〉は、狭義に、出囃子・出語りについて黒御簾の中で演奏される鳴物を意味することが多い
江戸三座(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが
野郎歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
若衆歌舞伎の禁令以後、前髪を剃って、野郎頭となった男たちの歌舞伎、という意味で、承応一(1652)年ごろから、いわゆる元禄歌舞伎時代まで二十数年間をふつうに野郎歌舞伎時代と呼ぶ。若衆歌舞伎の少年の前髪を剃り落とされたので、以後は成人男子の役者
若衆歌舞伎(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
前髪立ちの美少年の魅力を中心とした歌舞伎。慶長八(1603)年四月に出雲のお国が歌舞伎踊を創始したが、その同じ年の九月には、五歳の童男の歌舞伎が宮中に招かれたという記録があるので、少年の歌舞伎はきわめて早くから行われていたことが知れる。
歌舞伎・狂言・落語と同じカテゴリの記事をもっと見る


「歌舞伎舞踊」は文化に関連のある記事です。
その他の文化に関連する記事
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
日本舞踊(日本大百科全書・世界大百科事典)
邦舞ともよび、西洋舞踊(洋舞)と大別される。広義には、舞楽(ぶがく)、能(のう)、歌舞伎(かぶき)舞踊(古典舞踊)、新舞踊、創作舞踊、民俗舞踊(郷土舞踊)などをいう。狭義には、これらのうち一般的によく知られている歌舞伎舞踊をいうことが多い。「舞踊」と
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
文化に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶