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  11. 江戸三座
新版 歌舞伎事典・日本大百科全書

新版 歌舞伎事典
江戸三座
えどさんざ
 江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が廃絶、以降明治に至るまで三座に限って興行が公認された。中村座は堺町、市村座は葺屋町、森田座は木挽町において興行したが、天保の改革によって、天保一二年(1841)から一三年にかけて浅草の聖天町へ集められた。その地を猿若町と改名し、以後明治まで興行が行われた。中村座は中村勘三郎、森田座は森田勘弥、市村座は市村羽(宇)左衛門が基本的に代々座元として興行権を持っていたが、この三座に経済的な支障が生じ興行を継続できない事態になった折は、控櫓(仮櫓)によって興行が行われた。享保二〇(1735)年、森田座にかわり河原崎座が興行したのがはじめで、中村座には都座、市村座には桐座が控櫓として存在した。
市村座猿若町中村座森田座山村座
[近藤 瑞男]

江戸三座
堺町の中村座と葺屋町の市村座の賑わい。向い側に操り座がある。裏通りは楽屋新道と呼ばれた。《江戸名所図絵》より




日本大百科全書
江戸三座
えどさんざ

江戸の歌舞伎(かぶき)劇場のうち、興行権の官許を得た三つの座、中村座、市村座、森田座のこと。中村座は1624年(寛永1)初世中村(猿若(さるわか))勘三郎が猿若座の名で中橋南地(なかはしなんち)(現在の中央区京橋)に開場したのが始まりである。1632年禰宜(ねぎ)町(日本橋堀留町)に移転、1651年(慶安4)から堺町(さかいちょう)(日本橋人形町)に移り、代々の勘三郎が座元を務めた。市村座は1634年村山又三郎(またさぶろう)が堺町(のちに葺屋(ふきや)町)に創設した村山座が前身で、その後市村家に座元が譲られ、代々の市村羽左衛門(うざえもん)が経営にあたった。森田座は1660年(万治3)森田太郎兵衛が木挽町(こびきちょう)(東銀座)に開場、翌年(寛文1)から森田勘弥(かんや)に座元を譲り、以後代々の勘弥が興行を続けた。
 初期には、ほかに都(みやこ)座、山村座、玉川座、桐(きり)座、河原崎(かわらさき)座などが興亡のすえ、承応(じょうおう)・明暦(めいれき)(1652~58)のころには中村、市村、森田、山村の四座だけが興行権を与えられ「大芝居(おおしばい)」と称した。その後1714年(正徳4)山村座の俳優生島新五郎(いくしましんごろう)と奥女中絵島(えじま)の事件により同座が廃絶を命ぜられて以後は、中村、市村、森田の三座のみが官許の劇場になり、「江戸三座」とよばれるようになった。なお、三座に支障のあるときは、かわりの劇場が興行権を代行する「控櫓(ひかえやぐら)」の制度が認められ、中村座には都座、市村座には桐座、森田座には河原崎座がそれぞれ控櫓と定められた。
 1841年(天保12)中村、市村両座の火災を機に、水野忠邦(ただくに)の緊縮政策により、翌年から翌々年にかけ三座は浅草猿若町に移転した。明治になると三座の制度は廃止された。中村座は1875年(明治8)から中村家を離れ座名もしばしば変わり、84年には浅草新鳥越(しんとりごえ)に移り、92年から鳥越座と称したが、翌年1月類焼して絶えた。市村座も市村家の手から離れ、1892年には下谷二長町(したやにちょうまち)に移り、1908年(明治41)から田村成義(なりよし)の経営による若手歌舞伎で人気をよんだが、大正後期以後は衰え、1932年(昭和7)5月に焼失した。森田座は1856年(安政3)守田座と改名した。明治になると12世守田勘弥が都心進出を企て1872年新富町(しんとみちょう)に移し、75年には新富座と改称、翌年類焼したのを機に近代的機構を加えた大劇場として77年4月に再開。9世市川団十郎、5世尾上(おのえ)菊五郎らの名優を擁し、明治歌舞伎の最盛期を生んだが、1909年(明治42)には松竹合名社の手に移り、23年(大正12)の関東大震災で焼失、以後再建されなかった。
[松井俊諭]


中村座[百科マルチメディア]
中村座[百科マルチメディア]
江戸三座の一つ、中村座を描いた錦絵。人々でにぎわう入口付近のようす(下)と満員の劇場内部(上)が描かれている。歌川豊国画『三芝居之図』 六枚続き 1817年(文化14) 国立国会図書館所蔵

市村座の当振舞[百科マルチメディア]
市村座の当振舞[百科マルチメディア]
江戸三座の一つ、市村座の当振舞(あたりぶるまい)(大入りになったときに興行主が役者や座員などをもてなすこと)のようす。楽屋で飲食する俳優たちが名入りで描かれている。歌川国貞画『ふき屋町市村座大入あたり振舞楽屋之図』 三枚続 国立国会図書館所蔵

森田座の芝居番付[百科マルチメディア]
森田座の芝居番付[百科マルチメディア]
江戸三座の一つ、森田座の興行『壮色雙蝶蝶(はなのいろふたつちょうちょう)』の番付。上演場所、演目、舞台面の絵や配役などが記されている。写真は草稿。1857年(安政4) 国立国会図書館所蔵
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1. 江戸三座画像
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)の事件により同座が廃絶を命ぜられて以後は、中村、市村、森田の三座のみが官許の劇場になり、「江戸三座」とよばれるようになった。なお、三座に支障のあるときは、かわ ...
2. 江戸三座
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江戸で公許された中村座,市村座,森田座(のち守田座)の三芝居。元禄期(1688-1704)には山村座を含め四座存在したが,1714年(正徳4),江島生島事件によ ...
3. えど‐さんざ【江戸三座】
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4. えどさんざ【江戸三座】
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島・生島事件によって山村座が廃絶、中村・市村・森田の三座だけが興行を許されることになり、以後江戸三座と呼ばれるようになった。いわば幕府の庇護により独占的興行を続 ...
5. えどさんざ【江戸三座】
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 江戸で公許された中村座、市村座、森田座の三芝居。元禄期(1688‐1704)には山村座を含め四座存在したが、正徳四(1714)年、江島生島事件によって山村座が ...
6. 浅草画像
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、新吉原近くの浅草猿若町(さるわかちょう)に中村座、市村座、河原崎座(のち森田座、守田座)の江戸三座が移転し、芝居街を形成した。地域の中央に浅草寺があり、その周 ...
7. あさくさ【浅草】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
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縁日などを通じて年間多くの参詣客を集め、また門前町(仲店または仲見世)も発展した。さらに幕末に江戸三座(中村座・市村座・新富座)の芝居小屋が隣接する浅草猿若町に ...
8. あさくささるわかまちいつちようめ【浅草猿若町一丁目】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
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六二四)に猿若(のち中村)勘三郎が開設した猿若座が始まりで、のち中村座と改めた。歌舞伎芝居の江戸三座の筆頭で、当町名も江戸芝居の始祖といわれたこの猿若勘三郎の名 ...
9. あさくささるわかまちさんちようめ【浅草猿若町三丁目】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
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(一八四二)の成立で、三丁目には森田座の控櫓河原崎座が木挽町五丁目(現中央区)から移転した。江戸三座の一つ森田座は万治三年(一六六〇)の創設。寛文元年(一六六一 ...
10. あさくささるわかまちにちようめ【浅草猿若町二丁目】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
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11. 浅草に江戸芝居小屋をつくる会[演劇]
イミダス 2017
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12. あな【穴・孔】
日本国語大辞典
)芝居や寄席などで、大入り満員の際、ぽっかりあいた空席。*伝奇作書〔1851〕後集・上「中古江戸三座通詞の事〈略〉穴とは(土間桟敷の明てある事)」(ハ)芝居で花 ...
13. い‐すわり[ゐ‥]【居坐・居据】
日本国語大辞典
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14. 市村羽左衛門画像
日本大百科全書
歌舞伎(かぶき)俳優、座元。古くは宇左衛門の字を使う。江戸三座の一つ市村座の座元の名跡(みょうせき)で、市村座の前身村山座の座元村山又三郎(またさぶろう)と村山 ...
15. 市村座画像
日本大百科全書
歌舞伎(かぶき)劇場。江戸三座の一つ。1634年(寛永11)に村山又三郎(またさぶろう)が堺町(さかいちょう)(のちに葺屋(ふきや)町)に建てた村山座が始まりで ...
16. 市村座
世界大百科事典
歌舞伎劇場。江戸三座の一つ。創立経過は明確にならない部分が多いが,1634年(寛永11)に村山又三郎が創立した村山座の興行権を,3代市村宇左衛門が譲り受け,67 ...
17. いちむら‐ざ【市村座】
日本国語大辞典
歌舞伎劇場。江戸三座の一つ。寛永一一年(一六三四)村山又三郎が村山座として江戸葺屋町(東京都中央区日本橋堀留町一丁目)に創立。承応元年(一六五二)以降寛文七年( ...
18. いちむらざ【市村座】
国史大辞典
から興行権を譲りうけ市村座と改称。代々の羽左衛門が座元を勤め、江戸の「大芝居」として栄えた。江戸三座の一つ。天明四年(一七八四)九代目(座元七代目)羽左衛門は負 ...
19. いちむらざ【市村座】
歌舞伎事典
 歌舞伎劇場。江戸三座の一つ。創立経過は明確にならない部分が多いが、寛永一一(1634)年に村山又三郎が創立した村山座の興行権を、初世市村宇左衛門が譲り受け、寛 ...
20. いちむらざあと【市村座跡】東京都:中央区/旧日本橋区地区/葺屋町地図
日本歴史地名大系
[現]中央区日本橋人形町三丁目 葺屋町にあった歌舞伎劇場で、江戸三座の一座。寛永一一年(一六三四)三月、村山又三郎が泉州堺(現大阪府堺市)から江戸に下り、官許を ...
21. 市村座の当振舞[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
江戸三座の一つ、市村座の当振舞(あたりぶるまい)(大入りになったときに興行主が役者や座員などをもてなすこと)のようす。楽屋で飲食する俳優たちが名入りで描かれてい ...
22. いわい-きよたろう【岩井喜代太郎(初代)】
日本人名大辞典
享保(きょうほう)-元文(1716-41)ごろ京都の舞台で若女方をつとめる。寛保(かんぽう)3年から江戸三座に女方として出演し人気をえた。娘役にすぐれ,小唄にも ...
23. 岩井半四郎画像
日本大百科全書
1836)、および次男で紫若(しじゃく)の半四郎とよばれた7世(1804―1845)とともに江戸三座の立女方として君臨し、「大太夫(おおだゆう)」と称された。古 ...
24. 岩井半四郎
世界大百科事典
22年(文政5)11月には,半四郎が江戸市村座,長男2世粂三郎が中村座,次男岩井紫若が江戸森田座と,それぞれが江戸三座の立女方(たておやま)をつとめ,岩井家全盛 ...
25. いわい-はんしろう【岩井半四郎(5代)】
日本人名大辞典
4代岩井半四郎の子。文化元年5代を襲名。文政5年長男の2代岩井粂三郎と次男の初代岩井紫若のふたりの子とともに江戸三座の立女方を独占した。4代鶴屋南北の生世話物( ...
26. うたがわくにさだ【歌川国貞】
歌舞伎事典
画(あおとぞうしはなのにしきえ)》(白浪五人男)を書下ろしたといわれる。《客者評判記》の絵や江戸三座の楽屋図も国貞である。しかし、天保の改革を経て弘化に入る晩年 ...
27. 歌川国貞『さかい町中村座楽屋之図』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
江戸三座の一つである中村座の楽屋を描いたもの。三枚続 1813年(文化10) 国立国会図書館所蔵 ...
28. うら‐ぢゃや【裏茶屋】
日本国語大辞典
探して」*人情本・春色恵の花〔1836〕二・八回「京町の猫かよひけり揚屋町、その裏茶屋の奥の方」(ロ)江戸三座の裏手にある芝居茶屋。役者との密会に利用されること ...
29. えじまいくしま【江島・生島】
日本架空伝承人名事典
)右のいわゆる正徳事件によって劇界には連坐者続出、江戸四座の一つ山村座は取潰しとなって、以来江戸三座と定められた。また劇場内客席も、それまでは三階桟敷が存在した ...
30. えど‐さんしばい[‥サンしばゐ]【江戸三芝居】
日本国語大辞典
「えどさんざ(江戸三座)」に同じ。〓[シ] ...
31. おお‐ぜい[おほ‥]【大勢】
日本国語大辞典
〕「Vôjei (ヲウゼイ)」*黄表紙・見徳一炊夢〔1781〕中「金にあかして、江戸三座の役者をぬきぬき、大ぜいよびよせ」*日本読本〔1887〕〈新保磐次〉四「 ...
32. おおたに-ひろえもん【大谷広右衛門(3代)】
日本人名大辞典
2代大谷広次の門にはいり,寛延のころから敵役をつとめ,宝暦12年江戸中村座で3代を襲名。のち実悪の立者として江戸三座に出演し,天明4年から中村座の頭取をかねた。 ...
33. おおどうぐ【大道具】
歌舞伎事典
世襲した代々の勘兵衛により技術は急速に進歩し、享保(1716‐1736)ごろには、長谷川家は中村・市村・森田の江戸三座すべての大道具を受けもつ存在になった。 宝 ...
34. おででこ‐しばい[‥しばゐ]【御出木偶芝居】
日本国語大辞典
〔名〕江戸時代、江戸三座以外の小芝居。もと、おででこを用いた人形芝居であったところからいう。おででこ。*随筆・嬉遊笑覧〔1830〕六・上「放下師の人形笊籬(ざる ...
35. おにおうどうざぶろう【鬼王・団三郎】
日本架空伝承人名事典
寺社の縁起などに付随して日本全国に点在しているのである。[西脇 哲夫] 歌舞伎では享保期(一七一六‐三六)から江戸三座で初春(正月)狂言として曾我物を上演する慣 ...
36. かえ‐やぐら[かへ‥]【代櫓】
日本国語大辞典
〔名〕中村座、市村座、森田座の江戸三座で休業するものがある場合、臨時に興行することを許された劇場。中村座には都座、市村座には桐座、森田座には河原崎座と決められて ...
37. 顔見世
世界大百科事典
中には同じ座に居すわる役者もあり,これを〈重年(ちようねん)〉〈居なり〉と称えた。俳優の振りわけは江戸三座の太夫元,金主らが列席しての談合で定められ,場合によっ ...
38. かさぬい-せんすけ【笠縫専助(初代)】
日本人名大辞典
天明元年(1781)江戸市村座の立作者となり,「むかし男雪雛形(ゆきのひながた)」で好評を博す。江戸三座で活躍し,寛政9年中村座の頭取。常磐津(ときわず),長唄 ...
39. かたきうち【敵討】画像
国史大辞典
、という庶民の意識の昂揚に対応した敵討現象が多くなったことを物語るものであろう。十八世紀以降江戸三座の正月狂言がすべて曾我狂言で、それが幕末まで蜒々と続いたとか ...
40. かないさんしょう【金井三笑】
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同五年六月同座の富本節『夏柳夢睦言』で名をあげ、同九年二月森田座の『菜花隅田川』で立作者となった。以来、江戸三座を転勤し、全盛期は同十年から安永五年(一七七六) ...
41. 仮名手本忠臣蔵
世界大百科事典
。竹本座での成功の跡を受けて,同年12月大坂角の芝居の舞台に取り上げられたのをはじめ翌年には江戸三座で競演。爾来,歌舞伎の独参湯(どくじんとう)(起死回生の妙薬 ...
42. かなでほんちゅうしんぐら【仮名手本忠臣蔵】
歌舞伎事典
。竹本座での成功の跡を受けて、同年一二月大坂・中の芝居の舞台に採り上げられたのを初め翌年には江戸三座で競演。爾来、歌舞伎の独参湯(どくじんとう)(起死回生の妙薬 ...
43. 歌舞伎(演劇)画像
日本大百科全書
にも及び、ことに風紀上の規律は峻厳(しゅんげん)を極めた。 さらに同年、現在の中央区にあった江戸三座に対して、当時へんぴな田んぼにすぎなかった浅草猿若町(さるわ ...
44. 歌舞伎画像
世界大百科事典
た。これは天保改革の一環であった。町奉行遠山左衛門尉の進言によって取りつぶしはまぬかれたが,江戸三座は浅草の猿若町に強制移転させられた。以後,72年(明治5)に ...
45. かぶききゃくほん【歌舞伎脚本】
国史大辞典
松羽目物などの一幕脚本もある。脚本の形式は多幕物では顔見世などは大体の形式が定式化していた。江戸三座の化政期について見ると、一番目と二番目からなり一番目が時代で ...
46. 河竹黙阿弥
世界大百科事典
作者となり,2世河竹新七を襲名。その後は50余年一筋に作者道を貫く。このころ天保の改革のため江戸三座が浅草猿若町に移転したので,住居を芝から浅草寺子院の正智院境 ...
47. かわたけもくあみ【河竹黙阿弥】
歌舞伎事典
作者となり、二世河竹新七を襲名。その後は五〇余年一筋に作者道を貫く。このころ天保の改革のため江戸三座が浅草猿若町に移転したので、住居を芝から浅草寺子院の正智院境 ...
48. けじょうすいげんまくのそと[ケヂャウスイゲンマクのそと]【戯場粋言幕の外】
日本国語大辞典
本。二巻二冊。式亭三馬作・歌川国直画。文化三年(一八〇六)刊。江戸三座中の中村座・市村座を舞台に、芝居町の情景、戯場(劇場)の雰囲気、田舎の老爺・老婆から学者・ ...
49. 劇場画像
世界大百科事典
町に限られていた劇場建築も解放されて,新たに劇場免許制がしかれた。まず1872年(明治5)に江戸三座の一つ森(守)田座の守田勘弥が,京橋区新富町6丁目へ進出して ...
50. げきじょう【劇場】
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また猿若町に限られていた劇場建築も解放されて、新たに劇場免許制がしかれた。まず明治五(1872)年に江戸三座の一つ森(守)田座の守田勘弥が、京橋区新富町六丁目へ ...
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